第9話 これがお餅!?
ヤマトノ国へ入った瞬間、わたしは息をのんだ。
これまで通ってきたどの国とも、まったく違う景色がそこには広がっていた。石造りの建物ではなく、木と紙でできたような繊細な家々。道行く人々の衣装は、腰帯で結ばれた独特の形をしていて、足元には見たこともない木製の履物を履いている。
「これが……ヤマトノ国……」
「珍しい国ですね」
セシルも興味深そうに周囲を見回している。ボンボンの背から見渡す街並みは、これまでの旅で目にしたどの景色よりも、異質でありながら不思議な調和を感じさせるものだった。
「きゅい、きゅい!」
プティが帽子の中から興奮した様子で顔を出し、周囲の匂いを嗅ぎ回っている。
「わかるわ、プティ。わたしも何もかも珍しくて仕方ないもの」
街道を進んでいくと、地面に敷き詰められた石畳の道の脇に、湯気の立ち上る場所が見えた。
「あれは……何かしら」
「温泉、というものではないでしょうか。以前、書物で読んだことがあります」
セシルの言葉に、わたしはますます好奇心をかき立てられた。
「温泉? お湯が地面から湧き出てるってこと?」
「詳しくは分かりませんが、そのようなものだと」
街の中心に近づくにつれ、木造の店が軒を連ねる商店街のような一角に差し掛かった。店先には見慣れない食べ物が並んでいて、その中のひとつに、わたしの目は釘付けになった。
「あれ、何かしら……白くて、丸い……」
店先の茶屋らしき建物の中を覗くと、白い丸餅らしきものが炭火の上で焼かれているのが見えた。焼けるにつれて、餅がぷくりと膨らんでいく様子が何とも不思議だった。
「セシル、あれよ! きっと商人が言っていた『餅』ってやつだわ!」
「まだ確かめたわけでは……」
わたしはすでに店の中へと足を踏み入れていた。店主らしき年配の女性が、こちらを見て少し驚いた表情を浮かべる。
「あの、これって『餅』ですか?」
「ええ、そうですよ。お客さん、遠くからいらしたのかしら」
「ええ、そうなの! これ、ひとつちょうだい!」
銀貨を差し出すと、店主は焼きたての餅を小皿に乗せ、たれをかけて渡してくれた。香ばしい醤油の匂いが鼻をくすぐる。
「どうして二本の棒で食べ物をつかむの?」
「姫殿下、それはこちらの国では普通です」
「フォークの方が絶対に簡単よ」
箸の使い方が分からず、結局は指でつまんで口に運んだ。
もちもちとした食感が歯に伝わった瞬間、わたしは思わず声をあげた。
「の、伸びた! 本当に伸びたわ!」
餅を噛み切ろうとするたびに、糸を引くように伸びる不思議な感触。これまで食べてきたどんな菓子とも違う、まったく新しい食感だった。
「セシル、見て! これ、本当に伸びるのよ!」
「姫殿下、口の周りにたれがついています」
「そんなことより、この食感! すごいと思わない!?」
興奮のあまり、餅を千切っては伸ばし、伸ばしては千切りを繰り返していると、店主が微笑ましそうにこちらを見ていた。
「そんなに気に入っていただけて嬉しいわ。お代わりもございますよ」
「ください! たくさんください!」
「プティにも分けてあげてください」
「きゅい!」
プティも餅を頬張りながら、驚いたように尻尾をぴんと立てている。あまりの伸び具合に戸惑っている様子が、なんともおかしい。
餅を堪能していると、店の奥から、黒髪を赤い紐で結んだ少女が姿を現した。歳のころは、わたしより少し年下だろうか。黒い瞳には穏やかな光があり、巫女装束のような、独特な衣装を身にまとっている。
「お客さん、餅を気に入っていただけましたか」
「あなたは?」
「わたしはコハルと申します。この先にある神社で、巫女見習いをしております」
コハルと名乗る少女は、穏やかな笑みを浮かべながら丁寧にお辞儀をした。その所作には、これまで出会った誰とも違う独特の品があった。
「巫女見習い……」
「はい。この茶屋は、わたしの親戚が営んでおります。今日はお手伝いに来ておりました」
わたしは興味津々でコハルに詰め寄った。
「ねえ、他にもこの国のお菓子について教えてくれない? 団子とか、羊羹とか、いろいろあるって聞いたんだけど」
「もちろんです。よろしければ、神社の方へご案内いたしましょうか。ちょうど今、祭りの準備で色々なお菓子を用意しているところなんです」
「祭り?」
「はい。数日後に、神様へ収穫を感謝する祭りがございます。神前へお供えする特別な菓子を、これから仕込むところなんです」
その言葉に、わたしの好奇心はますます膨らんだ。
「見学させてもらってもいい?」
「ええ、もちろんです」
コハルに案内され、わたしたちは神社へと向かうことになった。
商店街を歩いていると、別の店先に、鮮やかな緑色の粉をまとった菓子が並んでいた。
「あれは何?」
「抹茶をまぶした、わらび餅というお菓子です」
コハルが店先を指しながら説明してくれた。
「わらび餅?」
一つ味見してみると、ぷるんとした柔らかな食感とともに、抹茶のほろ苦さが広がり、そのあとから優しい甘さが追いかけてきた。
「美味しい! この緑色、覚えたわ!」
「きゅい!」
すっかり気に入ったわたしとプティは、店先でもう一つずつおかわりをねだり、コハルを困らせてしまった。
商店街をさらに進むと、また別の店先から、威勢のいい掛け声と、今まで嗅いだことのないような香りが漂ってきた。
「せっかくですから、少し休憩がてら、お寿司を召し上がっていきませんか」
「お寿司?」
「酢で味付けしたご飯に、魚などを合わせた料理です」
「へえ……! それ、食べてみたいわ!」
コハルの説明を聞いて、わたしは迷わず頷いた。
☆
案内されたお店で、艶やかな酢飯の上に、色とりどりの魚が乗った寿司が運ばれてくる。物珍しさに目を輝かせながら、わたしは皿を覗き込んだ。
小皿の隅に、見覚えのある緑色のものが添えられていた。
「あ、これも抹茶ね!」
「きゅい!」
「え、リリィ、それは――」
コハルが止めるより早く、わたしとプティは同時に口へ運んだ。
「――――っ!?」
「きゅいいいいっ!?」
鼻の奥を突き抜けるような刺激に、わたしは涙目になった。
「な、なによこれ! 全然甘くないじゃない!」
「それはわさびです……」
コハルが、申し訳なさそうに、けれどおかしさを堪えきれない様子で、そう教えてくれた。
「きゅ、きゅう……!」
プティも、涙目のまま、必死にお茶を飲み干している。
「姫殿下、食べ物は確認してから口にしてください」
セシルは寿司にわさびをほんの少しだけ付け、何事もなかったように味わっていた。
「プティだって食べたじゃない!」
「きゅい……」
「プティを言い訳にしないでください」
「見た目が似てるからって、油断しちゃいけないのね……」
涙目のまま呟くわたしの姿に、店の中では、思わずといった様子の笑い声が上がっていた。
☆
商店街を抜けてしばらく歩くと、周囲の賑わいは次第に遠ざかっていった。やがて木々に囲まれた石段が見えてくる。
石段を登っていくと、鳥居と呼ばれる独特な形の門が現れ、その奥に静謐な雰囲気を漂わせる社殿が見えてきた。
「素敵な場所ね……」
「ありがとうございます。ここは、代々この土地の神様をお祀りしている神社です」
境内に入ると、巫女装束の女性たちが忙しそうに立ち働いている姿が見えた。米を蒸す湯気があちこちから立ち上り、独特の甘い香りが漂っている。
「これが、祭りに使う米菓子の材料です」
コハルが案内してくれた場所には、蒸したての米が大きな盥に盛られていた。
「これから、これを搗いて、神前にお供えする特別な菓子を作ります」
「わたしも手伝っていい?」
「え、よろしいのですか」
「もちろん! お菓子作りには目がないの!」
興味津々で申し出ると、コハルは少し困ったような表情を浮かべた。
「じつは……今年の米は、少し様子がおかしいのです」
「様子が、おかしい?」
わたしは首を傾げながら、蒸された米を一粒摘まんで口に含んだ。
しばらく味わってみて、思わず眉をひそめる。
「……これ、味が薄いわね」
「え?」
コハルが驚いた顔でこちらを見た。
「甘みが少ないっていうか……なんだか、育ち方がおかしいような気がするの。土の味がちゃんと乗ってないっていうか」
「そこまでお分かりになるのですか」
コハルの表情が、驚きから真剣なものへと変わっていく。
「じつは、村の方々も同じようなことをおっしゃっていました。今年は米の出来が悪くて、特に神前にお供えする特別な米が、思うように育たなかったのです」
「原因は分かってるの?」
「はっきりとは……。ただ、村の田畑の近くにある森で、最近奇妙なことが起きているという噂もあって」
コハルの表情に、不安の色が滲んだ。
「奇妙なこと?」
「夜になると、田畑の作物が少しずつ減っているらしいのです。獣の仕業かとも思われたのですが、足跡なども見当たらず……」
わたしとセシルは、思わず顔を見合わせた。
「気になるわね……」
そのとき、わたしの肩の上でプティが、突然何かに反応するように鼻をひくつかせ始めた。
「きゅい! きゅい!」
「プティ、どうしたの?」
プティは興奮した様子で、神社の裏手にある森の方角を指し示すように、必死に鼻先を向けている。
「あっちから、何か甘い匂いがするみたいです」
コハルが不思議そうに呟いた。
「甘い匂い……?」
わたしは森の方角を見つめながら、胸の奥にざわめきを感じていた。
(また、この感覚。何か、大切なことが隠されている気がする)
「コハル、その森について、もっと詳しく教えてもらえる?」
「はい……。ただ、あまり近づかない方がいいと、村の年配の方々からは言われています。何か、良くないものが棲みついているのではないか、と」
「セシル、どう思う?」
尋ねると、セシルは真剣な表情で少し考え込んでから答えた。
「気になることではありますが、まずは情報を集めるべきかと。夜になってから森へ向かうのは危険です」
「そうよね……」
わたしは頷きながらも、心の中では既に決意を固めていた。
(この謎、絶対に解き明かしてみせるわ)
その日の夜、コハルの計らいで、わたしたちは神社の一室に泊めてもらうことになった。
布団に横たわりながら、わたしは昼間の出来事を思い返していた。
味の薄い米。夜な夜な減っていく作物。そして、フロレンツァ公国でも感じた、果物の違和感。
これらは、本当にただの偶然なのだろうか。
「プティ、あなたはどう思う?」
「きゅう……」
すでに眠りについているらしいプティは、規則正しい寝息を立てるだけだった。
窓の外には、見たこともない星空が広がっている。月明かりに照らされた神社の境内は、昼間とはまた違う、神秘的な静けさに包まれていた。
(明日、あの森を調べてみましょう)
そう心に決めながら、わたしはゆっくりと眠りに落ちていった。




