第5話 お姫さま、菓子職人になる
翌朝、わたしはミレーナの菓子店の裏口を叩いていた。
「おはよう、ミレーナ! 今日も手伝うわよ!」
「リリィ、また来てくれたの?」
厨房から顔を出したミレーナは、目の下にうっすらと隈を作っていた。どうやら昨夜は遅くまで試作を重ねていたらしい。
「菓子祭まで、あと何日?」
「五日よ。それまでに、もっと完成度を上げないと」
厨房に足を踏み入れると、作業台の上には昨日の試作品よりも数を増やした柑橘タルトが並んでいた。それぞれ微妙に配合を変えているらしく、焼き色や照りの具合が少しずつ違っている。
「全部味見していい?」
「もちろん! それがあなたの得意分野でしょう」
わたしは端から順に一切れずつ試食していった。
「これは蜂蜜が強すぎるわね。こっちは逆に生地が少し水っぽい。あ、この三番目のは、かなりいいバランスだと思うわ」
「本当? じゃあ、そのレシピをベースに調整してみる」
ミレーナが慌ただしくメモを取る横で、わたしも張り切って調理を手伝おうとした。
「じゃあ、次はわたしが生地を混ぜてみるわ!」
「あ、リリィ、それは力を入れすぎると――」
「任せて!」
ボウルに向かって勢いよく泡立て器を振るったところ、生地が周囲に盛大に飛び散った。頬にべったりとついた生地を拭いながら、わたしは気まずく笑った。
「あはは……ちょっと力加減、間違えちゃったみたい」
「もう、リリィったら」
ミレーナが苦笑しながら、布巾で頬を拭いてくれる。
「味は分かるのに、どうして作れないのかしら……」
「食べる才能と作る才能は別なんじゃない?」
「そんな残酷なこと言わないで!」
その間、プティは作業台の下でこっそりと落ちた生地の欠片を拾い食いしていた。
「プティ、また味見してるでしょう」
「きゅい?」
しらばっくれるように首を傾げるプティの口の周りには、しっかりと生地がついている。証拠は隠せていない。
午前中は、こんな調子で試行錯誤が続いた。わたしが手伝うたびに何かしらの小さな失敗が起こり、そのたびにミレーナが手際よくフォローしてくれる。決して調理の腕が上達しているとは言い難かったけれど、それでも二人で作業をする時間は、驚くほど楽しかった。
☆
昼過ぎ、ひと段落したところで、わたしはふと思いついたことを口にした。
「ねえ、ミレーナ。この街の名産の果物って、柑橘以外に何があるの?」
「え? そうね、この時期だと、ベリー系の果物も出回ってるけど」
「ちょっと味見させてもらえる?」
ミレーナが市場で仕入れたばかりだという赤い果実を差し出してくれた。ひとつ口に含んだ瞬間、甘酸っぱい果汁が舌の上に広がる。
「美味しい……けど、少し香りが弱いかしら」
「そう? あたしはいつも通りだと思うけど」
「気のせいかもしれないわ。それより――これ、クリームと合わせたら絶対美味しいと思う!」
「クリームと、この果物を?」
「そう! 柑橘の爽やかさとは違う、もっと濃厚な甘酸っぱさが出せると思うの。試してみましょう!」
わたしの提案に、ミレーナも興味を惹かれた様子で頷いた。
「面白そう! やってみましょうか」
新たな組み合わせを試すべく、二人は再び厨房に立った。ベリーを軽く潰してソースにし、それをクリームと合わせてタルトの中に忍ばせる。焼き上がったものを試食してみると――。
「……美味しい!」
ミレーナが感嘆の声をあげた。
柑橘の爽やかさを活かした従来のレシピとはまた違う、濃厚でありながらも後味のすっきりとした味わいが口の中に広がっていく。
「これなら、伝統の生地を活かしつつ、新しい魅力も出せるんじゃないかしら」
わたしの言葉に、ミレーナは大きく頷いた。
「そうね……! 完全に新しくするんじゃなくて、伝統を残しながらアレンジを加える。それなら、お父さんにも受け入れてもらいやすいかも」
「うん、きっとそうよ!」
二人で試作を重ねるうち、いつしか厨房には夕暮れの光が差し込むようになっていた。窓の外から聞こえる運河の水音と、遠くで響く教会の鐘の音が、どこか穏やかな時間を演出している。
「ねえ、リリィ」
ふいに、ミレーナが手を止めて話しかけてきた。
「あなたって、本当は何者なの? 味覚がすごく鋭いし、お菓子作りにこんなに情熱を注げる子、今まで会ったことないわ」
一瞬、答えに詰まった。正体を明かすべきかどうか、迷いが胸をよぎる。
「わたしは……ただの、お菓子が大好きな旅人よ」
完全な嘘ではないけれど、完全な真実でもない。ミレーナは特に深く追及することなく、にっこりと笑った。
「そう。まあ、詳しい事情はどうでもいいわ。あなたと一緒にお菓子を作るの、すごく楽しいから」
その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなった。
城にいたころは、身分や立場を意識せずに誰かと接することなど、ほとんどなかった。ミレーナのように、対等な立場で一緒に何かに打ち込める相手ができたことが、素直に嬉しかった。
「わたしも、すごく楽しいわ」
二人は顔を見合わせて笑い合った。
☆
その日の夜、試作を終えて店を出たところで、わたしはふと市場の方から漂ってくる香りに気づいた。
「あれ、あの匂い……」
プティが帽子の中で、鼻をひくつかせている。
「きゅい!」
「行ってみましょうか」
匂いを辿っていくと、市場の一角で果物を売る屋台に行き着いた。並べられた籠の中には、先ほど使ったベリー系の果物が山積みにされている。
何気なく手に取って口に含んだ瞬間、昼間に感じた小さな違和感が蘇った。
「……やっぱり」
「お客さん、どうかしましたか?」
屋台の店主が心配そうに尋ねてくる。
「この果物、昼間に食べたものもそうだったんだけど……去年より少し甘みが薄い気がするの。それに、香りも弱いわ」
「そう言われてみれば……」
店主が首を傾げながら考え込んだ。
「今年は天候のせいか、なんとなく実りが悪い気がするんですよね。うちだけじゃなく、他の農家も同じようなことを言ってましたよ」
「天候のせい……」
その言葉が、なぜか胸の奥に引っかかった。
思えば、旅の初日に食べた蜂蜜も、去年のものとは風味が違っていた。あのときは「産地が変わったから」という理由で納得していたけれど。
(何か、関係があるのかしら)
深く考え込む前に、プティがぐいぐいと帽子の中から顔を出し、果物に向かって鼻先を伸ばしてきた。
「こら、プティ、勝手に食べちゃ――あ」
止める間もなく、プティは籠の中の果実をひとつ、あっという間に頬張ってしまった。
「きゅい!」
「もう、この子ったら……すみません、代金払います」
慌てて謝りながら支払いを済ませる。店主は苦笑しながら「元気なお仲間ですね」と言ってくれた。
☆
その夜、宿の部屋に戻ってからも、わたしは今日感じた違和感が頭から離れなかった。
「ねえ、プティ。なんだか気になることが増えてきた気がするのよね」
「きゅう?」
ベッドの上で丸くなったプティが、眠そうな目でこちらを見上げてくる。
「蜂蜜の味も、果物の甘みも、なんだか少しずつ変わってきてる気がするの。気のせいかしら」
答えの出ない問いを口にしながら、わたしは窓の外を見つめた。月明かりに照らされた運河の水面が、静かに揺らめいている。
(まあ、今はそれより、菓子祭のことに集中しなきゃ)
深く考えるのはひとまず後回しにして、わたしはベッドに潜り込んだ。
――そのころ、とある宿では、旅装束のまま剣を傍らに置いたセシルが、地図を睨みつけながら情報を整理していた。
「姫殿下が向かわれたというフロレンツァ公国……このまま進めば、あと数日で到着するはずだわ。姫殿下、今度こそ、必ず見つけ出してみせます」




