第29話 おてんば姫、世界をつなぐ
ノエルとの約束を交わした後、わたしたちの動きは、これまで以上に慌ただしいものとなった。
城に戻ったわたしは、父上に事の次第を説明し、各国への緊急の使者派遣を要請した。
幸い、先の会議で協力体制がすでに築かれていたこともあり、各国へ知らせはすぐに届けられた。
☆
フロレンツァ公国。
ミレーナは、店の厨房で焼き上がったばかりのタルトを並べていた。
「ミレーナ、王都から急ぎの知らせだ!」
父親から手渡された書状に目を通すと、ミレーナの表情が一瞬で引き締まった。
「精霊脈を繋ぐために、あたしたちの力が必要……」
手元のタルトへ視線を落とす。
この土地で採れる果物も、蜂蜜も、すべて大地から与えられたものだった。
「分かった。行くわ」
ミレーナは迷わずエプロンを外した。
「今度は、あたしがリリィを手伝う番だもの」
☆
ヤマトノ国。
神社の境内で書状を受け取ったコハルは、それを読み終えると、森の方角を見つめた。
以前より穏やかになった魔物たちの鳴き声が、木々の向こうから聞こえてくる。
「リリィ様が、世界を繋ごうとしている……」
コハルは胸元で両手を重ねた。
「でしたら、わたしもお手伝いします」
その表情に、迷いはなかった。
☆
サハリア王国。
シャヒラは、回復の兆しを見せ始めた花畑の前で、王都から届いた書状を開いていた。
「リリアーヌ様が……」
風に揺れる花々へ、そっと手を伸ばす。
まだ完全に元へ戻ったわけではない。それでも、以前より確かに生命の気配が戻ってきている。
「わたくしが迷っていたとき、リリアーヌ様は背中を押してくださいました」
シャヒラは書状を胸元へ抱いた。
「今度は、わたくしが力をお返しする番です」
☆
ノルディア王国。
雪に覆われた村では、フレイヤが籠いっぱいのベリーを運んでいるところだった。
「フレイヤ! ベルフィーユ王国から知らせだ!」
「リリィから?」
書状を読み終えたフレイヤは、しばらく黙っていた。
やがて、にっと笑う。
「世界中の大地を元気にするんでしょう?」
籠を近くの村人へ預けると、すぐに外套を羽織った。
「だったら、断る理由なんてないわ」
☆
アルマ海洋共和国。
港に停泊していた船の甲板で、マリンは届いた書状を読み終えると、海の向こうへ目を細めた。
「まったく。最後まで、とんでもないことに巻き込んでくれるお姫様だね」
そう言いながらも、その口元には笑みが浮かんでいる。
「船長、どうします?」
乗組員に尋ねられ、マリンは書状を畳んだ。
「決まってるだろう」
帽子を被り直し、力強く答える。
「恩人が助けを求めてるんだ。行かないわけにはいかないさ」
☆
そして数日後。
「各国の代表者たちが、それぞれの国の『開口部』に向かう準備を整えたそうです」
城の一室で、セシルが最新の報告を伝えてくれた。
「フロレンツァ公国からはミレーナ様、ヤマトノ国からはコハル様、サハリア王国からはシャヒラ様、ノルディア王国からはフレイヤ様、そしてアルマ海洋共和国からはマリン様が、それぞれ担当することになったとのことです」
その報告に、わたしの胸が熱くなった。
「みんな……」
旅の途中で出会った人たちの顔が、一人ずつ頭に浮かんでくる。
最初はただ、世界中のお菓子を食べたくて始めた旅だった。
けれど、その旅で出会った人たちが、今度はわたしの呼びかけに応えて、世界を守るために立ち上がってくれている。
「みんな、引き受けてくれたのね……」
「はい」
セシルが穏やかに頷いた。
「姫殿下が旅の中で結んできたものが、今、こうして一つに繋がろうとしているのだと思います」
わたしは、ぎゅっと拳を握った。
「だったら、わたしも絶対に失敗できないわね」
「はい。最後まで、ご一緒いたします」
「ありがとう、セシル」
決行の日は、三日後に決められた。
各国の「開口部」で、それぞれの代表者たちが同時に儀式を行い、その中心となる始まりの森で、わたしたちがノエルと共に精霊脈を繋ぎ合わせる役目を担うことになっていた。
☆
決行の当日、始まりの森には、朝から張り詰めたような緊張感が漂っていた。
「姫殿下、そろそろ時刻です」
セシルの言葉に、わたしは深く頷いた。
「行きましょう」
森の中央にある泉のほとりで、ノエルがわたしたちを待っていた。その表情には、これまでにない、確かな覚悟の色が浮かんでいる。
「準備は、整ったか」
「はい、ノエル様。各国の代表者たちも、それぞれの場所で、準備を終えているはずです」
わたしがそう答えると、ノエルはゆっくりと頷いた。
「では、始めよう」
ノエルが泉の中央に立ち、両手をそっと広げた。その瞬間、彼女の周囲に淡い光の粒子が、ふわりと舞い始めた。
「精霊脈を繋ぎ合わせるには、各地の開口部から発せられる魔力の流れを、この中心地で、同時に受け止める必要がある」
ノエルの声に合わせて、遠く離れた各国の空に、それぞれ違う色の光の柱が立ち上り始めるのが見えた。
「あれは……」
フロレンツァ公国の方角には、淡い黄色の光。ヤマトノ国の方角には、桜色の光。サハリア王国の方角には、金色の光。ノルディア王国の方角には、白銀の光。そして、アルマ海洋共和国の方角には、青い光。
それぞれの光が、まるで意志を持っているかのように、始まりの森を目指して、ゆっくりと伸びていく。
「あの光の一つ一つが、みんなが送ってくれている力なのね」
わたしが思わず呟くと、ノエルが頷いた。
「その通りだ。だが、これらの力を一つに束ねるには、この中心地で、それを受け止める者が必要になる」
「わたしが、その役目を果たせばいいの?」
わたしの問いに、ノエルは真剣な表情で頷いた。
「お前が、これまでの旅を通じて、それぞれの土地と、確かな絆を結んできたからこそ、この役目を果たせるはずだ」
その言葉に、わたしは深く息を吸い込み、覚悟を決めた。
「分かったわ。やってみせる」
わたしはノエルの隣に立ち、泉の中央に向かって、両手を差し伸べた。
その瞬間、各国から伸びてきた光の柱が、一斉に、わたしとノエルを目指して、勢いよく収束し始めた。
「うっ……!」
凄まじい魔力の奔流が、わたしの全身を包み込んだ。まるで、体の内側から何かに引き裂かれそうな感覚が押し寄せてくる。
「姫殿下!」
セシルが、慌ててこちらに駆け寄ろうとした。
「大丈夫、まだ耐えられるわ……!」
わたしは必死に踏ん張りながら、押し寄せる魔力の奔流を何とか受け止めようとした。
けれど、その負荷は、想像していたよりもずっと大きく、次第に、わたしの意識が朦朧としてきた。
「くっ……」
膝が、がくりと崩れそうになる。
その瞬間、セシルが素早くわたしの体を支えた。
「私も、一緒に耐えます!」
「セシル……」
セシルの力強い支えに、わたしはわずかに息を吹き返した。
プティとボンボンも、それぞれの方法で、わたしたちを支えようとしていた。
「きゅい! きゅい!」
プティは必死に鳴き声をあげながら、わたしの周囲に小さな魔力の膜を張ろうとしている。
「もふぅ!」
ボンボンも、その巨体を使って、風のように吹きすさぶ魔力の奔流から、わたしたちを守ろうとしていた。
「ありがとう、みんな……!」
仲間たちの支えを受けながら、わたしは、再び意識を集中させた。
各国から送られてくる光の力を、一つずつ、丁寧に、自分の中に取り込んでいく。ミレーナの想い、コハルの祈り、シャヒラの決意、フレイヤの願い、マリンの覚悟。
それぞれの光に込められた確かな想いが、わたしの中で一つに重なり合っていく。
その瞬間、旅の途中で味わってきたものが、次々と脳裏に蘇った。
フロレンツァで食べた、柑橘の爽やかな香りが広がるタルト。
ヤマトノ国で、みんなと一緒に搗いたお餅の、素朴で優しい甘み。
サハリアの太陽の下で味わった、蜂蜜と香辛料の濃厚な香り。
ノルディアの寒い夜、温かな部屋で食べたシナモンロール。
そして、潮風の吹くアルマで出会った、爽やかなレモン菓子。
(……全部、覚えてる)
ただ美味しかったからじゃない。
その味の向こうには、いつだって誰かがいた。
笑ってくれた人。困っていた人。一緒に悩んだ人。そして、また会おうと約束した人。
(これが、わたしの旅だったんだ)
世界中のお菓子を食べたい。
そんな単純な理由で始まった旅だった。
けれど今、その一つ一つの味が、人と人を、国と国を繋いでいる。
「これが……みんなの、想い……」
わたしは、その温かい力をしっかりと胸に受け止めながら、ノエルへと向き直った。
「ノエル様、今よ! 全部の力を、繋ぎ合わせて!」
わたしの声に応えるように、ノエルが、両手をさらに大きく広げた。
「お前の想いに、応えよう」
ノエルの体から、これまでにないほど強い光が、一気に放たれた。
その光が、わたしの中に取り込まれていた各国の力と、静かに共鳴し始める。
その瞬間、わたしたちを飲み込んでいた魔力の奔流が、大きく渦を巻きながら、一つの巨大な光の柱へと、姿を変えていった。
「これが……精霊脈の、本来の姿……」
わたしは、目の前で繰り広げられる光景に、思わず息を呑んだ。
しかし、その瞬間、暴走しかけた魔力の一部が、わたしたちの方へと、勢いよく押し寄せてきた。
「危ない!」
セシルがとっさに、わたしを庇うようにその身を盾にした。
「セシル!」
わたしが叫んだ、その瞬間。
「リリィ!」
セシルが、これまで一度も呼んだことのなかった、わたしの愛称を、初めて口にした。
その声には、これまでの護衛としての義務感を超えた、確かな想いが込められていた。
暴走する魔力が、二人を包み込もうとした、その刹那。
わたしは思わず、状況にそぐわない言葉を口にしていた。
「やっと、呼んでくれた……!」
「今、それを気にしますか!?」
セシルの悲鳴のような声が、緊迫した空気の中に響き渡った。
その掛け合いに、張り詰めていた場の空気が、一瞬だけ、和らいだ。
その隙を突くように、ノエルが最後の力を振り絞り、暴走しかけていた魔力を一気に鎮めた。
「今だ……! 精霊脈を、再接続する……!」
ノエルの叫びと共に、光の柱が、一際強い輝きを放った。
その光は、大陸全体を包み込むように、四方八方へと勢いよく広がっていった。
わたしたちは、目もくらむような光の中で、しっかりと手を取り合いながら、その瞬間を見届けていた。
やがて、光が静かに収まっていくと、そこには、これまでとはまったく違う、生命力に満ちた森の姿が広がっていた。
枯れかけていた木々に、次々と瑞々しい新芽が芽吹いていく。
「成功、したのね……」
わたしが呆然と呟くと、ノエルが穏やかな声で答えた。
「ああ。精霊脈は、無事に再接続された」
ノエルの姿を見ると、これまでの弱々しさが嘘のように、その体から、確かな生命力が感じられるようになっていた。
「これで、大陸中の作物や自然も、少しずつ、本来の実りを取り戻していくはずだ」
その言葉に、わたしは、深い安堵の息をついた。
わたしは改めて、隣に立つセシルへと視線を向けた。
「セシル、さっきは、ありがとう」
「い、いえ……当然のことをしたまでです」
セシルは、まだ少し動揺した様子で、頬を赤らめながら答えた。
「それより、姫殿下、あのような緊迫した状況で、あんな呑気なことを口にするのは、いかがなものかと」
「だって、本当に嬉しかったんだもの」
わたしが素直にそう答えると、セシルはこれ以上ないほど頬を赤く染めた。
「もう……」
その様子を見て、わたしは思わずくすりと笑ってしまった。
「きゅい!」
「もふぅ!」
プティとボンボンも、無事に事が収まったことを喜ぶように、賑やかに鳴き声をあげている。
森の中に、穏やかな朝の光が差し込み始めていた。
☆
その翌日。
「リリアーヌ様! 今日からは舞踏のお稽古再開ですよ!」
「えー、世界を救ったのに」
「関係ありません! 遅れた分を取り戻さないと。今日はこのあと舞踏、その次は礼儀作法、午後からは歴史のお勉強です。刺繍のお稽古も明日から再開ですからね」
「そんなぁ」
エリーゼからそう告げられ、わたしは早くも戻ってきたお城での日常に肩を落とした。
「あっ、そういえば」
「どうかなさいましたか?」
「旅の途中で預けてて、取り戻してないものがあったわ。今から取りに行かなきゃ」
「リリアーヌ様、また逃げる言い訳ですか!」
「違うわ。すごく大事なことなの」
「エリーゼ様。姫殿下のおっしゃることが本当なら、確認しておいた方がよいでしょう。私が付き添います。すぐに戻ってきますので、外出許可をお願いします」
「セシルがそうおっしゃるのなら、仕方ありませんわ」
☆
「姫殿下、どこに預けたのですか?」
「街道沿いの町の質屋に」
「質屋?」
なぜか、セシルの声が少し低くなった。
こうしてわたしは、セシルに付き添ってもらい、旅の初めに訪れたあの町の質屋を再び訪れた。
「おじさん、あの王家の指輪を取り戻しに来ました」
「ああ、あれね。少々お待ちを」
質屋の店主が何気なくそう言った瞬間、隣にいたセシルの表情が凍りついた。
「……姫殿下」
「な、なに?」
「まさか、王家の紋章が入ったあの指輪を……質に入れていたのですか!?」
「だって、あのときは本当にお金がなかったんだもの! お店でお菓子を食べるにも、宿に泊まるにも、お金が必要だって旅をして分かったから」
「普通は王家の大切な品を質に入れたりしません! あぁ、なんて恐ろしいことを……!」
セシルは頭を抱えて卒倒しかけたが、店主が奥から見覚えのある見事な輝きの指輪を持ってくると、食い入るようにそれを確認した。
「……間違いありません、王家の刻印です。傷一つついていなくて本当に良かった……」
セシルは胸をなでおろし、深く長いため息をついた。
「いやあ、お嬢さん。間に合ってよかったですね。今日がちょうど期限ぎりぎりだったんですよ」
店主はそう言って朗らかに微笑む。
その瞬間、セシルの表情が再び凍りついた。
ゆっくりと、こちらへ顔を向ける。
「今日が期限……姫殿下」
「ひゃいっ!」
「指輪が無事だったのは不幸中の幸いですが、お城に戻ったら、たっぷりとお説教の時間を設けさせていただきますからね。覚悟しておいてください」
「うぅ……またお説教」
わたしは小さく身を縮めながらも、無事に指輪が戻ったことに、ほっと胸をなでおろした。




