第22話 王女さま、船員になる
ノルディア王国を後にし、南へ数日かけて街道を進んだ先に、ようやく潮の香りが漂う港町が見えてきた。
「これが、海……!」
初めて目にする大海原の光景に、わたしは思わず声をあげた。青々とした水面が、地平線の彼方まで広がっている。これまで見てきたどの景色とも違う、雄大なスケール感に、胸が高鳴った。
「きゅい!」
久しぶりに元気を取り戻したプティが、帽子の中から興奮した様子で顔を出している。潮風に混じる、どこか塩気を帯びた匂いに、しきりに鼻をひくつかせていた。
港には、大小さまざまな船が停泊し、荷物の積み下ろしをする人々の活気ある声が響き渡っている。
「アルマ海洋共和国へ渡る船を探さないといけませんね」
セシルの言葉に頷き、わたしたちは港沿いを歩きながら船を探すことにした。
いくつかの船宿を回るうちに、一隻の帆船の前で、威勢のいい声が響き渡っているのが聞こえてきた。
「そんな腕じゃ、まだまだ半人前だよ! もっと帆をしっかり張りな!」
声のする方を見ると、船の甲板で、潮風になびく赤褐色の髪を高く結んだ若い女性が乗組員たちに指示を飛ばしているところだった。日に焼けた肌に、快活そうな表情。腰には、これまで見たことのないような独特な形の剣を差している。
「あの人、船長かしら」
「ずいぶんと若く見えますが……」
興味を惹かれたわたしは、思わず船に近づいていった。
「あの、すみません!」
声をかけると、その女性がこちらを振り向いた。
「ん? 何だい、お嬢さんたち」
「アルマ海洋共和国に行きたいんだけど、船に乗せてもらえないかしら」
女性はしばらくこちらをじろじろと観察してから、にやりと笑った。
「あたしはマリン。この船の船長さ。アルマまで行きたいのかい」
「はい! お願いします!」
「そうさなぁ……」
マリンは腕を組みながら、思案顔をした。
「まあ、ただ乗せてやるってのも味気ないな。どうだい、お嬢さんたちも、少しは船の仕事を手伝ってみないか」
「え、仕事?」
「そう。ただの客としてじゃなく、多少なりとも船員として働いてもらう。その代わり、渡航費用はまけてやるよ」
思いがけない提案に、わたしは目を輝かせた。
「面白そう! やってみるわ!」
「姫殿下、それは……」
セシルが慌てて口を挟もうとしたけれど、わたしはすでにマリンの手を握り返していた。
「よろしくお願いします!」
「ふふ、威勢がいいね。気に入ったよ」
こうして、わたしたちは思いがけず、船員として働きながらアルマ海洋共和国へと渡ることになった。
出航の朝、甲板に立ったわたしは、慣れない仕事に早速苦戦することになった。
「まずは、その甲板の掃除からやってもらおうか」
マリンに手渡されたモップを手に、わたしは意気揚々と甲板を磨き始めた。けれど、慣れない作業に力加減が分からず、あちこちに水を撒き散らしてしまう。
「きゃっ!」
足を滑らせて、危うく転倒しそうになったところを、通りがかった乗組員に支えられた。
「お嬢さん、大丈夫かい。もう少し慎重にやらないと」
「す、すみません……」
恥ずかしさに頬を赤らめながら、わたしは改めてモップを握り直した。
一方、セシルは帆を張る作業を手伝おうとしていたけれど、こちらもなかなか思うようにいかない様子だった。
「もっと力を込めて引くんだ!」
「は、はい!」
乗組員の指示に従って綱を引くセシルの姿は、普段の凛とした様子とは違い、どこか不慣れで初々しいものだった。
「セシルも苦戦してるのね」
思わずくすりと笑ってしまうと、セシルが恨めしそうな視線を向けてきた。
「姫殿下だって、先ほど転びかけていたではありませんか」
「そ、それは言わない約束よ!」
互いの失敗を指摘し合いながらも、わたしたちは少しずつ、船上での作業に慣れていった。
☆
船が本格的に大海原へと乗り出すと、これまでとはまったく違う揺れが、船全体を包み込んだ。
「うっ……」
突然、セシルが顔色を悪くしながら、口元を押さえた。
「セシル、どうしたの?」
「な、なんでもございません……少し、船酔いをしているだけです」
意外な弱点の発覚に、わたしは思わず目を丸くした。
「セシルでも、船酔いなんてするのね」
「わ、笑わないでください……」
青ざめた顔でふらつくセシルの様子は、いつもの頼れる護衛の姿とは、まったく違うものだった。その意外な一面に、わたしはついつい笑いを堪えられなくなってしまう。
「もう、大丈夫? 何か手伝えることある?」
「……少し、休ませてください」
セシルを船室へと連れていき、休ませることにした。プティも心配そうに、セシルの傍らで小さく鳴いている。
「きゅう」
「セシル、無理しないでね」
弱々しく頷くセシルを見守りながら、わたしは改めて、この旅の道連れたちの、まだ知らなかった一面に触れられたことを、なんだか嬉しく感じていた。
しばらくすると、マリンが甲板から声をかけてきた。
「お嬢さん、こっちに来てみな。面白いものを見せてやるよ」
誘われるままに甲板に出ると、マリンは水平線の彼方を指差した。
「あそこに見えるのが、アルマ海洋共和国の島々さ」
「わあ……!」
遠くに霞んで見える、いくつもの島影。これから向かう新たな国の姿に、わたしは胸を高鳴らせた。
「ところで、お嬢さんたち、何の用でアルマに向かうんだい」
マリンの何気ない問いかけに、わたしは少し迷ってから、これまでの旅で感じてきた異変について、簡単に説明することにした。
「じつは、世界中で、作物や自然の実りに関する異変が起きてるみたいなの。それについて、詳しく調べてる人がアルマにいるって聞いて」
わたしの話を聞いたマリンの表情が、意外にも真剣なものに変わった。
「その話、じつはあたしも心当たりがあるよ」
「本当?」
「最近、島の柑橘類だけでなく、海藻の育ちが良くないって話を聞いてるんだ。それに、漁の獲れ高も、以前より減ってきてる気がする」
マリンの言葉に、わたしは思わず息をのんだ。
「島でも、海でも、同じような異変が……?」
「詳しいことは分からないがね。ただ、何かがおかしいってのは、あたしも感じてたところさ」
その話を聞きながら、わたしは改めて、この問題の規模の大きさを実感していた。
(陸だけじゃなくて、海でも、異変が起きてるなんて)
夕日が水平線に沈んでいく光景を眺めながら、わたしは新たな決意を胸に刻んだ。
(絶対に、この謎を解き明かしてみせるわ)
☆
その夜、船室で休んでいたセシルの容体も、ようやく落ち着きを取り戻していた。
「姫殿下、ご心配をおかけしました」
「ううん、大丈夫よ。それより、マリンさんから聞いた話、聞いてほしいの」
わたしは、海でも異変が起きているらしいというマリンの話を、セシルに伝えた。
「柑橘類だけでなく、海藻や漁の獲れ高にも影響が……。これは、想像していた以上に、深刻な事態かもしれません」
セシルの表情にも、緊張の色が浮かんだ。




