第2話 家出のお供は、魔物二匹
夜も更けた城の一室で、わたしは寝間着からお忍び用の服に着替えながら、鞄と睨めっこをしていた。
旅装用にと侍女たちが用意してくれた革の鞄は、それなりに大きい。けれど中に詰め込むべきものを考えると、途端に容量が足りない気がしてくる。
「着替えは……まあ、二着もあればじゅうぶんよね」
適当に畳んだワンピースを二枚、鞄の底に押し込む。
その上に、今度は先ほど厨房からこっそり運び込んだ焼き菓子の包みを積み重ねていった。クッキー、パウンドケーキ、干し果物を練り込んだビスケット。ベルナールおじさんが夕食後に厨房を離れた隙を見計らって、貯蔵庫からごっそり失敬してきたものだ。
「きゅい、きゅい!」
プティが鞄の縁によじ登り、中身を覗き込んでは目を輝かせている。
「触らないでよ、プティ。これは非常食なんだから」
「きゅい?」
「そう、非常食。旅の途中でお腹が空いたときのための、大事な大事な備蓄品」
我ながら苦しい言い訳だと思ったけれど、プティは特に疑う様子もなく、鼻先をひくつかせて包みの匂いを嗅いでいる。
着替え二着に対して、お菓子の包みは八個。
どう考えても優先順位がおかしい気がしたけれど、今さら気にしても仕方ない。お菓子がなければ、そもそも旅に出る意味がないのだから。
最後に、鏡台の引き出しから小さな革袋を取り出した。中には貯めていたお小遣いが少しと、それから――迷った末に、王家の紋章が刻まれた指輪をひとつ滑り込ませた。
(何かあったときのために、これくらいは持っていってもいいわよね)
鞄を閉じると、ずっしりと重くなった革の持ち手を肩にかけた。
「よし。じゃあ、行きましょうか」
「きゅい!」
プティが素早くわたしの帽子の中に潜り込む。ふわふわした毛の感触が、頭の上でもぞもぞと動いた。
部屋の扉をそぉっと開け、廊下の様子をうかがう。夜警の巡回時間はさっき調べておいた。ちょうど今は、次の見回りまで少し余裕があるはずだ。
足音を殺しながら、わたしは廊下を進んだ。
目指すは、城の奥にある魔獣厩舎。
☆
厩舎に近づくと、藁と土の匂いが鼻をくすぐった。並んだ厩の中で、大きな影がもぞりと動く気配がある。
「ボンボン」
小声で呼びかけると、真っ白でもこもことした大きな影が、のっそりと顔をあげた。つぶらな瞳がこちらを見つめてくる。
「もふぅ」
「しっ、静かに。今から出かけるわよ」
ボンボンはグランドアルパカと呼ばれる大型魔物で、わたしが幼いころから世話をしてきた相棒だ。馬より一回り大きな体は真っ白な毛に覆われていて、抱きつくとどこまでも沈み込むような柔らかさがある。
普段はとぼけた顔でのんびりしているけれど、いざ走り出すと恐ろしいほど速い。崖でも雪山でも砂漠でも、どんな地形も苦にせず進める万能の乗騎だ。
厩の鍵を外し、鞍を手早く取り付ける。手つきはお世辞にも上手いとは言えなかったけれど、幼いころから何度も練習していたおかげで、なんとか形にはなった。
「よし、これで準備完了ね」
「もふ?」
「今から、世界中のお菓子を食べに行く旅に出るのよ。ボンボンも手伝ってちょうだい」
ボンボンは特に驚いた様子もなく、鼻先をわたしの頬にすり寄せてきた。まるで「分かった」とでも言うように。
城門へ向かう道すがら、わたしは何度も後ろを振り返った。
石造りの城が、月明かりの中で静かに佇んでいる。窓のほとんどは暗く、みんな寝静まっているようだった。
(お父様、お母様、ごめんなさい。でも、どうしても我慢できないの)
罪悪感がないと言えば嘘になる。けれど、それ以上に胸の中を占めているのは、これから始まる旅への高鳴りだった。
城門にたどり着くと、案の定、松明を持った衛兵が二人立っていた。
わたしはとっさに、帽子を目深に被った。
(これで完璧な変装よ)
我ながら名案だと思ったけれど、よく考えたら着ている服は相変わらず王家御用達の仕立て屋のものだし、髪型も普段通りに結い上げたままだった。
「そこの者、止まれ!」
衛兵の一人が、こちらに気づいて槍を構えた。
「こんな夜更けに、大型魔物を連れて何をしている?」
「わ、わたしはただの……旅の者よ! 通してちょうだい!」
「旅の者にしては、ずいぶんと上等な服をお召しですな。それに、その髪型と気品……もしや」
衛兵がまじまじとこちらを見つめてくる。まずい。バレる。
わたしはとっさに、ボンボンの首元に顔をうずめるようにして俯いた。
「べ、別に誰でもないわ! ただの旅人よ!」
「いえ、その声、その物腰……リリアーヌ王女様ではございませんか!?」
もう一人の衛兵が、驚いた声をあげた。
(バレた!)
こうなったら、もう突破するしかない。
「ボンボン、走って!」
「もふぅ!」
ボンボンが勢いよく地面を蹴った。予想外の速さに、衛兵たちが慌てて槍を投げ出しながら追いすがろうとする。
「お、王女様! お待ちください!」
「開門! 誰か開門を!」
衛兵たちの叫び声が背後で響く中、ボンボンは城門を目指してまっすぐ駆けていった。門はまだ完全に閉ざされてはおらず、わずかな隙間が空いている。
「ボンボン、あそこよ! あの隙間を抜けて!」
「もふぅ!」
ボンボンの巨体が、驚くほどしなやかに門の隙間をすり抜けた。
背後で門番たちの狼狽える声が響き渡る。
「しっ、失踪だ! 王女様が城を出られた! 大変だ! すぐに国王陛下へお知らせしろ!」
その声を背に受けながら、わたしはボンボンの首にしがみつき、必死で前を見つめていた。
城下町の石畳を、蹄の音が軽やかに響いていく。
夜の町は初めて見る景色だった。窓明かりが灯る家々、閉まった露店の並び、遠くに見える教会の尖塔。昼間とはまったく違う、静かで、それでいて何か秘密めいた空気に満ちている。
「これが、夜の町……」
思わず声が漏れた。
いつもは寝る時間である今、こうして外の世界を眺めているというだけで、胸の奥がわくわくと沸き立ってくる。
「きゅい!」
帽子の中からプティが顔を出し、興奮した様子で辺りを見回している。
「そうよね、プティ! すごいわよね!」
城下町を抜けて、街道へと差し掛かるころには、追手の気配もすっかり遠くなっていた。ボンボンの足取りが少しずつ緩やかになる。
わたしは手綱を握りしめたまま、振り返って城のある方角を見つめた。
石造りの城壁が、月明かりの下で小さく霞んで見える。あそこには父上や母上、姉のシャルロットがいて、きっと明日の朝には大騒ぎになっているに違いない。
(ごめんなさい。でも、すぐに戻るから。世界中のお菓子を食べ尽くしたら、ちゃんと帰るから)
街道の先には、月明かりに照らされた一本道が、どこまでも続いている。
わたしは前を向き直すと、大きく息を吸い込んだ。
「さあ、世界のお菓子を食べ尽くすわよ!」
「きゅい!」
「もふぅ!」
小さな魔物と、大きな魔物の鳴き声が、夜の街道に響き渡った。
こうして、ベルフィーユ王国第二王女リリアーヌ・フォン・シュガーベルの、前代未聞の家出旅行が幕を開けたのだった。




