第18話 雪国ではボンボンが最強です
サハリア王国の乾いた暑さから一転、北へ向かうにつれて気温は急激に下がっていった。
街道の景色も、砂漠から緑豊かな平原、そしてやがて白く雪化粧した山々へと移り変わっていく。
「さ、寒い……!」
厚手のマントにくるまりながら、わたしは思わず身を震わせた。これまでの旅で経験したことのない、骨まで凍りつくような冷たさが、容赦なく肌を刺してくる。
「きゅう……」
プティは寒さに耐えられないのか、いつの間にかわたしの服の内側に潜り込んでいた。ふわふわとした毛並みが、胸元でもぞもぞと動いている。
「プティ、そんなところに入って、苦しくないの?」
「きゅう……」
弱々しい鳴き声が返ってくるだけで、出てくる気配はまったくない。
一方、真っ白なもこもことした毛に覆われたボンボンは、この寒さをまるで意に介していない様子だった。それどころか、雪が積もり始めた道を、むしろ嬉しそうな足取りで進んでいく。
「もふぅ!」
「ボンボン、元気ね……」
「グランドアルパカは、寒冷地にも強い種族だと聞いたことがあります」
セシルも寒さに震えながら、それでも興味深そうにボンボンの様子を観察していた。
雪深い山道を進み続けること数時間、ようやく遠くに、木造の家々が立ち並ぶ小さな村が見えてきた。屋根には分厚く雪が積もり、煙突からは暖かそうな煙が立ち上っている。
「あそこが、ノルディア王国の村……?」
「王都まではまだ距離がありそうですが、まずはあの村で情報を集めましょう」
セシルの提案に頷き、わたしたちは村を目指して雪道を進んでいった。
☆
村に到着すると、住人たちは見慣れない旅人の姿に驚きながらも、ひとまず村長の家へ案内してくれた。
暖炉の火で冷え切った手を温めながら、わたしたちは早速、この地の状況について尋ねてみた。
「ベリー類が不作だと聞いたのですが」
わたしの問いに、村長らしき初老の男性は深いため息をついた。
「その通りです。例年なら、この時期には収穫したベリーを蓄えて、冬を越す準備をしているはずなのですが……今年はまったく実りが悪くてね」
「原因は分かっているの?」
「はっきりとは分かりません。ただ、森の様子も例年とは違っていて――」
「余所者に話したところで、どうなる」
不意に、低い声が割って入った。
振り返ると、部屋の隅に座っていた年配の男性が、険しい表情でこちらを見ていた。厚手の毛皮をまとい、日に焼けた顔には深い皺が刻まれている。
「グスタフ」
村長がたしなめるように名前を呼ぶ。
「何だ。間違ったことは言っていないだろう」
グスタフと呼ばれた男性は、腕を組んだままわたしたちを睨んだ。
「旅の途中でちょっと立ち寄っただけのお嬢さんたちに、この村の何が分かる」
「わたしたちは、ただ話を聞きたいだけよ」
「話を聞いて、それで?」
ぴしゃりと言い返され、わたしは言葉に詰まった。
「今年の冬を越せるかどうか、こっちは本気で心配してるんだ。食べ物が足りなくなれば、困るのはこの村で暮らしている俺たちだ」
部屋の空気が、少しだけ重くなる。
セシルが一歩前へ出ようとしたので、わたしは小さく手を上げて制した。
「……そうね」
自分でも意外なくらい、素直にその言葉が出た。
「わたしは、この村のことを何も知らないわ」
グスタフが少しだけ眉を動かす。
「雪国で冬を越したこともないし、ベリーが採れないことで、みんながどれだけ困るのかも、本当のところは分かってない」
「姫殿下……」
セシルが小さくわたしを見る。
「でも、だから知りたいの」
わたしはグスタフをまっすぐ見返した。
「分からないまま帰るんじゃなくて、自分の目で見てみたい。もし何かできることがあるなら、手伝いたいの」
「そんな簡単な話じゃない」
「分かってるわ。……たぶん」
「姫殿下」
すかさずセシルの呆れた声が飛んできた。
「そこで『たぶん』をつけないでください」
「だって、簡単じゃないことくらいは分かってるもの!」
思わず言い返すと、張り詰めていた部屋の空気がほんの少しだけ緩んだ。
村長が小さく咳払いをする。
「グスタフ。この方たちは、少なくとも私たちの話を聞こうとしてくださっている。それだけでもありがたいことではないか」
「……好きにしろ」
グスタフはそう吐き捨てるように言うと、椅子から立ち上がった。
けれど、扉へ向かう途中で一度だけ足を止める。
「森を見るなら、北側には近づくな。今年は木々の様子までおかしい。雪も深いし、慣れない奴が入れば迷うぞ」
それだけ言い残し、グスタフは部屋を出ていった。
「……心配してくれてるのかしら」
「素直ではない方のようですね」
セシルの言葉に、わたしは思わず小さく笑った。
けれど、胸の奥には、さっきの言葉が残っていた。
旅の途中で少し立ち寄っただけのわたしに、この村の何が分かるのか。
その問いに、今のわたしはまだ、ちゃんと答えることができなかった。
わたしたちが村長の家から出ようとしたそのとき、扉が勢いよく開き、毛皮のコートを着た少女が飛び込んできた。
「村長、大変! また森の奥で、変な音が――」
言いかけて、少女は部屋にいたわたしたちに気づき、驚いた様子で立ち止まった。
「あら、お客さん?」
金色に近い髪を三つ編みにした、活発そうな少女だった。頬は寒さで赤く染まり、手には弓を携えている。
「フレイヤ、ちょうどいいところに。こちらは旅の方々でね」
村長がわたしたちを紹介すると、フレイヤと呼ばれた少女は興味深そうにこちらを見つめた。
「旅人さんたちが、こんな辺鄙な村に何の用?」
「じつは、ベリーの不作について、調べているの」
「あたしも気になってたのよね、それ。よかったら、一緒に森を見に行かない?」
フレイヤの誘いに、わたしは即座に頷いた。
「行くわ! ぜひお願いします!」
村長から防寒具を借り受け、わたしたちはフレイヤの案内で森へと向かうことになった。
雪道を進む中、フレイヤはボンボンの姿に目を輝かせた。
「わあ、グランドアルパカじゃない! こんなに立派な子、初めて見たわ!」
「でしょう! この子、ボンボンっていうの」
「触ってもいい?」
「もちろんよ」
フレイヤがボンボンの毛並みに触れると、ボンボンは気持ちよさそうに鼻を鳴らした。
「もふぅ」
「わあ、すごくふわふわ! それに、あったかい!」
フレイヤはすっかりボンボンを気に入った様子で、その背に慣れた手つきでよじ登った。
「え……フレイヤ、乗馬の経験があるの?」
「うん、この辺りだと、雪山を移動するのに動物に乗ることも多いから。それに、こんなに大きな子なら、きっと乗り心地もいいはずよ」
そう言うと、フレイヤはボンボンの手綱を巧みに操り、危なげなく雪道を進み始めた。
「ボンボン、こっちよ!」
「もふぅ!」
まるで長年の相棒であるかのように、ボンボンはフレイヤの指示に軽快に応えている。
その光景を見て、わたしは思わず唇を尖らせた。
「ちょっと、ボンボンはわたしの子なのに!」
思わず漏れた本音に、セシルが横から呆れたような視線を向けてきた。
「姫殿下、今度はご自分が嫉妬する側になるのですね」
「な、なによ、その言い方!」
セシルの指摘に、わたしは思わず頬を赤らめた。確かに、シャヒラとの一件でセシルをからかっていた自分が、今度は同じような立場になっているとは、なんとも皮肉な話だった。
「でも、本当に息が合ってるみたいね、あの二人」
「もう、いいもん。わたしにはプティがいるもの」
服の中に潜んでいたプティに視線を落とすと、寒さでぐったりとしたプティが、力なく「きゅう」と鳴くだけだった。
「プティ、しっかりして!」
あまり頼りにならない相棒の様子に、思わずため息が漏れてしまう。
その様子を見ていたフレイヤが、くすくすと笑いながらボンボンから降りてきた。
「大丈夫よ、リリィ。ボンボンは、ちゃんとあなたのことも、大好きみたいだから」
「本当に?」
「うん。ほら、見て」
フレイヤに促されて視線を向けると、ボンボンはフレイヤから離れるとすぐさま、わたしの方へと駆け寄ってきた。
「もふぅ!」
嬉しそうに鼻先をすり寄せてくるボンボンに、わたしは、思わず頬が緩んだ。
「ボンボン……!」
「ほらね。ちゃんと、あなたが一番大事なのよ」
フレイヤの言葉に、わたしは素直に嬉しくなった。




