第17話 セシルは怒っています
サハリア王国を発ち、北へと続く街道を進み始めてしばらく経ったころ、わたしはふと、セシルの様子がどこかおかしいことに気づいた。
「セシル、さっきから静かね」
「……別に、いつも通りです」
その返答は、明らかにいつもより素っ気なかった。ボンボンの背に揺られながら、セシルは前方をじっと見つめたまま、こちらに目を向けようともしない。
「本当に? なんだか、機嫌悪いみたいだけど」
「機嫌など、悪くございません」
語尾に妙な力が込められている。わたしは首を傾げながら、記憶を辿った。
(何か、怒らせるようなことしたかしら)
しばらく考えてみても、心当たりが見つからない。プティも異変を察知したのか、帽子の中から不安げに顔を出し、セシルの様子をうかがっている。
「きゅう?」
「プティも心配してるじゃない。ねえ、セシル、何かあったなら言ってちょうだい」
しつこく尋ねると、セシルはようやくこちらに視線を向けた。その灰青色の瞳には、複雑な感情が渦巻いているように見えた。
「……姫殿下は、シャヒラ様とずいぶんと親しくなられましたね」
「シャヒラ様? そうね、すごくいい子だったもの」
「城を抜け出して、二人きりで市場を巡って、その上『いつでも国へ遊びにいらしてください』などと」
セシルの声には、明らかに刺のようなものが混じっていた。
「え、それが何か問題なの?」
わたしが本気で分からないという顔をすると、セシルは大きくため息をついた。
「別に、問題があるとは申しておりません」
「でも、怒ってるじゃない」
「怒っていません」
「怒ってる!」
「怒っておりません!」
押し問答を繰り返すうちに、わたしはだんだんとおかしくなってきた。
「セシルったら、意地っ張りなんだから」
「意地を張っているわけでは……」
セシルは言葉を濁しながら、視線を逸らした。その頬が、心なしかわずかに赤らんでいるように見える。
「もしかして……妬いてるの?」
わたしが何気なく口にした言葉に、セシルがびくりと肩を震わせた。
「な、何を言い出すのですか! そのようなわけがないでしょう!」
「だって、シャヒラ様と仲良くしてる間、ずっと変な顔してたじゃない」
「変な顔などしておりません! 私はただ、護衛として、姫殿下が予期せぬ危険に晒されないよう、警戒していただけです!」
「警戒って、市場でデーツを食べてただけよ?」
「デーツも、毒が仕込まれていないとは限りません!」
あまりにも苦しい言い訳に、わたしは思わず吹き出してしまった。
「もう、セシルったら!」
「な、何がおかしいのですか!」
セシルが顔を真っ赤にしながら抗議してくる。その様子がなんとも可愛らしくて、わたしはますます笑いが止まらなくなった。
「きゅい、きゅい!」
プティも空気を読んだのか、面白そうに鳴き声をあげている。
「もふぅ」
ボンボンまで、どこか呆れたような声をあげた。
「みんなして、わたしをからかって……!」
セシルが拗ねたように口を尖らせる姿は、普段の凛とした様子とは違う、なんとも愛嬌のあるものだった。
しばらく笑い転げた後、わたしは改めてセシルに向き直った。
「ねえ、セシル。冗談はさておき、本当のところ、どう思ってるの?」
「……本当のところ、と申しますと」
「わたしが、旅先でいろんな人と仲良くなること」
セシルは少しの間、黙り込んでいた。それから、ぽつりぽつりと、言葉を選ぶように話し始めた。
「正直に申し上げれば……複雑な気持ちです」
「複雑?」
「姫殿下が、行く先々で新しい出会いを重ね、多くの方々と親交を深めていかれることは、素晴らしいことだと思います。それは、姫殿下の人柄あってのことですし、誇らしくも思います」
「でも?」
「……でも、時折、寂しく感じることもあります」
その言葉に、わたしは思わず息をのんだ。
「寂しい?」
「姫殿下が、他の誰かと親しくされている姿を見ると、なぜか胸の奥が、ちくりと痛むような感覚があるのです。理由は、自分でもよく分かりません」
セシルの声には、これまで聞いたことのない、素直な弱さのようなものが滲んでいた。
わたしは何と答えればいいのか分からず、しばらく黙り込んでしまった。胸の奥に、なんとも言えない、温かくもくすぐったいような感情が広がっていく。
「セシル」
「なんでしょうか」
「わたしも、あなたのこと、大切に思ってるわよ」
その言葉に、セシルが驚いた様子でこちらを見た。
「な、何を、突然」
「だって、本当のことだもの。セシルは、わたしにとって、特別な存在よ」
セシルの頬が、今度こそはっきりと赤く染まった。
「そ、そのようなことを、軽々しく口にするものではありません」
「軽々しくなんて言ってないわ。本気よ」
「うっ……」
セシルが言葉に詰まり、視線をあちこちに彷徨わせた。その動揺した様子を見て、わたしはくすりと笑ってしまった。
「ふふ、セシルの、そういう素直じゃないところも、好きよ」
「か、からかわないでください!」
顔を真っ赤にしたセシルの抗議に、わたしはますます笑いを堪えられなくなった。
しばらくの間、そんな他愛のないやり取りを続けながら、街道を進んでいった。けれど、日が傾き始めるころ、わたしはふと真剣な表情に戻り、これまでの旅で感じてきた違和感について、改めて整理を始めた。
「セシル、そろそろ真面目な話をしましょう」
「は、はい」
まだ動揺の余韻を残しながらも、セシルも真剣な表情に切り替えた。
「これまでの旅で気づいた異変を、もう一度まとめてみましょう」
わたしは指を折りながら、これまでの出来事を数え上げていった。
「フロレンツァ公国では、果物の甘みが薄くなってた。ヤマトノ国では、米の味が薄くて、森の実りも悪くなってた。それに、森の魔物たちも弱ってた。そしてサハリア王国では、蜂蜜の生産量が減って、花畑も枯れかけてた」
「すべてに共通しているのは……植物、ということですね」
セシルの指摘に、わたしは大きく頷いた。
「果物、米、花。全部、植物に関係してる。それに、どの国でも『土地の魔力』とか『精霊の気配』みたいなものが、関わってるような気がするの」
「ヤマトノ国のコハル様も、精霊や魔物の気配を感じ取る力をお持ちでした。サハリア王国の古い水路にも、魔力の流れを示す紋様がありました」
「もし、これが本当に世界規模の問題だとしたら……」
わたしは言葉を切って、遠くの地平線を見つめた。
「わたしたちが今まで巡ってきた国々だけじゃなくて、まだ行ってない国々でも、同じようなことが起きてるかもしれない」
その可能性に思い至った瞬間、胸の奥に、ずしりとした重みが広がっていくのを感じた。
そのとき、道の脇で休んでいた旅の商人らしき一団が、こちらに気づいて声をかけてきた。
「お嬢さんたち、これから北へ向かわれるのかい?」
「ええ、そうよ」
「それなら、気をつけた方がいいですよ。ノルディア王国では、今年、ベリー類が全然実らなくてね。村中が困り果ててるって話ですよ」
「ベリー類の不作……」
その言葉に、わたしとセシルは思わず顔を見合わせた。
これまで感じてきた予感が、また一つ、現実のものとして裏付けられていく。
「ありがとう、教えてくれて」
商人に礼を言いながら、わたしは改めて北への旅路を見つめた。
「セシル、行きましょう。ノルディア王国で、この謎の答えに、もう少し近づけるかもしれないわ」
「はい。私も、ご一緒いたします」
セシルの声には、これまで以上の強い決意が滲んでいた。
「きゅい!」
「もふぅ!」
プティとボンボンも、賑やかに旅立ちの意気込みを示すように鳴き声をあげた。




