第16話 消えた蜂蜜と砂漠の花
翌朝、わたしは昨日から気になっていた蜂蜜の異変について調べるため、王宮の書庫を訪れていた。
「これが、我が国の蜂蜜生産に関する記録です」
シャヒラが差し出した古びた五国甘味録には、長年にわたる蜂蜜の生産量が細かく記されていた。
「見て、セシル。ここ数年で、生産量がどんどん減ってるわ」
ページをめくりながら指差すと、セシルも眉をひそめて数字を確認した。
「確かに、急激な減少ですね。しかも、ここ最近の落ち込み方が特に激しいようです」
「原因について、何か手がかりはないの?」
わたしの問いに、シャヒラは困ったように首を振った。
「養蜂を担う職人たちに尋ねても、はっきりとした原因は分からないと言うばかりで……。ただ、蜜蜂たちが集める花の蜜そのものが、少なくなっているのではないか、という話は聞いております」
「花の蜜……つまり、花自体が減ってるってこと?」
「その可能性はあると思います」
わたしはしばらく考え込んでから、ひとつの提案をした。
「実際に、蜜蜂たちが集めている花畑を見に行ってみない?」
「もちろんです。ご案内いたします」
シャヒラの案内で、わたしたちはオアシスの外れにある花畑へと向かうことになった。
馬車に揺られながらしばらく進むと、砂漠の中に忽然と現れる緑豊かな一角が見えてきた。かつては色とりどりの花が咲き乱れていたであろう場所だが、今はその花の数が、明らかにまばらになっている。
「これが……花畑?」
馬車を降りて辺りを見渡すと、乾いた土の上に、萎れかけた花々がぽつぽつと点在しているだけだった。
「以前は、もっとたくさんの花が咲いていたのですが……」
シャヒラが悲しげな表情で呟いた。
わたしは屈み込んで、一輪の花を手に取った。花びらに触れると、本来なら瑞々しいはずの質感が、どこか乾いてもろくなっているのが分かる。
「この花、元気がないわね」
「土壌に問題があるのでしょうか」
セシルが花畑の土を手に取り、その感触を確かめながら呟いた。
「それとも、水が足りていないとか」
「いいえ、地下水路からの水は、例年通り供給されているはずです」
シャヒラの言葉に、わたしたちは首を傾げた。
水も土も問題ないとすれば、一体何が原因で、花が弱っているというのだろうか。
花畑の端には、小さな養蜂箱がいくつか並んでいた。
シャヒラが養蜂を担当している職人に声をかけると、今年採れたという蜂蜜を少し分けてもらうことができた。
「リリアーヌ様なら、何かお分かりになるでしょうか」
「うーん……やってみるわ」
小さな匙にすくわれた蜂蜜を、そっと舌の上に乗せる。
甘い。
けれど、やっぱり何かが違う。
城で食べたものより香りが弱くて、口に残る余韻も薄い。最初に旅へ出るきっかけになった、あの蜂蜜の違和感とよく似ていた。
「やっぱり、この蜂蜜もおかしいわ」
わたしがそう言うと、シャヒラとセシルが真剣な顔を向けてきた。
「原因も分かりますか?」
セシルに尋ねられ、わたしはもう一度蜂蜜を舐めてみた。
けれど――。
「……分からない」
思わず、眉を寄せた。
「味が薄いことは分かるの。花の香りも弱い。でも、どうしてそうなったのかまでは……」
何度味わってみても、答えは出なかった。
今までなら、味の違いに気づけば、そこから何か手がかりを見つけられる気がしていた。
なのに今回は、違和感だけが舌に残っている。
「ごめんなさい。せっかく期待してもらったのに」
「謝らないでください、リリアーヌ様」
シャヒラはすぐに首を振った。
「蜂蜜そのものがおかしいと分かっただけでも、じゅうぶんな手がかりです」
そう言ってから、シャヒラは花畑をゆっくりと見渡した。
まばらに咲く花。乾いた土。そして、その向こうにある古い石造りの水路。
ふいに、シャヒラの表情が変わった。
「……水路」
「え?」
「そういえば……」
シャヒラは何かを思い出すように、目を細めた。
「わたくしが幼いころ、この花畑には、もっとたくさんの水が流れていました」
そう言いながら、水路の方へ歩いていく。
「毎年、春になると母上に連れられて、ここへ花を見に来ていたのです。そのころは、水路いっぱいに水が流れていて、花畑の奥まできちんと潤していました」
「今は?」
わたしたちは水路を覗き込んだ。
底にはわずかに水が流れているだけで、ところどころ乾いた石肌が露出している。
「ずいぶん少ないですね」
セシルが呟く。
「はい。でも、不思議です」
シャヒラの声が、少しずつ真剣なものへ変わっていく。
「この水路は、オアシスの地下水脈と繋がっています。多少の旱魃があっても、ここまで水量が減ることはないはずなのです」
「じゃあ……花が減った原因って」
わたしが水路と花畑を交互に見る。
「この水路に、何か起きてるのかもしれない?」
シャヒラは、はっきりと頷いた。
「調べてみましょう。もしかすると、蜂蜜が減っている本当の理由が、この先にあるかもしれません」
その横顔は、昨日まで市場ではしゃいでいた少女とは違って見えた。
自分の国で起きている異変を、自分の手で確かめようとしている。
「シャヒラ様」
「はい?」
「今度は、わたしがついていく番ね」
そう言うと、シャヒラは一瞬目を丸くして、それから柔らかく微笑んだ。
「ええ。お願いいたします、リリアーヌ様」
わたしたちは、水の少なくなった古い水路を辿り、花畑のさらに奥へ向かうことにした。
進みながら、わたしは周囲の様子を注意深く観察した。古い水路の石の表面には、見たこともない不思議な紋様が刻まれている。
「セシル、これ、見て」
「これは……」
セシルも興味深そうに紋様を確認した。
「魔力の流れを示すもののように見えますね」
「魔力の、流れ?」
シャヒラも驚いた様子で近づいてきた。
「わたくしも、このような紋様は初めて目にします」
わたしは紋様を指でなぞりながら、直感的に何かを感じ取っていた。
(この水路、もしかして、ただの水路じゃないんじゃないかしら)
ヤマトノ国で聞いた、「土地の魔力が集まる場所」という話を思い出す。もしかすると、この古い水路も、単なる灌漑設備ではなく、土地の魔力を運ぶ役割を果たしていたのかもしれない。
「ねえ、この古い水路、もう一度使えるようにできないかしら」
わたしの提案に、シャヒラは驚いた表情を見せた。
「復旧、ということですか? しかし、ずいぶんと長い間放置されておりましたので、簡単ではないかと」
「試してみる価値はあると思うの。もしかしたら、この水路が、土地の魔力を運ぶ役割を果たしていたのかもしれないわ」
わたしの言葉に、セシルも考え込むような表情を浮かべた。
「確かに、ヤマトノ国での出来事を思い出すと、土地の魔力と作物の実りには、何らかの関係があるように思えます」
シャヒラはしばらく思案していたが、やがて決意を固めたように頷いた。
「わかりました。城の技師たちに相談し、この水路の復旧を試みてみましょう」
こうして、わたしたちは城に戻り、シャヒラの手配で技師たちを集めることになった。
技師たちの調査によって、古い水路には確かに、地下深くに眠る水脈と繋がる構造があることが判明した。長年の放置によって詰まっていた部分を丹念に取り除き、少しずつ水路の修復作業が進められていった。
数日間にわたる作業の末、ついに古い水路に再び水が流れ始めた。
「動いた……!」
水路を流れる水の様子を見守りながら、シャヒラが興奮した声をあげた。
その様子を見守っていたわたしは、ふと花畑の方に視線を向けた。すると、これまで萎れていた花々の一部が、心なしか、わずかに生気を取り戻しているように見えた。
「あれ……花が」
「ええ。確かに、さっきまでとは違いますね」
セシルも驚いた様子で花畑を見つめた。
完全な回復には、まだ時間がかかりそうだったけれど、確かな変化の兆しが感じられた。
「これで、少しは蜂蜜の生産も回復するかもしれません」
シャヒラの表情に、安堵の色が浮かんだ。
その夜、王宮の一室で、わたしはこれまでの旅で感じてきた違和感について、改めて考えを巡らせていた。
「セシル」
「はい」
「フロレンツァ公国の果物、ヤマトノ国の米と森、そして今回の蜂蜜と花。全部、なんとなく繋がってる気がするの」
セシルも真剣な表情で頷いた。
「私も、同じことを考えておりました。どの国でも、作物や自然の実りに関する異変が起きていて、そのどれもが、何か『土地の魔力』のようなものと関係しているように思えます」
「もしかして……」
わたしは自分の中で漠然と浮かんでいた考えを、初めて言葉にしてみた。
「今までのお菓子の材料がおかしかったのって、全部つながってるんじゃないかしら?」
その言葉を口にした瞬間、胸の奥に、これまでにない重い予感が広がっていくのを感じた。
単なる旅先での小さな出来事だと思っていたものが、じつはもっと大きな、世界規模の問題の一部なのかもしれない。
「もし、姫殿下のお考えが正しいとすれば……」
セシルの声にも、緊張の色が滲んでいた。
「これは、私たちが思っていたよりも、ずっと大きな問題なのかもしれません」
窓の外に広がる砂漠の夜空を見つめながら、わたしは確かな決意を胸に抱いた。
(この謎、絶対に解き明かしてみせるわ)
☆
翌朝、シャヒラが名残惜しそうな表情で見送りに来てくれた。
「リリアーヌ様、このたびは本当にありがとうございました。花畑のことも、そして……市場でのことも」
「こちらこそ、ありがとう、シャヒラ様。今度は、わたしの国にも遊びに来てね」
「はい、必ず」
シャヒラとの別れを惜しみながら、わたしたちは次の目的地へと向かうことになった。




