第15話 姫、二人の女子会
その夜、夕食を終えたわたしのもとに、シャヒラの侍女がやってきた。
「リリアーヌ様、姫様がお待ちでございます」
「ええ、すぐに行くわ」
旅装をほどき、寝間着に着替えていたわたしが、部屋を出ようとしたところで、セシルが不審そうな顔でこちらを見た。
「姫殿下、どちらへ?」
「シャヒラ様の部屋よ。今夜は、二人でおしゃべりすることになったの」
「二人で、ですか」
セシルの表情が、わずかに強張った。
「護衛として、私もご一緒いたします」
「え、でも、女の子同士のおしゃべりだし……」
「姫殿下の身の安全を確認するのが、私の職務です」
有無を言わせぬ口調でそう告げられ、わたしは仕方なく頷いた。
「わかったわ。じゃあ、一緒に来て」
こうして、わたしとセシルは、シャヒラの私室へと向かうことになった。
案内された部屋は、これまで見てきたどの部屋よりも、豪奢な意匠で飾られていた。天蓋付きの大きな寝台、精緻な刺繍が施されたクッション、そして、部屋の中央には、色とりどりの果物や菓子が並べられた低い卓が用意されている。
「よくいらっしゃいました、リリアーヌ様」
シャヒラは、昼間の市場での装いとは違い、柔らかな絹の寝間着に身を包んでいた。その姿は、普段の凛とした雰囲気とはまた違う、あどけなさを感じさせるものだった。
「わあ、素敵な部屋ね!」
「ありがとうございます。……あら、セシル様も、ご一緒でしたか」
シャヒラが、わずかに驚いた様子でセシルの方に視線を向けた。
「護衛の任務ですので、失礼いたします」
セシルが生真面目な口調でそう答えると、シャヒラはくすりと笑みをこぼした。
「まあ、律儀なことですね。でも、女子会に、護衛の方がいらっしゃるのは、少し不思議な感じもいたします」
「女子会というほどのものでは……」
セシルが、珍しく言葉を濁した。
卓を囲むように腰を下ろすと、シャヒラの侍女たちが温かいお茶と、見たこともない菓子の数々を運んできてくれた。
「これは、我が国で夜のひとときに楽しむ、特別な菓子でございます」
シャヒラが差し出したのは、薄い生地でナッツと蜂蜜を包んだ、繊細な形をした一品だった。
「わあ、いただきます!」
一口かじると、パリパリとした食感の後に、濃厚な蜂蜜の甘みが広がった。
「美味しい……! やっぱり、サハリア王国のお菓子は、どれも絶品ね」
「お口に合って何よりです」
シャヒラは満足げに微笑みながら、自分の分の菓子にも手を伸ばした。
しばらくの間、他愛のない会話が続いた。
「シャヒラ様も、毎日いろんなお稽古をしてるの?」
「ええ。舞踏や礼儀作法はもちろん、音楽や美術、乗馬などもございますわ」
「やっぱり! わたしもよ。剣術まであるの。どうして王女って、こんなに覚えることが多いのかしら」
「ふふ。わたくしも、ときどき同じことを思います」
「でも、シャヒラ様は全部ちゃんとこなしてそう」
「そんなことはありませんわ。わたくしにも、苦手なものくらいございます」
「本当に?」
「ええ。刺繍などは、とても人様にお見せできる出来ではありません」
他にも旅の思い出、それぞれの国の文化の違い、好きな食べ物の話。話題は尽きることなく、時間はあっという間に過ぎていった。
けれど、話が一段落したところでシャヒラの表情にふと、影が差した。
「リリアーヌ様」
「なあに?」
「じつは、少し、お話ししたいことがございます」
シャヒラの声には、これまでの明るさとは違う、深刻な響きが混じっていた。
「じつは……近々、縁談の話が、本格的に進められることになっているのです」
「縁談?」
わたしは、思わず身を乗り出した。
「隣国との、政略的な結びつきを強めるための結婚です。相手の方とは、まだ一度もお会いしたことがございません」
その言葉に、わたしの胸が、ずきりと痛んだ。
「それって……シャヒラ様の意志は、関係ないの?」
「王女として生まれた以上、避けられない務めだと、理解はしております」
シャヒラは確かな諦めの色を滲ませながら、そう答えた。
「ただ、正直に申し上げれば……最近、少しだけ、怖くなることがあるのです」
「怖い?」
「見知らぬ方と、これから一生を共に過ごすということが、どういうことなのか。想像しようとしても、なかなか実感が湧かなくて」
シャヒラの瞳に、これまで見たことのない、不安げな色が浮かんでいた。
わたしは、その言葉に何と答えればいいのか、しばらくの間、分からなかった。
「わたし……」
わたしはゆっくりと、自分の言葉を探しながら、口を開いた。
「わたしも、いつか、そういう話が、正式に持ち上がるんだと思う。城にいたころも、何度か、政略結婚候補との顔合わせがあったもの」
「リリアーヌ様も……?」
「うん。でも、正直、あまり実感が湧かなくて、ずっと逃げてきたところがあるの」
わたしは、これまでの自分自身の想いを素直に打ち明けることにした。
「でも、今回の旅で、色々な人と出会って、色々な国の在り方を見てきて……。結婚とか、将来のことって、決して、一人で抱え込むものじゃないんじゃないかって、最近思うようになったの」
「一人で、抱え込むものではない……?」
「そう。もし、シャヒラ様が、その結婚のことで不安を感じてるなら、それを、一人で我慢する必要はないと思う。ちゃんと、お父様やお母様に、あなたの気持ちを、伝えてみたらどうかしら」
わたしの言葉に、シャヒラはしばらくの間、黙って考え込んでいた。
「……わたくしは、これまで、完璧な王女であろうと、努めてまいりました。弱音を吐くことは、許されないと思っておりました」
「弱音を吐くことと、自分の気持ちを伝えることは、違うと思うわ」
わたしはシャヒラの手を、そっと握った。
「シャヒラ様が、本当は何を望んでいるのか。それを、ちゃんと自分の口で伝えることは、決して、王女としての務めを放棄することにはならないと思うの」
シャヒラの瞳が、わずかに潤んだように見えた。
「リリアーヌ様……」
「わたしにできることは、限られてるかもしれないけど……もし、あなたが辛くなったら、いつでも、頼ってちょうだいね」
その言葉に、シャヒラは深く頷いた。
「ありがとうございます、リリアーヌ様。あなたと出会えて、本当に良かった」
二人の間に流れる温かい空気を、少し離れたところから見つめていたセシルがふと、小さく身じろぎした。
「あの……」
「セシル?」
「私も、姫殿下方のお話を、聞かせていただいておりましたが……」
セシルは、少し言葉を選びながら、続けた。
「シャヒラ様のお悩み、決して他人事とは思えません。私も、いずれ姫殿下が、そのような場面に直面されることを、思わずにはいられませんので」
その言葉に、シャヒラが、興味深そうにセシルへと視線を向けた。
「セシル様は、リリアーヌ様のことを、とても大切に思っていらっしゃるのですね」
「そ、それは……護衛として、当然のことです」
セシルが、頬をわずかに赤らめながら、そう答えた。
「ふふ、そうでしょうか。護衛という立場を超えた、確かな想いを、感じますが」
シャヒラの、からかうような笑みに、セシルはさらに動揺した様子を見せた。
「な、何をおっしゃるのですか! 私は、ただ……」
「セシル、顔真っ赤よ」
わたしが、思わずくすりと笑うと、セシルは、ますます頬を赤らめた。
「か、からかわないでください、お二人とも!」
その様子がなんともおかしくて、わたしとシャヒラは、思わず顔を見合わせて笑い合った。
しばらくの間、三人で他愛のない話を続けるうちに、夜も更けてきた。
「そろそろ、休まれた方がよろしいかと」
セシルが、控えめにそう提案すると、シャヒラも、名残惜しそうな表情で頷いた。
「そうですね。夜も遅くなってしまいました」
「今夜は、本当に楽しかったわ、シャヒラ様」
「わたくしもです、リリアーヌ様」
わたしたちは、互いに温かい気持ちを胸に、部屋を後にすることにした。
廊下を歩きながら、わたしは、ふと、隣を歩くセシルに声をかけた。
「セシル、今夜のこと、ありがとう」
「な、何がですか」
「シャヒラ様の話、真剣に聞いてくれたでしょう。ちゃんと、気にかけてくれてたのが、伝わったわ」
セシルは、しばらくの間、黙り込んでいた。それから、ぽつりと、穏やかに答えた。
「姫殿下が、大切に思う方のことは、私にとっても、大切な方ですから」
その言葉に、わたしの胸が、じんわりと温かくなった。
「セシル……」
「な、何でしょうか」
「あなたって、本当に、いい人ね」
わたしがそう言うと、セシルは、また頬を赤らめながら、視線を逸らした。
「か、からかわないでください」
「からかってないわよ、本気で言ってるの」
その素直な言葉に、セシルはこれ以上ないほど、動揺した様子を見せた。
その様子を見て、わたしは思わず、くすくすと笑ってしまった。
自室に戻ったわたしは、ベッドに横たわりながら、今夜のシャヒラとの会話を振り返っていた。
完璧に見える王女の抱える、本当の不安。それは、わたし自身が、かつて抱えていたものと、どこか重なるものがあった。
(シャヒラ様が、少しでも楽になれたらいいけど……)
そんな想いを胸に抱きながら、わたしはゆっくりと眠りについた。




