第14話 お姫さま二人、城を抜け出す
翌朝、わたしは侍女たちに起こされるより早く目を覚ました。
窓の外はすでに明るく、砂漠特有の乾いた朝の空気が心地よく感じられる。
「セシル、起きて! 今日はシャヒラ様と市場に行けるのよ!」
「……姫殿下、まだ日が昇ったばかりです」
寝ぼけ眼で身を起こすセシルを尻目に、わたしはすでに旅装に着替え終えていた。
☆
朝食を終えたころ、シャヒラが客間を訪れた。けれど、その様子は昨日の完璧な王女然とした姿とは、どこか違っていた。
「おはようございます、リリアーヌ様」
「シャヒラ様、その格好……」
シャヒラは、昨日までの豪奢な衣装ではなく、簡素な布を頭から巻きつけた、庶民風の装いに身を包んでいた。
「じつは、市場へは、このような格好で参りたいと思っておりまして」
「え……それって、まさか」
シャヒラの琥珀色の瞳に、悪戯っぽい光が宿った。
「王女として市場を訪れると、皆が畏まってしまい、素の様子を見ることができません。ですから、時折このような格好でこっそり抜け出しているのです」
「シャヒラ様、それって……!」
思わず目を輝かせるわたしを見て、シャヒラはくすくすと笑った。
「リリアーヌ様も、城を抜け出されたと伺っておりますもの。似たような経験がおありなのではと思いまして」
「まさにその通りよ! じゃあ、決まりね! シャヒラ様、抜け出すなら窓から?」
「いいえ。使用人用の通路を使います」
「なるほど……!」
「姫殿下、学ばないでください」
「帰ったら使えるかもしれないじゃない」
「帰った後にまた抜け出す前提で話さないでください」
背後から聞こえてきたセシルの疲れたような声に、わたしとシャヒラは思わず顔を見合わせて笑ってしまった。
「セシル様、ご心配なく。護衛の者たちには、わたくしが部屋で休んでいることにするよう、既に手配してございます」
「そういう問題ではないと思うのですが……」
セシルが額に手を当てながら深いため息をついた。それでも、結局は二人の勢いに押される形で、こっそりと市場へ向かうことに同意してくれた。
王宮の裏門から、目立たないように抜け出す道中、シャヒラは慣れた様子で先導してくれた。
「ずいぶんと手慣れていらっしゃるのね」
「お恥ずかしながら、これが初めてではございませんので」
その口ぶりからは、これまで何度も同じように城を抜け出してきたことがうかがえた。
街中に出ると、シャヒラの表情はさらに明るく輝きを増した。市場に近づくにつれ、香辛料の香りと人々の活気に満ちた喧騒が、五感を刺激してくる。
「わあ……!」
市場の光景に、わたしは思わず声をあげた。色とりどりの香辛料が山積みにされた露店、鮮やかな織物が風にはためく様子、そして甘い匂いを漂わせる菓子の屋台。
「あれは、なんの実?」
わたしが指差した先には、見たこともない茶色い実が並べられていた。
「あれはデーツと申します。乾燥させた果実で、とても甘いのです」
「食べてみたいわ!」
わたしとシャヒラは、屋台の店主から一つずつデーツを買い求めた。口に含んだ瞬間、濃厚な甘さが広がる。
「美味しい……!」
二人で顔を見合わせて笑い合う。プティも帽子から顔を出し、興奮した様子でデーツに鼻先を伸ばしていた。
「シャヒラ様も、召し上がってください」
プティ用に買ったデーツの欠片をシャヒラに差し出すと、彼女は一瞬驚いた顔をしてから、丁寧に受け取って口に運んだ。
「……こんなに美味しいものだったのですね」
シャヒラの声には、心からの感動が滲んでいた。
「城では、いつもこういうもの、食べられないの?」
「城で出される菓子は、すべて厳選された高級品ばかりで……このような、庶民の屋台で売られているものを口にする機会は、ほとんどございませんでした」
その言葉に、わたしはかつての自分自身を思い出さずにはいられなかった。城の中で、決められた高級な菓子ばかりを食べていた日々。
「シャヒラ様、こういうのも、たまにはいいでしょう?」
「はい……とても」
シャヒラの表情には、これまで見たことのないような、素直な喜びが浮かんでいた。
市場を進みながら、二人はさらにいくつもの屋台を巡った。香辛料が効いたナッツ菓子、蜂蜜をたっぷりとかけたパン菓子。どれもこれも、シャヒラにとっては初めての体験だったらしい。
「リリアーヌ様は、いつもこのように、自由に色々な物を楽しまれているのですね」
「まあ、自由というか……行く先々で問題を起こしてばかりだけどね」
わたしが苦笑いしながら答えると、シャヒラは羨ましそうな眼差しを向けてきた。
「それでも、羨ましく思います。わたくしは、常に王女としての振る舞いを求められ、自分の意志で何かを選ぶという機会が、ほとんどございませんでしたから」
その言葉に込められた重みを、わたしは受け止めた。
少し離れたところから、セシルがこちらの様子を見守っていた。二人の王女が仲睦まじく市場を歩く姿を眺めながら、その表情には複雑な感情が浮かんでいるようだった。
「セシル、あなたも一緒に楽しみましょうよ!」
わたしが声をかけると、セシルは我に返ったように瞬きをした。
「私は護衛ですので、姫殿下方をお守りするのが役目です」
「そんな堅いこと言わないで。ほら、これ美味しいわよ」
わたしが差し出した香辛料入りのナッツ菓子を、セシルは躊躇いながらも受け取った。
「……確かに、悪くない味ですね」
その素直な感想に、わたしとシャヒラは思わず笑みをこぼした。
市場を巡る中で、シャヒラは徐々に打ち解けた様子を見せるようになっていった。屋台の店主たちとの何気ないやり取りにも、次第に自然な笑顔が浮かぶようになる。
「リリアーヌ様」
ふいに、シャヒラが立ち止まって、こちらに向き直った。
「もしよろしければ、いつか、あなたの国――ベルフィーユ王国へ遊びに行ってもよろしいでしょうか」
その申し出に、わたしは思わず目を輝かせた。
「もちろんよ! いつでも大歓迎だわ!」
「ありがとうございます……。こうして、自分の意志で誰かとの繋がりを築けることが、とても新鮮に感じられます」
シャヒラの言葉には、これまでの窮屈な生活から解放されたような、確かな喜びが滲んでいた。
その様子を少し離れたところから見つめていたセシルが、なぜか小さくため息をついた。
「セシル、どうかした?」
「……いえ、何でもございません」
セシルの声には、微かな硬さが感じられた。けれど、その理由を深く尋ねる前に、シャヒラが次の屋台へとわたしを誘った。
「あちらに、珍しい菓子を扱う店があるのです。ぜひご覧になってください」
「わあ、行きましょう!」
二人で連れ立って歩いていく後ろ姿を、セシルは黙って見送っていた。
☆
その日の午後、市場を存分に楽しんだ後、わたしたちは王宮へと戻ることになった。裏門から城内へ戻る道すがら、シャヒラは名残惜しそうな表情を浮かべていた。
「今日は、本当に楽しゅうございました。リリアーヌ様のおかげで、初めて自分の意志で選んだ一日を過ごせた気がいたします」
「わたしも楽しかったわ! また今度、一緒に出かけましょうね」
「はい、ぜひ」
シャヒラの笑顔には、これまでにない生き生きとした輝きが宿っていた。
「リリアーヌ様、もしよろしければ、今夜、わたくしの部屋で、お話でもいたしませんか」
「シャヒラ様の部屋で?」
「はい。せっかくこうして仲良くなれたのですから、もう少し、ゆっくりお話ししたいと思いまして」
その申し出に、わたしは即座に頷いた。
「もちろん! 行きたいわ!」
「では、夕食の後、わたくしの侍女が、お部屋までお迎えに上がります」
シャヒラはそう言うと、これまでにない少女らしい弾んだ声で笑った。




