第13話 砂漠の国のお姫さま
ヤマトノ国を出て、南へ向かう街道を進むこと数日。景色は徐々に緑を失い、やがて見渡す限り砂の大地が広がる光景へと変わっていった。
「これが……砂漠?」
初めて目にする光景に、わたしは思わず声をあげた。太陽の光を反射してきらきらと輝く砂の海が、地平線の彼方まで続いている。
「暑いですね」
セシルが額の汗を拭いながら呟いた。ベルフィーユ王国育ちのわたしたちにとって、この乾いた暑さは初めて経験するものだった。
「きゅう……」
プティも暑さに参っているのか、いつもより元気がない様子で帽子の中でぐったりしている。
「大丈夫、プティ? お水飲む?」
水筒を差し出すと、プティは弱々しく口をつけて水を飲んだ。
そんな中、唯一元気なのがボンボンだった。もこもことした真っ白な毛並みにもかかわらず、暑さをものともせず、砂の上を軽快に進んでいく。
「ボンボン、暑くないの?」
「もふぅ!」
まるで「平気だ」とでも言うように、力強く鳴き声をあげるボンボン。どんな地形も苦にしないというのは、本当らしい。
☆
砂漠を進み続けること半日、ようやく遠くにオアシス都市らしき街並みが見えてきた。緑豊かな木々に囲まれた街の中心には、大きなドーム型の建物がいくつも建ち並んでいる。
「あれが、サハリア王国の都……」
街に近づくにつれ、行き交う人々の衣装や建物の意匠が、これまで見てきたどの国とも違うことに気づいた。色鮮やかな布を巻きつけた衣装、精緻な幾何学模様が刻まれた建物の壁。
街の入口で身分を尋ねられた際、わたしたちは旅の商人だと名乗るつもりだった。けれど、事情を話すよりも早く、街の門番たちの様子が慌ただしく変化した。
「これは……失礼いたしました! すぐに王宮へご案内いたします!」
「え?」
困惑するわたしたちに、門番は深々と頭を下げながら説明した。
「じつは、隣国であるベルフィーユ王国から、王女様が旅をされているという情報が届いておりまして。もしや、あなた様が――」
「あ……」
どうやら、わたしの噂は既にこの国にまで届いていたらしい。旅の各地で騒動を起こしてきた自覚はあったけれど、まさかここまで話が広まっているとは思わなかった。
「隠しても仕方ありませんね」
セシルが小さくため息をつきながら、わたしの代わりに事情を説明した。
こうして、わたしたちは思いがけず、正式な客人として王宮へと招かれることになった。
王宮の内部は、これまで見てきたどの城とも違う、独特の美しさに満ちていた。精緻なタイル模様で飾られた壁、噴水が涼やかな音を立てる中庭、そして甘い香辛料の香りが漂う空気。
「ようこそ、ベルフィーユ王国のリリアーヌ王女様」
案内された謁見の間で、わたしたちを出迎えたのは、黒髪と琥珀色の瞳を持つ、息をのむほど美しい少女だった。
豪奢な衣装を身にまとい、金糸で縁取られたベールを頭から垂らしている。その所作の一つ一つが、まるで芸術品のように優雅だった。
「わたくしは、サハリア王国第一王女、シャヒラ・アル=サハリアと申します。遠方よりのご来訪、心より歓迎いたします」
完璧な礼儀作法で挨拶をするシャヒラの姿を見て、わたしは思わず息をのんだ。
「す、すごい……本物のお姫さまだ……」
思わず本音が漏れてしまい、隣にいたセシルが小さく咳払いをした。
「姫殿下、あなたも王女ですよ」
「え、あ、そうだったわね」
完璧すぎるシャヒラの立ち居振る舞いを前にして、自分が王女であることをすっかり忘れかけていた。
シャヒラはくすりと笑みをこぼしながら、こちらに歩み寄ってきた。
「リリアーヌ様の噂は、旅商人たちを通じて色々と伺っております。世界中のお菓子を求めて旅をされているとか」
「え、ええ、そうなの! 蜂蜜と木の実を使ったお菓子があるって聞いて」
「ふふ、それでしたら、ぜひ我が国自慢の菓子を振る舞わせていただきますわ」
シャヒラの合図で、侍女たちが次々と豪華な菓子を運んできた。金色に輝く蜂蜜がたっぷりとかけられた、木の実と薄い生地を幾重にも重ねた菓子。
「これは……!」
目の前に並べられた菓子の美しさに、わたしは思わず目を輝かせた。
「どうぞ、召し上がってくださいませ」
勧められるまま、一切れ手に取って口に運ぶ。パリパリとした生地の食感の後に、蜂蜜の濃厚な甘さと、香ばしい木の実の風味が口いっぱいに広がった。
「美味しい……! すごく美味しいわ!」
思わず声をあげると、シャヒラが満足げに微笑んだ。
「お気に召していただけて何よりです」
もう一口味わったところで、わたしはふと、舌に残る微かな違和感に気づいた。
「……あら?」
「どうかなさいましたか」
「ううん、美味しいんだけど……この蜂蜜、なんだか少し変な感じがするの」
「変、と申しますと?」
「香りが薄いっていうか……普通、蜂蜜ってもっと花の香りが強いものだと思うんだけど」
わたしの言葉に、シャヒラの表情がわずかに曇った。
「じつは……最近、我が国でも蜂蜜の生産量が減っていて、質にもばらつきが出ているのです。原因はまだ分かっておりませんが」
「そうなの……」
これまでの旅で感じてきた違和感が、またしても重なった。蜂蜜、果物、米。すべてに共通する「何かがおかしい」という感覚。
「セシル」
「はい、私も気づいております」
セシルも神妙な表情で頷いた。
シャヒラは少し不安げな様子を見せながらも、すぐに気を取り直すように微笑んだ。
「そのような話は、また後ほど。まずは長旅でお疲れでしょうから、ゆっくりとお休みください」
こうして、わたしとセシルはそれぞれ王宮内の客間へ案内された。
一人になったわたしは、窓の外に広がる砂漠の景色を見つめながら、物思いにふけっていた。
(シャヒラ様、完璧なお姫さまに見えたけど……)
あの一瞬見せた不安げな表情が、なぜか胸に引っかかっていた。
夕方、シャヒラが再び客間を訪れ、夕食に招いてくれた。豪華な料理が並ぶ食卓を囲みながら、わたしたちは他愛のない会話を交わした。
「リリアーヌ様は、本当に自由に旅をされているのですね」
ふとした瞬間、シャヒラがそう呟いた。その声には、どこか羨望のような響きが混じっていた。
「シャヒラ様は、旅をされたことはないの?」
「わたくしは……王女として、常に城の中で過ごすことを求められておりますので」
その言葉に、わたしはかつての自分自身を重ねずにはいられなかった。
「窮屈じゃない?」
思わず口をついて出た問いに、シャヒラは一瞬驚いた表情を見せた。それから、穏やかに、けれど確かな寂しさを滲ませて微笑んだ。
「……時々、そう感じることもございます」
その言葉の奥に隠された本音を、わたしは確かに感じ取っていた。
(本物の完璧なお姫さまだと思っていたけど……この子も、わたしと同じように、何か窮屈さを抱えているのかもしれない)
夕食が終わった後、シャヒラは名残惜しそうな様子を見せながら、こう提案した。
「もしよろしければ、明日は市場をご案内いたしましょうか。我が国自慢の品々をご覧いただきたく」
「本当? 楽しみだわ!」
わたしが元気よく答えると、シャヒラの表情に、これまでにない生き生きとした輝きが宿った。
☆
その夜、用意された寝室のベッドに横たわりながら、わたしはこれからの展開に思いを巡らせていた。
「セシル、シャヒラ様のこと、どう思う?」
隣の寝台にいるセシルに尋ねると、彼女はしばらく考え込んでから答えた。
「完璧な王女、という印象を受けますが……姫殿下と同じように、何か抱えているものがあるのかもしれません」
「わたしもそう思うの」
プティが胸の上で丸くなりながら、小さく寝息を立てている。
窓の外には、砂漠の夜空に瞬く無数の星々が広がっていた。ベルフィーユ王国では決して見ることのできない、鮮やかな星の海だった。
(明日は、どんなことが待ってるのかしら)




