第12話 巫女と王女と、真夜中の大捕物
夕食を終えた後、わたしたちは神社の一室に集まり、今夜の計画について話し合っていた。
「餌場の様子を確認しに、真夜中に森へ向かうつもりよ」
「姫殿下、危険すぎます。夜の森は昼間とは勝手が違います」
セシルが眉をひそめながら反対の意を示した。
「でも、あの子たちがちゃんと餌場に来てくれるか、確かめないといけないでしょう。それに、もし来てくれなかったら、また別の対策を考えないと」
「それは分かりますが……」
「わたしも同行いたします」
コハルが手を挙げた。
「巫女として、この森の異変を見過ごすわけにはいきません。それに、わたしなら魔物や精霊の気配を感じ取ることができますから」
セシルはしばらく思案顔をしていたが、やがて諦めたようにため息をついた。
「わかりました。ただし、私が先導します。何かあれば、すぐに私の指示に従ってください」
「もちろんよ!」
☆
夜も更けたころ、わたしたちは提灯を手に、静まり返った森へと足を踏み入れた。
昼間とはまるで違う雰囲気に、思わず身がすくむ。木々の間から差し込む月明かりが、地面に不思議な模様を作り出していた。
「きゅい……」
プティも普段の元気さを潜め、わたしの帽子の中でじっと身を縮めている。
「大丈夫よ、プティ。わたしたちがついてるから」
森の奥へと進んでいくと、昼間設置した餌場が見えてきた。息を潜めながら物陰から様子をうかがうと、案の定、あの薄茶色の毛をした魔物たちが、餌場に集まっているのが見えた。
「来てるわ!」
思わず声を漏らしそうになり、慌てて口元を押さえる。
魔物たちは、用意された木の実や果物を、夢中になって頬張っていた。その様子は、昼間見たときよりも、幾分か活気があるように感じられる。
「良かった……ちゃんと来てくれたのね」
安堵の息をついたそのとき、コハルが緊張した様子で辺りを見回した。
「何か、別の気配がします」
「別の気配?」
コハルの言葉に、わたしとセシルも警戒を強めた。
しばらくすると、森の奥から、ゆっくりと大きな影が近づいてくるのが見えた。
「あれは……」
現れたのは、体長二メートルはあろうかという、巨大な鹿のような魔物だった。ただし、その角は不自然に折れ曲がり、毛並みも艶を失って、あちこちがくすんだ色をしている。
「大鹿の魔物……ですが、様子がおかしいです」
コハルが緊張した声で呟いた。
「本来なら、あのような大鹿は森の奥深くに棲んでいて、めったに人前には姿を現しません。それに、あんなに弱っている様子は……」
大鹿の魔物はふらつくような足取りで、餌場の方へと近づいていく。周りにいた小さな魔物たちが、慌てて場所を空けるように後ずさりした。
「姫殿下、下がってください」
セシルが剣の柄に手をかけながら、わたしの前に立ちはだかった。
「待って、セシル。あの子、何だか苦しそうよ」
よく見ると、大鹿の魔物は明らかに弱り果てた様子で、餌にありつこうとする動きにも力がなかった。
「戦う様子には見えません……」
コハルも慎重に観察しながら呟いた。
「むしろ、助けを求めているような……」
わたしはゆっくりと物陰から出て、大鹿の魔物に近づこうとした。
「姫殿下、危険です!」
「大丈夫、様子を見るだけよ」
セシルの制止を振り切り、わたしは慎重に大鹿へと歩み寄った。近づくにつれ、その弱々しい呼吸音がはっきりと聞こえてくる。
「大丈夫? どこか、痛いの?」
声をかけると、大鹿の魔物は疲れた瞳でこちらを見つめ、小さく鳴き声をあげた。その声には、明らかな苦しさが滲んでいた。
わたしは持っていた餌の一部を、そっと差し出した。大鹿はしばらく躊躇っていたが、やがてゆっくりとそれを口に運んだ。
「食べてくれたわ」
安堵しながら見守っていると、コハルが音を立てないように近づいてきて、大鹿の様子を丹念に観察し始めた。
「この魔物……森の奥深くの、精霊の力が集まる場所に棲んでいたはずです。もしかすると、その場所自体が弱っているのかもしれません」
「精霊の力が集まる場所?」
「はい。この森には、古くから土地の魔力が集まる場所があると言い伝えられています。この大鹿は、その場所を守る存在だったのではないかと」
コハルの言葉に、わたしの中で何かが繋がっていくような感覚があった。
(森の実りが悪くなっているのも、この魔物たちが弱っているのも、全部、その『土地の魔力』とやらが関係しているのかもしれない)
しばらく餌を食べさせていると、大鹿の様子に少しずつ落ち着きが戻ってきた。呼吸も先ほどよりは安定しているように見える。
「これで、少しは楽になったかしら」
「はい、おそらくは」
コハルが安堵の表情を浮かべた。
そのとき、餌場の方で騒がしい物音が響いた。振り返ると、あろうことか、プティが用意していた餌をすべて自分で食べ尽くそうとしているところだった。
「プティ! それは魔物たちの分でしょう!」
「きゅい!?」
しまった、というような表情を浮かべるプティを見て、思わず脱力してしまう。緊迫した空気が一気に緩んだ。
「もう……せっかくの雰囲気が台無しじゃない」
「姫殿下のお仲間らしい、といえばらしいですね」
セシルが呆れたように、けれどもどこか優しい口調でそう言った。
プティが慌てて食べかけの木の実を魔物たちに差し出そうとする姿に、わたしたちは思わず笑ってしまった。
張り詰めていた緊張が解けたところで、大鹿の魔物はゆっくりと立ち上がり、森の奥へと戻っていった。他の小さな魔物たちも、それに続くようにして姿を消していく。
「これで、しばらくは田畑を荒らされることもなくなりそうですね」
コハルが穏やかな表情で呟いた。
「でも、根本的な問題は、まだ解決してないのよね」
「はい。森の実りが悪くなっている原因自体は、今夜のことだけでは分かりませんでした」
コハルの言葉に、わたしも重々しく頷いた。
その夜は結局、これ以上の手がかりを見つけることはできず、わたしたちは神社へと戻ることにした。
☆
翌日、村の田畑では、餌場の効果もあってか、これまでのような作物の被害は見られなかった。村人たちは安堵の表情を浮かべ、コハルたちに深く感謝の言葉を述べていた。
☆
そして数日後、無事に祭りの日を迎えることができた。
神社の境内には朝から多くの村人たちが集まり、色鮮やかな飾りや提灯があちこちに掲げられていた。屋台からは焼き団子や甘い餡の香りが漂い、太鼓の音が賑やかに響いている。
「すごい……! お菓子がいっぱい!」
「きゅい!」
「姫殿下、今日はお菓子を食べに来たのではありませんよ」
「分かってるわよ。でも、見るくらいいいでしょう?」
わたしが屋台へ吸い寄せられそうになると、セシルが無言でわたしの肩をつかんだ。
「……あとでにしてください」
「はい……」
やがて、巫女装束に身を包んだコハルが神前へ進み出た。村中から集められた米や果物、そして丁寧に作られた菓子が、一つずつ供えられていく。
数日前には、祭そのものを開けるかどうかさえ分からなかった。
けれど今、境内には笑い声があふれている。
その光景を見ていると、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「リリィ様、セシル様、本当にありがとうございました」
祭りの片付けが終わった後、コハルが深く頭を下げてきた。
「お二人がいなければ、今年の祭りは、きっと開催できなかったと思います」
「そんな、大げさよ。わたしはただ、あの子たちを助けたかっただけだもの」
「いいえ、リリィ様の判断がなければ、村人たちはきっと魔物たちを追い払うことしか考えなかったはずです」
コハルの言葉に、わたしは少し照れくさくなった。
☆
旅立ちの朝、コハルは名残惜しそうな表情で見送りに来てくれた。
「またいつか、この国に来てくださいね」
「もちろんよ! 今度は、ゆっくり温泉にも入りたいわ」
「そのときは、ぜひご案内させてください」
コハルとの別れを惜しみながら、わたしたちはヤマトノ国を後にすることになった。
街道を進みながら、わたしはふと、これまでの旅で感じてきた違和感について考えを巡らせていた。
「セシル、思うんだけど」
「何でしょうか」
「フロレンツァ公国での果物の異変も、ヤマトノ国での米や森の異変も、もしかしたら何か関係があるんじゃないかしら」
セシルは少し考え込むような表情を浮かべた。
「確かに、偶然にしては、少し気になる共通点がありますね」
「でしょう? なんだか、世界のどこかで、大きな異変が起きてるような気がするの」
わたしの言葉に、セシルは真剣な眼差しを向けてきた。
「姫殿下がそこまでおっしゃるのなら、注意深く見ていく必要があるかもしれません」
ボンボンの背に揺られながら、わたしは遠くに見える山々の稜線を見つめた。
(次はどこへ向かおうかしら)
わたしはふと、大事なことを思い出した。
「あ……」
「どうかなさいましたか?」
「セシル。そういえば、フロレンツァを出るとき、『次の国まで』って約束だったわよね」
わたしが恐る恐るそう切り出すと、セシルは少しだけ目を細めた。
「……覚えていらしたのですね」
「もちろんよ。忘れてたわけじゃないわ。ちょっと思い出すのが遅かっただけで」
「それを忘れていたと言うのではありませんか」
ぴしゃりと言われ、わたしは返す言葉を失った。
「じゃあ……ここで、お城に帰る?」
そう尋ねると、セシルはすぐには答えなかった。
しばらく、ボンボンの足音だけが街道に響いていた。
「本来であれば、そうするべきでしょう」
やがて、セシルが冷静に口を開いた。
「私は国王陛下と王妃陛下から、姫殿下を城へお連れするよう命じられています。その任務がなくなったわけではありません」
「……うん」
「ですが」
セシルは、遠くに続く街道へ視線を向けた。
「ヤマトノ国で起きていた異変を、この目で見てしまいました。フロレンツァ公国の果物と、ヤマトノ国の米や森。もし姫殿下のおっしゃる通り、それらが繋がっているのだとすれば……私自身、このまま何も確かめずに帰ることはできません」
「セシル……」
「ですから、もう少しだけ、ご一緒いたします」
その言葉に、わたしの顔がぱっと明るくなった。
「本当に!?」
「ただし、勘違いなさらないでください」
セシルがすぐに釘を刺す。
「今度は、姫殿下の我儘に付き合うためではありません。この異変が何なのか、私自身の目で確かめるためです」
そう言うセシルの横顔は、もう「わたしを連れ戻す騎士」のものには見えなかった。
「それでもいいわ!」
わたしは思わず笑顔になった。
「ありがとう、セシル!」
「ですから、抱きつかないでください」
「まだ何もしてないわよ!」
「しようとしていたでしょう」
どうして分かったのだろう。
少しだけ悔しく思いながらも、わたしは胸の奥が嬉しさでいっぱいになるのを感じていた。
最初は、わたしを城へ連れ戻すために追いかけてきたセシル。
けれど今は、同じ疑問を追いかけるために、自分の意思で一緒に旅を続けようとしてくれている。
それが、なんだかとても嬉しかった。
「セシル、次は南の方に行ってみましょうか」
「南、ですか」
「砂漠の国で、蜂蜜と木の実を使ったお菓子があるんですって」
「……やはり、最後はお菓子なのですね」
「もちろんよ!」
呆れたようにため息をつくセシルだったけれど、その表情はどこか楽しそうにも見えた。
「きゅい!」
「もふぅ」
プティとボンボンも、賑やかにそれに応えるように鳴き声をあげる。
こうして、二人と二匹の旅は、新たな目的地――砂漠の国サハリア王国へと向かうことになった。




