第11話 お餅、争奪戦
餌場の設置が一段落し、祭りの準備も少しずつ本格化してきたころだった。
神社の台所では、コハルと巫女装束の女性たちが総出で、祭りに供える餅を仕込んでいた。米を蒸す湯気があちこちから立ち上り、杵で餅を搗く小気味よい音が、境内に響き渡っている。
「リリィ様、こちらをご覧ください」
コハルに案内されて向かった先には、木の臼と杵が用意されていた。
「これから、神前にお供えする特別な餅を搗きます。祭りの中でも、最も大切な儀式のひとつなんです」
「すごい……! 本当に伝統的な光景ね」
わたしは目を輝かせながら、蒸し上がったばかりの米が、臼の中に盛られていく様子を見守った。
「よろしければ、リリィ様も、搗いてみますか」
「いいの!?」
願ってもない申し出に、わたしは即座に頷いた。
巫女の一人から杵を手渡され、見よう見まねで、臼の中の米を叩いてみる。ところが、力加減がまったく分からず、杵は狙いを大きく外れて、臼の縁を強く打ってしまった。
「あっ……」
衝撃で、蒸し米の一部が、臼の外へと勢いよく飛び散った。
「大丈夫ですか、リリィ様」
「ご、ごめんなさい! せっかくの材料を……」
慌てて謝るわたしに、コハルは苦笑いを浮かべながら、優しく声をかけてくれた。
「大丈夫です。最初は、皆さんそうですから」
その言葉に甘えて、わたしは何度か杵を振るう練習を続けた。少しずつコツを掴み始めたころ、ふいに、傍らで様子を見ていたプティが、鼻をひくつかせながら、臼の方へとにじり寄っていくのに気づいた。
「プティ、駄目よ。これは神様へのお供え物なんだから」
「きゅい?」
しらばっくれるように首を傾げるプティを見て、わたしは念を押すように、もう一度言い聞かせた。
「絶対に、味見しちゃ駄目よ。分かった?」
「きゅい!」
力強く鳴いたプティを見て、わたしはひとまず安心し、再び餅搗きの手伝いに戻った。
しばらく作業に集中していると、境内の方から、巫女の一人の慌てた声が響いてきた。
「お餅が……! 蔵に保管しておいた祭りのお餅が、なくなっています!」
「え!?」
わたしとコハルは、思わず顔を見合わせた。
急いで蔵へと駆けつけると、そこには、空になった木箱だけが残されていた。祭りの数日前から仕込んでおいた、上等な餅の数々が、跡形もなく消えている。
「一体、誰が……」
コハルが困惑した様子で辺りを見回した、そのとき。
「きゅい、きゅい!」
境内の奥から、聞き覚えのある鳴き声が響いてきた。
嫌な予感を覚えながら振り返ると、そこには、口の周りに白い粉をたっぷりとつけたプティが、満足げな顔で座っていた。
「プティ……まさか、あなた」
「きゅ?」
しらばっくれるように首を傾げるプティだったけれど、その丸々と膨らんだお腹が、何よりの証拠だった。
「あなた、全部食べちゃったの!?」
「きゅい!」
悪びれる様子もなく、誇らしげに鳴くプティの姿に、わたしは思わず頭を抱えた。
「大変です! あのお餅は、祭りの準備で最も大事なものだったのに!」
コハルが、青ざめた表情でそう告げた。
「ご、ごめんなさい……! すぐに、代わりを用意する方法を考えるから!」
わたしが必死に謝っていると、蔵の裏手から、さらに慌てた声が響いてきた。
「大変です、大変です! お餅を運んでいる最中に、まだ残っていた分まで、何かに持っていかれました!」
「え、まだあったの!?」
急いでそちらへ向かうと、案の定、少し離れた場所に、餅の欠片を口いっぱいに頬張ったプティが、また別の場所で座り込んでいた。
「プティ! いつの間に、そっちまで!」
あまりの俊敏さに、わたしは思わず言葉を失った。
「きゅい!」
どこか誇らしげに胸を張るプティを見て、わたしは深いため息をついた。
「もう……あなたって子は」
その場に居合わせた巫女たちも、呆然とした様子で、事態を見守っていた。
「これは……由々しき事態ですね」
セシルが、真剣な表情で腕を組みながら呟いた。
「祭りに必要な餅が、これで全部なくなってしまったということですか」
「はい……。今から新たに搗き直すには、時間が足りるかどうか」
コハルの言葉に、境内全体に、重苦しい空気が広がった。
わたしは、なんとかこの事態を挽回しようと、慌てて頭を働かせた。
「待って、まだ諦めるのは早いわ。プティが食べたのは、おそらく蔵に保管されていた分だけよね。仕込み途中の米は、まだ残ってるんじゃない?」
「それは……確かに、まだ蒸していない米は、いくらか残っておりますが」
巫女の一人が、そう答えた。
「じゃあ、それを使って、もう一度搗き直しましょう! みんなで手伝えば、きっと間に合うはずよ!」
わたしの提案に、コハルも決意を固めたように頷いた。
「はい、やってみましょう」
こうして、境内総出で、餅の作り直しが始まった。
蒸し上がった米が、次々と臼に運び込まれ、巫女たちが交代で杵を振るっていく。わたしも、先ほどよりはずいぶんと様になってきた手つきで、搗く作業に加わった。
「セシル、あなたも手伝って!」
「わ、私がですか?」
戸惑うセシルに杵を押し付けると、彼女は不慣れな手つきながらも、真剣な表情で餅を搗き始めた。
「思っていたより、力がいる作業ですね」
「そうでしょう! でも、なんだか楽しいわよね」
二人で交代しながら杵を振るう様子は、傍から見ると、なんとも息の合わない、ぎこちないものだったけれど、それでも少しずつ、餅は形になっていった。
その一方で、プティは、自分がしでかした騒動を反省しているのか、していないのか、境内の隅で、満腹そうにお腹を撫でながら、うとうとと舟を漕いでいた。
「プティ、あなたも少しは手伝いなさいよ」
わたしが声をかけても、プティは眠そうな目で「きゅう」と鳴くだけで、まったく動く気配がなかった。
「まったく、こういう時だけ役に立たないんだから」
呆れながらも、わたしは作業を続けた。
しばらくすると、境内の反対側から、また新たな騒ぎが起こった。
「あ! また餅が減ってる!」
巫女の一人が、驚いた様子で声をあげた。
嫌な予感を覚えて振り返ると、案の定、先ほどまで眠っていたはずのプティが、いつの間にか目を覚まし、搗きたての餅の山に、こっそりと近づいているところだった。
「プティ!! いい加減にしなさい!!」
わたしは慌てて駆け寄り、プティを抱きかかえた。
「きゅい!?」
驚いたように鳴くプティを、わたしはしっかりと抱きしめて離さなかった。
「あなたはもう、これ以上何も食べさせないわよ! 反省しなさい!」
「きゅう……」
しょんぼりと肩を落とすプティの様子に、周囲からは、思わず笑い声が漏れた。
「リリィ様と、プティさんは、本当に賑やかですね」
コハルが、くすくすと笑いながらそう言った。
「ごめんなさい、いつもこんな調子で……」
「いいえ、おかげで、皆の緊張も、少しほぐれたようです」
確かに、コハルの言う通り、先ほどまでの重苦しい空気は、いつの間にか和やかなものに変わっていた。
プティの騒動を教訓に、それ以降は搗き上がった餅を、すぐに厳重に見張り付きの場所へと移動させることにした。わたしは、プティを肩に乗せたまま、決して目を離さないようにしながら、作業を続けた。
日が傾き始めるころ、ようやく必要な量の餅を、すべて搗き終えることができた。
「終わった……!」
わたしは、額の汗を拭いながら、安堵の息をついた。
「本当に、間に合ってよかったです」
コハルも、心底ほっとした様子で、そう呟いた。
「セシル、お疲れ様。杵、上手になってきたじゃない」
「姫殿下こそ、最初よりは、ずいぶんと様になっていましたよ」
二人で笑い合いながら、これまでの騒動を振り返った。
そのとき、これまでずっと大人しくしていたプティが、突然、何かに気づいたように、鼻をひくつかせ始めた。
「きゅい!」
「プティ、まさか、また……」
わたしが慌てて身構えると、プティは意外にも、搗き上がったばかりの餅とはまったく違う方向――境内の隅に置かれた、供物用の果物の籠を見つめていた。
「あっちは、果物なの?」
わたしが不思議に思って近づいてみると、そこには、祭りに供えるための果物が、山盛りに用意されていた。
何気なく一つ手に取って口に含んでみると、ふと、これまで何度も感じてきた、あの違和感が舌の上に広がった。
「……この果物も、なんだか味が薄いわ」
「果物もですか?」
コハルが、驚いた様子でこちらを見た。
「じつは、この果物も、村の畑で採れたものなんです。米だけでなく、こちらの実りも、あまり良くなくて」
その言葉に、わたしはこれまでの旅で感じてきた異変が、この村の隅々にまで広がっていることを改めて実感した。
「セシル、これも……」
「はい。米だけでなく、果物にも、同じような影響が出ているようですね」
夕暮れの境内に、静かな緊張感が漂った。
けれど、その一方で、無事に搗き上がった餅の山を見つめながら、わたしは達成感も得ていた。
「とにかく、今は、祭りの準備を、きちんと終わらせましょう」
わたしの言葉に、コハルも力強く頷いた。
「はい。あとは、当日を待つばかりです」
境内には、搗きたての餅の甘く香ばしい匂いがいつまでも漂っていた。
プティはすっかり反省した様子で、わたしの肩の上で大人しく丸くなっている。
「プティ、今日は、本当に反省しなさいよ」
「きゅう……」
しょんぼりとした鳴き声を聞きながら、わたしは思わず、くすりと笑ってしまった。
夕日が、境内の木々を橙色に染め上げていく。その光景を眺めながら、わたしはこの騒動もまた、旅の思い出の大切な一ページになるのだろうと感じていた。




