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ふう、と静かにコトネは息を吐く。
まだ体に、先程の香の香りが残っているような気がする。
(不思議な部屋だったな。歩くたび、しゃらん、と音がした)
爪先をつく。それから、踵を降ろす。
そのひとつひとつの感覚を、丁寧に思い出す。
(それから──)
『コトネの間』と書かれた、あの建物。
物心ついた頃から、自分はこの離れで生活をしている。
今日出向いたあの場所も、あの中庭も、これまで一度も行ったことはない。
「……それとも、もっと小さい頃に住んでいた場所なのかな」
記憶を探ろうとするが、思い出せない。
覚えている一番古い記憶は、この部屋でぼんやりと天井を眺めていたときのことだ。
「でも──私にも」
そこまで呟いて、一瞬、言葉に詰まる。
少し考えて、ためらって、
「……家族、……がいたんだよね?」
さらに記憶をさらえば、微かに温かな空気がよみがえるような、気もする。
けれど、それ以上に胸の奥がすうっと冷えるような、寂しいような、……そんな気配が押し寄せてきて、コトネは小さく首を振って考えるのをやめた。
(あの部屋は、なんだったんだろう)
再び、例の建物へと意識が移る。
苔生した石橋。凛と張られた赤布に、鈴。そして、『コトネの間』と書かれた札。
どれも、知らない。わからない。見たことも、ない。
わかっているのは、あの部屋については『今知るべきことではない』。
そして、『いずれ、知るときが訪れる』のだということ。
それならば、今は考えるべきときではないのだ。
(これから、どんな儀式をするんだろう)
(……でも、『今知るべきことではない』って言ってた)
(それなら──)
(フェリカのところへのお渡りは、いつになるんだろう)
(あと何回、お渡りができるんだろう)
ひとつ疑問を沈めれば、また次から次へと疑問が浮かんでくる。
けれど、恐らくそれも、『今知るべきことではない』のだ。
ふう、とひとつ、細く長く息を吐く。
そうっと、目を閉じる。
爪先をつけて、踵を降ろす。
──音は、しない。けれど、耳の奥で、あの『しゃらん』という音が聞こえた気がした。




