残り3ヶ月「もし変化の儀に、失敗したら」
その日コトネは、自分の部屋で導師と向き合い座っていた。
定期的に侍女が必要なものを整えに来てくれてはいるものの、自室に人が来るのも、向かい合って座るのも初めてだ。見慣れた部屋がなんだか違う部屋のように思えて、ほんの少し落ち着かない。
「婚姻の儀まで、残り3ヶ月となりました。今日は、変化の儀について話をします」
そんな中切り出された言葉に、思わず息をのむ。
これまで、コトネには予定を知らされることはほとんどなかった。大抵は突然侍女が迎えに来て、それについて歩く。
ついた先が講義の間ならそこで学ぶ。何を学ぶかは、その場で知る。特に説明もないままぐるりと中庭を周り、帰ったこともある。そのまま馬車まで案内され、交流会へと発ったこともあった。
いつだって、説明を求めても返ってくる言葉は「必要なことは必要なときに知らされます」のみ。
最後まで知らされないのは、知るべきではないことだから。
指示を受け、それに従う。求められたことをこなす。──それが、これまでのすべてだった。
戸惑うコトネに、導師は話し始める。
「婚姻の儀に先立ち、皇貴様は変化の儀を行います」
「この儀の期間は、三日三晩」
「そして、この儀によって皇貴様のお身体が、婚姻の儀を迎えられるように変化をするのです」
これまで『皇貴は齢15で婚姻の誓いを交わし、生涯の伴侶と契ることで性別が芽生える』とコトネは教わっていた。
各国にも、そう伝わっている。サヴジも、エリンも、フェリカも、皆がそう思っているはずだ。
(聞いていた話と、違う)
「──が、変化の儀は必ず成功するものではありません」
「え」
混乱しているところに投げられたもう一つの事実に、思わず声が漏れる。
失敗をしたら、どうなるのだろう。
喉まで出かかった問いを、コトネはぐっと飲み込む。代わりに導師の次の言葉を待った。
「過去には変化の儀で命を落とした皇貴様もおられました」
「……」
息苦しさを覚え、呼吸が浅くなっていたことに気付き、ふ、と短く息を吐く。
婚姻の儀で性別が芽生える。その前に、身体が変化する。しかも、その変化の儀で失敗をすれば死ぬというのだ。
「これまでの儀で皇貴様のお身体は整いました」
そう言われても、理解が追い付かない。
整えの儀は、前に済ませた。だが、当の皇貴である自分自身は、何が整ったのかがわからない。整ったという実感もないし、体にも心にも、何の変化も感じられない。
「変化の儀では、皇貴様の内にあるものが、その身に現れます」
(どう変わるんだろう、……どんな風に変化するんだろう)
「変化の儀の間、皇貴様は誰と生きたいか。どんな未来を望むか。自分は何者でありたいか。それを問われ続けることになります」
その願い、覚悟、想い。
そこに呼応するように、皇貴の体はその身に最も適した姿へと変化していくのだという。
「それは、種が芽吹いた後に日の光を求め、枝葉をそちらへと伸ばすがごとく」
過去には、王家のため。国のため。誰かに望まれた未来のため。
自分の願いを押し殺し、自分が生きる道を選べず、変化が途中で止まった皇貴もいるのだそうだ。
そうなれば、芽は育たない。日を求め伸びることもなく、やがて朽ちる。
「変化の儀とは、新たなものを与える儀ではありません。元より皇貴様の内にあるものを、その身に現すための儀にございます」
細く、長く、深く。
ゆっくりと息を吐き、吸う。胸の奥に落ちた言葉が、静かに沈んでいく。
(自分が、何者でありたいか)
問いかけてみるが、頭の芯にはまだしびれが残っているようで、ただその問いが反響するばかり。
婚姻の儀まで、残り3ヶ月。
そして、その前に変化の儀が行われる。そこで失敗をすれば、自分は消えてなくなってしまうのだ。
「以上が、変化の儀についての詳細となります」
そこで、ふと気づく。
地脈はどうなるのだろうか。
皇貴は地脈をつなぐための存在だ。これまで自分は、そのために育てられ、生きてきた。
それなのに失敗をして消えてしまったら、肝心の地脈はどうなるのだろう。ルーシアは、サンティエは、イエリは、そしてヤコクは。
導師の次の言葉を待つ──が、導師はただ黙って座っている。
外は少し風が吹いているのだろう、ひゅう、ひゅうと木々が風を切る音が響く。
(知りたい、……どうなるのか)
ただ、待つ。
しかし導師は何も言わず、身動き一つしない。
聞く必要がないことだからか。知るべきではないことだからか。考えてみるが、そうは思えない。
自分は皇貴だ。地脈をつなぐために生きている。
地脈が弱まったばかりに、ルーシアは冬が厳しいものになった。かつてのサンティエでは大地が凍り付いた。
先代皇貴の影響が失われつつある今、絶対に失敗をするわけにはいかないはずだ。
どく、どく、とこめかみのあたりで脈を打つ音がする。息苦しくて、頭が重くて、手足が冷たい。
(怖い)
自分の失敗が、多くの人を苦しめる。多くの人の期待を、裏切ってしまう。
口の中がカラカラに乾く。こく、となんとか唾液を飲み込むが、息が苦しい。
「皇貴様、どうぞお心を落ち着かせてください」
でも、と漏れそうになるのをこらえ、なんとか頷く。すると導師は小さく息をつき、口を開いた。
「変化の儀が失敗に終わった場合、また新たに皇貴がお生まれになるのです」
「──そう、……なん、だ」
導師の言葉を聞き、急激に体の力が抜けていくのが感じられる。
一瞬で、つい今まで頭の中を、体を押し広げるように次から次へと湧き出て来た不安が。焦りが。恐れが。迷いが。戸惑いが。訳の分からない感情が。そのすべてが、『無』になったようで、ぐらりと体が前へと倒れそうになるのを、腕をついてこらえる。
(じゃあ、大丈夫……?)
地脈は、途切れない。
指先が冷たい。けれど、そこに少しずつ血が戻っていくのがわかる。
ただ、今度は頭がうまく働かない。一瞬安心をして、でもその安心の正体が、わからない。掘り下げようとするが、動けない。
「そしてまた、新たな皇貴様を元に、三国との間で婚姻の儀へと進むまで」
ルーシア、サンティエ、イエリ。
サヴジか、エリンか、フェリカか。
あるいは、サヴジの弟か、エリンの血筋のものか、フェリカの姉の子であるルークか。それとも、次の世代か。
新たな皇貴が生まれた後、再び十五になるまで三国と交流会が開かれる。そうして、この世界は地脈をつなぎ、日常を重ねていくのだ。
***
導師が去った後、コトネは一人、ただ窓の外を見ていた。
ひゅうひゅうと吹いていた風は、雨雲を連れて来たらしい。まだ昼過ぎだというのに、辺りは薄暗く、しとしとと静かな雨が降っている。ほう、と何度目かのため息が漏れると、ほんの刹那窓が白く曇った。
「変化の儀に失敗しても、……次の皇貴が生まれる」
呟いてみると、なんだかその様子が見えるような気がした。
前代皇貴がサンティエに嫁ぎ、地脈を南につないだ影響は、徐々に弱まっている。だからこそ自分がヤコクに生まれた。もし変化の儀に失敗して消えることになれば、いずれまた次の代の皇貴が、再び地脈をつないでくれる。
(その人も、──迷うのかな)
交流会を重ねる中で、サヴジの優しさや、エリンのまぶしさ、フェリカの温かさを知った。
次の皇貴も、きっと同じように、様々な国や人を知るだろう。
そして、今自分が抱いているような、名前の付けられない感情を前に繰り返しため息をつくことになるのだろうか。
わからない。わからないけれど、寂しい。
選ばなければいけない。怖い。選びたくはない。
でも、だけど。
ぐっと目を閉じるが、浮かんでくる感情はただただ増すばかり。
苦しい。
怖い。
辛い。
悲しい。
寂しい。
わからない。
わからない──けれど、『何か』『誰か』求める気持ちが出て、また戸惑う。
肌寒さを感じ、両の手で肩を抱く。
力を入れると、伝わる手の温かさが衣越しに腕に伝わり、ほんの少し息苦しさがほどけた。
すんっ、と小さく鼻から息を吸う。
ぎゅうっと肩を抱く腕に力をこめると、ぽたり、と目じりから涙が落ち、衣に吸い込まれた。




