第六章:残り9カ月——残響
サンティエからヤコクに戻ってすぐ、コトネは婚姻の儀に向けた第一の儀式を受けることになった。
(第一の儀式、って……何をするんだろう)
第一、というからには、他にも儀式があるのだろう。
だが、それがいつ、どこで、何のために行われるのか。どんなもので、どう行われるのか。何をするのか。
コトネには何一つ知らされなかった。
迎えに来たのは、『導師』と名乗る目深に布を被った人物だ。
コトネが居住している離れから出て、静かな中庭を通り、小さな池を過ぎる。
その後渡り廊下を歩き、薄暗い通路を抜けると、一歩前に進むたびしゃらん、と音を立てる小部屋へとたどり着く。
(……不思議な部屋。ここで、これから第一の儀式──?)
ちらり、と導師を見るが、目深にかぶった布のせいで、表情はおろか視線も窺い知ることができない。
尋ねても、きっと答えてはもらえない。そう思い、コトネは疑問をいつものように飲み込んだ。
「……前へ」
低く聞こえた声に従い、一歩、二歩、と前へ進む。
しゃらん、しゃらん、という音は足元から響いているようだ。
爪先が床に触れ、踵を下ろすことで音がひと区切りするのに気付く。
そうして部屋の中央まで来たところで、導師が部屋の四隅に香を焚き始めた。
奥行きがある深いそれは、これまで嗅いだことのない香りだ。
わずかに甘さも感じるが、それ以上に不思議と姿勢が伸びる。
胸に広がる香りなのに、決して強くはない。
(何の香りだろう)
ルーシアの薬草園でも、この香りには出逢わなかった。
サンティエでも、経験したことがない。
イエリではどうだろうか、とふと考える。
(……もしかしたら)
あのときルーシアで見ることができなかった、屋内薬草園の別の区域にあるものかもしれない。
サンティエの料理に使われていたスパイスは、組み合わせで様々な香りになるというから、それかもしれない。
イエリでは様々なものを媒体として、蒸留酒を作るというから、その香りなのかもしれない。
(それとも──)
自分はヤコクに生まれながら、これまでの一生のほとんどを離れで過ごしてきた。
ヤコクにも、ルーシアの薬草園のような場所があるのだろうか。
サンティエの湖のように、誰かが集う場所が。
イエリの工房のように、静かに何かを生み出す場所が──
「三度に分けてお飲みください」
四角い器を手渡された。
導師がそこに、柄の長い茶器のようなもので、丁寧に透き通った液体を注ぐ。
最後の一滴が注がれるのを見てから、静かに口をつける。
一口。
二口。
三口。
冷たく澄んだ水が、するすると喉を滑り落ち、静かに腑に落ちた。




