ひとりで抱え込まないように
「どうしたの? 急ぎの要件?」
「西の畑で、虫の被害が出たそうで……。対処はしているのですが、隣の区画にも広がるかもしれなくて」
「そうなのね。誰が見てくれてるの?」
「今はサージェが中心に」
「ああ、サージェなら大丈夫そうね。ちょっと待ってて」
そういうとエリンはくるりと振り返り、誰かの名前を呼ぶ。
呼ばれて顔を上げた人物に、これまでの流れを手短に伝え、帰りに寄って伝えてくれと、軽く手を振る。
「これで大丈夫よ、きっと明日にはリーヤが話を聞きに行くと思うわ」
「ありがとうございます!」
「……エリン、ごめん、今話が聞こえたんだけど──大臣がいないの?」
「そうなの。でも大丈夫よ、書類はもらったし、帰りに届けてもらうから」
コトネが席に戻ってきたエリンにそう聞くと、こともなげに頷く。
どうやら先程名を呼んだ人物は、大臣リーヤの家の隣に住んでいるらしい。
要件をまとめた書類を渡して、明日にでも対処してもらうということだが──
「そう、なんだ。でも……それで、大丈夫なの?」
思わずこぼれた言葉に、エリンはきょとんとした表情で首を傾げる。
「どうして?」
「だって、大臣なんでしょう?」
コトネも、ヤコクではずっと離れに住んでいるため、それほど国の仕組みについて詳しい方ではない。
それでも、上に立つ者がいて、方針を決め、動かしていく存在があることは知っている。
ルーシアでも、そこは目にしたばかりだ。
「国のことを決める人が、いないままで……」
口に出してみて、自分でもうまく言葉にできていないと気づく。
そんなコトネを見て、エリンはふっと小さく笑う。
「大丈夫よ。だって、リーヤひとりで全部決めてるわけじゃないもの」
「……え?」
「さっきの話も、サージェが見てるんでしょう? だったら、まずはそれでいいの。気になることがあれば、こうして誰かが持ってくるし、皆で話せばいいだけ」
さらりと言って、スプーンを手に取る。
「それにね、リーヤがいなくても困らないようにしてるのは、リーヤ自身なのよ」
「……そう、なの?」
「ええ。リーヤは大臣だけど、皆にもちゃんと仕事を振ってるわ」
「それは──そう、じゃない? だって、大臣なんでしょう?」
「皆に任せるかわりに、自分も皆の仕事を一緒にするの。手が回らなければ、できる人に声をかけるし、声をかけられない人がいれば、かわりに話すわ」
「あ……」
「ひとりで抱え込まないようにって、いつも言ってるもの」
くすりと笑って、エリンは続ける。
「だから、ヤギの子が生まれたらそっちを見に行くのも、大事な仕事なの」
まるで当然のことのように言われて、コトネは言葉を失う。
(それで、国が回るの……?)
問いは胸に浮かぶのに、なぜか否定の言葉は出てこない。
目の前では、皆が当たり前のように食事をし、話をし、笑っている。
「こうして、皆で食事をするのも……」
普通、なのだろうか。
そう疑問が浮かぶが、こちらもうまく言葉にならない。
ヤコクではずっとひとりで食事をしてきた。
ルーシアでは、サヴジと食事をした。
(そういえば、サヴジには年の離れた弟がいるって言っていたけれど──)
同じ城にいるはずなのに、顔を合わせることはなかった。
それが当たり前だと思っていた。
「そうよ、だってみんなで食事をして、こうやっていろいろ話せば、誰が困っているかすぐわかるでしょう?」
そういえば、さっきの使者とのやり取りもそうだった。
書簡を受け取る場面でも、言葉を交わすときも、エリンは特に声を落とさない。
周りを見渡せば、食事をしながら会話を続ける者もいるが、何人かは自然とエリンの方へと顔を向けていた。
(もしかして──)
ふと、昼間のことを思い出す。
エリンは「イチゴを食べていくといい」と言われたとき、ごく自然に摘果の話をした。
ジャムにすることも知っていたし、籠がどこにあって、どう摘むかも知っていた。
コトネからすれば初めてのイチゴ摘みと、新鮮なイチゴやベリーを味わう楽しい時間だった──が、それもまた手伝いのひとつだったのかもしれない。
「……うん」
その言葉は、自分でも驚くほど静かに胸の奥へと落ちていった。
広間では、まだ賑やかな声が続いている。
誰かが話し、誰かが笑い、料理が運ばれ、また皿が空になる。
(……不思議)
ふと、視線を落とす。
手元の皿には、まだ半分ほどシチューが残っている。
(ひとりで食べるのが、普通だったのに)
なのに今は、
隣にエリンがいる。
向こうにも誰かがいる。
同じ空間で、同じものを食べている。
――そのことに、少しだけ戸惑う。
「コトネ?」
名前を呼ばれ、顔を上げると、エリンがこちらを覗き込んでいた。
「ぼーっとしてる。もうお腹いっぱい?」
「あ、ううん……大丈夫」
慌ててスプーンを手に取り、口へと運ぶ。
少しだけ冷めていたが、それでも不思議とおいしかった。
***
部屋に戻り、コトネはひとり、ベッドに座る。
慣れている、ひとり。
そのはずなのに、どこか落ち着かない。
(ひとりで決めなくていい、って……)
サヴジにも、似たようなことを言われた。
でも、それとは少し違う気がする。
(フェリカだったら、なんて言うだろう)
婚姻の儀まで、残り10ヶ月。
なんだか部屋が妙に静かすぎるようで、耳の奥にさわさわと音が残っているようで──
自分の中にある感情の正体が、定まらない。妙な感覚だが、それが何なのかわからない。ふう、と息を吐くが、その妙な感覚は静まらず、自分の呼吸の音がやたらと耳に残る。
(私は、混乱しているのかな……?)
それが一番近いのかと思って自分を見つめ直してみるが、しっくりこない。
迷っているのかと考えてみるが、それも少し違うような気がする。
(驚いている……も違う。なんだろう、この感覚)
わからない、けれど、不快ではない。
空腹感にも似ているようで、それでいて満腹感のようなものもあるのが不思議だ。
──ふと、窓の外を見る。
遠くに、まだ人の声が残っているような気がした。




