態度が変わったのは
「エリン……!?」
振り返ると、目にいっぱい涙を溜めたエリンがフェリカとコトネの間に飛び込んできた。
その拍子に、フェリカの手がわずかに緩む。
——が、背に添えられた手の温もりは、まだかすかに残っている。
「大丈夫なのコトネ! 倒れたって何があったのコトネ!」
「え、え、エリン、エリンこそ国に帰ったんじゃ……」
「後ろから使者が追いかけてきたのよ! コトネが倒れたって聞いたから、エリンそのまま引き返してきたの!」
ぎゅうっと抱きつかれ、エリンの柔らかな金髪が、視界の中で揺れた。
ふわりと漂うオレンジの香りに体が反応したのか、ふと、空腹を覚える。
「……! コトネ、今、おなかが鳴ったわね?」
「あ……そうかも。なんだか喉も乾いて……」
「待ってて! エリン、果実水を作ってきてあげる!」
ばっ、と体を起こすと、目をキラキラと輝かせるエリン。
にっこりと笑うとそのままコトネの返事を待たず、くるりと背を向け走り去った。
『エリン様、どちらへ……!』『中庭よ! あそこにたくさんベリーがあったわ!』
バタン、とドアが閉まる間際、慌てて追いついてきたらしい侍女とのやり取りがかすかに聞こえてくる。
どうやらエリンは、サヴジのお気に入りの中庭でベリーを摘んで、果実水を作るつもりらしい。
「……私の分も、ついでに頼めるかしら」
いたずらっぽくそう言うフェリカに、つられてコトネもふっと笑ってしまう。
「ふふ、賑やかでいいわね」
突然のエリンの襲来で、一気に気持ちも、空気の流れも変わったように感じられる。
以前ヤコクで突然ざぁっと激しく雨が降り、その後はカラリと晴れたことを思い出す。くるくると変わる空の表情や、雨上がりの快晴に輝く見慣れたはずの景色がとても不思議でたまらなかった。
——そのときと、少し似ている気がする。
「あのね、フェリカ」
「なあに?」
「……言いそびれたけれど、来てくれてありがとう」
「いいのよ。私が来たくてきたのだから。エリンだってそうよ」
「うん。それに……その、──」
気づけば、感情のままに泣いていた。
フェリカの優しさに甘えて、気持ちをぶつけてしまった。
それをうまく言えず、言葉に詰まるコトネに、フェリカは優しく笑いかける。
「いいのよ、私はコトネがそんな風に甘えてくれてうれしいわ」
「でも、いつもフェリカには甘えてばかりだ」
ほんの少し口を尖らせると、ふふっと笑い、ぽんぽんと頭を撫でられてしまう。
「ねえ、コトネ?」
「ん?」
「あの中庭のベリーって……」
ふと思い出したように、フェリカが口を開く。
「サヴジが品種改良してるやつ、じゃなかった?」
「そういえば……確か新品種でもうじき初めての収穫だって言ってたかも」
話してくれたときの、サヴジの大きな背中が思い浮かんだ。
あんな風にわくわくした様子を見るのは、少し珍しかった気がする。
──それから、一時間後。
急いで責務を終えて戻ったサヴジの視界に飛び込んできたのは、エリンとフェリカに囲まれすっかり元気を取り戻したコトネの姿だった。
その手には、自分もまだ味を見ていない新品種のベリーをたっぷりと使った果実水。
そこを視線がかすめた瞬間、僅かにサヴジの眉が上がる。
——本当は自分が最初に、コトネに渡すつもりだった。
そんな思いがよぎる。
だが、目の前で嬉しそうにしているコトネの様子に、何も言えなくなる。
(いや、何も言う必要などない)
差し出されたそれを口に含むと、連日の激務で疲労が蓄積した体に、程よい酸味とさわやかな喉越しの果実水は実によく染みた。
小さく息をつく姿に、おずおずとコトネが切り出す。
「これ……サヴジが品種改良してたやつだよね?」
「そうだな」
「だよね、先に味わっちゃってごめん」
「コトネは悪くないよ! エリンがあのベリーで作ろうと思ったんだから」
そんなコトネとサヴジの間に割り込むように、エリンが立ち上がる。
「でも、喉が渇いたって言ったのは私だから」
「コトネは悪くないの!」
きっ、とサヴジを強い目で見つめるエリン越しにサヴジとコトネの目が合った。
今までならこういう場合、サヴジはエリンに中庭への立ち入り禁止を命じるなり、コトネに使いをよこすように言うなりしただろう。
だが、
「気にする必要はない」
「……ずいぶん寛大なのね」
思いもよらない反応に、フェリカが問う。
「……立場が変わった。それだけだ」
「どういうこと?」
サヴジの言葉に、エリンが首をかしげる。
「今はコトネが婚姻の儀の相手を選ぶ時期だ。これまでの交流会とは趣が違う」
そう、淡々と言うサヴジの言葉に、様々なことが腑に落ちるコトネ。
(だから、今までと態度が少し違ったんだ)
前までなら許されない部分が、許されるようになった。
ちょっとした気遣いに、『特別』を感じるようになった。
今までは話さなかったことも、話すようになった。
そういったことのひとつひとつにサヴジの意志や気持ちが感じられて──ふいに、胸の奥が落ち着かなくなる。
「そうね、今はルーシアにコトネのお渡りがある時期だわ。それなのに、押しかけてしまったことを謝らないといけないわね。ごめんなさい」
「エリンは謝らないよ! だって心配だったんだもん!」
フェリカとエリンの言葉を受け、自分も何か言おうと思うが、まとまらない。
熱を出したせいで、ふたりを結果的に呼び戻してしまった。
サヴジにも心配をかけた。
……だが、こうして話もできた。
ごめんなさい、か、ありがとうか。
頭の中で言葉を探していたところで、
「コトネも謝らないよ! だって悪くないもん!」
エリンにまっすぐに言い切られて、コトネは一瞬だけ目を瞬く。
そんなコトネに、優しく微笑みかけるフェリカ。
そして、小さく頷くサヴジ。
「……ありがとう」
胸の奥に、あたたかいものが静かに広がっていく。
——これが、このお渡りの意味なのかもしれない。
ずっと消えずにあった不安や恐れが、やわらかくほどけていく気がした。




