九 メタルヒーロー、拉致される。
深緑の町マーテルより西へ四日。青空の下、王都へと続く街道に二人の人影があった。
一つは豹猫族のナミル。皮を鞣し、幾重にも重ねた軽量な革鎧を着込み、そこからスラリと伸びた手足の豹柄が陽光によって鮮やかに浮き出ていた。
両腕を頭の後ろで組んで、流れる雲を目で追いながら、軽快な足取りで進んでいる。
そしてもう一つは、麻で作った色を染めていない生成りの、少し黄みがかった上着に、くすんだ緑色のスカート。そして革のブーツを履いた村娘。
ナミルとは違って、真っ直ぐに前を見ながら、履き慣れない革のブーツで前へと踏み出している。
「なあ、ゴーギャン……いや、マミ。そんな軽装で良かったのか?」
マッドイーター討伐に加え、マーテル防衛の報酬を得た魔魅。その金額は相当なものになったが、晩餐会の時のように目立つことを避けた地味な村娘の格好を選んだ。
「うん。ま……なるべく目立たない……ような格好……をね」
相変わらずカタコトだが、スーツを利用した学習の成果は、少しずつ彼女のものになりつつあった。
「そ、そうか」
ある意味目立っちまってるけどな、とナミルはつぶやく。
背筋をピン、と伸ばし、颯爽と歩く姿は、道行く旅人の視線を集めていた。腰に巻いた革製のベルトによって、ウエストはキュッと締まり、そのぶん出るところはボン、と出て、異性の目を惹きつけている。
美しすぎるのだ、この村娘は。それもこれも、スーツアクターとしての鍛錬が実った結果なのだろう。
「お、見えてきたぜ」
ナミルが指差すその先に、城壁に囲まれた大きな街があった。
◆
集散交易都市ハーヴウェル。
アムタリア王国東奥部の村々の収穫物を集積し、王都へと送り出す倉庫の街。人口は約一万八千人と、アムタリア国内にある都市の中では特に少ない。
深緑の町マーテルはもちろん、北にある農村や南の港町で採れた魚介類などが集められ、王都や各都市へと運ばれていく。
その門の前には、十人ほどの行列ができていた。中には、荷台に野菜や魚を載せた馬車。パンパンに膨らんだ麻袋を背に乗せたロバなどが並んでいる。
「通ってよし」
門を守る兵士の言葉で御者が手綱を揺らし、馬車はゆっくりと前へと進む。
「ようやくオイラたちか」
時間にして三十分ほど。魔魅たちの順番は進んだが、その後ろには魔魅たちが来た頃と変わらないほどの行列ができている。夕方に近いせいもあるのだろう。
「次、通行証を出せ」
少し疲れ気味で、今日何度目になるかわからないセリフを口にする兵士。手の平を空に向け、指で寄越せ、とジェスチャーをする。
「ほいよ」
兵士の手にギルドカードを乗せるナミル。渡された兵士はその内容を確認し、二、三度ナミルへと視線を送ってからカードを突き返す。
「通ってよし。次……」
今度は魔魅に向かって指を動かす兵士。ナミルの時と同じように、その手にカードを乗せる。
「えっ?!」
短く、驚きの声を兵士は漏らした。彼が真っ先に見たのは名前だ。そこにはゴーギャンと記されていた。彼は視線をカードから魔魅へと移す。
(ゴ、ゴーギャン?! 女性につけるような名前じゃないぞ……!?)
次いで彼は、カードの発行元に視線を走らせる。――冒険者ギルドと、書かれているのを見て、兵士は「ああ、なるほど」と内心で頷いた。
冒険者ギルドでの登録は自己申告制だ。偽名で登録できる以上は犯罪などに使われそうなものだが、そこは屈強な冒険者を雇っているギルド。法を犯した者に懸賞金をかけて討伐対象とする。
その情報は国境を越えて瞬く間に広がり、逃げる側の神経をも削ぐのである。
それならあり得るな、と納得をする彼。そして、「えっ!?」と再び魔魅を見る。
(こんな可憐な女性が冒険者……?!)
女性の冒険者はいないわけではない。けれど、命のやり取りをしてきた冒険者たちは、みなどこかそういう顔つきになる。
しかし目の前にいる女性は、村娘風の格好をしているものの、いいとこ、田舎貴族の令嬢といった雰囲気が漂っている。
日焼けをしていない肌は白く、背筋をピン、と伸ばした佇まいは、どこか高貴ささえ醸し出していた。
そんな彼女が冒険者に身をやつすなんて、いったい何があったのだろう? と、思いながらカードに視線を落とすと、そこには「鋼」と書かれているではないか。
兵士は眉間にシワを寄せて文字を凝視し、魔魅に視線を向ける。すぐさまカードへと戻し、そしてまた魔魅へと移す。
四度、五度と、信じがたい視線を向けられれば、さすがに魔魅もその視線に気付く。六度目の視線に合わせるように、魔魅は兵士の目を見ながらニッコリと微笑んだ。
「う……と、通ってよし」
少し照れながらカードを差し出す兵士。魔魅はわざと彼の手に指先が触れるようにしてカードを手に取った。
「ありが……とう」
再びの笑顔に、兵士は目を逸らしながら瞬きを繰り返していた。
◆
見上げるほどの門をくぐり抜けると、街の喧騒が堰を切ったかのように溢れ出す。通りの両脇には露店が並び、市を作っていた。
(まるでアメ横みたいね……)
少しばかし懐かしさを感じる魔魅。新鮮さと出来立て、安さなどを売りにした売り子たちの口上に、魔魅は物珍しげに露店へと吸い込まれていく。
その様子を物影から観察している者がいた。
(見たところ、田舎貴族の令嬢がお忍びで来たってところか……? 隣の豹猫族は護衛か……)
魔魅の一挙手一投足を瞳に焼き付けている者はふむ、と考え込む。
(豹猫族が厄介だが、臭い玉を使えば奴は追跡もできまい。なら……)
その者は声を殺し、身体を小刻みに上下させて笑った。
(運が向いてきやがったぜぇ。あんな極上の女、滅多にお目にかかれるもんじゃねぇ。あいつを献上すれば、幹部に昇進は確実だぜぇ……)
大笑いしたくなる衝動を抑え、その者は闇の中へと溶けるように消えた。
☆ ☆ ☆
露店並ぶ通りを抜けた先、街の中心部に近い場所にその宿はあった。『踊る仔馬亭』、という名がつけられたその宿は、地上四階建ての木造建築で、一階は昼間はレストラン。夜間は酒場という、実にファンタジーらしいありふれた宿だ。その個室を魔魅とナミル、それぞれで借りていた。
「ふう。ようやく落ち着けるわね……」
マーテルの町を出発する際に買った寝間着に着替え、大きく伸びをしてからベッドにダイヴする魔魅。
綿で作られているこの服は、はるか西方から取り寄せた品というだけあって、麻や羊毛よりも高額だ。
肌触りが良くて湿気を吸収するため、寝間着としての相性は良い。生地が薄めで身体のラインがわかってしまうのが難点だが、宿でしか着ないしまあいいか、と購入した。
慣れぬ旅で色々と窮屈な思いをしてきたが、寝間着を着てブーツを脱ぎベッドに横になっているこの時が、魔魅にとって至福のひとときであった。
その至福を邪魔するかのように、トントン、とノック音が聞こえた。
「ん……?」
まどろみ落ちる寸前だった魔魅は、何かの音が聞こえた気がして首をもたげる。
「……気のせいかな」
再び聞こえたドアからのノック音に、魔魅は少し不機嫌になりながらもベッドから降りた。
「あ、ブーツ……まあいいか」
素足のままでドアへと近付く魔魅。つい日本語で「どなたさまぁ」と言葉を発した。
鍵を開けて扉を開くと、そこには見知らぬ男が立っていた。その男と目が合い、髪を耳にかける仕草のまま、魔魅は硬直する。
「あ、あの……」
「失礼。こちらのハンカチが部屋の前に落ちていたので、もしやと思ってお声をかけさせていただいたのですが……」
言って右手に乗せたハンカチを魔魅に見せる男。魔魅は当然、そのハンカチに視線を向けるのだが、その視界の端から何かが室内へと転がり落ちたとなれば、そちらへと視線を移すのは、人の反射行動と呼べるものだろう。
「あ……なにか……落ちましたよ……」
魔魅は室内をコロコロと転がる物体を視線で追う。それはテニスボールくらいの大きさをした球だった。
(ボール……?)
魔魅はそれを拾ってあげようと室内へと身体を向ける。と同時にその球が炸裂し、瞬く間に部屋は煙で満たされた。
「なっ!? ふぐっ?!」
背後から布のようなもので口を塞がれる。なにかの薬品のような匂いがすると思ったのを最後に、魔魅は意識を失った。
☆ ☆ ☆
頬に感じた冷たい何かで、魔魅は目を覚ました。
視界には、燭台に灯された炎がゆらゆらと揺れて、時折黒い煙を立ち昇らせる。獣脂の臭いが満ちたその場所は、湿気が多いせいか夏も間近だというのに肌寒い。陽光が差さない作りになっているせいもあるのだろう。
そこかしこから滴り落ちる水滴が水たまりに波紋を作り出し、その周りに小動物やら虫やらが集まっている。
魔魅が目覚めたのは四畳ほどの部屋の中。周囲の壁はレンガで作られ、一部が鉄格子で仕切られている。通路を挟んだ向こう側にも似た空間があることから、ここは牢獄であるらしかった。
(何ここっ!?)
急激な環境の変化に、慌てて起き上がろうとする魔魅。手を使って起き上がろうとしたのだが、その手がうまく出せずに、ベッドと呼ぶには粗末な寝台に肩から倒れ込む形となった。
(いつつ……何これ、縛られてる……?)
身体をくねらせ、どうにかして手の拘束を解こうとしたが、手首が痛くなるばかりで緩んだ感じもしない。
(ダメだわ。外せない)
何をやっても手の拘束は外れないと知った魔魅は、別の方法を模索することにする。
(せめて、この猿ぐつわだけでも外せれば、変身できるのに……)
子供たちの夢を壊さないようにするため、公には記載がされてはいないが、実はジェスチャーをしなくても変身ができる裏設定が存在する。ただし、声紋認証は絶対らしく、今の魔魅のように口に布などを巻かれた状態では識別はされない仕組みらしい。
(そのためには誰かを呼ばないとならないんだけど……とはいえ、誰かが来たところで犯罪者の一味には違いないのよね……)
改めて、人の命がわた毛よりも軽い異世界に、手足の震えが止まらない魔魅。スーツを着ていないことが心細いなんて思いもよらなかった。
(大丈夫、私ならやれるわ。まずは、誰かを誘き寄せるところから……)
魔魅は肩で壁に体当たりを繰り返し、唸り声を上げていると思惑通り、男が二人やって来た。
一人は宿屋で魔魅の部屋を訪れた男。もう一人は、ヒゲを剃るのを失敗した男。口の周りについている赤い線が痛々しい。
「うるさいぞ、静かにしろ」
宿屋で見かけた男がそう言う。ヒゲを剃るのを失敗した男は、ただジッと魔魅のことを見つめていた。
「な、なあ。本当に献上しちまうのかよ。勿体ねぇ……」
ヒゲを剃るのを失敗した男は、魔魅の顔から足までを二往復……いや、三往復させる。明らかに、魔魅の胸部を見ている時間が長いのがわかる。
「こんないい女、滅多にお目にかかれねぇぜ?」
「ああ、だからこそだ。この女を献上すれば、このオレの地位も爆上がりよ」
魔魅を引き渡した後のことを想像しているのだろう。宿屋で見かけた男は自分の顎に触れながら天井を見上げていた。
その隙を突いて、魔魅はヒゲを剃るのを失敗した男にターゲットを絞る。胸元が大きく開いた寝間着で胸を寄せて男を誘う。
まがりなりにも、彼女は日本で屈指のスーツアクターである。戦隊ものの番組で、敵の女幹部の役もこなしており、色気を出す演技も当然身につけていた。
その演技に、見事に引っかかったヒゲを剃るのを失敗した男。喉仏が大きく上下するのを見て、魔魅はちょろいな、と内心では思っていた。
「辛抱たまんねぇ……」
鉄格子にかぶりつくヒゲを剃るのを失敗した男。その首にひたり、と短い刃物が添えられた。
「それ以上勝手な真似をしてみろ、この場でその首を落としてくれる」
魔魅の部屋を訪れた男の低く暗いドスの効いた言葉に、鉄格子を握っていた男は手をそのまま上へとあげて降参を示した。
「後で商売女を好きなだけ抱かせてやる。それまで我慢してろ」
「わ、わかったよ……」
降参の意を示していながら、ヒゲを剃るのを失敗した男の視線は、魔魅へと向けられている。その男が口を開いた。
「な、なあ。声だけなら、いいよな?」
「声……?」
「ああ、声だけ。この女がどんな声で鳴くのか聞くだけ。それなら問題はねぇだろ?」
な? な? と魔魅の部屋を訪れた男に懇願するヒゲを剃るのを失敗した男。傷物にしないということならば、問題はないと判断するのも当然だろう。
「わかった。ただし、声だけだぞ」
「そうこなくっちゃ!」
魔魅を呼び寄せるヒゲを剃るのを失敗した男に、魔魅は内心でほくそ笑む。魔魅の部屋を訪れた男は、どこか違和感を感じながらその様子を見ていた。
呼ばれるままに鉄格子のそばに寄る魔魅。ヒゲを剃るのを失敗した男は格子の隙間から手を伸ばし、魔魅の猿ぐつわに手をかける。
ここで魔魅の部屋を訪れた男は、自身の違和感に気がついた。
自身が攫われてきたというのに、これからどんな運命が待っているかも予想がつくというのに、この女は少しも怯えていないことに。
少し前に攫ってきた娘なんかは、終始怯えて調教するまで言うことすら聞かなかったというのに、この女は随分と落ち着き払っている。
まさかこの女、何かを隠し持っている? 牢屋へと連れ込んだ際にボディチェックはしたはずだ、あそこ以外は。
世の中には「仕込み歯」というものが存在するらしい。あらかじめ口の中に、中和剤や毒などを仕込んでおき、何かあった場合、手が使えぬ状況でも歯を噛み砕いて使用するという代物。
もしそれが、この口の中に仕込まれていたとすれば……
「おい、待て! それを外すな!」
「え……?」
時すでに遅し。ヒゲを剃るのを失敗した男の手には、魔魅の口を塞いでいた布が下がる。
猿ぐつわが解かれた魔魅は、魔魅の部屋を訪れた男の目を見ながらゆっくりと舌なめずりをする。静かな室内にくちゃり、とした音が響き、その音を耳元で聞いていたヒゲを剃るのを失敗した男も魔魅を凝視する。
男たちに向かってにっこりと微笑んだ魔魅は、その口をゆっくりと開くと、舌なめずりで唇についた唾液が糸を引いた。
「ちゃくそうっ」
語尾にハートマークがついている言葉を放つと、地面より天井に向かって光の柱が立ち昇った。
☆ ☆ ☆
薄暗い地下室の土床から魔魅を経由して、眩いばかりの光の柱が立ち昇る。ヒゲを剃るのを失敗した男が驚いてつまずき、尻もちをつく頃には光の柱は消えていた。
そこに立っていたのは極上の女などではなく、獣脂の炎と目を見開いた魔魅の部屋を訪れた男が、関節部の隙間やエンブレムなどが淡く光る銀色の全身甲冑に映り込んでいた。
『宇宙捜査官っ! ゴーギャン参上っ!』
ビシッ、とポーズをキメるゴーギャン。その背後に、火薬による爆発を幻視する。
その場に居合わせた男たちの目はますます開き、顔や身体が硬直していた。
『フィストオン!』
『フィスト・オン。ウエポンスキル・レディ』
スーツに搭載されているAIからの復唱音と共に、ゴーギャンの右腕にナックルが装備される。と同時に、惑星の地殻から得た力が集約され、ナックルがこがね色に輝きを増していく。
『スキルをキャンセル』
『スキルプロトコル・ディアクティベーテッド』
バイザーに現れた小さな枠にゴーギャンの全身が表示され、右腕がクローズアップされると、『Skill・Deactivated』と表示されて、ナックルの輝きが消える。その拳をゴーギャンは腰だめに構えた。
『ゴーギャンパンチ!』
ゴーギャンパンチはただのパンチだ。だがしかし、常人がただ殴るのとは違って、その拳には惑星の地殻の力が乗っている。
その拳を鉄格子へと叩き込むと、格子はひしゃげて吹っ飛ぶ。その際、ヒゲを剃るのを失敗した男が、向かいの牢屋の格子に挟まれてノビていた。
廊下に散らばる瓦礫をズシャリ、と踏み締め、ゴーギャンは魔魅の部屋を訪れた男の前に立つ。
男は目を見開いたままで、ゴーギャンの目の部分を凝視していた。
(あらら、だいぶびっくりしちゃってるな……)
ボスに献上するための出世の道具でしかなかった美女が、奇妙な鎧を着込んだ異形の者へと変貌を遂げたとなれば誰しもが驚きを隠せない。魔物に化かされたと思うに違いない。
ゴーギャンの真っ黒な目の部分が目の形に光ると、男はビクッ、と身体を震わせた。
『誘拐の罪で、お前を拘束する』
魔魅が男の両手を掴むと、ゴーギャンの手首部分の装甲がわずかに開き、中からプラスチックの手錠が飛び出して、男の両腕を拘束する。
拘束された両手に視線を落とす男。信じられないことの連続で、思考が麻痺している。それを解いたのは、別の誰かの声だった。
「一体何の騒ぎだ!?」
「ボ、ボス!」
魔魅の部屋を訪れた男がボスと呼んだその男は、獣脂の明かりを反射しそうなほどに禿げ上がった、ガタイの良い身体をしている男。
その後ろでは、取り巻きであろう男が二人、ボスと呼ばれた男の肩越しに地下の惨状を覗き見ていた。
「おっ、お前は! 森でマーテル守備隊の奴らと一緒にいたやつ!」
ゴーギャンをひと目見るなり、指を差すボスと呼ばれた男。その指に、はて? と首を傾げるメタルヒーロー。
『どこかで会ったか?』
魔魅からの問いに、ボスと呼ばれた男はゴーギャンから目を逸らし、差した指を引っ込めてその手をさする。
「い、いや。気のせいでしたわ」
そう言ったがこの男、今は獄中にあるガルメスに呼ばれ、誘拐した王女を売り飛ばそうとしていた男だ。
あの時は周囲に展開していたマーテル守備隊の姿を見て早々に立ち去ったが、タイミングを少しでも違えば、ガルメスたちと同じ末路を辿っていたことだろう。
『そうか』
「ところで、こいつは一体何をやらかしたんですかい?」
手をさすりながら、ボスと呼ばれた男は救いの手を差し伸べてほしいと目で懇願する、魔魅の部屋に訪れた男を顎で示した。
『こいつは誘拐犯だ。宿屋で薬を嗅がせ、私をここへ幽閉した』
「ご、ご冗談を。あなた様のようなお方を誘拐なんてできるはずがありませんよ」
『だが、現に私はここに捕らわれていた』
ボスと呼ばれた男は、魔魅の部屋を訪れた男をジロリと睨め付けた。
(チッ。噂の英雄さまを引き込むなんて、面倒なことをしやがって。上には出荷待ちの商品が荷馬車に積まれているんだぞ、見つかったらどうするつもりなんだ)
ボスと呼ばれた男は、どうしたものかと考えていた。
街の検問を突破するために、商品は物資の中に巧妙に隠されている。例え守備隊といえども易々と見つけられるはずもない。
ならば、こいつを囮として使い、時間稼ぎをさせて、その隙にここを引き払うしかない。
幸いなことに、出荷する商品は今荷馬車に乗せているぶんだけだ。容易に引き払うことができるだろう。
(ガルメスの野郎に関わった所為で地に落ちた運も、幾分かマシになったみてぇだな……)
あとはどうやってそのことを伝えるかだが、そこは部下の一人に耳打ちさせればいいだろうと思っていた。
『こいつを守備隊に連行したいんだが、出口はどこだ?』
「わかりました。ご案内します」
ボスと呼ばれた男は部下の一人に、「こいつにあとで出してやるから、時間稼ぎをしろ」そう伝えろと耳打ちをする。
そのことは、ゴーギャンの高感度センサーによって丸聞こえであった。
(時間稼ぎ、ねぇ……)
こいつらが何かを隠しているのは明白だ。けれど、確たる証拠がなければ何もできない。
魔魅としてはとりあえず、誘拐が確定している魔魅の部屋を訪れた男を連行するだけだ。
「それではこちらへどうぞ」
ボスと呼ばれた男が先導し、階段を上っていく。その途中で、魔魅の部屋を訪れた男は、取り巻きの一人からあとで助ける旨の話を聞いたが、それを到底信じる気にはならなかった。
(ジスパの野郎、オレを見捨てる気だな)
あとで出してやると期待をもたせておいて、馬鹿正直に時間稼ぎをしようものなら、そのまま音沙汰なし、という腹ずもりなのだろうと男は思っていた。
◆
ボスと呼ばれた男に先導されて階段を上り切ると、そこは二階吹き抜けの倉庫のような場所になっていた。
荷が積まれた幌付きの荷車や木箱などが多数置かれていて、体育館のように広い場所なのにやたらと狭く感じる。それらを縫うように、男たちが忙しそうに行き来していた。
「ささっ、こちらです」
ボスと呼ばれた男は、進行方向を手の平で差し示しながら、ゴーギャンを外へと誘導していく。
その途中、幌付きの荷馬車の前で、魔魅の部屋を訪れた男が立ち止まった。
「どうした? 早くこっちへ来い」
ボスと呼ばれた男が魔魅の部屋を訪れた男を急かす。男は黙ったままでボスと呼ばれた男を睨みつけていた。
(こいつ、何をするつもりだ……?)
眉間に皺を寄せて、ボスと呼ばれた男は訝しむ。
「なあ、ジスパ。この荷馬車に積んである、大事な商品はもう運び出したのか……?」
顎で差し示す魔魅の部屋を訪れた男。ジスパと呼ばれた徒党のボスの背中にゾワリ、と後ろめたさが走る。ちらりと向けられた視線は、ゴーギャンを見ていた。
「な、何の話をしているんだ?」
「何って、決まっているだろ? 商品だよ商品。大事な大事な商売道具もさ」
こいつ、裏切るつもりなのか。ジスパの中に焦りが募っていく。
魔魅の部屋を訪れた男にしても、ここが自身が捨て駒にされないための最後のチャンス。この後のジスパの答えによっては、全てを暴露する気でいた。
「ああ、商品か。いや、まだ運び出してはいないな。なにしろ、大事だからな」
念には念を入れて梱包し、細心の注意を払って運び出すのだと答えたジスパに、魔魅の部屋を訪れた男は「そうか」と短く答えた。
実はこれ、彼らだけがわかる暗号である。収入に直結する商品はもとより、それらを仕入れてくる商売道具を大事に思っているか? 魔魅の部屋を訪れた男はそう問うたのだ。
商品を積み込んでいない、|無関係な荷馬車を差して《・・・・・・・・・・・》。
ジスパの答えは、男にとって満足のいくものであったのだろう。魔魅の部屋を訪れた男はそれ以降、口を閉ざしていた。
内心でホッとひと息をつくジスパ。笑顔を作り直し、ゴーギャンへと向き直ろうとした時に、そのゴーギャンが口を開いた。
『アレはどういうことかな?』
ギクリ、としたジスパの眉間にシワが寄る。それでも気取られぬように笑顔を作り直す。
「いやいや、アレはですね。積荷は大事に扱えという、彼なりの――」
そう言いながらゴーギャンへと振り向いたジスパ。ゴーギャンの差す指の方向が、さっきの話にあった荷馬車とは別の、大きな幌付きの馬車に向けられていたことに言葉を飲んだ。
「あ、あれは普通の荷馬車ですが……?」
『普通の荷馬車か。子供を三人乗せているのが、お前たちの言う普通なのか?』
「――!?」
ジスパの心臓が跳ね上がり、ゴクリ、と喉が上下する。
(どどど、どうしてわかった?! 暴れ出さないよう薬まで使って眠らせているというのに! 見た目通りに化け物なのか?! こいつは!?)
再びゴクリ、と喉が上下する。ジスパの顔から笑顔が消えていた。
実は、この階に上がってきた時から、大きな荷馬車の中に小さな熱源があるのを魔魅は知っていた。
一つはもたれかかるように、残りの二つは折り重なるようにして動かない。気絶させられているのか、はたまた魔魅に嗅がせた薬を使っているのかまではわからない。魔魅の憶測では、恐らくは後者であろうと見ている。
「あ、あー。また子供が荷台に潜り込んでいたようですな。時折、かくれんぼとかなんとかで潜り込むんですよ。やめろと言っているんですがね、いやはや困ったもんです」
あとで放り出しておきますよ、と言うジスパ。彼の言葉に魔魅は首を横に振る。
『いや、今注意した方がいいだろう』
危ないからな、と言いながら、魔魅は幌付きの大きな荷馬車へと向かう。
「え? あ、それはちょっと……」
ゴーギャンの背中に向かって手を差し伸べるジスパ。このままでは人身売買が明るみになるのは明白だ。そう思った彼は、その手の平を拳へと変えて、今度は真上に高々と突き上げる。
みるみるうちに倉庫内に殺気が満ち溢れた。
Hostile・Intent・Detected。つまり、その場に自身に対する敵意が向けられたことを、各種センサーを内蔵した星殻鎧が警告を発する。
それをバイザーの視覚情報で受け取った魔魅は歩みを止めて、開いた両肩の装甲から突き出た円筒を引き抜いた。
『ショルダーウエポン・オンライン』
それが、戦いの合図となった。
☆ ☆ ☆
――時は、魔魅が宿屋で誘拐された数分前に遡る。
踊る仔馬亭の二階にある一室の扉が開かれて、色鮮やかな豹柄の足が室内に一歩目を踏み出す。
次いで面長の顔がドア枠をくぐり、動きやすさを重視した革鎧を着た胴体が通過する。最後に豹柄の尻尾だ。
その人物はドアを閉めるなり、天井に向かって大きく伸びをした。このままベッドへとダイヴすれば、すぐにでも眠りに落ちる自信がある。けれどその前に、装備の手入れをしておかなければならないことが、少しばかしわずらわしかった。
「やっつけちまうか……」
ナミルは着ていた革鎧を脱いでベッドへ無造作に投げ、次いで履いていたブーツをも同じに扱う。
クローゼットからバッグを引っ張り出してその中から、小さな容器と布切れを取り出した。
小さな容器の蓋を開けると、中には白というよりは黄色に近いペースト状の軟膏が入っていた。ナミルは床にどっかりと座り込んでボロ布で少量を掬い取ると、手にした鎧に塗り込んでいく。
部屋の中に獣脂の野生的な匂いがふわりと漂った。
「ん?」
ナミルの真っ黒な鼻先がヒクヒクと動く。獣脂の匂いとは別の、わずかに焦げついた臭いが、ナミルの鼻をくすぐったためだ。
「なんだ? この臭いは……」
鎧の手入れを中断して立ち上がったナミルは、鼻をスンスンさせながら窓へと近づく。
「どこかで火事でもあったのか……?」
窓を開け放ってあたりを伺う。陽はすでに落ちていて、街は暗闇に包まれている。ほとんどの店は日暮と共に店仕舞いをするが、まだ営業を続けている店の明かりが、道を照らしている。
ナミルが目を凝らしても、ランタンを手に足早に立ち去る人物の他には、酔っ払い同士の争う声が聞こえてくるだけで特別変わった様子は見られない。
「気のせいか……?」
窓から顔を突き出し、スン、と鼻を利かせると、その臭いは正面からではなく、真横からやって来ていることにナミルは気がついた。
「隣の部屋から!?」
慌てて窓から身を乗り出し、周りを確認するナミル。すぐ隣の、魔魅が借りている部屋から、白い煙がかすかに立ち昇るのが見えた。
「マミッ!」
ナミルは踵を返して魔魅の部屋に駆け出す。廊下に出たところで、大きな麻袋を肩に担いだ男と目が合った。
男はすぐに顔をそらし、外へと続くドアの向こうに消える。
(なんだ? あいつは……?)
変な奴、と首を傾げるナミル。すぐにそれどころではないことに気づき、魔魅の部屋のドアをドンドン、と叩く。そのドアが、内側へすっと開いた。
「開いている……?!」
そのままドアを内側へと押し開けるナミル。部屋の内装はナミルの部屋と一緒だ。
ドアを開けた正面に木製の机と椅子があり、右の壁にはクローゼットがあり、その手前にはベッドが置いてある。
その部屋のどこにも魔魅の姿は見られない。あるのは、鼻を刺す刺激臭と、焦げた臭いの残り香。そして、フローラルな香りだけだった。
「これは……?」
ナミルは室内に落ちていた布切れを拾い上げてその臭いをスン、と嗅ぐと、くらりと視界が揺れる。
「な、なんだ? 何かの薬品か……?」
こんな物を魔魅が持っているはずはない。これを持ち込んだ何者かの存在が疑われた。
「まさか、さっきのアイツか!?」
肩に担いでいた大きな麻袋。あれに魔魅が入っていたとしたら……
ナミルは慌てて部屋を飛び出し、男が通った外へと続くドアを開け放つと、フローラルな香りが鼻孔をくすぐった。
「やっぱりか!」
豹猫族だけがわかる香りの道。そのフローラルな香りが、階段を降りて夜の街へと溶けていた。
ナミルは階段を駆け降りる。そして踊り場に差し掛かったところで一気に飛び降りた。
魔魅の残り香は闇の中へと続いている。常人では手探りでしか進むことができない闇の中の路地を、豹猫族のナミルならば、わずかな光があれば普段通りに進むことができた。
「こっちか!」
スンスンと鼻を利かせ、路地裏を右へ左へと進むナミル。その歩みは、麻袋を担いだ男に確実に迫っている。
フローラルな匂いが濃くなり、何者かの激しい息遣いがその耳に届く。行く手には、乱暴に揺れるオレンジ色の明かりが見え始め、「もう少しだ」とナミルが思った瞬間、路地の陰から何者かが踊り出て道を塞いだ。
「邪魔だ! どけっ!」
「ケケケッ! こっから先は通すわけにはいかねぇ、なっ!」
何者かの右腕が大きく動く。下から上へと振り上げる途中で、手の中から何かが飛び出しナミルを襲った。
(そんなの丸見えだぜっ!)
ナミルはステップを踏んで投げつけられた物をかわす。背後で金属音が聞こえたことから、恐らくはナイフでも投げたのだろう。
「不意をついたつもりだろうが、オイラには全部見えてんだよ」
「ケケケッ! そいつは囮に決まってんだろ。本命は下さ」
「何っ!?」
男の言葉に誘われてナミルが下を向いた瞬間だった。
街の明かりが届かない、裏路地の暗がりに白い光が生まれ出た。
「グアッ!?」
それをまともに浴びたナミルの視界は白に染まり、同時にばら撒かれていた刺激臭にむせ返る。
それは現代でいうところの閃光手榴弾。強力な光で見る者の視力を奪い、玉に封入された臭いで嗅覚をも麻痺させる。
「そいつは特注品でね、強力な光と臭いを放つ玉なのさっ!」
「うぐっ!」
男の放った蹴りがナミルの脇腹を襲う。視覚情報を失った彼女は身体をくの字に曲げてその場に崩れ落ちた。
「トドメだ!」
男の蹴りがナミルの顎を捉え、ナミルの身体が宙を舞う。男の気色の悪い笑い声の中、薄れゆく意識と共に魔魅の安否を気にかけていた。
◆
ザラリ、とした感触でナミルは目覚めた。慌てて起き上がってあたりを見渡すと、ナミルの腕に向かって頭を擦り付ける猫の姿が目に入る。その猫は、物欲しそうに「にゃあ」と鳴いた。
空はもうすでに明るい。あれから一体何時間気を失っていたのだろうか。
「まさか仲間がいたなんて……」
クソッ、と地面に向かって苛立ちのまま拳を突き立てるナミル。そばにいた猫たちが、それに驚いて小さく跳ねた。
「魔魅の匂いは……ダメだ。妙な香りが混じっちまって全く分からねぇ」
ナミルが負ける原因となった玉から漂う風変わりな香りが、魔魅がつけていた香水の匂いを打ち消していた。
どこかに魔魅の痕跡はないものか。すり寄る猫たちを脇によけ、路地を通って表通りに出たナミル。その耳に、街の喧騒が雪崩れ込んだ。
「これは、朝市か!?」
人や獣人や亜人といった者たちでごった返す表通り。その体臭のみならず、屋台から立ち昇る湯気と焼けた脂の香りが、魔魅の匂いを完全に消してしまっていた。
「くそ、これじゃあもう匂いを辿れない……どうする? どうすればいい?」
どうにかして魔魅を探す手立てはないかと模索するナミル。
(香水の匂いは辿れず、マミを誘拐した者たちの行方もわからない……そんなの探しようがないじゃないか)
手をおでこに当てて困惑の表情を浮かべるナミル。その鼻に、先ほどの妙な香りがふわりと路地裏から流れてきた。
「この匂いはさっきのか。これは確か、「マタタビ」とか言ったっけな……ああそうか。だから猫がたくさんいたのか」
マタタビは、猫飼いの貴族が買い求める品だ。希少品であるがためにその価値は高く、一般人では手を伸ばしたくても伸ばせない。
(その上、アイツは特注品だと言っていたな……)
強烈な閃光を放つあたり、相当な金額を注ぎ込んでいる。いくら魔魅に価値があるとしても、売り捌くまでには時間がかかるし、小さな組織ではあっという間に資金が尽きる。だとすれば、大きな組織が動いているとみていいだろう。
そして、そんな組織があるならば、「噂」にならないはずがない。
「とりあえず、安酒場からあたってみるか……」
ナミルは短く息を吐き、魔魅の行方を探すべく街の外側に近い酒場へと向かった。
◆
昨日、魔魅とナミルがくぐった門を南へ少しばかり行ったところにその店はあった。
黒ずんだ看板にかすれた字で「銅三亭」と書かれたその店にはテラス席もあって、一見洒落た店にも見える。
しかし、テラス席に置かれたテーブルだけは妙にしっかりしているのだが、その周りに置かれた椅子は、脚が二本無かったり、座板が欠けていたり抜け落ちていたりと、椅子としての体をなしていない。
その店のドアを開けると、木くずがパラパラと舞い落ちた。
「……いらっしゃい」
バーカウンターに立つ、生成りの麻のシャツに、よれた蝶ネクタイを締め、革のベストを着込んだ人族の男が、布を片手にグラスを磨きながら呟くように言った。
「ちょっと聞きたいんだが、この辺に――」
ナミルの言葉を遮るように、バーテンダーはナミルの目の前に小さなグラスをどん、と置き、そこへわずかに黄色がかった液体を注ぐ。
「ここは酒を飲むところだ」
「わかったよ」
ナミルがポケットの中からジャラリ、と小銭をカウンターに置くと、バーテンダーはその中から銅貨三枚を引き抜く。
ナミルはグラスの中の液体を一気に飲み干した。
「薄っす。ただの水じゃねーか」
酒は香り付け程度にしか入っていない。飲み干して空になったグラスの横に、バーテンダーは未開封の酒瓶を置いた。
「聞きたいことがあるなら、外で転がっている奴に聞きな。こいつを持っていきゃ、口も滑らかになるだろう」
ナミルは片手で酒瓶を掴み、もう片方の手で懐から取り出した金貨をバーテンダーに向かって弾く。ナミルから放たれた金色の軌跡は、バーテンダーの目の前で消え失せ、次の瞬間その手の中に一枚の金貨が握られていた。
無表情のままでグラスを磨き始めたバーテンダーに背を向けて、ナミルは店前の資材置き場に寝転がる、物乞いの男に向かって歩き出した。
物乞いの男は察していた。上物の酒を片手に、自分を見つめながら真っ直ぐに近寄ってくる豹猫族の娘。コイツはオレの情報を欲していると。
いいぜ。なんでも聞いてくれ。この街のあらゆることを知っているこのオレなら、きっと満足がいくはずだ。一歩、また一歩と歩みを進める豹猫族の娘が持つ酒瓶に物乞いの男の喉が上下する。
あと少し。今夜は美味い酒が飲める、と物乞いの男の期待値が最高潮に達した時、どこからともなく雷鳴が聞こえた。
「雷……?」
反射的に空を見上げる物乞いの男。豹猫族の娘も同じく空を見上げている。けれど、空は青々と広がるばかりで、雲ひとつない良い天気。雷の要素など欠片もない。
「なんだったんだ? 今のは……」
そんなことより酒だ。物乞いの男が視線を空から豹猫族の娘へと戻すと、そこにいたはずの酒瓶がいつの間にかなくなっていることに気がついた。
一体どこに……? 男は慌ててその酒瓶の姿を探し求めた。そして、見つけた時には豆粒ほどの大きさにまで遠ざかっていた。
「……え? あの……」
物乞いの男が、走り去る豹猫族の娘の背に向かって手を差し伸べると、二度目の雷鳴が辺りに響いた――
☆ ☆ ☆
赤い絨毯が敷き詰められた、長い長い廊下に二人の人影があった。一人は給仕服を着た女性で、魔法によって灯された青白いランタンを持っていた。
もう一人も女性だ。肌触りの良い、見た目にも高級そうな絹の寝間着を身にまとい、給仕服の女性の後をしずしずと歩いていた。
時折すれ違う、王家の紋章が刻まれた全身鎧を着た者たちは、与えられた巡回の仕事を中断して、給仕服の女性の後ろを歩く少女に敬礼をする。その際も、金属音が一切聞こえない。
女性と少女は廊下を進み、一つの扉の前で立ち止まる。両側に立つ兵士たちが扉を開けるのだが、やはり金属音は一切聞こえない。
「今日はもう用事はないから、休んでもらって構わないわ」
少女が女性に向かってそう言うと、女性は深々とお辞儀をして「わかりました」と答えた。
扉が閉まり、少女が室内へ目を向けると、天蓋から透けた薄布が垂れ下がるベッドのそばに置かれた小さなテーブルに、一通の封筒が置かれていることに気づく。
少女は封筒を手に取ってベッドへ腰を下ろし、中から手紙を取り出した。その手紙に目を通すなり、愉快そうにクスリと笑った。
「通りすがりに盗賊団の一つを壊滅させるなんて、流石は英雄様ですわ」
手紙を読み終えた少女が視線を手元から窓へと向けると、外では示し合わせたように雷鳴が轟いた。




