十 メタルヒーロー、国境へ行く。
交易集散都市ハーヴウェルより馬車に揺られて約十日。年中雪を頂く白天連峰の裾野に建つ街が姿を見せた。
――アムタリア王国王都エルヴァカルド。
山肌を削って造られた王城を戴き、緩やかな斜面に沿って街並みが扇状に広がるこの都市は、険しい山あいを利用した天然の要害でもある。
街の中に残るいくつもの城門は、人口が増えるたび外壁を押し広げた名残で、いまでは約八万人にのぼる人々を守る幾重もの防壁となっている。
街の南方には小麦畑が広がり、収穫時期ともなると黄金色の絨毯を敷き詰めたような景色を街中から一望することができる。
豊かな土壌と山からの清らかな水で作られた小麦酒。それを飲まずして去るのは愚か者のすることだ、と商人たちは口々に言う。
そんな高原都市の一番外側にある城門に並ぶ馬車の中から、見るもの触れるものすべてが初めての魔魅は、その景色に目を奪われていた。
「すごい……」
「だろう?」
魔魅の隣に座るナミルがなぜか自慢げに語る。
「ここにナミルは来たかったんだね」
「ああ、長年の夢だった。それもこれも、マミのおかげだ」
そよぐ風にヒゲが揺れるナミル。その目は、少年のように輝いていた。
あれから十日。カタコトでしか話せなかった魔魅の語学力は飛躍的に伸びていた。文字を書くのはまだ拙いが、読むことと会話はほぼ問題なくこなせるようになっていた。それもこれも星殻鎧による学習の成果だろう。
乗員のチェックが済み、馬車は三つある門のうちの一つを通り抜けて、魔魅たちは王都入りを果たす。
馬繋場に停止した馬車から降りて、魔魅は空に向かって大きく伸びをした。
「んんー、空気が澄んでて気持ちいい……」
空に向かって手を伸ばせば、ぽっかりと浮かぶ雲に届きそうなくらい近い。
「さて、これからどうする?」
「んー、そうね。国王陛下との顔合わせにはまだ日数があるし、それまでは王都観光かな」
ルーナリア王女殿下とは既に会っているが、その父親である国王陛下とは初顔合わせだ。
叙爵の儀式は、結局のところ文官や武官たちへ向けた「宣言」でしかない。その前に国王がその人となりを確かめ、式を安全に成功させるための最終確認の場。それを数日後に控え、魔魅の緊張は少しずつ蓄積していった。
☆ ☆ ☆
――数日後。王城の門前に怪しげな人物が立っていた。
全身を素材の分からない甲冑で覆われ、目の部分は黒い帯で隠されている。周囲の景色を鈍く映す銀灰色の装甲。関節部からは断続的に光が点滅している。
剣と鎧と魔法に慣れ親しんだ者たちから見ても、その異様さに思わず誰もが目を奪われ、事前に人相書を渡されていた門兵たちでさえ長槍を向けた。
「「怪しいやつめ! 何者だ!?」」
槍の切っ先を向けられて、手を上げて降参の意を示すメタルヒーロー。
『わ、私の名はゴーギャン。叙爵式に出席をするにあたり、国王陛下より拝謁の許可を得ている者だ』
ガシャリ、と太ももの外装が開くと、驚いた門兵たちの槍の穂先がわずかに震えた。
『ご、御召状だ』
「……御召状?」
指で差し示した場所を覗き見た門兵は、そこに手紙が収められているのを確認した。魔魅はゆっくりと手を動かして手紙を取ると、それを門兵へと渡す。
『取次ぎをお願いしたい』
手紙の後ろに押印されている王家の紋章を見た門兵たちは、驚きの顔で互いに見合わせたあと直立した。
「しっ、失礼いたしました!」
「ただいま取次ぎをいたしますゆえ、この場にてお待ちくださいっ!」
門兵の一人が城門に走る。降ろされた跳ね橋の先にそびえる、五メートルはあろうかという門扉が、重々しい音を立てて開かれると、そこに佇む人物に門兵は驚いた。
白を基調として薄いピンク色の装飾品をあしらったドレスを着ている一人の少女。その後ろには、メイド服を着た侍女が控えている。
門扉が開くと、城門から吹き込んだ風が彼女の金色の髪をふわりと靡かせ、陽光を受けてほのかに輝いた。
「おっ、王女殿下!? どうしてこちらに?!」
「お役目ご苦労様です。門前にゴーギャン様がいらっしゃるのをお見かけしましたので、お迎えに参ったのです。ここからは、わたくしがご案内差し上げますので、職務にお戻りになって結構ですわ」
「はっ! 仰せのままに……」
門兵が王女に一礼して元の位置に戻るのを見届けてから、ルーナリアはしずしずと歩き出す。
そして、澄んだ青の瞳で真っ直ぐに魔魅を見つめ、ゆっくりとカーテシーを行う。その所作ひとつとっても、十四とは思えぬほどに洗練されていた。
「お久しぶりです英雄様。お待ち申し上げておりましたわ」
『は、はい。お久しぶりです王女殿下っ!』
直立不動の姿勢のままで、九十度に迫る勢いで頭を下げるメタルヒーロー。またしてもちびっ子たちに見せられない姿をさらしてしまった。
その頭に向かって、ルーナリアはくすりと笑う。
「そう畏まらなくても大丈夫ですわ。どうぞこちらへ」
穏やかに手で差し示し、ルーナリアは歩き出す。彼女の後ろに侍女が続き、その後ろ姿を追って魔魅は城内へと立ち入った。
◆
まず魔魅が驚いたのは、尖頭のアーチが真っ直ぐにどこまでも続いている光景だった。
白い石柱が祈りの指のように天井で静かに結ばれ、窓からは差し込んだ陽の光が帯となって石の床を照らしていた。
(まるでノイシュヴァンシュタイン城みたい……)
魔魅がプライベートで行ったドイツの超有名観光名所。現代の観光施設めいた華やかさは無いが、それがかえって、この城の格を際立たせていた。
先頭を歩くのはルーナリア王女。彼女の足取りはトットットッ、と軽い。次いでコツコツコツ、と踵の音を高く響かせながら王女の後ろを侍女が歩き、最後にガシャリ、ガシャリ、と魔魅が続く。その音だけが、この城に似つかわしくない異物の存在を告げていた。
やや不透明のガラスの向こう側では、木剣を持った者たちが互いに切り結び、槍を持った者たちは等身大の藁人形に突進を繰り返している。
それも奥へと進むにつれ、兵士たちの声は遠のき、階段を上がる頃には三人の足音だけが木霊していた。
「こちらですわ」
ルーナリアは魔魅に向かって手の平で差し示し、その手の平を扉の前に立つ兵士に向かって見せる。
観音開きの扉の前に立つ、全身甲冑を着た兵士が、カチャリ、と静かな音を立てて、鎧よりも大きな音で重々しく扉を開いた。
「それではゴーギャン様。国王陛下をお呼びして参りますので、しばしお寛ぎくださいませ。何か御用がありましたら、外の兵に何なりとお申し付けください」
では、とカーテシーを行い侍女と共に退室するルーナリア。バタリ、と扉が閉められると、広い部屋にポツンと一人残されて魔魅は急にそわそわし始めた。
『広すぎて落ち着かない……』
狭い日本の家屋に慣れ親しんだ魔魅からすれば、家具と壁の距離も、家具同士の間隔も、とてつもなく広く感じる。
部屋の中央の応接セットのソファに腰掛けたり、室内の装飾品を見て回ったりして、まるで檻の中の虎のように室内をウロウロと歩き回った魔魅は、最後にふとバルコニーへ出て思わず息を呑んだ。
『すごい景色……』
山の裾野にある高台から見下ろす景色はまさに絶景というべきものだった。
緩やかな斜面に扇状に建てられた街並みが眼下に広がり、小麦畑を経て遠くは海らしきものが陽光をキラキラと反射させている。
近場へと目を落とせば、マーケットが軒を連ね、多くの人々で賑わっているのが見えた。
(異世界か……いったい私は何のために呼ばれたのだろう……)
魔魅が得た異世界の知識では、主人公は何らかの役目を持って異なる世界へと飛ばされるのがほとんどだ。
変わり種で『スローライフ』なんてジャンルもあるが、現時点では違うと断言できる。
(魔王なんて存在はいないし、争いもなく平和な世界……)
魔物たちとの小競り合いはあるものの、世界を揺るがすような脅威は見当たらない。
(単なる偶然なのか、はたまた何者かが意図したことなのか……)
魔魅の脳裏に浮かんだのは、黒いマントを羽織った漆黒のゴーギャン。彼から手渡されたキューブのことも気がかりだ。
(彼はいずれ私の助けになるって言ってたけど……)
それが一体いつになるのか見当もつかない。今はただ、迫る状況に身を任せるしかないのだろう。そう思っていると、そよぐ風が勢いよく室内へと引き込まれた。
魔魅が振り返ると、観音開きの扉は兵士によって大きく開かれ、その中央には、簡素な宮廷服を着た人物が立ち、ルーナリアがその一歩後ろで控えていた。
「国王陛下のお成りである!」
慌てて室内へと戻った魔魅は、片膝をついて首を垂れる。そんな姿のメタルヒーローはまず居ないだろう。
「ここでは楽にしてもらって構わない。町を救ってもらった恩人に対して、堅苦しいことを言うつもりもない。安心してくれ」
『はい。わかりました』
「それにしても……」
国王はふむ、と自身の顎に触れながら、ゴーギャンを品定める。
「ルーナリアの話の通り、実に興味深い甲冑だな。一つ尋ねたいのだが、その甲冑をどこで手に入れたか教えてはもらえぬか?」
『え……?』
手の平を口に当てて言う国王。本人は耳打ちのつもりなのだろうが、距離が離れていることで自然と声が大きくなり、周りには丸聞こえだった。
ルーナリアがあきれ顔でため息を吐いた。
「お父様、そんなことよりまず言うべきことがありますでしょう?」
「おっと、そうだったな」
そう呟いた国王。次の瞬間にはその顔からふざけた態度が抜け落ちた。そして、ゴーギャンに向かってこうべを垂れる。
その姿に、ルーナリアのさらに後方に控えていた片眼鏡の男が声を荒げた。
「――っ! いけません陛下っ! 一国の主たる御方が、いち冒険者に頭を下げるなどっ!」
「そうは言ってもなフォルターよ。かの御仁は我が領土の町と我が民、そして我が国の産業をも守ってくれた恩人ぞ。礼を尽くすのが当然であろう」
頭というのはな、立場が上の者が下げてこそ意味があるものだ、と国王は続けた。
「しっ、しかしですね陛下っ!」
「それとも何か? お前は救ってもらった者に礼もせぬ王であれとでも言うのか?」
「そ、それは……」
答えに困り、下を向くフォルター。その下がった頭に、国王の手の平が乗せられた。
「フォルター。そなたの言うことは正しいよ。しかし今は非公式の場だ。少しくらいわがままを通させてくれ」
わしゃわしゃ、と頭を撫でる国王。
「と、いうわけでゴーギャン殿、公式の場では少し固い王を演じなくてはならなくてな、冷徹に思うだろうがそこは事情を察してくれるとありがたい」
「反対派の奴らがうるさいのでな」と、またもや声がダダ漏れの耳打ちをした。
◆
御前拝謁にかかった時間はそれほど多くはなかった。
マーテル守備隊長のアランからの報告書に加え、冒険者ギルドマーテル支部長ロウェインからの書状をフォルターが読み上げ、その恩に報いるため、名誉男爵を授ける旨が告げられた。
それに対して、何か意見などないのかを問われた魔魅は、特にないことを伝えた。
「男爵などではなく、もっと上の爵位を与えたかったのだがな」
「お父様。それではゴーギャン様をこの地に縛り付けてしまうだけですわ」
「なに、爵位を持つ冒険者、というのも一興ではないか?」
その方が、吟遊詩人の歌も引き立つだろう、と国王が言うと、ルーナリアの両目が大きく見開かれた。
『いえいえいえっ! 名誉男爵ですら身に余る光栄。それ以上は恐れ多いです、陛下』
ルーナリアの背後に稲妻が駆け抜けたような幻を見た魔魅は、何かを言われてしまう前に先手を打って遠慮する。
「そう遠慮するな、英雄殿」
「ええ、そうですわゴーギャン様」
『い、いや。しかし……』
王族二人からの圧力に気圧される魔魅。吟遊詩人の英雄譚に華を添えるためだけに、ただの冒険者を男爵以上の貴族にしようとするなど、やっぱり親子なんだなぁ、と魔魅は思う。
どうやって断ろうかと頭の中で考えを巡らせていると、唐突にドアが開かれた。開いたのはドア前にいた兵士の一人だ。
「会談中失礼いたします。国王陛下に至急のお話がございまして」
「何事だ?」
「はっ」
ソファに座る国王の背後に控えていたフォルターが兵士に歩み寄り、兵士から耳打ちをされる。フォルターが受けた報告を、今度は国王へと耳打ちした。
「そうか。もう少し話をしていたかったのだがな……致し方ない」
国王は表情を変えることなくそう言って立ち上がる。魔魅も慌てて立ち上がった。
「すまないが、急用が入った。これで失礼させていただこう。実に楽しいひとときであった。更なる活躍に期待をしている」
差し出された手を取り、ガッチリと握手を交わした。退出していくその後ろ姿を見ながら、魔魅は一体何があったのだろうと疑問に思っていた。
それが分かったのは、魔魅が宿へと戻ってからだった。
「魔物の暴走!?」
宿の一階にある食堂で、ナミルと共に夕食を摂っていた魔魅は声を上げて驚いた。その勢いでフォークの狙いが外れ、丸い芋が皿から逃げた。
「ああ、街中その噂でもちきりだぜ。西方北部の最も深き森から魔物が溢れ出したってな」
「それで城中が騒がしかったのか……」
テーブルに転がった芋に、今度はうまくフォークを命中させて口へと運ぶ魔魅。
「この辺は大丈夫なの?」
「ん? ああ。この辺りにはほとんど影響はねぇな。森に一番近いのはエリヴェリアだしな」
「エリヴェリア?」
「そ、神聖皇国エリヴェリア」
神聖皇国エリヴェリアは、この島で最も古く、そして島の四分の一を占める国土を持つ宗教国家だ。
「街の真ん中にでっけぇ木が生えてて、その木の中に城が建ってるって話だ」
緑豊かな草原が街の周囲に広がり、その中心に神聖樹イルゼルが聳え立っている。その幹に抱かれるようにして王城が建っていた。
「魔物の暴走が起こると、周辺の魔物も影響を受けて活性化する。騎士団だけじゃとても手が回らねぇ」
ナミルは身を乗り出して高い鼻先をズイッと近づけた。
「行ってみねぇか? 国境の街に。きっと冒険者ギルドにも依頼が来ているはずさ」
ランクを上げる絶好の機会だとナミルは言う。魔魅はうーん、と考え込んだ。
(叙爵式は延期になったから行けなくはないけど……爵位をもらった上にランクまで上がると、ちょっと目立ちすぎのような気が……)
チラリとナミルを覗き見ると、その目を爛々に輝かせながら魔魅の返答を持っている。その様子に思わず頬が緩む魔魅。
「いいわ。行きましょう」
「本当か!?」
パアッと表情が明るくなるナミル。彼女の夢である、名声を得るための一歩に、少し気分が高揚している様子だ。
「それじゃ、準備をして明日の朝に発とうぜ」
「わかったわ」
そうと決まれば、とナミルは皿に残っていた料理をかっこみ、旅に出るための準備に取り掛かった。
☆ ☆ ☆
王都より北へ三日。島を南北に二分していた白天連峰の終わりを示すかのように、巨大な渓谷が魔魅たちの行く手に横たわっていた。
「左側の崖の上は、砂漠になっているんだぜ」
「……え!?」
あり得ない。魔魅がそう思うのも無理もない。
右手奥には白々と雪をいただく山がそびえ、手前には青々とした草原が広がる。そして、ナミルの話では崖上が砂漠になっているという。
この渓谷を境に、三つの環境がせめぎ合っているということだ。砂漠が間近にあるというのに、渓谷を吹き抜ける風は爽やかであることも驚きの一つだった。
そこから更に一日を費やし、渓谷の出口付近に巨大な城門が姿を見せる。
高原の国アムタリア王国と草原の国エリヴェリア神聖皇国。そして、砂漠の国ザラナード帝国との境にある街、「国境街ヴァルガレド」。
屋敷を建てられるほどの幅がある城門は、隣国との争いのために造られたわけではない。
暴走する魔物を堰き止める役割をもち、その内側に住まう約三万ほどの人々を守るためのものであった。だが――
街に入るなりナミルと魔魅は顔をしかめた。途中にあった村々や時折南下していく人々から街の状況を聞いてはいたが、ここまで酷いとは二人とも思ってはいなかった。
道端に転がっているのは魔物の死骸だけではない。年寄りも若者も子供ですらも、物言わぬ骸と成り果てている。
土に染み込んだドス黒い染み、むせ返るほどの血臭が時折吹く風に乗って運ばれていた。
街中の惨状を目の当たりにして、二人は言葉を失った。
「ひでぇ……」
「一体どうして……」
「それはな、城門が破られたからだ」
魔魅の呟きに男の声が返ってくる。
歳の頃は四十代後半。王家の紋章が刻印された甲冑を着ていることから、王国軍の関係者とわかる。その甲冑も、血や泥によって薄汚れていた。
「キミたちは冒険者か?」
「あ、ああ。そうだぜ。魔物の暴走が起こったって聞いたから、街の防衛の手伝いに来たんだが――」
チラリと周りに視線を送り、眉をひそめるナミル。
「それは助かる。今はご覧の通り、猫の手も借りたい状況でな。詳しい話はギルドで聞くが良いだろう」
背を向けて立ち去ろうとする男をナミルは呼び止めた。
「なぁ、なんでこんなことになってんだ? さっき、城門が破られたと言ってたが……」
「魔物の中に強力な個体が混じっていた。それだけだ」
「あ……」
立ち去る男の背中に向かって腕を伸ばしかけ、その腕を下ろしてナミルは茫然と立ち尽くしていた。
「それだけだ。って……」
何でそんなに冷静でいられるのか、と込み上げる怒りに奥歯を噛み締めるナミル。そんなナミルを諌めるかのように、魔魅の手がナミルの肩に乗せられた。
「あの人も守ることができなかったことを悔いているんだよ。……だから、怒らないであげて。それよりも、私たちができることをしよう」
「あ、ああ。そうだな」
深呼吸をして、込み上げる怒りを押し殺すナミル。両手で頬を叩いて気持ちを切り替え、ナミルはギルドに向かって歩き出した。
◆
冒険者ギルドは静寂に包まれていた。
黙々と作業を行っているギルド職員は目の下に隈を作り、冒険者たちはみな無表情で床に座り込み、あるいは壁にもたれかかって俯いている。
魔魅たちがギルド内に立ち入っても、わずかな時間目配せをしただけだった。
「応援にきたんだが……」
カウンターに座る女性に、ナミルは告げた。
「カードの提出をお願いします」
カウンターにカードを提出する魔魅とナミル。それを手に取ってギルド職員は目を剥いた。
「鋼ランク!?」
静かだったギルド内がにわかに騒がしくなる。
鋼ランク自体は珍しくはない。ただ、この街周辺ではその数が少ないだけだ。三組目の鋼ランクは、銅や鉄ランクの冒険者にとって非常に心強くあった。
ギルド職員の目がナミルへと向けられる。ナミルは二、三度瞬きをして、鼻先で手をぱたぱたと振った。
「いや、オイラじゃねぇよ」
「え? では……」
「あ、私です」
遠慮がちに手をあげる魔魅。自身よりも若く見える彼女に、ギルド職員は驚く。
「え、えっと。ゴーギャン様。お部屋にご案内しますので、どうぞこちらへ」
「部屋……?」
「はい。鋼ランク以上の冒険者は、ギルド長へ案内するよう言い付かっていますので」
なるほど、と魔魅は頷く。同時に、それだけ切羽詰まっていることを肌で感じていた。
ギルド職員に案内されたのは二階にある部屋。観音開きの扉を開けると、中では五人ほどの男女が長机の椅子に腰を下ろしていた。
「マスター、鋼ランクの冒険者をお連れしました。ゴーギャン様です」
「ゴーギャン?」
ギルド職員が告げると、長机の中央、最奥に座している男が羊皮紙から目を離し、魔魅たちに鋭い目付きを向ける。
歳は五十前後といったところだろう。他の職員と同様に目の下に隈を作り、無精髭が伸びていた。
「ゴーギャンって確か、マーテルの英雄様じゃなかったか?」
マスターの呟きに、室内がざわついた。
「あれか! 登録したてで、ゴブリン将軍を単独撃破したっていう、冒険者!」
言って立ち上がったのは、甲冑の上半身だけを身につけた赤毛の男。歳は恐らく二十代後半。
彼の言葉で、室内にいるすべての者から視線を浴びる。
「いや、オイラじゃねぇよ」
ナミルは鼻先で手をぱたぱたと振った。
「え? じゃあ、そっちのお嬢さんが……?」
赤毛の男が魔魅へと視線を移すと、別なところからヒュウ、と下卑た口笛が鳴らされた。
「へぇ、アンタがあのジェネラルをねぇ……」
魔魅の体を値踏みするような視線を、ニヤつきながら向ける男。三十代くらいで、何かに引っ掻かれた傷が頬に三本ある男だ。
「その線の細さ通りじゃねぇってことか」
「やめなさいよ、そんな目で人を見るのは」
そう男を諌めたのは、二十代後半の女性だ。ウェーブがかったセミロングの髪で、革製の胸当てを着け、その上から真っ白なローブを羽織る。そのローブの上からでも、大きな果実が実っているのが手に取るようにわかった。
「そんなんだから、猫に引っ掻かれるのよ」
「う、うるせぇな! 猫は関係ないだろっ!」
男は慌てて両手で頬を覆い隠す。「あ、あれって猫に引っ掻かれた傷だったんだ」とその場の誰もがそう思っていた。
「ゴーギャン殿は外の惨状を見たか?」
マスターに頷く魔魅。
「はい、見ました。何でも、強力な個体がいたとかで……」
「そうだ。それによって城門は破壊され、魔物が街中に雪崩れ込んだんだ」
マスターは持っていた羊皮紙を机に放り出し、背もたれに寄りかかる。椅子がギシリと悲鳴をあげた。
「辛うじて討伐はしたがな、こっちもそれなりに痛手を被っちまった」
「オレたちの仲間が一人負傷した」
そう言ったのは赤毛の男だ。
「私たちは二人よ」
セミロングの女性が手を上げるとたわわな実りがふるんと揺れた。
「もし次にも強力な個体がいたとしたら、この街を守ることはもはやできまい」
「……え? ちょっと待ってください。「次にも」って、魔物の暴走って何度もくるものなんですか?」
魔魅の疑問にギルドマスター以外は、それぞれのパーティメンバーの顔を見合わせた。最奥で背もたれに背を預けているマスターが口を開いた。
「スタンピードとは通常、上位個体の出現によって発生すると云われている。それによって、周囲の魔物が恐怖に駆られ、あるいは統率されて溢れ出すわけだな」
「たいていは一回で終わるんだけど、稀に、波のように複数回押し寄せる場合があるわ」
――と、こちらはたわわな女性。
「今回が、その稀なケースってわけだ。分かったかい? お嬢ちゃん」
猫に頬を引っ掻かれた男が言う。
「普通、群を操っているボスを叩けば止まるものなんだが、今回は倒しても止まりやがらねぇ。一体どうなっているんだか……」
深いため息を吐くマスター。その姿をぼんやりと見つめながら、魔魅はゴブリンジェネラルとの戦いを思い返していた。
「そういえば、私が戦ったゴブリンたちも、ジェネラルを倒しても逃げずに向かってきましたね……」
「なんだと!?」
「ウソだろ、あんな臆病な奴らが!?」
マスター、赤毛の男、と驚きの声をあげた。
「私も驚きました。設定資料には強い個体に従うとありましたし、それさえ倒せば散り散りになって逃げるものと思ってましたので……」
「ふーむ……ん? 設定資料……?」
「あ、いやその。そ、そういう話を聞いたんですよ」
マスターが聞き返すと、魔魅は慌てて言い繕う。そのタイミングで、扉からノックの音が聞こえ、室内の誰もが一斉にそちらを向いた。
失礼します、と扉を開けたのは受付にいた女性。彼女は自身が注目されていると知ると、「ひっ」と短く悲鳴をあげた。
「なんだ、どうした?」
「あ、あの。マスターにお話が……」
言ってマスターに耳打ちをする受付嬢。その内容に、マスターの両目が目一杯開かれて立ち上がる。
「なんだと!? それは本当か?!」
「は、はい。つい先ほど入った情報です」
ダンッ、と長机を両手で叩き、開いたままの扉を見つめるマスター。赤毛の男がどうしたのか、と問うと、マスターは赤毛の男をギロリと睨み付けた。
「悪いが皆、一緒に来てもらえるか?」
「え? あ、ああ」
一体何があったのか? 赤毛の男とロン毛の男。頬に引っ掻き傷がある男とたわわな女性。そして、魔魅とナミルは顔を合わせて、ギルドマスターの後に続いて部屋を後にした。
◆
受付嬢に案内されてギルドを後にした一行がやって来たのは、モンスターを処理するために積み重ねられている広場の片隅。
そこの一角だけ人が多く集まっているのが見える。
「すみませんっ、ちょっと通ります!」
受付嬢の少し幼い声が響くと、モーゼの十戒のように人がきが割れた。その奥には一体のモンスターの姿。その魔物に、ギルドマスターは奇異の視線を向けた。
「なんだ、こりゃあ……」
身長は約三メートルで、見かけはただの熊にしか見えない。しかし、前足と後ろ足にあたる部分には、筋骨隆々の人間の手足がくっ付いていた。
「新種の魔物……?」
赤毛の男は口を押さえて呟くように言う。その横で、魔魅はゴクリと生唾を飲んだ。
(う、うそ。そんな、ありえないっ)
魔物を見つめたままで一歩、二歩と後退る魔魅。その魔物は、彼女にとって馴染み深い存在であった――




