七 メタルヒーロー、怖がられる。
――アムタリア王国の首都から十五日ほど。六頭の馬を引き連れた一団が、街道を東へと進んでいた。
一見すればその一団は普通の商隊のようにも見える。しかし、繊細な意匠が施された馬車は、それがただの隊列ではないことを静かに物語っていた。
一台の馬車に二頭の馬を繋ぎ、二台で進む隊列の両側を、簡素な旅装束に身を包んだ男たちが眼光鋭く周囲をうかがっていた。
見知らぬ者からすれば異様に映る一団だが、通過してきた街や村の人々は、それが自らが主と仰ぐ者の所有物だと知っている。
そんな彼らが目指しているのは、深緑の町マーテル。
先頭を行く馬車の中では、親と子ほどの歳の離れた女性が二人で、地図を前に内緒の話に花を咲かせていた。
「いい? わたくしがこの小屋でお迎えの準備をしますから、リサはマーテルへと赴いて英雄様をここへお連れするのです」
「しかしルーナリア様。英雄様にどのように説明をすればよいのかわかりません」
「なに、簡単よ。わたくしが誘拐されたと言いなさい。そうすれば一発ですわ」
「え? さすがにそれは……」
「さらわれた姫を助けるために、颯爽と現れる英雄様。立ちはだかる悪漢をバッタバッタと薙ぎ倒し、救い出されたわたくしは、恋に落ちるのですわ」
祈るように手を合わせ、虚空を見てうっとりとするルーナリア。本当に大丈夫なのだろうか? と、リサは不安に思う。
ともかく、そうしろと言われたのであればそうするしかなく、どう伝えたらいいのか頭の中で言葉を巡らせているとふと、ガサゴソと箱の中身を漁る王女の姿に気が付いた。
「ルーナリア様? 一体何を……ひっ!?」
ギラリと陽光を反射させた白銀の短刀がリサの鼻先にぐいと突きつけられた。
「ひ、姫様?! なにをなさるおつもりなのですか……?」
「賊に襲われたんですもの。衣服が綺麗なままではおかしな話でしょう?」
ニヤッと口角を吊り上げて、じりじりとにじり寄ってくるルーナリアに、リサの顔が引き攣る。
「お、お待ち下さいルーナリア様っ! そこは自分でやりますからっ!」
「遠慮はしなくていいのよリサ。まずはここから裂いて……」
「ひっ、姫様?! そこはきわど過ぎますっ! 姫様!? ひめさまぁぁっ!」
青空の下、のんびりと進む馬車の中から、侍女リサの声が響いていた。
森の入り口で馬車から降ろされたリサ。その服はルーナリアによってズタボロにされていた。袖は半分が失われ、スカートの大部分が切られていた。風が吹けば見えてしまいそうで、リサは慌ててスカートの端を押さえ込んだ。
「酷いですよぉ、ルーナリア様ぁ……」
帰ったら、あの怖ーいメイド長になんて報告をすればいいのか。それを考えるだけで頭が痛いリサ。ルーナリアの方は、ひと仕事やり終えた感を漂わせていた。
「あとは、泥で服を汚せばそれらしく見えますわね」
えっと、とあたりを見渡して、目的のものを見つけたルーナリアは、そばに駆け寄ってしゃがみ込む。地面に向かって手を差し伸ばすルーナリアにリサは慌てて声をかけた。
「おっ、お待ち下さいルーナリア様っ! それは私がやりますのでっ!」
王族の御手を汚したとなれば、さすがに叱られるレベルを遥かに超える。鞭打ちは確定。最悪追放だ。
「そう? じゃあ、お願いね」
言ってその場から立ち上がるルーナリア。王族の御手を汚さずに済んでホッとしたのも束の間、リサは地面に横たわる泥らしきものに視線が釘付けになった。
「この泥で汚せば完璧ね」
それじゃつぎに……と、別の準備を始めようとするルーナリアの背中に、『ルーナリア様。それは泥ではありません!』と、リサは悲しそうな表情を投げ掛けた。
自分でやると言ってしまった手前、もう後には引けない。『せめて泥であって欲しかった!』と、内心で泣き叫びながら、リサはルーナリアの指示通りに泥と目される物を塗りたくった。
深緑の町マーテルへと続く街道から外れ、北へ少し行った場所に建てられた木こり小屋。外で焚き火をつけて夕食の準備に取り掛かる護衛の一人。パチリと爆ぜた薪から火の粉が立ち昇った。
その小屋の室内では、二台目の馬車から降ろされた真っ白なシーツが敷かれ、ルーナリアお気に入りのぬいぐるみがそこかしこに置かれている。
これでよしと呟き、満足げにパンパンと手の埃を落としてキラリと光る汗を拭うルーナリア。そんな彼女がふと、虚空を見つめた。
「……そういえば、リサはそろそろ着いた頃かしら」
二人の護衛のうち一人に、彼女を町近くまで送るように言い付けて半日。フンにまみれたリサを馬に乗せ、護衛の騎士も、そして馬ですらも何か言いたげな表情をしながら出発した。
彼女ならきっと役目を果たしてくれる。そう思いながら、ぬいぐるみの位置を直すルーナリア。リサとは十年来の付き合いだ。ルーナリアが四歳の時に侍女として城へとやって来た。
「王女であるわたくしと一緒になって遊んでくれたり、お父さまに怒られたりもしましたわね……」
遠い日を思い出すかのようなルーナリア。けれどそれはたった二年前のことである。
そんな思いを馳せるルーナリアを現実へと引き戻したのは、護衛の騎士以外の聞き慣れない声だった。
「おいおまえ、俺たちのアジトで何をしてやがる」
外から聞こえた聞き慣れない声に、噂の英雄様がもうやって来たのかと、ルーナリアの鼓動が早くなる。
是非ともそのお顔を見てみたいと、ドアを開けて顔を出すと、ヒゲ面の男と目が合った。
「ヒュウ。ゴブリン共の洪水から逃げ出して久しぶりに戻って来てみれば、こんなかわい子ちゃんがいるとはなぁ」
へっへっへと、下卑た笑いをする男たち。
「ルーナリア様っ、中へっ!」
護衛の騎士に手を引かれ、室内に立て篭もるルーナリア。スラリと抜いた剣は彼らが味方ではないことを告げていた。
立てかけてある斧を持ち出し、ドアを封鎖しようとするも、蹴破られたドアに弾き飛ばされて護衛の騎士は倒れる。
「へっへっへ。さあ嬢ちゃん。あんたのナイト様はご覧の通りだ。俺たちと楽しいことしようぜぇ?」
土足で踏み入った室内。純白のシーツは泥で汚され、理想の雰囲気は見る影もない。両の手で拳を作りわなわなと震えるルーナリア。
「ほらぁ、ボスが変なことを言うから震えちゃったじゃないか」
「えぇ? そんなつもりはなかったんだがな。大丈夫だよ嬢ちゃん。俺たちと楽しいことをしような」
ニヤニヤと下卑た笑みを漏らす男たち。けれど、そんな言葉はルーナリアには届いていなかった。
「せっかく作ったのに……」
「あ?」
「英雄様との出会いのために、丹精込めて雰囲気作りをしましたのにぃっ」
静かにキレるルーナリア。ボスと呼ばれた男の顔に汗が浮き、背中にチリチリと電気が走る。得体の知れない威圧が目の前の小娘から感じとれた。
「な、なんだ? こいつ一体なんなんだ?!」
ルーナリアはキッと鋭い眼光を野盗たちに向ける。その威圧にあてられた野盗たちは顔を強張らせて後退った。
「下郎が控えなさい!」
十四の小娘とは思えない凛とした声が室内だけでなく外にも響いた。
「わたくしはこの国の第一王女。ルーナリア・セレスティア・デ・アムタリア! 王族であるわたくしを害すればどうなるか、わかったうえでの行いでしょうねっ?!」
「おっ、王族だとっ!?」
自分たちが誰を相手にしているのか理解した野盗たち。王族を害する者は、例えそれが野盗でなくても死罪が確定する。
「た、例えそうだとしてもっ! この人数差で勝てるわけが――」
護衛の騎士の手から離れ、床に転がっていた剣を拾い上げるルーナリア。その剣を軽々と振り回し、ピタリとヒゲ面の男にその切っ先を向ける。
「わたくしとて、ただ座して守られるだけの姫ではありませんのよ?」
一触即発のピンと張り詰めた空気が室内に漂う。
王族なら剣術を習っていても不思議ではない。その場合、それがどれくらいの腕前なのかが問題となる。素人同然なら制圧も簡単だろう。しかし、そこに伸びている騎士並みの腕前を持っているとしたら、自分たちの被害も無視できぬものとなるだろう。交戦か撤退か。ボスと呼ばれたヒゲ面の男は迷っていた。
一方で、剣を突き付けているルーナリアはというと、訓練中の兵士がやっていた剣の振り回しを見よう見まねでやってのけたのはいいが、恐怖によって体の芯からやってくる震えを必死になって抑え込んでいた。
(震えちゃダメ。震えたら、嘘がバレる)
バレたらどうなるかくらいルーナリアは知っている。自由は奪われ、心も体も壊され、二度と日の当たる場所には戻れない。だからこそ、必死で嘘を突き通す。
根比べ。嘘がバレるのが早いか、高貴なる者が放つ威圧に屈するのが早いか。ヒゲ面の男がため息を吐いた。
「分かったよ。俺たちはあんたに手を出さないと誓おう」
両手をあげて降参の意を示しながら、『おっかねぇ嬢ちゃんだぜ』と呟く男。
「俺たちだって命は惜しいからな」
降参の意を示したまま、男はくるりと背中を向ける。立ち去ろうとする男にルーナリアは声をかけた。
「どこへ行くのです?」
「街で暇を潰すんだよ。あんた達がいちゃ、おちおち寝てもいられないんでね」
言って再び歩き出した男にルーナリアはとある提案をする。その提案に、ヒゲ面の男だけでなく、野盗全員が驚愕する。
「や、雇うって俺たちをか? それ、マジで言ってんのか?」
「ええ、大マジですわ」
報酬として提示した金額は金貨で二十枚。王都の下町に小さな家が建てられるほどの金額だ。それを聞いて、男はヒュウと口を鳴らす。
「さすがは姫さんだ。太っ腹だぜ」
ボスの判断を大喜びする野盗たち。ヒゲ面の男はそれで、と話を続ける。
「姫さんはどうしてこんなボロ小屋に?」
「英雄様をお迎えするためですわ」
ルーナリアの話を聞いてヒゲ面の男はなるほどなと頷いた。
(それでシーツやらぬいぐるみやらを並べてたのか……)
吟遊詩人たちが謳うヒロイックサーガを自分なりに解釈した結果なのだろう。
(王族も暇なんだな。ま、俺は『盗賊の唄』の方が好きだがね)
一人の盗賊が旅の果てに『真の宝』に気付くさまを綴った人気の唄。この曲が流れると、酒場の雰囲気は最高潮に高まる。
収入もあることだし、これが終わったら街の酒場に行くとするか。そんなことを考えていたヒゲ面の男の喉元に、剣の刃が突き付けられた。
「いよぉ、騎士のあんちゃん。ようやくお目覚めか」
「お下がりくださいルーナリア様っ! 我が命に代えてあなた様をお守り致しますっ!」
ヒロイックサーガの一節に出てくるような台詞を口にする護衛の騎士。けれどその言葉はルーナリアには届かなかった。
「それはもう済んだ話だぜ、あんちゃん。俺たちは姫さんに雇われてここにいるんだからな」
「え……?」
訳がわからずポカンとする護衛の騎士。ルーナリアへと視線を向けるとニコリと微笑んだ。
「なっ、なりません王女殿下っ! このような得体の知れぬ者となど!」
「おいおい。得体が知れないなんて、ビジネスパートナーに失礼な話だろ?」
「そうですよカイン。わたくしたちは今や運命共同体なのですわ。皆で協力して英雄様をお迎え致しましょう」
「く……」
危険性を訴えても、効果がないことに歯痒い思いをするカイン。
「そういえば、あなたの名前を聞いていませんでしたわね」
「ん、俺か? 俺は……いや、そういうところはお互い聞かないことにしようや」
今はビジネスで共に行動をしていても、ことが済めば王族と盗賊の関係に戻る。その時、名が知られているのとそうじゃないのとではまた違ってくる。
盗賊は捕まれば即、縛り首だ。そのことは男もよく分かっている。だからこそ、あえて名を明かさないことが、せめてもの防衛手段だった。
「さてっと、そうと決まれば場所を移動しようぜ」
どっこいしょと腰を上げるヒゲ面の男。それをルーナリアは目で追う。
「どちらへ行かれますの?」
「この先の森の中にもう一つ小屋がある。前に使っていた代物らしいんだが、廃屋寸前で雰囲気的に姫さんのシナリオに合うんじゃないかと思ってな」
攫われて捕らわれの場所にはうってつけだという男の説明に、ルーナリアの心も揺れる。確かに男の言うことには一理ある。今現在の真新しい小屋よりかは、そっちの方がよりロマンチックだと考える。
吟遊詩人たちの謳でも、捕らわれの姫が監禁される場所といえば古城の地下牢と相場が決まっている。だからこそ、少し古びた建物の方がそれらしくてロマンチックなのだ。
いい提案だと感心するルーナリア。だがその裏には、姫をできるだけ人の目から遠ざけたいという、男なりの思惑が潜んでいた。
「いいですわね。そちらに案内してくださるかしら?」
そっちの方が良いと快諾をするルーナリアに護衛のカインが口を挟む。
「お待ち下さいルーナリア様っ! そんな人けのない場所に行ってはなりませんっ! それに、侍女を送っていったままのミハイルはどうなさるのですか?!」
「ミハイル?」
首を傾げる男に、ルーナリアは軽く手を叩いた。
「ああ、そうでしたわ。英雄様をお迎えするのに侍女を一人、町へと送るように申し付けた騎士がいたのでしたわ」
「へえ……」
すっかり忘れてましたわ。と言うルーナリアに、もう一人いたのかよ。と内心でぼやくヒゲ面の男。
「じゃあ、そいつが戻ってきてから移動ってことでいいかい?」
「そうしてもらえると助かりますわ」
はあ、と大きくため息を吐くカイン。どうしてこのお姫様は自分たちの言うことに耳を貸してくださらないのか。
「んじゃ、大金が手に入ることだし、今夜は豪勢にいくとするか」
ヒゲ面の男は部下の一人を呼び、街へ行って夕食の買い物をして来るように命じた。そのうえで、別の部下には「念のために数人、明日のために動けるよう集めておけ」と小声で耳打ちして部下を送り出した。
その後まもなく、侍女を送り届けて戻ってきた護衛騎士ミハイルと合流したルーナリアは、ヒゲ面の男の案内で森の奥へと向かった。
カインとミハイル、二人がかりの説得も、王女が思い描く理想のシナリオの前では意味を成さなかった。
爽やかな風が吹く草原とはうってかわり、湿気が多く、草木の濃い空気が漂う森の中。王族と盗賊。異質な組み合わせの一団が、古ぼけた小屋の前に立っていた。
「どうだ? この雰囲気、姫さんの理想とする場所にピッタリじゃねぇか?」
「ええ、とてもいいですわね。気に入りましたわ」
では早速と、前の小屋から持ってきたぬいぐるみたちと、新たに用意した純白のシーツを小屋内に敷き詰めるように指示をする。
そのぬいぐるみの一つを持った野盗の男が、ヒゲ面の男にいつまでこんな茶番を続ければいいのかと目で訴え、ヒゲ面の男はいいから黙って従ってろと、顎で差し示す。
そうして、全ての準備が終わる頃には、夜になっていた。
「ほらよ。庶民のメシで悪いが、姫さんに食わせてやってくれ」
干し肉と野菜で出汁をとったスープに、山羊の乳と麦を加え、そしてたっぷりのチーズが入ったチーズドリア。それと、鶏の腹に香草を詰めて丸ごと焼いた鳥の香草焼き。その二つを差し出され、カインとミハイルは互いに顔を見合わせる。
「毒でも入ってるんじゃないだろうな?」
カインの疑いを晴らすかのように、ヒゲ面の男は香草焼きの肉をひょいとつまみ上げて、口に放り込んだ。
「あんた達のももうすぐできるから、ちっと待っててくれや」
そう言って焚き火へと向かうヒゲ面の男。その先では、男の部下たちが調理器具を振るっていた。
盗賊たちの宴が始まった。小さな樽に取っ手をつけただけのジョッキに、安物のエールが並々と注がれ、乾杯と打ち合わせる度にこぼれ滴り落ちる。
金貨二十枚という大金が手に入るにもかかわらず、買ってきたのはなぜか安い酒。それでも美味そうに口へと運ぶのは、エールの質がいいからに他ならない。
騒ぐ野盗たちを小屋の入り口を守る二人の騎士が見つめ、室内では野盗たちの宴会の様子がいい雰囲気をかもし出しているのを満足しながら、ルーナリアは木々の合間に見えるまあるい月に向かって祈りを捧げる。
「ああ、英雄様。囚われの儚きわたくしをお救い下さい」
憧れていた救出劇がすぐそこに迫り、気分が最高潮に高まっていることを感じたルーナリア。一筋の雲によって月光がかげると、雰囲気が台無しだと口を尖らせた。
◆
――翌朝。少し遅くに目が覚めたルーナリアは室内に漂ってくるよい香りにお腹がくぅと鳴る。ドアが開かれ、騎士によって運ばれてきた食事に、ナイスなタイミングだと喜ぶルーナリア。けれど、運んできた護衛騎士のカインは申し訳なさそうな表情をしていた。
「このような粗末な食事で申し訳ありません」
「いいのよカイン。囚われた者には相応しい食事でしてよ?」
「はあ、そうでございますか……」
木でできたスプーンを手に取り、食事を口へ運ぶルーナリア。何を言っても聞き入れないやんちゃなお姫様が早々に満足することを願って、カインは持ち場であるドアの前へと戻る。焚き火のそばでは、盗賊たちが怪しげな動きを見せていた。
「どこへ行く?」
「昨日飲みすぎちまってな、ちっと出してくらぁな」
「あまり遠くには行くなよ?」
「へいへい。分かってますよ」
ヒゲ面の男は二人の男と共に茂みへと入り、ズボンを下ろして用を足す。
「なあボス。いつまでこんな茶番に付き合うんですかい?」
「夜までにはカタをつける。あまり遅くなると英雄とかいう奴が来るって話だしな」
そのために、場所移動をしたことを知らせる人員を前の小屋に置いておかなかったり、買い出しついでにこの小屋への入り口を隠したり、と準備を進めてきたのだ。
全てはルーナリアを捕えて身代金を請求するため。
「いくらウデが立つといっても、数で圧倒すればひとたまりもないからな」
ヒゲ面の男と取り巻き達は用だけでなく、下卑た笑いをも漏らしていた。
――一方その頃、深緑の町マーテルへと続く森の中から、馬に乗った一団が姿を見せた。
先頭を行くのは皮を鞣した半キャップのヘルメットをかぶり、鉄と錫を混ぜて作られた胸当てをつけたマーテル守備隊の兵たち。
次いで、サークレットをした無精髭の男。守備隊長である彼の鎧には、この国のシンボルである千年樹と麦の穂のエンブレムが刻まれている。そんな彼の腰にしがみ付くように、一人のメイド姿の女性が後ろに乗っていた。
そして最後に姿を見せたのは、異形の者だった。
顔から身体の隅々に至るまで全てが鎧で覆われ、その表面はまるで鏡のように周囲の景色を朧げに映し出している。その者の胸にある所属国を示すエンブレムには、誰も見たことのない図柄が刻まれ、鎧の隙間からは時折、淡い光が漏れていた。
一団は街道から外れた場所に陣取り、焚き火をつけて野営の準備を始める。
やがて、メイド服の女性が北を指差すと、白馬に乗った異形の者が無言で駆けていき、しばらくして戻るなり、今度は守備隊全員が北へと向かっていった。
その様子を、はるか離れた場所から見つめる影があった。
「あれ、マーテル守備隊の連中だろ? どうすんだよ」
ポニーテールの男が肩を寄せ、並んで覗き見ている仲間に小声で言う。
「どうもこうも、ダンマリ決め込むしかねぇだろ。ノコノコ出ていきゃ捕まるだけだ」
頭のつるりと禿げ上がった男が、守備隊の行軍を目で追いながら吐き捨てた。
「まったくガルメスの野郎、儲け話があるって誘っておいて来てみりゃこれだ。……あいつ俺たちを売ったんじゃねぇだろうな?」
守備隊から目をそらし、仰向けに寝転んだ男がぼやいた。
「やめだやめ」
禿げ上がった男は勢いよく立ち上がり、そのまま街へ向かって歩き出す。それをポニーテールの男が呼び止めた。
「ど、どこへ行くんだ?」
「帰るんだよ。やってられるか」
飲み直しだ、飲み直し。そう言いながら再び歩き始める禿げた男。その隣に、いつの間にか一人の男が並んでいた。その背中には寝転んでいた時の草が付いている。
「やつには借りも義理もねぇしな」
「ああ、そうだな。命あっての物種だ」
危険には慣れているつもりだが、この状況はさすがに自殺行為でしかない。人には言えない稼業で食っている以上、捕まれば最後。二度と日の目を見ることはない。
だからこそ、退く時は迷わず退く。それが彼らの生き方だった。
「行きたきゃ行きな。止めはしねぇよ」
ヒラヒラと手の平を振る禿げた男。ポニーテールの男は一瞬だけ振り返ると、そのまま禿げた男の後を追う。その一瞬で男が見た光景は、森の中へと消えていく何人かの背中だった。
☆ ☆ ☆
千年樹が生い茂る森の中では、幹から目一杯伸ばされた枝葉は陽光を遮って熱を奪い、地上付近ではその暖かさはほとんど感じない。湿気も相まってむしろ肌寒いほどだ。
その木の根元で、鬱蒼と茂る下草にわずかに残る道を辿り、草を踏みつけ、あるいは切り裂きながら進む三つの人影があった。
先頭を行くのは、ピンと立てた耳を忙しなく動かし、時折鼻を利かせながら進む豹柄の人物、豹猫族のナミル。
その後ろには、胸当てにこの国のシンボルである千年樹と麦の穂が刻まれた無精髭の男、マーテル守備隊長のアランが続く。
そしてしんがりを行くのは、全身を甲冑らしきもので覆い、胸のエンブレムや関節部分から淡い光を漏らしながら、森の暗がりすら照らす異形の者、我らがメタルヒーロー、ゴーギャンこと證誠寺魔魅であった。
「どうだナミル」
「ああ、だいぶ匂いが濃くなってきた。もうすぐだぜ」
スンスンと、鼻を突き出して匂いを探るナミル。そのナミルの肩に、魔魅は手を置いた。
『どっちの方向?』
「あっちだ」
『どれどれ……』
ナミルが指差す方向に向けて、魔魅はセンサーを放つ。ゴーギャンのバイザーにはさまざまな探索機能が内蔵されている。水中にひそむマッドイーターを探知した超音波ソナー。そして、生物の体温を捉えることのできるサーモグラフィなどだ。
障害物だらけの森の中では超音波ソナーを使うことはできない。だが、こういう場所ではサーモグラフィが最も威力を発揮する。
木々や草が、サーモグラフィで青く染め上げられたバイザー越しの世界。その景色の中に、ぽつりと浮かび上がる赤い点を魔魅は見つけた。
『そこにっ!』
「えっ!?」
魔魅が指した方向は、ナミルの示したものとはまったく別の方角だった。
(ずいぶんと近くないか……?)
一歩、草を踏み込んだ瞬間、草むらから一羽の兎が跳ねて逃げていく。その姿を見送り、ナミルは肩の力を抜きながら『ほう』と息を漏らした。
「……なんだよ、兎じゃねぇか」
『ご、ごめんごめん。まだ使い慣れてなくてさ、ついびっくりしちゃって』
放映時には別で撮影された映像が流れているため、魔魅がこれらの機能を使うのはこれが初めてである。
改めてナミルが差した方向へサーモグラフィを向ける。青い世界の奥、密集した草木の隙間に、魔魅はぽつりと光る赤い点を捉えた。
『見つけたわ。ナミルが言ってた方向、五百メートルくらいのところに熱源反応多数。何者かが七、八人ほどいるわ』
先ほど気が付かなかったのは、木々がちょうど重なっていて、ブラインドの役目をしていたからだと魔魅は気付く。
「めーとる……?」
聞き慣れない単語にアランは首を傾げた。
「と、ともかく。確認をしてみなければなるまい」
木こりの者たちなのか。王女を攫った不届き者たちなのか。いずれにせよ、悟られぬようコッソリと近付いて様子を伺うという事で、アランはナミルと魔魅の同意を得て進み始める。
(まったく、なんという索敵能力だ。地面に穴をも穿つ攻撃力といい、敵に回したら我らに勝ち目などあるのか……?)
先行くゴーギャンの背中を見ながら、アランは戦慄を覚えた。
草を踏み締める音にも気を使い、熱源のあった場所へと近付く三人。あまり近付きすぎると勘付かれる恐れがあるため、小屋から百メートルほど離れた茂みの中で息を潜める。
草葉の隙間から覗く六つの目――うち二つは淡く赤に光っている――が、廃屋同然の小屋の前にたむろする男たちを観察していた。
「……これは一体どういうことだ?」
焚き火を囲む男たちと、ドア前に直立し周囲を警戒している男二人を見比べて、アランは思わず呟いた。
「なにが?」
「ドア前の二人の男は護衛の騎士に間違いない」
立つ姿勢や仕草などからわかるのだとアランは言う。
「だが、その他の男は一体……」
アランの見立てでは、その者らは軍属ですらない。強いて言うならば、ゴロつきの類だ。
「王女殿下はいずこだ……?」
『小屋の中に熱源反応が一つ。恐らくはこれじゃないかと』
目の届かない場所の索敵もできるのかと、アランは驚く。
「それは本当に王女殿下なのか……?」
『そこまではわからない』
「そうか」
彼という人物は、そこに誰かが居ることはわかるが、それが誰かは判別することができないのだろう。アランの中の彼への恐れは少し和らいだ。
アランは、もしかしたらこのゴーギャンという存在は、『神』に匹敵する力を持っているのではないかと思っていたからだ。
「ナミルはどうかね? あの小屋に王女殿下はおわすのだろうか?」
豹猫族の嗅覚による索敵。ゴーギャンが行っている未知の探索よりも、理にかなった探査方法はアランをより安堵させる。
スンスンと、鼻を突き出して匂いを探るナミルは、首を横に振った。
「ダメだ。チーズの匂いが強すぎてわからねぇ」
昨晩の食事に出されたチーズドリア。その余ったチーズを男たちは焚き火で焼いている。その匂いに阻まれて、嗅がされた三角形の布の匂いは途絶えていた。
「どうにかして、確認を取る手段はないものか……」
小屋の壁の上部には格子付きの高窓が一つ設けられているが、小屋にたむろする男たちの誰よりも高い位置にあり、中を覗くには台に乗らねばならない。そしてそんなことをすれば、たちまちのうちにバレてしまうだろう。
「小屋の後ろにも窓があればいいのだがな……」
察知される危険を冒してまで行くべきか。アランが考えていると、魔魅から手が上がる。
『それなら、見る方法がありますよ』
「なに? それはどんな方法なんだ?」
『ライトニングソーサーを使います』
「あの宙に浮かぶ円盤をか?」
草原に突き出た岩に放たれたいかずち。あの光景が、王女を巻き込む最悪な未来と共にアランの頭をよぎる。
『ええ。あれは音を立てずに接近することが可能で、カメラも搭載してますから映像を見ることもできます』
「かめら……?」
またしても聞き慣れない単語が飛び出して、アランは首を傾げる。やはりこいつは神なのではないかと、アランの警戒レベルが再び上がった。
小屋から十分に離れ、木の陰に身を隠した三人。なぜその場ではなく、離れたのかというと――『ショルダーアームズ・オンライン』という音声が思いのほか響くからである。
右肩から抜いたパーツと、左肩から抜いたパーツを合わせると一つの円になり、それを魔魅は無造作に投げると、円盤はふわりと浮いた。
『それじゃ、いきますね』
浮いていた円盤は、空気が漏れ出たような音をわずかに出しながら勢いよく上昇していく。それをアランは目で追い、ナミルは口を開けて仰ぎ見ていた。
「すげぇ、あっという間に消えてったぜ」
「時間はどれくらいかかるんだ?」
ぼーっと立ち尽くしているとしか思えないゴーギャンに、アランは尋ねる。『すぐ着きますよ』という返答に、『そうか』と呟き、円盤が消えていった場所を再び見上げた。
ライトニングソーサーは、魔魅の操作通りに問題なく飛行を続けた。そして小屋の真上に到着すると、その高度を徐々に下げる。元々静音性の高い代物ではあるが、ゆっくりと慎重に下げていく。
そして小屋の高窓に、搭載されたカメラが向けられた。
『着きました。中には……女の子が一人でいますね』
「――! それは金色の髪をしているか!?」
静かに佇むゴーギャンのそばで、アランは王女の特徴を次々と口にする。流石にゴーギャンとて映像を外部に投影する機能はついてはいない。なので、魔魅はいちいち『そうですね』と頷くしかなかった。
『あっ!』
驚きの声をあげ、魔魅は斜め上を見つめる。
「どうした?」
『バレたみたいです』
「なんだと!?」
無風状態の森の中で、ホバリングしていた円盤が突然、大きく揺れた。カメラを小屋の脇へと向けると、男が棒で円盤を突こうとしていたのが映った。
魔魅は慌てて円盤を操作し、高度を上げて枝葉の中に紛れる。『なんだったんだ? あれ』という男の声に、それがスパイカメラであったことに気付いてないようだと魔魅は安堵した。
『このまま先制攻撃して制圧しますか?』
身を隠したライトニングソーサーは、いまだ先制攻撃権を有している。男たちにいかずちを浴びせ、身動きを封じたところで突撃する。それがもっとも手っ取り早い方法。しかし、アランは首を横に振る。
「いや、それでは騎士の二人も巻き込むことになる」
それにいくら室内にいるとはいえ、王女にまで影響が及ぶかもしれないと思うと、アランは素直に頷けなかった。
「他に作戦があるのか?」
「ああ、ある。私とナミルが冒険者を装って正面から注意を引く。ゴーギャン殿は小屋の後ろに回って王女を救出して欲しい」
『え? どうやって?』
「ゴーギャン殿が持つ剣ならば壁を切り裂くことは容易なのではないか?」
ゴブリン侵攻の折り、町の門を叩き壊した破城槌を真っ二つに切り裂いたのは、ゴーギャンであるとアランは報告を受けている。ならば、壁一枚くらいは余裕で切り裂くことはできるだろうと思っていた。
「そうなのか? すげぇじゃねぇか」
『いや、あれは私じゃないんですけど……』
破城槌の件は黒マントがやったのであって魔魅ではない。とはいえ、同質の武器を所有していることには違いなく、それくらいならやってやれないことはない。
『わかりました。では、壁を切り裂いて内部に侵入。王女殿下を救出すればいいのですね?』
「ああ。できればそのまま殿下を連れて、守備隊の野営地に送り届けてもらいたい。やれるな?」
『……加勢が必要なんじゃないですか?』
王女を救い出したまではいいが、残されたアランとナミルは何をされるかわからない。交戦するならば、助けが必要ではないかと魔魅は思っていた。
「そこは心配しなくていい。ゴーギャン殿が壁を切り裂いた時点で、奴らの意識はそちらに向く。その隙を突いて逃げ出すつもりだ」
深い森の中で逃げるのは容易なことではないが、追いかける方もそう簡単にはいかない。それに、ドア前にいた騎士には及ばずとも、焚火前にいた者たちには遅れをとるアランではない。
『わかりました。では、位置につきます』
「ああ、頼む。配置についたら光る棒を振ってくれ。それを合図とする」
『はい』
そう返事をして、魔魅はアランたちと別れた。
◆
アランたちと別れ、小屋の後ろ側へと辿り着いた魔魅。そこへ至るまでの道程を思い返し、『とてもちびっ子たちには見せられない姿だったな』と振り返る。
見つからぬように気を使い、時には草陰に隠れ、四つん這いでハイハイした時もあった。『そんなヒーローなんか絶対にヤダ』と思われることだろう。
ヒーローが嫌われたそんな妄想を頭を振って追い出し、魔魅はサーモグラフィで周辺の状況を確認する。
相変わらず室内の中央に陣取る少女。ドア前には二人の男が立ち周囲をうかがっている。そして、焚き火の前には五人の男。
上空に忍ばせておいたライトニングソーサーからの映像と合わせて、頭の中を整理する。
『もうちょっと奥に行って欲しいんだけどな……』
小屋のサイズが少々小さいがために、壁を切り裂いた時に崩れた木片が転がって当たってしまうのではないかと、魔魅は心配していた。
『仕方ない。少し小さめに切り裂いてなんとかしよう』
魔魅の意思により、右腕の装甲が開かれて一本の丸い筒が手の中に滑り込む。それをグッと握ると、円筒から伸び出た光る棒が、約八十センチのところで止まった。
『コアブレード・オンライン』
『――っ!』
武器を出した時に出る音声が、魔魅の鼓動を早くさせた。小屋の後ろからソッと男たちを覗き見ると、相変わらず談笑をしている。どうやら気付かれることはなかったようだと、魔魅はホッと胸を撫で下ろした。
そして、アランたちのいる方向に向かってコアブレードを振る。昼間でも薄暗い森の中に、光の軌跡が生まれた。
合図と決めた光の棒が振られたことにより、アランたちが行動を開始した。
「なんだぁ、オマエら?」
食事を終えてお腹が一杯になり、ウトウトとしていたルーナリアは、男たちの声でハッと我に返る。
男たちが誰かと話をしている。もしかしたらと、ルーナリアはドアのそばに寄り聞き耳を立てた。
「ああ、すまない。薬草を採りに来たら道に迷ってしまってね。焚き火が見えたんで道を聞こうと思ったんだ」
ドアに耳をピタリとくっ付け、外の様子を伺うルーナリア。薬草を採りにきた。道に迷った。そんな会話が届き、英雄様がいらしたわけではないのね。とため息混じりで落胆をする。
「なぁんだ。ただの冒険者ですの……あふ」
口元を手で隠し、小さくあくびをしてから大きく伸びをするルーナリア。とその時、ブツッという音と共に何かが焦げるような匂いが室内に充満した。
「あら、なにかしら……」
スンスンと鼻を利かせながら室内を見渡し、その瞳が背後へと向けられた時、ルーナリアの視線はある一点に固定された。
「なに、あれ……」
壁から突き出た光る棒。さっきまであんなのはなかったはず。煙を上げていることから、この焦げ臭い匂いの原因はそれであることがルーナリアにも理解できた。
その壁から突き出た棒が、円を描くようにゆっくりと動き出す。それをルーナリアは目で追っていく。そして、光る棒がもっとも高い位置に達した瞬間、派手な音を立てて壁が崩れ落ちた。
驚きのあまり背中をドアに打ち付けたルーナリア。けれど、その痛みを感じるより早くその目は大きく見開かれた。
「ま、もの……?」
もうもうと立ち込める土煙の中、ギラリと光る赤い目が二つあれば、それを魔物と誤認しても仕方がない。
次の瞬間、ルーナリアの喉から絹を裂くような悲鳴がほとばしる。
「いやぁぁぁっ!」
同時に腰が抜けて、どんと尻餅をつく彼女。それでも赤い目の魔物から逃れようと、お尻を引きずるようにして後退るが、すぐに背中がドアにぶつかり、内開きのドアがギシリと軋んだ。
「いやっ! こないで、こないでぇぇっ!」
それ以上下がれないことにも気付かぬままで、彼女は背中と両手をベッタリと押しつけ、懸命に地面を蹴っていた。
ズシャリ、と重そうな足音を立てて一歩を踏み出した赤い目のそれ。その一歩ごとに、ルーナリアの顔色は見る間に青ざめていったのだった。
一方その頃、ドアを隔てた外側では、ルーナリアの悲鳴を聞きつけた護衛の騎士、カインとミハイルが、彼女を救い出すためにドアの取っ手に手をかけていた。
「ルーナリア様っ! ご無事ですかっ!?」
だがいくら押しても、内開きの扉はびくともしない。体重をかけて押せば僅かに開くものの、すぐに閉じてしまう。
「くそっ、中で何かが押し返しているっ!」
「まさか、ルーナリア様が?!」
恐怖のあまりパニック状態になり、その場から逃げようと懸命にドアを押しているに違いないと、ミハイルは察した。
「ルーナリア様っ! ドアの前から離れて下さいっ! 助けることができませんっ!」
ミハイルの悲痛な叫びも、ルーナリアの悲鳴によってかき消されて届かない。『いっそのこと蹴破るか?』というカインの提案に、ミハイルはそれを否定する。
「ダメだ! ルーナリア様の御身を巻き込んでしまいかねん!」
「だったらどうすれば……」
何か方法はないかと周囲に視線を巡らすカイン。焚き火を囲む男たちの、『なんだ? どうしたんだ?』という表情の先に、その方法を見つけた。
「あれだ!」
「カイン!?」
カインが目を止めたのは、焚き火の薪を割るための斧。それを手に取り、両手に持って構える。
「まさか、それを使うつもりか?! ルーナリア様の御身に何かあったら、どうするつもりだ!?」
そんなものを外から叩き付ければ、板一枚を隔てた向こう側にいるルーナリアはひとたまりもない。
「違う! これでルーナリア様を襲っている魔物を背後から襲うんだ!」
「――! そうか!」
ルーナリアが悲鳴を上げる直前、壁が崩れる音がしている。彼女を襲っている魔物は、壁を破って侵入をしたのだろう。
当然、そこには大穴が空いているはずだ。
そこを通って内部に飛び込み、背後から一撃を加えるのだ。穴が開いていなければ斧でこじ開ければいい。王女を巻き込む心配さえなければ、斧はいくらでも振るうことができる。
ともかく、事態は急を要する。カインは両手で斧を持ち、小屋の後ろへ向かって走り出す。その背中をミハイルは見送るのだが、今まで室内から聞こえていたルーナリアの悲鳴がぴたりと止んでいることに、まだ気付いてはいなかった。
◆
ルーナリアがドアのそばに寄ったことをサーモグラフィで確認した魔魅は、王女救出に動き出す。コアブレードを壁に向かって水平に突き出すと、さしたる抵抗も感じずに、光刃は壁の中を突き進む。
光刃が貫通した感触を得た魔魅は、今度は半円を描いていく。途中、柱か何かに引っかかるような抵抗を覚えたが、野菜を切る程度の力を込めると、すんなりと壁ごと切り裂いてしまった。
そうして半円の頂点へと切り進めていた時、壁が突如として崩れ落ちた。
『え……?』
もうもうと舞う土埃の中で魔魅は呆然と佇む。
『ひ、姫様は無事!?』
瓦礫に埋もれていては大変だと、魔魅は慌ててサーモグラフィで室内を見る。青色に映る瓦礫から離れた場所に、オレンジ色の熱源反応が一つ。壁を隔てた向こう側にも七つの熱源を見つけてホッと胸を撫で下ろした。
『それじゃ、作戦通りにいきますか』
片腕を振って埃を飛ばす魔魅。わずかに晴れた埃の先で、金色の髪をした美少女と目が合った。
『ルーナリ――』
「いやぁぁぁっ!」
王女の名を呼ぼうとした魔魅の言葉を、甲高い悲鳴が断ち切った。
その白く、細い首のどこにこれほどの声量が隠されていたのか。絹を裂くなんて生やさしいレベルではない。それはもう悲鳴という名の音波兵器である。
それが間近にいる魔魅の鼓膜に突き刺さり、魔魅は思わず顔をしかめた。
『あの、ルーナリア王女殿下で――』
「いやっ! こないで、こないでぇぇっ!」
ズシャリと瓦礫に足を乗せて一歩近づいた途端、目を見開いて後ずさるルーナリア。王国の至宝とまで噂された彼女の端正な顔立ちは恐怖によって歪み、見る影もない。
「ルーナリア様っ! ご無事ですかっ!?」
外から男の声が聞こえると同時にドアがぐいと押され、ルーナリアが室内へと押し返される。そのたびに悲鳴をあげながら地面を蹴り、必死に赤い目の魔物から逃れようと後ずさっていた。
「くそっ、中で何かが押し返しているっ!」
「まさか、ルーナリア様が!?」
男たちの声から、この少女がルーナリア王女殿下であることは間違いない。けれど、彼女は恐怖でパニックに陥ってしまい、話がまともにできずにいた。
『とりあえず、落ち着いて下さい!』
「いやっ! いやっ! こないでっ!」
さらに一歩を踏み出す魔魅に、石だの木片だの手に触れたものを、片っ端から掴んでは投げるルーナリア。そんな様子を見ていると、魔魅は『宇宙捜査官ゴーギャン』が放送してまもない頃を思い出す。
(そういえば、あの頃も子供に泣かれてたっけな……)
小さな子供をあやそうとして、大泣きされてしまった。意外と見た目が怖いらしい。三年ほど前の話である。
『いやいや、そんな昔のことを思い出している場合じゃない』
マーテル守備隊長アランから、『王女が駄々をこねても強制連行』の許可は得てある。駄々とはちょっとばかし状況が違うが、壁を一枚失って、いつ小屋が倒壊してもおかしくない状況なので、とにかく連れ出そうと王女に近付いた。
「ひっ、ひぃっ!」
ルーナリアの視点から見てみれば、土煙が治まって魔物は人型であることがわかったが、暗がりで赤い目が余計に際立ち、全身甲冑が曇った鏡のように周囲の景色をも映し出す姿は、恐怖以外のなにものでもない。
その中に、自分の顔を見つけたルーナリアは、歯を鳴らしながらブルブルと震え、ゴーギャンとの視線を合わせた直後に気を失った。




