水と油(中編)
〈アナスタジアーナの婚約者は頭脳明晰で容姿端麗、学院の人気者で…………なんだっけ。ここは省いてもいいか?〉
「大丈夫です。ジュリウス先輩」
〈えっと……そんな見目麗しいシャルルに、自分のような田舎者は、相応しくないのはわかっている。だからせめて彼の足を引っ張らないよう、精一杯お洒落してきた。今日は彼の友人たちにお披露目してもらえると聞き、その光栄に胸がどきどきしている。彼の自慢の婚約者と思われないといけない。
友人たちに気に入って欲しくて、懸命に可愛らしく微笑んでみた。この心を捧げているシャルルが、満足してくれたらいいのだが。それなのに彼はこう言ったのだ。〉
『それで寒い中、何時間も待っていたんだ。田舎者のアナスタジアーナは、洗練された僕に夢中だから。風邪は引かなかったかい』
〈胸が鷲づかみにされたような痛みを、アナスタジアーナは覚えた。大好きなシャルルの口元には、薄ら笑いが浮かんでいる。思わず『ひどい……』という言葉が、こぼれそうになった。だが他になにが言えるだろう。今は最愛のシャルルと、その友人たちの目の前なのだ。彼に恥をかかせるわけにはいかない。唇を震わせながら、彼のために言葉を絞り出した。〉
『はい…………。大丈夫でし、た……』
〈麗しいシャルルのために、涙を堪えるアナスタジアーナを取り囲んで、嘲笑が起こった〉
◇◇◇◇◇◇
「こういうことがやりたかったのだろう」
「ジュリウスったらすごいわ」
「お褒めにあずかり光栄です。セレスティーナ」
「上演されると、なんとなくわかるようになってきました」
「意外な才能があるんだな。ジュリウス先輩」
「普段は声、低いのに、あんなに高い声出せるのか」
「あれ、目の前でやられて、よくブラックウェル伯爵閣下も幻滅しないな」
「普通、引くだろう」
「先輩みたいに堂々とやると、返って恥ずかしくないのかもしれない」
セレスティーナは家令ハンプソンの助言を受けており、ジュリウスのこういった面は、子育てに積極的に関わってきたからということ。それすなわち妻である自分が、もろに恩恵を受けると言うことを理解している。
まあぶっちゃけ言うと、セレスティーナは親に子育てされなかったため、本人が子ども気分でその恩恵を浴びて、はしゃいでいるという面もある。
「なあ、俺もわからない点があるんだが。ジュリウス」
「なんだ。ジェレミー」
「シャルルのやっている、嫌がらせのあれこれ…………。アナスタジアーナがシャルルのことを好きじゃないと、成立しないんじゃないか?」
「ぱっと見たところシャルルは甘やかされて育ったようだから、世界中の人が自分に関心があると思っている節がある」
「つまりアナスタジアーナが自分のことを好きだと、思い込んでいるのか?」
「例えだが…………三歳ぐらいのシェリーが…………いや、女の子……いや子どもが」
ジュリウスをシェリーから引き離すのは、骨がいりそうだ。
「子どもが背中を向けて遊んでいて、いきなりぱっと振り向くと親と目が合うだろう?」
「う、うん……」
初っぱなからジェレミーは自信をなくしたようだ。
「するとすごく嬉しそうになって、また背中を向けて遊び始める。そしてまた振り向いて目が合うと、嬉しそうにする」
「うん……」
「これを何度も繰り返すが、たまに親だって見ていない時がある。そうするとシェ……、いや子どもは見ていなかったことで裏切られたように感じ、泣きだしてしまうんだ」
「へー」
「手放しでわんわん泣くと、親が慰めにくる。子どもは泣いただけで、親がきてくれたことに安心する。シャルルはこれをやっているんだ」
「え、え、え……。待ってくれ。全然わからない」
「子育て経験がないからだろうか」
「いいや、それは関係ない。断言してもいい」
「……すべての人が自分に関心があると思っていて、例え話の親のように、つねにシャルルのことで頭が一杯だと思っているんだ。だから誰かがうわさ話をしていたら、それは自分についてだろうと思うし、アナスタジアーナがなにか言ったら、それは気を惹きたいからだろうと考えるんだ」
同級生たちが、うわさ話をしてくすくすと笑うと、関係のないシャルルが憎々しげに睨むのを、アナスタジアーナは思い出した。
「婚約者をしつこくあざ笑おうとするのは、世の中の人も、自分と同じように感じると思い込んでいるからだ。シャルルのように、嘲笑されたら耐えられない苦痛を感じるだろうと、思い込んでいるのだろう」
「……」
「答えられない質問を何度もするのは、シャルルの望んだ反応……嫌な気持ちになるのが、正しいやり取りだと思い込んでいる。最終的にはアナスタジアーナが、シャルルに嫌な想いをさせられても、側を離れないということを確認することで、自分は愛されていると感じるようになる。だからアナスタジアーナがそれに合わせないと、侮辱され、裏切られたと感じ、癇癪を起こす。母親……、じゃなかった婚約者のくせに、自分を愛してくれないと」
あまりにも身近でない話を聞かされ、魂が抜けかかっていたアナスタジアーナは、とんでもない暴論を吐かれ、理解した瞬間、暴言を吐きそうになった。お嬢様言葉で丁寧に言うと、『気色悪っつ!』といった感じのことを。
「なあ、それ……。誰もお前に関心ないよって告げたらどうなるんだ」
ジェレミーは怖い話を聞いている時の、子どものような顔をしている。
「侮辱されたと感じ激怒する。なぜなら『お前の親はお前に関心ないよ』と普通の人が言われたら、親子関係を否定されたと感じ腹が立つだろう? シャルルはそんな風に感じているように見えるな」
「……………………なあ、ちょっといいか」
「なんだ」
「妹さんが三歳くらいということは、お前、そのとき何歳だったんだ」
「私は五歳だ。心配しなくていい。私には心強い祖父母も使用人たちもいたから」
「……苦労したんだな」
ジュリウスの話を聞いた騎士科の面々は、それまでなんとなく嫌な奴扱いをしていたシャルルから、恐る恐る距離を取り始めることとなる。道を空けたり、順番を譲ったり。特別扱いにシャルルはおおいに満足した。
◇◇◇◇◇◇
「ジュリウス。今日はちょうど手が空いているし……人も揃っているのではなくて」
「そうですね」
ジュリウスは、ジェレミーを使いにコリンズ伯爵を呼び出した。
「やあ、アナスタジアーナ。王都での暮らしはどうだい。なにか困ったことはあるかな」
「コリンズ閣下。つつがなく暮らせております」
「息子のシャルルのことで困っているそうだが。問題が?」
「待ち合わせをすっぽかしたり、わざと来なかったり、それを人前で嘲笑したりするのです」
「まさか…………息子に限って。本人に確認してもいいかな」
「シャルルはとにかく外面が良いので、尻尾を出さないでしょうね」
父親に呼び出されたシャルルは、嘘をつかれ、ひどく傷ついたとでもいうような顔になった。
「僕が至らないばかりに申し訳ありません。アナスタジアーナは嘘をついて気を引くのです。慣れない王都できっと孤独なのでしょう。友だちも出来ないようですし、僕の配慮が足りなくて、笑われたなんて被害妄想を持ったのでしょう」
うっすらと涙まで浮かべて、謝罪した。
「ブラックウェル伯爵閣下。私にはどうも息子が嘘をついているとは」
「そうね。レイモンド様も、ダロン騎士団長も、今日の所はまずはお耳に入れたということで」
二人は軽く頷いた。
大勢の前で恥をかかされそうになったシャルルは我慢できず、次の待ち合わせは王都外れの遺跡がある、吹きさらしの広い草原にした。当然、本人は来るはずもなく、袴姿で来たアナスタジアーナは鍛錬を始めた。
「アナスタジアーナ。確かに遅れているが、息子が来るのだから、その格好は」
「ほとんど来たことがありませんわ。息子さんがどうこう仰るなら、来てからにして下さい」
「しかし……」
「アナスタジアーナ。体、固いぞ」
「はい。ジェレミー先輩」
「アナスタジアーナ。もっと腰下げろ」
「はい。ジュリウス先輩」
ジェレミーたちと一緒に、天幕から出て、野外で体を動かしているアナスタジアーナは、ぽかぽかと温かかった。一方、ダロン騎士団長に、連行されるようにしぶしぶやって来たコリンズ伯爵は、すぐ来るだろうとたかをくくっていたため、馬車の中には小さな火鉢しか置いていなかった。
「……寒い」
「鍛え方がたりないのではありませんか。閣下。アナスタジアーナ殿と縁組みをするのに」
「しかし、だが、こんなことになるとは思わなかったから……」
急遽行われることになった配下たちの野外訓練を見ながら、ついでにコリンズ伯爵の様子も、ダロンはその日まめに見ていた。
コリンズ伯爵は、息子が来るまでと意地で待ったが、寒さには勝てず、早めに帰宅することになった。だから少なくとも、シャルルが信用できるわけではないと、コリンズ伯爵は知ったわけだ。
そして女性騎士にさせるために、わざわざオースティン家から引き抜いたアナスタジアーナの婚約が、上手く行っていないと、上司になるダロン騎士団長も把握した。
この婚約に関わる人々は、一連の事態をその目で見守ったが、後になって最も影響力を持ったのは、この訓練に参加していた、騎士科の生徒たちだった。いくら取り繕うとも、シャルルが来なかったのをその目で見て、それが印象に残ったからだ。
「アナスタジアーナの奴、俺に夢中だから、昨日も野外で何時間も待って……」
アナスタジアーナを嘲笑するシャルルのおしゃべりに、お仲間たちが一斉に笑い声をあげた。その時、教室にいた関係ない生徒が、不思議そうに聞いた。
「なあ、なんでお前、そういうことするんだ?」
「おい、やめろって」
空気の読めない馬鹿を笑ってやろうと、シャルルが顔を上げると、同級生のほとんどが自分を見ているのに気が付いた。
「なあ、なんで……」
「やめろ」
聞いた生徒を、友人が引き下がらせる。
シャルルもお仲間たちも、ちょっとした遊びのつもりで、アナスタジアーナをからかっている。それはこそこそやるから楽しいのであって、大勢の前に引きずり出されると、とたんに気まずいものになった。
急におどおどした態度になり、シャルルたちは下を向く。先ほどまでの愉快な気分は消え、代わりに無神経な奴らに対するいらいらで、はらわたが煮えくり返った。
「おい、シャルル。騎士団長がお呼びだ」
「………………騎士団長?」
シャルルは武門のコリンズ伯爵家の子息だが、ただの三男で騎士団長と話す身分ではない。
「コリンズ伯爵令息シャルルだな。休んでよろしい」
「は」
緊張しながらかかとを鳴らす。団長の部屋にはアナスタジアーナと、ボウエン伯爵家レイモンドの代理でジュリウス、そしてその同僚のジェレミーがいた。ジュリウスは偉そうに話し出した。
「昨日、オースティン子爵令嬢の、アナスタジアーナ殿と待ち合わせをしたが来なかったな」
「それは……! なにかの誤解です。私はきちんと待ち合わせに」
「言い訳しなくていい。この場の全員が、その場に居た」
「…………!」
シャルルは裏切ったアナスタジアーナを、ぎろっと睨んだ。
「それ以前もほとんど来ないそうだな」
「誤解です。その、アナスタジアーナが精神的に不安定で、そのような思い込みを。私の配慮が足りないようで、お恥ずかしい限りです」
「アナスタジアーナ殿は、王都で騎士になる予定だ。ボウエン家はその後ろ盾となる。そして国とボウエン家が主体となって組まれたのが、コリンズ伯爵家との縁談だ。君にはその意義をよく考えて欲しい。君を選んでくれたお父上とも、きちんと話をするように。それで」
「……」
「次からはアナスタジアーナ殿と待ち合わせをする場合、その予定を騎士団に提出してくれ。団からは確認の上、国、ボウエン家、コリンズ家に連絡する。そして」
「……」
「当日、その待ち合わせに君が来たら、そこで初めてアナスタジアーナ殿を呼び出す」
「なんですって」
「なにか疑問が?」
「そんなことをしたら、僕が何時間も待つことになるではないですか」
「昨日、アナスタジアーナ殿も何時間も待っていたぞ」
「ですから、それは誤解です」
「この件で君と話すと、そうやって誤解だと言う。だから誤解が発生しないようにしているのだ。それのなにが不満なんだ」
アナスタジアーナなんかのために貴重な時間を使って、その上、待たされるなんて死んでも許せないとシャルルは唇を噛んだ。
「アナスタジアーナ殿は貴重な人材なんだ。時間を無駄に使わせることはできない。それぐらいの気を回せないのか?」
『どうして僕が待たされないといけないんだ』と絶叫しそうになるのを、シャルルはぐっとこらえた。
「でもおかしいです。片方が何時間も待つなんて」
「君は疑われている立場なんだ。それなのにどうして、身の潔白を晴らそうとはしないんだい?」
「疑われている?」
外面の良いシャルルは、つねに人を陥れる側だ。人というものは言いくるめるものであり、疑われた経験などなかった。
「僕のことを疑っているのですか」
「不自然だなとは思っている」
「どの点がですか」
ジュリウスを言いくるめようと、シャルルはやっきになった。
「普通、夜会であれだけの大物を前に疑われたら、やましいことがなくても、身の潔白を証明しようとするものだ。それに君の言うとおり、アナスタジアーナ殿の心が弱っているのなら、まわりに相談するなり、医者を頼ったりするだろう」
「……」
「でも君はなにもしない。まるでアナスタジアーナ殿に、欠点があるほうが都合が良いみたいだ」
いつものとおり罪を押しつけようと、反射的に口を開いた。だがシャルルが潔白であるのなら、アナスタジアーナの問題を改善するはずだ。それを放置しているからこそ、疑わしいという言葉に反応できなかった。
「では決めたとおりにしよう。疑いを晴らすためだ。できるだろう」
だが結局、この方法で待ち合わせをすることはなかった。婚約の解消がすでに視野に入っていたとはいえ、段取りをくんで、穏便に解消する予定は叶わなかった。
◇◇◇◇◇◇
様々な物事が思う通りにいかなくなり、いらいらしながらシャルルは自宅に戻った。執務室に呼び出されると、嫌な咳をする父親が待っていた。
「旦那様は、昨日、アナスタジアーナ様とご一緒に、坊ちゃまを待っていらしたのです」
「……」
ここへ来て初めて、現状をどうにかしようと大勢の人が動き出したのが分かり、「ちょっとまずいかもしれない」と思い始めた。
「シャルル。私はお前を大切に育てた。コリンズ伯爵家の誇りを持てと」
「……」
「だがな。だからといって、オースティン子爵家を下に見ていいということではないんだ。特にアナスタジアーナは家の力ではなく、本人の力で出世する予定だ。それを我が家は武門として、支えなければならない。わかったか? 彼女を支えるんだ」
いつものように右から左へと聞き流し、たまに父親の眉間に焦点を合わせ、目をぴょこぴょこさせていたシャルルは、父親の顔色が少し悪いことが気にかかったが、だからといってなにをすることもなかった。
◇◇◇◇◇◇
一月後に行われた、コリンズ伯爵領の狩猟祭は、盛大なものになった。キツネを追う人々は豪華な衣装を身にまとい、馬も負けずにおしゃれしている。ジュリウスはセレスティーナに尻尾を捧げることを誓い、レイモンドやマックスも恋人に誓う。アナスタジアーナは捧げる相手が思いつかず、なんとなくさびしかった。
「アナスタジアーナ。獲物を捧げてもいいか?」
「どうしたのですか。ジェレミー先輩」
「おや、聞いていないのか? コリンズ家が、今日の狩猟祭の乙女……戦乙女にアナスタジアーナを選んだんだ。大勢から求婚を申し込まれるぞ」
「なにも。コリンズ伯爵閣下の体調が悪いですし、準備がごたついているのではありませんか」
「……コリンズ伯爵閣下か……。それよりも婚約者の例の嫌がらせじゃないか?」
「こんな時まで?」
「とにかく講壇に向かおう。そうなら時間がない」
壇上にシャルルが、困った顔をして待っていた。
「仕方がないなあ。アナスタジアーナ。こんなにお客様を待たせて。我が儘は少しわきまえないと」
辺りに聞こえるような大きな声で話し、シャルルの長兄カミーユが、ぎょっとしている。そしてシャルルはアナスタジアーナを迎えに来ようとしたが、ジュリウスが止めに入った。
「なんですか」
「いつもあのように、アナスタジアーナの面子を潰すような話し方をするのか?」
「なんのことでしょう。僕はただ本当のことを」
「仮に本当でも、客人であるアナスタジアーナの面子を、潰さぬようにするものだ。例えば自分の手違いのせいにするとかな。おい、アナスタジアーナ。こっちへ来い」
そういいつつ、自分は呼びつけるように後輩を呼んだ。
「はい。先輩」
なにもなければシャルルの面子を潰さぬよう、変に気を遣ったかもしれないが、体育会系のアナスタジアーナは駆け足で壇上に登った。
婚約者という立場を利用して、これから行われる狩猟祭の乙女をその手に、注目を集め主役になろうとしたシャルルは、焦って手駒を奪い返そうとする。しかしシャルルの長兄カミーユと、その息子クロードが、その場をおさめようと割って入った。
「シャルル。後にしてくれ」
「シャルル叔父上。まずは父上のお話しと、来賓のご挨拶、その後はわざわざいらして下さった、アナスタジアーナ様のご紹介と立て込んでいるのです」
コリンズ伯爵が病欠のため、跡継ぎのカミーユは、戦乙女アナスタジアーナへの花冠の授与を、その場で最も位の高い、ブラックウェル伯爵のセレスティーナに頼んだ。
セレスティーナはよそ行きの顔で引き受けると、身重の身で一人では心許ないからという理由で、カミーユの長男、十二歳のクロードに手助けを頼んだ。
ボウエン伯爵家のレイモンドはそれを見守り、見ていた多くの人々は、跡継ぎはカミーユであり、その後継はクロードである。それをブラックウェル伯爵家と、ボウエン伯爵家が認めているということを正しく理解した。
だがシャルル一人だけが、なにが行われているのかを、本当の意味ではわかっておらず、そしてそれが自分に大きな影響があることを読み取れなかった。主役になるはずだった花冠授与の大役を奪われ、侍従たちに後ろに下がるように言われ、ただそれだけに腹を立てていた。
子爵家の四女で、女性も戦うのがめずらしくない土地で育ったアナスタジアーナは、とつぜん王都のような華やかな地で注目され、壇上で頬をばら色に染めた。シャルルの計略でお洒落をする暇もなく、質素な防具しか身につけていなかったが、だからこそ素朴な可愛らしさが引き立った。
長兄カミーユの合図で祭りが始まり、アナスタジアーナは冠をカミーユの妻にかぶせると、猟犬が放たれる中、堂々と歩き出す。
「やっぱり、出るのか。アナスタジアーナ」
「はい。ジュリウス先輩。ジェレミー先輩」
「頼もしいな」
馬で次々に飛び出していく。アナスタジアーナたちは子どものようにはしゃいで狩り場を囲み、それなりの成果をあげたが、さすがに疲れてきた昼近く、事故は起こった。
猟犬を避けようと飛び出してきた鹿に、カミーユの馬が驚いて棒立ちになったのだ。すぐ左を走っていたアナスタジアーナは、放り出されたカミーユが、頭から地面にたたき付けられるところを、咄嗟に飛び降りて受け止めた。
しかしカミーユの左足が馬の鐙に引っかかって、不安定な姿勢で引きずられそうになり、駄目かと思った瞬間、ジェレミーが馬の首にしがみついて大人しくさせようとした。領主代理の危機に次々と人がしがみつき、動きが鈍くなったところで、誰かがカミーユの足を引き抜いた。
「無事で良かったです。カミーユ様」
「ああ……肝が冷えた」
「父上!」
クロードが全速力で走ってくると、父親に飛びつき、泣きだしてしまった。
「クロード。男の子が人前で泣いては駄目だろう。私は大丈夫だ。このとおり怪我もない。……まだまだ大丈夫だから」
真横のアナスタジアーナにしか聞こえない小さな声で、背中を叩いてクロードをなだめている。
「そういうこと……」
狩猟祭が終わった翌週、現コリンズ伯爵の病死が発表され、半旗が掲げられた。




