優しい先輩の裏の顔
マックスの婚約が公表される前のできごとです
「ジュリウス先輩、聞いて下さい」
憤懣やるかたない後輩ダニエルにつかまり、本当は返事をしたくなかったが一応、した。
「なんだ」
「先月、隊に入ってきた新人がひどいんです。ろくに敬語も使えないし、仕事も出来ないし、その癖、態度が悪くて」
愚痴は長く続き、うんうんと頷いていたジュリウスは、早く解放してくれないかと思っていた。
出来不出来はあるが、新人なんてそんなものだし、下手に出来そうなのが入ってきて、油断していると、後で大失敗された例だってある。敬語と実務の基礎は一人前で、一見いっぱしに見えるが、新人とは経験はなにもない赤ちゃん……学生のようなものだ。
その上、仕えているのが、軍閥のボウエン家で、とにかく武術の腕を求められる。だから名門でも本人に資質がなければ、裏方に回ることもあるし、腕が立てば出世することだってある。腕さえあれば、なんでもいいというわけではもちろんないが、その年の新人が不足すれば、腕は立つが頭は……という者だって現れるのは当然だった。
「あんな奴、首にするべきです」
突然、乱暴なことを言いだしたダニエルに、強いショックを受けた。ここは伝統と権威を第一にする貴族社会であり、多少の浮き沈みはあっても、首にしたりはしない。しかし世の中の多くは、不満があるとこういったことを言ってしまうものだ。
以前、図面に使うインクの選別のために、外部から人を雇ったことがあった。その人物の採用担当者に、そうとは知らず、「誰があんな使えない奴を雇ったんだ。なんにも見ていないんじゃないか。いますぐ首にしろと言いたいです」と、散々愚痴をこぼした新人の評価が下がったことがあった。もちろん新人は、なぜ下がったのかわからないままだ。
その一連の流れを黙って見ていた時のいたたまれなさといったら。心臓をドキドキさせながら、聞き返す。
「なぜそんなことを言い出すのだ」
「だってとにかく使えないんです。なんの役にも立たないし、いても仕方がないでしょう」
「……」
気持ちは分かるが、ずっと愚痴をきかされるのもどうかと思い始めた。こちらも暇ではないのだから。だが立ち去ろうとすると、腕をつかまれた。
「もう、あんな奴と仕事をするのは耐えられません」
ダニエルは普段は温厚な性格だ。だから彼がここまで怒るのなら、その新人に問題があるのだろう。
話を聞くと、配属された初日に、大事な書類に飲み物をこぼすという非常識なミスから始まって、仕事の効率も悪く、説明も聞いている素振りが見られない。事務能力が低いと言うことは、最初の上司は聞かされていたため、覚悟はしていたそうだ。
だが明日の朝までの仕事を頼むと、終わらないうちに勝手に帰ってしまった。そのことを翌日、尋ねると、「だってあんなの一日で終わるわけないじゃないですか」と言ったそうだ。上司が「そう思ったのなら、頼まれたときに、そう申し出るんだよ」と言うと、「上司だったらそんなの言わなくてもわかるでしょう」と。
三ヶ月で上司が胃炎になってしまい、急遽、大部屋のダニエルの隊に入れられたそうだ。ダニエルの上司からは「適当に使ってやってくれ」とだけ指示され、隊の人間たちはストレスを貯めているという。
「腕はあるのだから現場に出すのは?」
「言うことを全く聞かないし、指示にも従わないんです。勝手なことばかり。怖くて出せません」
「ふーん」
ダニエルには気の毒だが今、つかまって愚痴をこぼされているほうに困っていた。このままではどうやっても、離してくれそうにない。なぜなら現状に参っていて、そんな中、ジュリウスだったら、なんとかしてくれるかもしれないという期待を持っているからだ。
「わかった。じゃあ、そのアレクシスとやらを引き取るから、もう解放してくれ」
嬉しそうなダニエルの上司と話し、アレクシスを引き取ると、その足で次の仕事に向かった。
たいていの人はアレクシスのような人間と一緒に働くのは、強いストレスを受けるものだ。だがジュリウスが働いているリック直下の部署は、一騎当千の強者揃いか、出世頭の精鋭が集まっている。表には出さないが人を人とも思わないところがあり、アレクシスにストレスを感じるような、可愛い人間性の持ち主はいなかった。
…………ジュリウスも含めて。
◇◇◇◇◇◇
アレクシスは二十一歳で、中堅のロドリゴ子爵家の四男だ。剣の腕自体は普通だが身のこなしが軽く、諜報活動に向いていそうだった。だが報連相がまるで理解できない性質で、他人と意思疎通を図る能力がない限り、組織の中で出世できないということが、どうしてもわからないようだ。
リックの元で鍛えられたため、人材とはすり切れるまで使い潰すものというイメージが、ジュリウスにはある。だからダニエルの「首にしろ」という発言が乱暴に感じるし、「役に立たない」という感覚がわからない。
百歩譲って人材が次から次へと湧いて出るのならいいが、通常は限られた中で配置するしかない。そもそも人材とは、しかるべき所が採用し、上層部が配属するものであって、下っ端はただ使うだけだ。だから「一緒に仕事するのは耐えられない」と言われても、そんなことをいちいち考えなければいいのではと心の中で思っていた。
……ダニエルが言っているのは、そういうことではないのだが…………。
「アレクシス。この書類を日付順に整理してくれ。ただし先ほどやったように、よく読んで未決のものは抜き取っておいてくれ」
そう指示して、リックと打ち合わせを始めた。
「ジュリウス君。ザパタ城に例の盗賊の残党が、潜んでいるという情報があって」
「意外に人の出入りが多い場所ですね。観光客も多いのに」
「ジュリウス殿。ザパタ城は、基礎部分に隠し階があります。そこに潜まれていたら厄介です」
「本当か。マックス」
「子どもの頃、……中世の設計図を見たことがあります」
ちらりと目配せをしてきたところを見ると、おそらくダルデンヌ領でのできごとだろう。それなら確かな情報だ。
「では、マックスの情報を踏まえて捕縛しようか。ちょっとレイモンド様に報告してくる」
「あ、俺も行きます。用事もあるし」
リックが部屋を出ると、マックスもついていった。我慢できないとばかりに、アレクシスが立ち上がって机を叩いた。
「なんなんですか。あいつ。偉そうにでたらめいいやがって」
目下の所、アレクシスが見下す相手は、ジュリウスとマックスだった。重用される基準がわからず、ずるいとしか思えないからだ。だが調査官という肩書きがあるため、ジュリウスには多少の遠慮はあった。
だが、マックスは貴族ですらない、とされている。正確には身元は公式文書には一切載っていない。まだ十五歳でアレクシスに比べると二十センチも背が低いため、剣豪と言われてもぴんとこないのだろう。そんな子どもが組織のトップであるリックや、ボウエン家の御曹司であるレイモンドやグリフィンと常に一緒にいる。「護衛」としか聞かされていないアレクシスには、なぜあんなにまわりと気安いのか、腹立たしいに違いない。
(出自を考えれば、マックスは、ボウエン家の縁者と言っても良い)
ジュリウスも初めて会ったとき、疑問を抱いたが、自分の知らない事情があるのだろうと流したものだ。怒っているアレクシスを横目に、ザパタ城の突入計画のため事務手続きを進めると、それが終わるまで腹を立てていた。
(そんなに暇なのか? 仕事に慣れさせようと考えていたが、もっと忙しくした方がいいだろうか)
そう思って、頼んだ書類をチェックすると、事件順内の日付順になっていた。
「アレクシス……」
「だってそのほうが効率的でしょう。日付順なんて頭悪いんじゃないですか」
「…………アレクシス。この書類は複写式になっていて、事件順にする分は別にある。日付順が必要だから頼んだのだ」
ただ事実を言っただけなのだが、アレクシスは人前でひどい恥をかかされたように真っ赤になった。机をばんと叩くと、捨て台詞をはいて出て行く。
「そんなに簡単な仕事は、他の誰かにやらせろ」
部屋にいた人々の注目を集めたが、面倒だったジュリウスは時間もないので、アレクシスを追わず仕事に戻った。
「その簡単な仕事もできなかったくせになあ」
同僚たちの独り言が響いた。
◇◇◇◇◇◇
ザパタ城突入の日は、参加者は思い思いの装備で集まった。そこになぜか呼んでいないアレクシスがいた。
「アレクシス。この任務は命じていないぞ」
不満げにジュリウスから目をそらし、返事をせず、誰に話しかけられても無視している。最後に現れたリックに駆けよった。
「リック様。俺を使って下さい。剣の腕は立つんです。きっと役に立ちます」
「今日の任務だけど……」
無視したリックの声にかぶせるように、アレクシスは話しかけ続けた。それを護衛が後ろに下がらせる。
「汚い手で触るな。リック様、俺……」
「ジュリウス君。なんなのあれ」
「済みません。なぜここにいるのか私にもわかりません」
「ふーん。君の部下だよね。この作戦に参加したいみたいだけど、役に立つの?」
「立ちません」
ジュリウスがそう答えると、アレクシスは殺気だった。
「ふざけるな。俺の足を引っ張りやがって。無能の癖に上司ぶりやがって」
「……どんな人物で、どうして役に立たないの?」
「感情的でつねに腹を立てており、静かな時でも苛立ちを抱えています。思い込みが激しく、間違いを指摘されると受け入れることができないほど心が脆いです。そのため現場に投入したら、間違った判断をし、それを指摘されても正そうとしないでしょう」
アレクシスは怒りで絶叫し、それを護衛が抑え込んでいる。
「ふーん。いいところは?」
「時間を守ります。創意工夫を持って仕事に取り組みますし、なにごとにも挑戦的で意欲があります」
「へ……?」
アレクシスの世界では、悪く言った人が誉めてくれることはないのだろう。ジュリウスの発言に戸惑っているようで、力が抜け、護衛も手を離す。四男だったせいか、どれだけがんばっても親から誉められたことはなく、アレクシスはいつも他の兄弟と比較されてきた。
「ジュリウス君の評価の通りなら、参加させられないな。そのことを彼に伝えてくれ」
「アレクシス。今回の作戦に参加させられない」
「お前のせいだ!」
アレクシスが叫んだ。
「お前が俺の事を悪く言ったから、リック様の評価が下がった」
「だが、なにも間違ってはないではないか」
「黙っていればすんだ話だ。こんなことになるんだったら俺だって、あんたの前で大人しくしてたよ」
「誰の前だろうと関係ないのではないか。職場とは人が大勢いるものだ。取り乱していたら、君の評価はそうなるだろう」
「だったらもっと早く言えよ。そのことを」
その場にいた人々の顔に、『知らなかったんだ……』という文字が浮かんだ。
「リック様。こいつは無能なんです。上司の癖に指示もまともにできなくて。なんでこんなやつが上司をやっているんですか。いますぐ首にしてください。贔屓にされているのは間違いです」
「……」
リックは最初から話を聞いていなかった。隣のマックスは、新しい技を頭の中で練習しているようだ。眉根が開いたり寄ったりしている。他の仲間もどうやら昼飯のことを考えているようで、残りは彼女で頭が一杯のようだ。
「なんで俺を無視するんだ」
たった一人で魂の叫びを上げているアレクシスが気の毒になり、ジュリウスは返事をしてやった。
「アレクシス。上司が部下を選べないように、部下も上司を選べない。だから無能な上司に当たったら耐えるしかない。数年経てば配置転換もあるし、それを待つんだ」
無能な上司呼ばわりをされても動じないジュリウスの、見当違いの助言を受けてアレクシスは絶句した。
「それとな、評価をするのも、首を決めるのも上の仕事なんだ。君が考えることではない。関係がないんだ」
そのことでいらいらしても、意味がないということをジュリウスは伝えたかったらしい。だがアレクシスは、そういうことを言いたいのではない。
話が通じない苛立ちから、なんと剣を抜いて斬りかかってきた。別に怪我をさせようと思ったわけではなく、精神的に追い詰められ、リックの前で実力を示そうと思ったからだ。腕が立つと評判のジュリウスを負かせば、この状況が変わるかもしれないと願い、大仰に手をかけ剣を抜く。
その様子を面倒そうに見ていた人々の輪の中で、もたもたと斬りかかってきたアレクシスの手を、ジュリウスは剣ごと手で受け止め、足で相手の体を払った。アレクシスは自信のあった剣で、見下していたジュリウスに歯も立たなかったことが信じられず、再度立ち上がり襲ってくる。
何度襲っても勝てず、かといってとどめを刺すタイプでもないジュリウスが黙っていると、にやにやしたマックスが交代を申し出て、素手であっという間にぼこぼこにしてしまった。
「ちょっと態度悪すぎでしょう。身から出た錆ですよ」
◇◇◇◇◇◇
「ジュリウス君。まだアレクシス君の面倒を見ているのかい?」
「リック殿。その、それが……プライドに触ったみたいで、私の元では働きたくないと言われました」
「…………………………新人が働く場所を、選べるとでも思っているのか?」
「まあ、それで受け入れ先に難航し……」
「どうやって新人研修を終えるのだろう」
担当部署の面々の苦労を思い、リックは気の毒そうだ。
「せっかく採用されたのだから、がんばってほしいですね。もったいないし、なによりお給料だって良いですし」
ジュリウスの労働意欲の八割方は、給金から来ているようだ。
部屋の中にいたものたちは、複雑な気分だった。弱冠十八歳ながら、調査官という裁量も権限も、桁外れて大きい役職に、ジュリウスは就いている。彼の部下になれたら、同じような道に進める可能性があり、ひそかに争奪戦が行われている。だからアレクシスが現れた時、多くの者がもやもやした。
もし心を入替えて真面目に勤めたら、調査官の仕事を手伝うことになっただろう。そうすればどれだけ適性がなかったとしても、少なくとも実績を積むことはできた。そこにジュリウスの口利きが加わったら、家内で調査官補にもっとも近い人材の出来上がりだ。
だがぱっと見て、ただの男爵令息だと見下し、しょぼくて後ろ盾もないジュリウスが、出世の糸口になるかもしれないと思いつかなかった。アレクシスには自分の幸運がわからなかったようだ。
「地獄の特訓に放り込むか…………」
リックはつぶやいた。アレクシスのようなものを教育するのはここでは簡単だ。命がかかる、新兵用の地獄の特訓に放り込めば良い。机の上ではああだこうだ文句をつけて、上司の言い方が悪い、仕事がつまらないと言っていたものたちが、誇りと尊厳をへし折られ、身一つになった時にどうでるか。
だがアレクシス一人のために、大がかりな準備をする前に、試してみようと思うことがあった。
リックは、ジュリウスをちらりと見た。
興味深いことにアレクシスのような問題人物は、ジュリウスのように面倒見が良いタイプと相性が悪い。ジュリウスのようなタイプはたいてい、周りからの信頼が厚く、人が投げ出すような仕事をコツコツとやり遂げる。現実の組織では派手な活躍をする人間はほんの一部で、大多数が地道な仕事を、丹念にこなす人間で構成される。
それだけなんて馬鹿馬鹿しいと思う新人はいるが、意外にそれをこなせる人材というのはそれほど多くなかったりする。なぜなら一定の割合で、精神的に不安定だったり、人間関係で問題を起こしたりして信用を失う人材がいるからだ。
しかしアレクシスのような人物は、なにか特別な能力が必要だと思い込んでいる。だから平凡な者、つまりはジュリウスが出世している理由が分からず、贔屓だと決めつけ、敵に回しストレスをため込むのだ。
◇◇◇◇◇◇
「上司が無能なんだ。まともな仕事もやらせてくれないし。これじゃあ能力を見せられない。出世もできない。あいつのせいで俺は……」
アレクシスは食堂でくだをまいていた。まわりは適当にあいづちを打ち、去っていく。今のアレクシスの仕事は、記録庫で事件の記録を読んでまとめることだ。なんて馬鹿馬鹿しい仕事だと当初は憤ったが、上司になにを言ってものれんに腕押しだ。おまけに一応やって提出すると、「後で見ておくから」というだけ。もっと他のこともできるとアピールしてみたが、聞いているのかいないのか、反応を見せない無能だった。
ある日、退勤した後、忘れ物に気が付き戻ると、作成したまとめを上司が読んでいるところだった。気になりこっそり見ていると、読み終わった後、廃棄処分にしているのが目に入った。驚いて今まで書いたはずのまとめを確認したところ、どこにも見当たらない。すべて捨てられていたのだ。
立ち直れず、ふらふらと廊下を歩いていると、ジュリウスに声をかけられた。
「大丈夫か? アレクシス」
「あんたもか?」
「なにがだ」
「あんたも俺に、必要がない仕事をやらせていたのか?」
泣き出してしまったアレクシスの気持ちが、わかったが、わからなかった。それはつらいだろう。だが二人の考えは、対極と言っても良いほど違った。
「アレクシスは…………出世したいのか?」
「当然だ。みんなそうだ。あんただってそうだろ。だいたいあんたはどんな汚い手を使ったんだ」
これだけの返答で、彼の世界が歪んでいるのがわかる。働き方の希望なんて人それぞれだ。正直な話、ジュリウスだって、これ以上出世したら重責のほうがつらい域に達している。だがそれは自分では選べない。
「アレクシス。何度も忠告したが、評価をするのは上の仕事だ」
「じゃあどうしろっていうんだ」
「つらいだろうが、上司に指示されたことに黙って従うしかない。」
「あいつは無能だ」
「そりゃあ……。組織なんだから、中には無能だっているだろう。そういうものだ。そもそも我々は貴族なのだから、有能かどうかだけでは判断されないし」
「無能に従えというのか。馬鹿馬鹿しくて耐えられない。俺は有能な上司の下で出世したいんだ」
「それなら自分が有能になるしかない。上司たちが欲しがるし、大きな仕事にも参加させてくれるようになる。そうやって選ばれて上に登っていくんだ」
痛烈な自慢が繰り出されたが、言っている方に自覚は無く、幸い聞いている方は気が付かなかった。
「きれいごとだ」
まわりが無能だと叫ぶアレクシスを見て、なんだかジュリウスはもの悲しかった。なぜなら無能と評価されると、無能と評価されている上司の元に配属されることがある。つまりは上司が無能とアレクシスが感じるのは、鏡なのではと考えたからだ。
そんな二人を見ていたマックスは、つくづく相性が悪いなと感心していた。認められず育ったアレクシスは、極端に自己評価が低く、まわりの忠告を聞き入れる余裕すらない。ハリネズミのような世の中への怒りは、そうしないと心を守れない防衛本能だ。話が合わないのも当然だった。
王都近郊という都会的な立地の領地で、領民との距離が著しく近い環境で育ったジュリウスは、人間とは育てるものという理念を持っている。一人一人に丹念に手をかければ、それが最終的に領地に返ってくると。その考えは職場でも発揮され、生来の世話焼きが後押しになり、アレクシスはその恩恵にあずかった。
それを見てマックスは、アレクシスはその内、痛い目を見るだろうと考えていた。
なぜなら確かに世話焼きな面もあるが、同時に領地のためなら領民を政治利用できる冷徹さも、ジュリウスは持ち合わせているからだ。人によってはそれを見て、人間性に表裏があると感じるだろう。領民に対するようにアレクシスに親切であるということは、その裏で職場の後輩という名の駒の一つとして無情に見ているということでもある。
そういった面…………、お人好しと無情さが矛盾なく同居できる人間性であること。それを理解せず、与し易しと高をくくっているアレクシスは、恩恵に浴するために実は象の檻に入って行こうとしていることに気が付いていなかった。
◇◇◇◇◇◇
「ジュリウス殿。ザパタ城の盗賊を捕らえていた牢屋に、残党が押し入り立てこもっています」
「わかった」
マックスにそう声をかけられ、すぐに歩き出したジュリウスに、アレクシスがついてくる。
「マックス。俺にも参加させ……て下さい」
「この仕事は……俺や、ジュリウス殿の仕事は、常に死を覚悟しないといけない」
「構わない」
「人を殺したことは?」
「……ない」
「今夜はためらうな」
あっさりとアレクシスを同行させたマックスに、ジュリウスは心配で聞いた。
「いいのか?」
「……囮がいた方が、俺たちも動きやすいでしょう」
マックスは本心なのかどうなのかわからない笑みで、アレクシスに聞こえるように大きな声で返事した。
◇◇◇◇◇◇
捕まえた盗賊たちは、拘置所が混雑していたため街中の警ら隊の収容所に、一時的に拘留されていた。集まっていた仲間にマックスは話しかけた。
「状況は?」
「看守を人質に立てこもっています。また軽犯罪で入っていた少年たちも、盾にされています。重厚な拘置所に移送される前に、助けようとしたのでしょう」
「どれくらいの腕だ」
「まあ、急ぎ働きが得意な奴らですから。なにより殺すのにためらいがないです。つまり看守の命は風前の灯火ですね。どうしますか」
「奴らは看守を憎んでいる。どさくさに紛れて殺される前に助けだそう。看守の命が第一。犯人は全員殺して構わない。巻き込まれた連中は可能な限り助ける」
つまりは死んでも構わないという命令が下った。その時、ジュリウスの腕をアレクシスが引っ張った。
「あの、ジュリウスさん。どうしてマックスが命令しているんですか」
「この場のリーダーだからだ」
「なんでですか」
「今日はリック殿が不在で、この部隊の次の責任者だからだ」
「そんなのおかしいでしょう。あんなガキ……子ども……」
アレクシスが言葉を選ぶという姿勢を初めて見せ、ジュリウスはちょっと感動した。その動機はおそらく、マックスが本当に責任者なら、今までのような態度は不利になると用心したからだ。それはジュリウスの説明を、一応は聞いてみようという姿勢を、見せたと言う事でもあった。
「マックスは中枢で働き始めて、五年近いベテランだ。肩書きによっては私の部下になることもあるが、経歴では彼のほうがずっと先輩だ」
「どうして教えてくれなかったんですか」
「アレクシス……。そんなことでいちいち、いらいらするな」
「でも……。でも……。俺の事をからかっているんじゃないですか? だってそんなの……」
「信じられない?」
「はい」
別にここで会話を止めたっていい。だが変化の兆しを見せているのを、無駄にできなかった。
「その当時、身元が確かで、性格がさっぱりした側用人を探していたんだ。その上、彼は当時から鬼子と呼ばれるほど強かった」
「そんなのずるしたようなものじゃないですか。なんの試験も受けないなんて」
「アレクシス。評価は」
「わかってます。上がするんでしょう。つまり選ばれた者勝ちってことですよね。やっぱりずるいです」
嬉しくなって笑みが浮かびそうになるのを我慢した。砂漠に水をまくような気持ちでいたが、アレクシスは聞いていたのだ。ジュリウスの講義を聴いたアレクシスは、緊張していたこともあり、彼の親切に心を開きかけていた。
「アレクシス。武器はこれを使え」
「なんだと」
収容所の職員が使っていた長めの警棒を借りると、マックスはアレクシスに渡した。
「いいなあ」
剣を取り上げられ、アレクシスは「馬鹿にするな」と反論しようとした。しかしジュリウスを始めとした数人は、なぜか羨ましがっている。
「私も警棒がいい」
「俺もできれば」
「俺も」
「みなさんは駄目です」
正面からの陽動部隊が突入する音を聞きながら、マックスとジュリウス、アレクシスは裏口から侵入した。人間の盾にするために房から出された者たちは、礼拝堂に集められているようだ。そんな中、通り過ぎようとした房にか弱げな女性がいた。足を痛めているらしい。
「助けて下さい」
てっきり人質にされた軽犯罪者だろうと、アレクシスは近寄った。なにか光るものが一閃するのを、本能が感づき、後ろに転がる。殺されそうになる恐怖に初めてさらされ、訓練で培った動きで震えながら気絶させる。
「アレクシス。その女性を礼拝堂まで連れてきてくれ」
そう言うとろくに見もせず、ジュリウスは通り過ぎて行ってしまった。
「ジュリウス先輩。ちょっと待って下さい!ちょっと!」
初任務なのだから、「みんな」が助けてくれるはずとアレクシスは甘えていて、しかもそのことに無自覚だった。しかし自分からのこのこ、現場にやってきた後輩を、助ける気など毛頭ない。ジュリウスが豹変したように見える理由も分からず、初めて命の危険にさらされ、アレクシスは急に周りが見えるようになってきていた。
他に潜んでいるものはいないことを、横で確認したマックスも進み出した。一応、遠目で、責任者としてアレクシスに気を配ってはいる。死なせたらなにをどう言おうと、責任問題になるからだ。
「マックス……先輩。待って下さい!」
一人残されそうになったアレクシスは、彼の人生において初めてのことをした。
『黙って指示に従った』のだ。
女性を引きずって礼拝堂に向かう。礼拝堂では盗賊たちは人間の盾を作っていたが、四方八方から一斉に飛びかかり止めを刺した結果、人質の看守は無事に救出することができた。だがひどい暴行を受けたらしく、一人はしばらく歩くことが出来なさそうだ。
「あの、この人たちは、殺す必要があったんですか?」
アレクシスが妙に人間くさいことを、ジュリウスに聞いてきた。目の前に転がっている死体を見て、思うところがあったらしい。
「人間の盾にされていただけなのに」
人質救出の時に、マックスが何人か斬り殺したのを見て気になったのだろう。
「彼らは盗賊の一味だぞ」
「……そうなんですか? どうしてわかったのですか」
「手首や足首を見ろ。真っ赤じゃないか。重罪犯が手枷足枷をされていた証しだ」
「それじゃあ。最初の女も」
足の悪いふりをして襲ってきた、女性の手首に枷の跡がついていたのを、アレクシスは思い出した。
「わかっていたなら、どうして教えてくれなかったんですか。死ぬところだったんですよ」
なにを言われているのか、さっぱりわからないという顔で、ジュリウスはアレクシスをしばらく見ていた。
「そんなのは見ればわかるだろう? それに殺されそうになったら、相手を倒せば良いだけの話だ」
それまで驚くほど親切にしてくれたジュリウスが、命のやり取りをする場面で見せた冷酷無比にも見える一面に、まるで裏の顔を見せられたような気がした。あまりにも落差がありすぎて、仮面をかぶっていたようにしか見えなかったからだ。それはまるで悪意を持った人間に弄ばれたような気持ち悪さがあり、足元がなくなったような恐怖を感じた。
人間不信に陥ったアレクシスは、急に冷静になり自分の頭で様々なことを考え始めた。
つまりは遅い自立を果たしたのだ。
◇◇◇◇◇◇
「ジュリウス殿。まだアレクシスの面倒を見ているのですか?」
「ああ。マックス。それがどういうわけか。近頃、私の顔を見ると、深々と頭を下げ、逃げ出すのだ」
「……」
「礼儀正しくなったのはいいことだな」
アレクシスの心境までは分からない。だが真面目に仕事をするようになり、急に大人しくなったようだ。
「ダニエルによると、鍛錬をかかさないから腕が上がったし、未熟ではあるが用心深くなり、確実な仕事ぶりをするようになったそうだ」
「ようじん」
「仕事を指示されると誰からの指示なのか、目的はなんなのか、最終的に誰に提出して、そしてなにに使われるのかなどを、それはもう事細かく確認するそうで、法務が使ってやってもいいと名乗りを上げたそうだ」
「……猜疑心の固まりのようですね。適性はあるのでしょうか?」
「なんでも前は酒席で、べろべろになるまで飲んで、くだを巻くところがあったそうだが、最近はまったく酒に口をつけず、宴席でもびくびくしながらお世辞ばかり言っているとか。まだ若いんだから、もっと羽目を外してもいいのに。年下の私が言うことではないが。ははは。それを聞いて法務が、鍛えてみようかと思ったんだろうな。見所があるかもしれん。それと責任感を持つようになったそうだ」
「せきにんかん」
「隊列で歩く時や、撤退する時に、必ず殿を務めるようになったそうだ。自ら最後尾になり隊の危険を進んで引き受けるとは、誠に頼もしいな」
「いい感じに、心がえぐられたようで……」
職場にはいろいろな新人がやってくる。来た時にはとんでもないと思った人物も、三ヶ月もすると馴染んでいたりするものだ。そんな風に、アレクシスもなんとか馴染んだ。
「アレクシスがどう成長するか楽しみだな」
「まあ、採用された以上は、頑張って欲しいですね」
マックスは笑顔のジュリウスを見ながら、「この優しそうな顔にみんな騙されるんだな」と思った。ジュリウス自身は別に誰も騙していないのだが。
「現場に出れば明らかなのに……」
「なにかいったか?」
「いいえ」
ジュリウスが出て行った後、マックスは独り言ちた。
「リック殿に報告しないと。ジュリウス殿の檻にアレクシスを入れた結果を。これで地獄の特訓の予算が他に回せるな」
人を人とも思わない部署で、マックスは次の仕事を始めた。
作者は民間企業に勤めた経験がほぼないため、人材運用に対する考え方が偏っています。人材とはすり切れるまで使い潰すものであり、無能なら首にするという発想が身近ではありません。




