三角飴(後編)
「ブランシュフルール様。来て頂いて嬉しいです」
「エロイーズ様。お久しぶりです。お邪魔致します」
エロイーズを見て一目で理由が分かった。
「何キロくらい太りましたの?」
「十八キロも太りましたの!」
嬉しそうにお腹の脂肪を撫でている。
「最初に気が付いたのが、寝込んでも体重が減らないということでしたの。だから補助薬をたくさん食べて、量は少なくていいから、一日に何度も食べました。胃が疲れてしまうことはあったけど、それでも少しずつ体重が増えて……。散歩をした後は特に食欲が出るんですの」
「それが普通です」
「こんなに体に活力が満ちているのは初めてです」
エロイーズは目がきらきらしている。
元々痩せていたエロイーズは体重が増えたからといって、別に肥満になったわけではない。多少ふっくらになっただけで、人によっては普通の体型だろう。だが……。部屋の隅にへばりつき、目を合わせないアンセルムにとっては、そうではないのだろう。
邪魔なエロイーズが退場してくれて、婚約者が戻ってきたというのに、ブランシュフルールは嬉しくなかった。
「あの、ブランシュフルール様。いままで失礼な態度を取ってしまい、申し訳ありませんでした。私はこの通り友だちもいなくて、三年前にできた、たった一人の幼馴染みが奪われるのかと怖くて……。でも恩人に……いえ、人に取っていい態度ではありませんでした。申し訳ありませんでした」
「………………」
エロイーズはアンセルムをちらりと見ると、友人だと思っていたのは自分だけだと、さびしそうな顔になった。
「エロイーズ様。確かに最初は腹が立ちました。でもあなたが元気になったことを、嬉しく感じます。少しずつ外に出てみませんか。まだ十六歳になったばかりでしょう。もしかしたら友だちが今からでもできるかもしれませんよ」
それは言外に、ブランシュフルールは友人になる気はないと告げていた。頭ではわかっていても、現実の世界で知っている、たった一人の同世代の女性と別れるのがエロイーズはつらそうだ。部屋の外に出ると、アンセルムの安堵のため息が聞こえたが、それを尻目に馬車に乗って一人で帰った。考えることがたくさんあったからだ。
「お父様。私、婚約の継続を迷っていて」
「理由は?」
「アンセルム様が、エロイーズ様が太った途端、手の平を返して無視するようになったの」
「つまり…………人間性か?」
「きっと儚いエロイーズ様に、必要とされる英雄になりたかったんだと思う」
「つまり…………自己中心的ってことか?」
「だから私のことを、冷たくて思いやりがないと責めたのでしょう」
「それ、人格否定ではないか」
「ジュリウス様はどう思います?」
「代金をおさめに来ただけなのだが……」
ジュリウスを見ながら、『このお貴族様は、どうして太らないんだろう』とブランシュフルールは考えていた。
「貴族の婚約だったらそんなものと思うが……。ブランシュフルールの婚約は、そんなに強制力があるものではないのだろう?」
「自分で決めるからこそ迷うのです。ジュリウス様」
「そうだなあ。私だったら相手の人格は気にしない。政略だから結婚生活を送るためのものではないし。だが生まれた子どもが苦労を背負い込むようなら、相手と徹底的に話し合うなあ……」
「子どもを大事にする人を、選んだ方がいいという意味ですか?」
「生まれた子どもをどう運用するかが、政略結婚では大事なのだ。それが話し合えないようでは、最初から意味がない。それに子どものことを真剣に考えるということは、結果的に大事にするということでもある。そういった相手でないと、結局は他の面も上手く行かないだろう」
そう言うとジュリウスは新作の飴を見て、はしゃいで買っていった。永遠の十歳児のようだ。
「生まれる子ども……」
助けを求められると見境なく、ふらふらと飛び出す父親。
問い質されると、冷たくて思いやりがないと子どもを責める父親。
それ以前に……。
「…………お父様」
◇◇◇◇◇◇
「ブランシュフルール嬢。息子がエロイーズ嬢のことで、無礼を働いたのは申し訳なかったと思う。だが既に終わったことじゃないか。今さらどうして、婚約の解消なんて持ち出すんだ」
「そうだ、僕は反省して君の元に戻った。それに人助けだったんだ。仕方がないだろう」
長く沈黙していたブランシュフルールは、婚約の継続をごり押しするオブリー家に、静かに口開いた。
「アンセルム様。あなたは婚約中、ずっと私を責めていたわ。冷たいって。思いやりがないって。なぜそんなことを言われるのかわからなかった。あなたを引き止めたこともないのだから、そんなことする必要はなかったはずよ」
「本当のことじゃないか」
「不憫なエロイーズ様を救う自分を、『英雄です』って、いちいち認めてもらいたい気持ちに勝てなかったということでしょう。人助けに行っているのに、それだけでは足りない。みんなに認めてもらわないと我慢できないの。でも……どうしてかしら?」
「うるさい。なにをどう言われようと僕は、人助けに行っていたんだ。君と違って。口先だけでなく、きちんと行動を起こしていた僕が、文句を言われる筋合いはない」
「そうね」
「そうだろう」
「だったらどうして、みんなあなたを『英雄』だと崇めないのかしら」
「……」
「あなたはこの三年間、自分は人助けに行く英雄だと、たくさんの人に言って回っていたわ。それなのに誉められたことある? あなたからではなく、相手からその話題を持ちかけられたことはある?」
「……」
本当にないのだろう。怒っていたはずのアンセルムが、今は茫然としてる。
「ねえ、相手のことを責めている時、自分がどんな顔をしているか知ってる? すごく嬉しそうなの。ものすごく。おかしいわよね。だって相手を冷たいと責めているのに。どうしてかしら」
「……」
「みんな不思議がっていたわ。だからあなたのその笑顔、とても印象に残ったの。そしてとつぜん見舞いに行かなくなったことで、地域の話題になったわ」
怒濤のように紡がれたブランシュフルールの言葉は、一度は聞き流されそうになった。
「…………地域の話題?」
名家オブリー家の長男として、つねに注目を集めてきたアンセルムは、今まで人の目など気にしたことがなかった。なぜなら民衆など、所詮は取るに足りないものだからだ。だがここへ来て、とつぜんそうではないことに気が付いたようだった。
「ええ。冷たいと責めて回っていた嬉しそうな英雄が、ばったりと見舞いに行かなくなった。その頃からあなたが華奢で儚げと噂していたエロイーズ様が、ふくよかな姿で表に出られるようになった」
アンセルムは急に決まり悪くなり、この三年間の自分のわざとらしい行動が、人々の記憶の中から消えて欲しいと願った。
「『みんな』の出す答えは……。皮肉ね。英雄として見て欲しくて、たくさんの人に印象づけて回った結果、正反対に思われることになってしまったわね」
「……」
気まずい沈黙が落ち、アンセルムはなんとか話題を変えようと話を元に戻した。
「今は婚約について話をしているんだ。そんなことは関係ないだろう」
「私はそうは思わないわ」
「とにかく婚約を解消する気はない。父も同じ意見だ。両家の婚約にはこの街のたくさんの名士がかかわっているんだから、君の一存で解消するなんて、ちょっと我が儘が過ぎるんじゃないか」
「そう。それなら………………。確認したいことがいくつかあるの」
「なんだ? なんでも聞いてくれ」
身の置き所がなくなっていたアンセルムは、話題を変えられて嬉しくて仕方がなかった。
「多分、この話をした後は、アンセルム様の方から婚約を解消する……解消したくなると思うわ」
「そんなことは絶対にないと思うが」
「……」
「なんだ」
「エロイーズ様とアンセルム様は、幼馴染みなのよね」
「ああ、そうだ。だから親しかったんだ。そのためこういうことになったのは仕方がないだろう」
「私が知っている限り、ほとんど毎日お会いしていたわ」
「今さらそんなことを言っても、どうしようもないだろう。それに人助けだったって何度も」
「ええ、確かにあなたは『唯一の幼馴染みである僕に助けを求めている。紳士として、いや人間として駆けつけるのは当然』と言っていたわ」
「そうだ。助けを求められたんだ」
「おまけにお母様同士が友人で、お住まいも隣同士」
「だからそういったしがらみがあって、彼女と付き合わないといけなかったんだ」
「じゃあ…………」
「なんだ」
「じゃあ、どうして親しくなったのが三年前なの?」
「それは……」
エロイーズと親しかったのは仕方がなかったと強調した分、実はそれほどの付き合いがなかったことを指摘され、アンセルムはひどく動揺した。
「逆におかしくない? そんな環境なら、文字通り幼馴染みとして、幼い頃から付き合いがあるはずよ。でも親しくなかった。まあ、それも当たり前よね。普通の男の子には病人の見舞いなんて退屈だもの」
「あ……」
「それならどうして、三年前にとつぜん行くようになったの?」
「……」
アンセルムは目を彷徨わせるだけで、答えようとしなかった。額には汗が浮かんでいる。
「エロイーズ様に伺ったところ、彼女の十三歳の誕生日に、無理矢理連れてこられたそうね。それ以来、とつぜん週に一回は顔を出すようになっていったと。それって……」
「…………君はいつもそうだ。自分の賢さを鼻にかけて、他人の欠点をあげつらう。そんな君がエロイーズになにをしてくれたというんだ。毎日、見舞いに行っている僕のほうが、ずっと彼女の救いになった。僕だけが彼女の唯一の救いだったんだ。君のように思いやりもなければ、心の冷たい人間になにができる」
「…………そうねえ。見舞いに行かないことかしら」
「……なんの話だ」
「今になってみれば不思議だったの。あんなに具合の悪いエロイーズ様と、初めてお目にかかった時、応接間に通されたわ。でも彼女の容態を考えたら、寝室でお目にかかってもおかしくなかった。アンセルム様は幼馴染みと伺っていたし、まあ、私は女だしね。でも応接間に通された」
「……」
「困っていたみたい。あなたが隙あらば寝室に入ろうとすること」
決定的な言葉をはかれたアンセルムは真っ赤になり、その両親は真っ青になった。
「お前。一体なにをしたんだ! アンセルム」
「アンセルム?!」
「でも世間知らずなエロイーズ様が招き入れてしまうので、苦渋の決断として応接間で接待していたみたい。ご家族も使用人も、アンセルム様の距離が近すぎることを、エロイーズ様には知らせたくなかったんでしょうね」
アンセルムの秘密の楽しみを、実は隣家の『全員』が三年も前から知っていたと教えられ、あまりの恥ずかしさに椅子を倒して立ち上がった。
「嘘だ! そんなの嘘だ!」
ブランシュフルールが話したことはすべて推測だ。
エロイーズから聞いた話。アンセルムから目を離さない、厳しい目の使用人たち。彼がいると必ず顔を出していくエロイーズの母親。その一人一人の目つきや表情を見て覚える、ほんのちょっとの違和感。その積み重ねからたどり着いた結論だが、確信に至る前に、答えはアンセルム本人が出してくれた。
「嘘じゃないわ。あなたはエロイーズ様が太ったから、罰として捨ててやったと思っているかもしれない。けれど療養管理されているエロイーズ様が、あそこまで太ったのは、『全員』に判断されたからじゃない? そのほうが安全だって」
「でも……だが…………黙れ!」
羞恥心と屈辱にまみれ、アンセルムは机の上のものをなぎ払い、コップが飛んでいった。
婚約を解消させ、その上で今後のエロイーズを守る為とはいえ、言い過ぎただろうか。だがエロイーズの両親には医者を通して、薬の正体を話したにもかかわらず、高いままの値段を払ってくれている。商人として差額分の値段は働くつもりだ。アンセルムの両親をうかがうと、母親がとつぜん立ち上がった。
「あれってそういう……」
母親は空を見つめて両手で口を押さえる。
隣家の夫人から一時期、何度もアンセルムの見舞いを、遠慮して欲しいという連絡があった。その時はてっきり、まだ乱暴で無作法なアンセルムが、なにか失礼を働いたのだろうと。そのため息子の見舞いに付き添ったり、様子をそっと見守ったりした。本人はちゃんと行儀良くしていると話したため、なにか行き違いがあったのだろうと判断した。
だから息子を信じて、『もう少しあたたかい目で見守って欲しい』と、隣家には理解と配慮をお願いしたものだ。なにより浅慮で酷薄な息子が、病人の見舞いに興味を持つなど、こんなに教育に良い機会はないだろうと感じたからだ。だがまさかそんな問題を……。
へなへなと崩れ落ちたオブリー夫人を横目に、少し落ち着いた頃を見計らってアンセルムに声をかけた。
「アンセルム様。お座りになって。どうして婚約を解消しようと思ったかお伝えします。それはこの結婚が成立しないと考えたからです」
アンセルムは力なく座った。
「今回の事であなたには困っている人が必要だとわかったわ。そういった弱い人がいないと駄目なのね」
「困っている人を助けることのどこが悪いんだ」
「問題はそこじゃないわ。そんな人を救う自分を、まわりに見せつけないと気が済まない点よ。私はずっとあなたに責められていた。つまり敵として扱われていたの。おかしくない? 婚約者なのに、妻になるのに、私はあなたの敵なの。いずれ生まれる子どもも……」
アンセルムは驚いて顔を上げた。
「子どもは…………。待ってくれ。さすがに子どもに…………そんなことは……」
「どうかしら。いかにも言いそうだわ。『お前たちに思いやりがなくてお父さんは悲しいよ』『困っている人の為に我慢できないなんて、冷たいと思わないか』」
「それは、だってその通りではないか……」
「だったら私とは意見が合わないわ」
「だが、だが…………。少し大げさではないか?」
「………………これは言うつもりなかったけれど、例えば子どもが大病を患ったり、取り返しの付かない怪我をしたとしたら、あなたはどう思う? 悲しいって感じる? それとも嬉しく感じる?」
「ブランシュフルール。確かに僕は責められる点はあるだろうが、いくらなんでもそれは侮辱だ。さすがに……」
「でも、あなた、エロイーズ様が快方に向かったら、がっかりしたんじゃない?」
「………………………………」
アンセルムは目を見張り片手でゆっくり額を押さえると、そのまままったく反応しなくなってしまった。それを見て、なんの自覚もなかったのだと衝撃を受けた。
「あなたにとって家族とは、自分を英雄にする舞台装置なの。だからあなたは永遠に、家族と家族になれないと思う。少なくとも私はそれを試したくないわ。それが結婚できない理由です」
◇◇◇◇◇◇
ブランシュフルールとその父親が婚約の解消を申し出ると、アンセルムもオブリー家も動揺した。なぜならエロイーズの問題が起きている間、ずっと冷静に見えたからだ。解決した今となっての解消の申し出に驚き、オブリー家は粘り強く説得したが、それが返ってアンセルムの問題を掘り返してしまうことにつながった。そもそもブランシュフルールが解消する決心をしたのに、エロイーズは関係ない。問題はこの件で垣間見えた、アンセルムの人間性だからだ。
醜聞をこれ以上、広げないために、なんとかブランシュフルールを引き止めようと、アンセルムの両親はあらゆる手段を使った。だが彼女の考えを変えることはできず、解消となった。
例えまだ生まれていなくても、子どもの未来を守ろうと覚悟した母親に、敵う者はいなかったからだ。
アンセルムは長男だったため、どうしようもできずオブリー家はこの件をもみ消した。
ブランシュフルールと、エロイーズの家に金を渡し、権力で黙らせ、それで問題は解決した。隣家ではエロイーズのことを最初からしっかり守っていたし、本人はそのことを知らない。大人たちから見れば、権力を持った思春期の少年の暴走であり、終わったのなら忘れようと、瞬く間に過去のものになった。誰も覚えていたくなかったからだ。
しかしたった一人だけ、解決に至らなかったものがいる。
アンセルムだ。
彼は隣家の使用人を見かけると、例の件を思いだし、新しく来た使用人が隣家から移ってきたと聞くと、首にしようとした。隣家が関係するような近所の集まりには絶対に出なかったし、馬車道で隣家の馬車とすれ違おうものなら挙動不審に陥った。
なにごともなく平然としていれば、それで済んだ話なのに、羞恥心と屈辱で何年もひきずった。
するとそんな主人を見て、使用人たちが同僚に事情を聞くようになり、気が付くと家内の人間、全員知ってしまっていた。最初は『なにかがあったらしい』ていどのものが、まるで天井のシミが広がるように、隣家から徐々に噂がしみ出していった。隣家にとっては終わったことという感覚も、余計にそれを加速させ、それをアンセルム本人が何年もあおった結果だ。
両親が息子のためにもみ消したことを、自分で掘り返してしまったのだ。
◇◇◇◇◇◇
「オレンジ五個、レモン二個、洋梨二個、ルバーブ五個、黒すぐり五個。よし、完璧だ」
なにがだろう……。
ブラックウェル伯爵家の居間には、軽食を置く専用の小机がある。ジュリウスは仕事から帰ってくると、夕食前にマフィンやマドレーヌを味わいつつ流し込むように食べ、ぽいぽいと飴を口に放り込み、指さし確認しながら飴を厳選して服の隠しにしまう。
不思議なことに用意されたものは、いつもあっという間に消えてしまうのだ。
「どうしてだろう。ハンプソン。まるで土の妖精がつまみ食いしているかのようだ」
「……そうですねえ。ジュリウス殿」
「主人用なのだから、使用人が食べているとも思えないし」
「……ええ、ジュリウス殿」
「つまりはあれだろう。セレスティーナがつまみ食いしているということだろう」
「……そうかもしれませんねえ。ジュリウス殿」
「私がいない間に食べているのだろうが、食事のバランスは取れているのか」
「……」
「今は大変な時期だし、ただでさえつわりで苦しいはずなのに」
「……左様でございますね。ジュリウス殿」
「心配だ」
「……」
「あ、セレスティーナ。君のお菓子の食べ過ぎが心配で」
「………………夫を待つ妻は心配で、ついつい口にしてしまいますの。ジュリウスが早く帰ってくれば、きっと…………」
「そうだったのか。私のせいで済まない。君のために万障繰り合わせて帰ることを誓おう」
まるで『自分に任せておけ』とでもいうように、胸を叩くジュリウスを見たハンプソンは、お菓子の減りを妻のせいにされるという、このちょっといらっとする状況も、自分に有利に動かしている自慢の主人に感無量だった。




