三角飴(前編)
店番をしながらブランシュフルールは、婚約者のアンセルムを待っていた。
いつもどおり待ち合わせはすっぽかされ、いつもどおり品だしをしていると、とつぜん急いだアンセルムが入ってきた。
「エロイーズの具合が悪いそうなんだ。すぐに薬を用意してくれ」
「ははははい!」
不意打ちされたブランシュフルールは、心臓が飛び跳ねた。さっと店の奥に入り、エロイーズ用の袋をつかみ取ると、アンセルムに持っていく。
「ここここちらに署名を」
受取書に署名をしてもらうが、別の女性の元へ行く婚約者と視線を合わせることができない。それを嫉妬と受け取ったのか、おもむろにアンセルムは演説を始めた。
「確かに僕と君は婚約している。だがエロイーズは体が弱いんだ。そんな彼女が唯一の幼馴染みである僕に、助けを求めている。紳士として、いや人間として駆けつけるのは当然のことだろう。それをそう非難がましい目で見てきて、君には人の心というものがないのかい。彼女と違って丈夫で恵まれている君は、もう少し我慢すべきじゃないかな」
暗い顔で下を向きながら、ブランシュフルールはうなずいた。アンセルムがようやっと出て行った後、顔を上げてこんな事を言う。
「十分間の接客で、二十ポンドの売り上げか……。一年は楽に暮らせるわ」
◇◇◇◇◇◇
ビュイエ商会の長女ブランシュフルールが、男爵家に連なるオブリー家の長男アンセルムと婚約したのは半年前のことだった。
オブリー家はビュイエ商会目当てだったし、ビュイエ商会はオブリー家の後見目当てだ。だからお互いに対等な関係だったはずだが、腰を低くすることにためらいがないブランシュフルールと、頭を下げられて当然と育ったアンセルムでは、初対面から上下関係ができてしまっていた。
それをあまり良いことではないとブランシュフルールは感じ、関係を良くしようとしていたが、驚くほど鈍感で想像力のないアンセルムはまったく気が付かなかった。
「お父様。どうしよう。まるで察してくれないの」
「見るからに気が利かなさそうだからな。無理しなくてもいいぞ」
「うん……」
そうは言っても、二人で会う分にはまだましだった。一応、女性であるブランシュフルールには気を遣ってくれる。だが慣れてくると、だんだんおかしくなっていった。最初は一通の言づてだった。
「エロイーズの具合が悪くなったらしい」
「…………どなたですか?」
そう言いつつも知っていた。
アンセルムの一歳下の幼馴染みだ。体が弱く、季節の変わり目になると決まって寝込むらしい。それは大変、気の毒なことだ。だが問題はそこではない。ため込んだ苛立ちが瞬間的に沸騰しそうになり、あわてて深呼吸をする。
まずエロイーズが誰かという説明をアンセルムはすべきだったし、その上で彼女の体調について解説すべきだった。それに彼女から伝言が来たのであれば、先に彼の判断で処理すべきで、話を持ちかけるのはその後だ。それなのにそれらすべてをすっ飛ばして、まわりが気を利かせて当然だという態度を取ったのだ。その気の利かなさにいらっとした。
「取りあえず行こう」
「取りあえず……?」
「そうだ、だって彼女が助けを求めているのだから」
「……」
「彼女は体が弱いんだ。気の毒だと思わないか?」
「ですが……」
無意識に気配りを要求してくる傲慢さと、それでいて他人の気遣いに気が付かない無神経さ。さらにこの世で最も偉いのは、困っている人を救おうとしている自分だという自己顕示欲まで重なってはしんどかった。
「君がそんな冷たい女だとは思わなかった。少しの思いやりもないのか?」
「……」
こんな風にちくちくと、弱者を救う英雄である自分に比べて君は……と攻撃され、早い段階でブランシュフルールは、アンセルムのことを他人だと思うようになった。いずれ結婚はするが、関係のない人間だと。
「アンセルム。来てくれたのね。良かった。怖かったの……」
「すまない。エロイーズ。僕がもっと早く来ていれば。つまらない用事があって」
「忙しいのはわかっているわ。でも、ごめんなさい……」
「気にするな。エロイーズ。君のためなら駆けつけるさ」
「私、不安で……」
「遠慮するな。エロイーズ。いつでも好きな時に連絡を寄越してくれ」
「また、来てくれる?」
「もちろんだとも。エロイーズ」
「アンセルム……」
初対面のブランシュフルールを放っておいて、応接間の二人の三文芝居は、セリフから間まで計算されていた。アンセルムに手を取られ寄り添うエロイーズは、優越感に浸っている。その小さな子どものような、あからさまな勝ち誇った顔を見せつけられ、ブランシュフルールは怒りよりも驚きが先に立ち目を見張った。
「初めまして。ブランシュフルール様。アンセルムがお世話になっております。彼のことでなにか困ったことがあったら、私に言って下さい。彼、私の言うことならなんでも聞いてくれるので」
「当たり前だ。君には逆らえないさ」
「もうアンセルムったら」
そんな風に二人はいちゃいちゃしていたし、ブランシュフルールは初めての場所で用心深くしていた。しかし三十分ほどたつと、妙に口が重くなっていったエロイーズが寝室に運ばれていったのだ。
(本当に体、弱いんだ…………)
そのことに衝撃を受け、茫然自失のままアンセルムと別れて帰った。
「本当に弱いのか? 演技ではなく?」
「ええ、お父様。嫌な態度を取られましたが、最後は気の毒になりましたわ」
「やりにくいな」
「仮病のほうがまだましでしたわ。あんなに虚弱では、交渉の机にすら乗せられません」
「うーん」
「どうしましょう」
「どちらにしてもすることは変わりない。なぜならお前の婚約者はアンセルム殿であって、エロイーズ嬢ではないのだから」
報告を受けた父親は、アンセルムのオブリー家と、この件で話し合いを持った。だからなにかの決着……アンセルムが叱責され、反省するという決着がつくはずだった。
◇◇◇◇◇◇
三ヶ月後、隣国から大量に輸入した三角飴の、『余った分』の品出しをブランシュフルールは行っていた。
砂糖の税金が下げられた影響で、国内では空前の飴の流行が起こっている。その製作の参考になったのが、隣国の名産、三角飴だ。実際は四面体だが……。隣国はとにかく華やかで、おしゃれ、みんなが真似をする。商会の実家がある、ラムレイ領の領主もはまっている。
領主のジュリウスは店頭でにまにまと眺めたり、自分で買ったりするのが嬉しいらしく、よく顔を出す。彼が買ったと聞くと、庶民も欲しがり、流行に一役買っていた。飴は単価が安いため、気軽に買え、飛躍的に売り上げが伸びている。
しかし悩みが一つあった。一番、売れ行きがいいのは、様々な味の入った輸入品の詰め合わせだ。だがジュリウスはこれに詰められている、薄荷飴を嫌がるのだ。
「……甘くない……から……」
こういう時に限り、押し出しのいいジュリウスの声が、急に小さくなってしまう。そのため彼に渡す袋からは、薄荷飴だけを取り除くことにした所、それを見て同じことを頼むお客が数人、現れたのだ。そんなこんなで、薄荷飴だけ微妙な数が余ってしまっていた。
「私は好きだけどな」
少し青みがかった飴に白い粉がまぶされ、まるで雪のように美しい。味も砂糖控えめですっきりする。ちょうど手に入れたおしゃれな袋に五個ずつ入れ、店番をする机に並べた。そこへアンセルムがやってきた。
「ブランシュフルール。女の子に贈るちょっとしたものってなにがいいかな」
アンセルムは両親に叱られたらしく、大分、物腰が柔らかくなった。だが考え方がずれているので、根本的な解決にはなっていない。
「ちょっとしたもの……。それは値段ですか。それとも大きさですか」
「言われてみれば値段かなあ」
「私だったらペンをもらうと嬉しいですが、エロイーズ様の場合は横になることが多いのでしょう。そういえば、普段から室内着なのですか?」
「前は夜着でいることが多かったんだが、最近は室内着の上になにか羽織っているよ」
「もしそうなら高給スリッパとかどうでしょう」
「スリッパ? ぴんとこないな。いや、待てよ。女の子は靴を欲しがるが、それと同じか?」
「取りあえず贈ってみてはいかがですか?」
「そうだな。なにか見繕って……」
話している間、ずっと目の前にあった薄荷飴の袋を、アンセルムは手に取った。
「これはなんだ?」
「ああ、それ気分がすっきりしますよ。隣国から領主様が特別に輸入させているものです。今日も自ら買いにいらして『無いと不安で眠れなくなる』って。もう気さくな方で。あ、でも、今、その十粒しかなくて……」
「もらっていいか?」
「どうぞどうぞ。差し上げますよ」
「いや、それは悪いだろう。貴重なものなんだから後で払う」
アンセルムが風のように去って行くのを見送りながら、ため息をついた。
「態度を丁寧にできるのなら、エロイーズ様の躾けもして欲しいものだわ」
エロイーズの態度は控えめに言っても悪く、嘲笑するだけでなく時には嫌みをはくこともある。ブランシュフルールが孤立するのがわかっていて、アンセルムを使って呼び出すことさえあった。無視しないで付き合っている理由は、病人相手に強く出る気になれないからだ。
「でもさすがに、そろそろどうにかしないと……」
その三日後、店に大量の薔薇の花が届いた。
「あら、やだあ、ブランシュフルールちゃんの婚約者は情熱家なのね」
「あたしも若い頃は……」
「あの背の高い青年よね」
「でも今日は誕生日じゃ……」
「ブランシュフルール嬢へ。エロイーズより愛を込めて…………。なにかのお間違えでは」
「いえ、この言づてで合っています」
「でも」
「俺も何度も確認しました」
花屋の青年が生真面目にうなずいた。
「……」
そこへ現れたアンセルムが、ブランシュフルールの両手をしっかりと握った。
「ありがとう。本当にありがとう。ブランシュフルール。あんなに素晴らしい薬をくれて」
「薬ってなんのことですか」
「君がくれた舶来ものの薬のことだよ。御領主様が使っている特別な。気分がすっきりしてよく眠れるとか。あれをエロイーズが飲んだら眠れたそうなんだ」
「はい?」
元々、体調が悪く、その上、ひどい風邪を引いた後、深刻な睡眠不足になってしまったエロイーズは、眠りにつこうとすると、どうしたわけか強い不安に襲われるようになった。そのせいで何度も悲鳴を上げて、飛び起きてしまう。倦怠感や恐慌に襲われ、つねにびくびくし緊張が取れない。
眠れないから体調が悪いのか、悪いから眠れないのか、どうしたらいいか分からない時に、アンセルムから薬を勧められた。領主が使う特別なという説明に安心感を覚えたのも大きいが、エロイーズの心を惹きつけたのは、それ以上に薬の外見だ。
少し青みがかったきらめく結晶に、雪のように降りかけられた真っ白な粉薬。
『なんて美しいのだろう』
きっと効き目があるに違いない、絶対にそうだとエロイーズは自分に言い聞かせ眠りについた。うとうとし始めた時、いつものように恐怖や、不安に襲われたが、『絶対に大丈夫』と自分に言い聞かせると、二時間ほど続けて眠ることができた。
「その時間が日を追うごとに三時間、四時間と長くなっていって、それまで泥のように重かった頭が軽くなっていったの。自分が少しずつ良くなっているのがわかる。ありがとう。本当にありがとうございます。ブランシュフルール様」
「…………はい」
エロイーズだけでなく、使用人や家族たちまで揃った場でお礼を言われ、それ以外になんと言えただろう。
だからブランシュフルールは店に戻り、薄荷飴だけをよけた袋を作り、アンセルムが払った『薬の代金』を受け取った。だがどうしても目を合わせることができなかった。
「お父様。どうしよう」
「それで助かっている人がいるのならなあ」
「ジュリウス様はどう思います。私、捕まりませんか?」
「代金を支払いに来ただけなんだが…………」
「飴を眺めに来たのでは」
「それもある。……そのエロイーズとやらをお得意さんだと思って、まめに顔を出し、もらった分の接待をしてはどうだ」
日中、きちんと起きられるようになったエロイーズは、少しずつ元気になり、髪を整えたり、室内着からきちんとした服装をしたりするようになった。もともと儚げな美少女だったが、ますます美しくなっていった。
魅力的なエロイーズに夢中のアンセルムは、たくさんの贈り物をし、楽団や劇団を招き、時には朗読会も開いてやった。その分、ブランシュフルールのところには寄りつかなくなったが、それで良い。真面目なブランシュフルールは、後ろめたさで一杯だったからだ。
◇◇◇◇◇◇
そんなある日、品出しでなにか違和感を覚え、今月に入ってからの、それぞれの飴の入荷数や販売数をざっと計算してみた。
「薄荷飴と、他の飴の販売数が同じだ……」
ジュリウスを始めとした甘党が、食べない薄荷飴はいつも余ってしまう……はずだ。帳簿を確かめると、先月まで常識的な数だった薄荷飴の販売数が、今月の初週に入って突然、三倍になり、次の週に六倍、三週目の今日の時点でもう十二倍になっている。
「ねえ、誰かアンセルム様に例の薬を販売した?」
「はい。お嬢様がいらっしゃらなかったので、指示通りのものをお渡ししました。報告は旦那様に」
「私がいない時に来たことは何回あった?」
「毎日いらしてますよ」
「毎日……」
「おはよう。ブランシュフルール」
「わあああああアンセルム様!」
ばくばくする心臓を押さえ振り向くと、表にアンセルムが来ていた。
「今日は良い天気だな。売り上げも伸びるだろう。ところでこれ……。僕とエロイーズからの贈り物だ」
「どどどどうしてですか」
後ろめたいことがあり、素直に受け取れなかった。
「ブランシュフルールには世話になったからなあ。エロイーズがあんなに元気になったのも、君のおかげだし。それで芝居の券と、最新流行の帽子、輸入物の日傘を持ってきたんだ」
「…………舐められたものですね」
「え」
ちょっとほだされかけていたが、腹が立って、かっとなり大声を出した。
「ふざけないで下さい。いくらなんでも人を見下しすぎやしませんか」
「なんのことだ」
「それって要は、エロイーズ様と観劇に行こうとして券を買ったのはいいものの、まだ彼女は出かけられるほどではないと、ご家族に断られたってことですよね。帽子も日傘も同じではありませんか。いらなくなったものを人に押しつけるのに、贈り物と偽るなんて質が悪いとは思われませんか」
アンセルムはきょろきょろと目を泳がせ、落ち着かなげに持っていた贈り物の包みを右に左に持ち替えた。
「確かにそうだ……。その通りだ。すまなかった。悪気はなかったんだ」
「悪気はない?」
かちんときた。そんな風に言われるくらいなら、悪気があったほうがましだ。
「だってそれなりの値がするものだ。もらったら普通は嬉しいだろう。それにブランシュフルールのところは商売をやっているのだから、いらなかったら処分すればいい。誰も損しないじゃないか」
「へー」
「……」
「百歩譲ってアンセルム様の仰る通りだとします。だったらどうして最初から、『不要品を引き取ってくれ』って仰らなかったんですか?」
「…………それは、君が、気分を害すると思って」
「ええ、不愉快でした。あなたは相手の気分を害する提案をしたんです。それのどこが『誰も損しない』んですか」
「だが……、でも……。………………君が悪いんじゃないか?」
「はいぃ?」
「君は指摘しなくても良いことを口にして、僕の面子を潰したんだ。頭の良さをひけらかして、人の思いやりに水を差して。黙って受け取ればいい話だろう。そうすればこんな問題にならなかった。君、ちょっと気が利かないんじゃないか?」
「……」
「……」
焦った顔でアンセルムが、ブランシュフルールをちらちら見ている。真正面から問い詰められるという経験を、したことがないのだろう。だから面白くなくて反論したものの、言い終わった後で、どう考えても自分のほうが間違っていたと後悔したらしい。正当な抗議に、ただ黙っていることすらできないアンセルムを見て、考え込んでしまった。
「……………………わかりました。もう結構です。お帰り下さい」
腹も立たず、妙に冷静だった。目の前のアンセルムが、人の心を持っているように見えない。
「待ってくれ。これを受け取ってくれ」
「お断りします」
「頼む。これだけは」
「だからお断りと……」
「頼む。頭を下げてもいい。だからこの日傘だけは」
「……日傘だけ?」
「日傘はエロイーズが選んだんだ」
「彼女が?」
「わざわざ商人を呼んで、時間をかけて選んで、そのせいで具合が悪くなっていた。でも前に見たブランシュフルールのワンピースに、合う生地を選びたいって、一生懸命だったんだ」
なんとなくその光景が頭に浮かんだ。美意識が高い彼女らしいと。
「へえ。ワンピースの生地なんて……よく見てますね」
「ブランシュフルールがよく着る、ほとんど白に見える桃色の……」
「薄桜色です」
「そうそれ。なんでも原色のほうが元気が出るため、ああいった色は医者から禁止されているとかなんとか。だからうらやましくて、覚えていたそうだ」
再び後ろめたさが戻ってきたブランシュフルールは、少し優しい気持ちになった。アンセルムも券と帽子の件はさすがに失礼だったと恥ずかしくなり、日傘を渡して逃げるように立ち去ろうとした。
「ちょっと待って下さい。薄荷……薬を買いすぎです。エロイーズ様は一体いくら、服用されているんですか」
「言われてみればずっと口にしているな」
「すごい金額になりますよ」
「そういえば君のお父様が、これ以上買うなら割引してくれるって」
「そういう問題ではありません。オブリー家といえども払えない金額になります」
「でもエロイーズがそれでよくなるなら」
「薬というものは、用法用量を守って服用するものです。でないと、払いが……」
「どうしろというんだ」
「とにかくどうしてずっと、口にしてしまうんでしょうか」
「口の中に入っていると、安心すると言っていたな」
「なるほど」
「それとずっと舐めていると、甘いせいか少し太ってきたと」
「どういうことですか? それなら舐めるのをやめればいいではありませんか」
「体がずっと弱かったから、エロイーズは太ったことがないんだ。いつも折れそうなくらい細くて、華奢だ。おまけに少し寝込んでは、食事が取れなくて痩せてしまうを繰り返している。なんでも食べるのにも体力が必要とか……。そんなわけで、ちょっとでも太れたのがすごく嬉しいらしい」
「…………」
もちろんエロイーズなんてどうでも良いどころか、嫌な奴だなとブランシュフルールは思っていたが、さすがにこれを聞いて気の毒に感じた。
「…………わかりました。エロイーズ様には一日三粒までとお伝え下さい」
「だが」
「そのかわり、エロイーズ様の病状に合わせた薬を手に入れて見せます」
「さすが、ビュイエ商会」
◇◇◇◇◇◇
「これが二十グラム、三十グラム、この黒くしている飴が、一つかみで砂糖五十グラムです」
「三十グラムまではいけるな。五十は私でも無理だ」
「召し上がれませんか」
「食べている内に頭が痛くなる」
そう言いつつジュリウスは口から出さない。ブランシュフルールが糖分の高い飴を試作していると、ジュリウスが勝手に手伝い始めた。練って形を作る作業が楽しいらしい。
「この方法は駄目かあ」
「味を保ったまま、固形に糖分を練り込むのには限界がある。それぐらいなら今のようにずっと舐めているほうが現実的だろう」
「ですがもう受け取れないほどの金額で」
「……薬に対する補助薬というのを作ったらどうだ」
「結局、高額では」
「補助なんだから値段は飴と同じでいい。それを舐めると、薬の効き目が高まると教えるんだ」
「もう腹をくくって、積極的に嘘をつくんですね」
「私は仕事でしょっちゅうついているぞ」
「ジュリウス様が?」
「世の中には大義名分というものが必要なんだ。だからそんなにびくびくするな」
「がんばります」
少量のアニスを使い、砂糖たっぷりの飴をブランシュフルールは練った。エロイーズは見た目に敏感のようだから、川縁に落ちている美しい石のように、薄い緑色をつける。納品に耐えられる品質のものを作り、十日分作ったら完成だ。
「じゃあ、この規格外品は……」
なにやらジュリウスが、ぱっと手を上げた。
「最初に作った試作品は、売り物になりませんね」
ジュリウスが手を振っている。
「どうされたんですか」
「それ全部買ってもいいか」
「……差し上げます。どうぞお好きなだけ。でもそうは言っても食べきれませんよ。絶対」
本当に全部、持って帰っていった。
◇◇◇◇◇◇
「薄荷飴……いえ、薬は一日三回、一回一粒です。それ以上飲むと返って効きませんので。その代わり補助薬を手に入れました」
「わあ、きれい。翡翠みたい」
「ほんとだ、美しいな」
「これは薬の効き目を高めるもので、最低一日五回、あとはいくら飲んでも大丈夫です」
「本当! 嬉しい! わあ、甘―い。角砂糖みたい」
「良かったな」
「それでは私はこれで失礼しま……」
「今日はお医者さんも来ているの。ブランシュフルールにお礼を言いたいって」
「……終わった……」
椅子に腰掛けていた高価な上着を着た若い男性は、死んだ目をしたブランシュフルールの元へ歩いてきた。
「ありがとうございます。ブランシュフルール嬢。私は知識ばかり先走って、患者の心を慮る気持ちがかけていたようです。あなたの話を聞いて、思うところがありました。今日はそれを言いたくて」
殺しに来たわけではないようだ。
「あわあわ、私のほうこそ余計なことをしてしまって、申し訳ありません。わざとではないんです」
「もうそれ以上は……。結果良ければすべて良しです」
それを見ていたアンセルムは、嬉しそうにソファにかけていたエロイーズを抱き寄せた。
◇◇◇◇◇◇
「それで競馬場で、男爵家の方々と交流した後……」
「……」
アンセルムに連れ出され、食事に付き合わされているブランシュフルールは不満で一杯だった。企画に開発にと充実した人生を送っているのに、どうしてこのお坊ちゃまの長くてくだらない話に付き合わされねばならないのだろう。だいたいこいつは性格が良くないし、どうして……。
「あ、忘れてた。私の婚約者だった」
婚約していたことをついうっかり忘れていたが、それならこの付き合いも致し方ない。政略結婚にいちいち文句を言っても仕方がないからだ。それにしても……。
「アンセルム様。エロイーズ様はどうなされたんですか?」
まるで嵐がきたようにアンセルムの機嫌が急激に悪くなったところを見ると、なにか都合が悪いことでもあったようだ。だがあそこまでエロイーズという題目をふりかざし、ブランシュフルールを振り回したのだ。答えてもらおうか。
「どうなされたんですか?」
「……」
「アンセルム様?」
「……うるさい」
アンセルムは小さく文句を言うと、下を向いてしまう。
「アンセルム様」
「今日は帰る」
「ちょっと待って下さい」
拳でどんと机を叩いて身を乗り出すと、アンセルムがひるんだ。坊ちゃんと違って、店に出て商売をしている。押し出しの強さで負ける気はしなかった。
「アンセルム様。以前、私に言ったこと覚えてます? エロイーズ様は気の毒な女性だと。彼女には自分がいないと駄目だと。極めつけは『君がそんな冷たい女だとは思わなかった。少しの思いやりもないのか』って」
「…………」
「ずいぶんな大言壮語を吐いて下さいましたね」
アンセルムの目が、右に左に激しく泳いでいる。
「他には『助けを求めているんだ。駆けつけるのは人間として当然』とも」
「……」
「その挙げ句に、まるでそんなことなかったことのように振る舞われると、こちらとしても良い気持ちはいたしません」
「……」
「それでは行きましょうか」
「え、どこに?」
「そんなのエロイーズ様のところに、決まっているではありませんか」
「僕はいい」
腹を立てているブランシュフルールが、獲物を逃がすはずなかった。




