十三話目
オラリオの高級住宅街に、清々しい朝の光が差し込む。
キングサイズのベッドの上で、私はゆっくりと瞼を持ち上げた。私の腕の中では、昨夜の甘い魔力結合の儀式で完全に骨抜きにされたノアが、スースーと愛らしい寝息を立てながら、未だに私の胸を枕にして熟睡している。
(……本当に、女の子の身体って不思議ね。男だった頃には考えられないくらい、肌の触れ合いが心地よくて、頭の芯がとろけそうになる)
脳内のライトとしての意識が「毎朝このご褒美は、男として前世の徳をどれだけ積んだんだ」と悶絶している。私はクスクスと可憐に笑いながら、ノアの頭を優しく撫でて起こした。
「朝よ、ノア。起きて?」
「ん、ぅ……、アイリスお姉様……。おはようございます……」
ノアは潤んだ深紅の瞳をこすりながら、私のネグリジェの胸元にコテリと頭を擦り付けてきた。
朝一番のスキンシップをひとしきり堪能した後、私たちは昨日のデートで購入した、オラリオ最高峰のブティック『白銀の翼亭』の武装へと身を包んだ。
私は黒を基調としたボディラインにぴったりとフィットする軽装のインナーに、銀の刺繍が施された漆黒のローブ『深淵の聖衣』。
ノアは私とお揃いの、白い刺繍が施された漆黒のショートフードローブ。彼女の頭の角と背中の翼は、私の『隠密魔導・極』によって再び完璧に世界から隠蔽されている。
鏡の前に並ぶ、銀髪の超絶美少女アサシン(私)と、黒髪の可憐なサポーター(ノア)。
「完璧ね。それじゃあ、ギルドへ行きましょうか。今日から正式に、Cランクとしての迷宮探索を再開するわ」
「はい、お姉様! どこまでも、お供いたします!」
ノアは嬉しそうに私の細い手を握りしめた。ギルド長ハンスを『共犯者』として巻き込み、裏の保証書を発行させたおかげで、現在のノアはギルドの公式データ上、私の『専属の訳ありサポーター(犯罪者奴隷枠)』として完全な合法滞在が認められている。
オラリオの街へ出ると、昨日Bランクの金位冒険者レオンを一瞬で「分からせた」噂がすでに広まっているのか、周囲の冒険者たちの視線は、昨日までの値踏みするものから、明らかな『畏怖』へと変わっていた。
ギルド本部へ入り、手続きを済ませる。
受付カウンターには、あのハンスに脅迫じみた交渉をした際、裏の処理をすべて押し付けられたベテランの職員が、青い顔をしながら私に新しいクエストの書類を差し出してきた。
「アイリス様……、本日の探索届、確かに受理いたしました。……どうぞ、ご武運を」
「ええ、ありがとう」
私は優雅に微笑み、ノアの手を引いて再び【黒鉄の奈落】への大穴へと足を進めた。
目指すは、ガルガたち『烈火の牙』を処刑した第20層を越え、さらにその先の中層後半、第26層以下の未開拓領域。私の跳ね上がったレベル27の実力と、ノアとの新スキル『聖魔の共鳴』を試すには絶好の舞台だ。
カツン、カツン、と乾いた足音が響く。
私たちが辿り着いたのは、第26層――『粘鉄の荒野』。
ここは地表が常に赤黒い鉄錆のような粘土で覆われており、歩くたびに足を取られる泥臭いエリアだ。さらに、迷宮の壁からは不定期に鋭い鉄のトゲが突き出してくるため、並の斥候では罠の解除が追いつかない難所として知られている。
だが、私の『迷宮の寵愛』と、AGI:480の神速の肉体の前には、すべてのトゲの起動サイクルがスローモーションのように視認できた。
「ノア、私の足跡だけを正確に踏んでついてきなさい」
「はい、お姉様!」
私は滑るように荒野を駆け抜けた。足元が泥にまみれることすらなく、漆黒のローブをフワリと揺らしながら、白い太ももをチラつかせて優雅に舞う。ノアも私の完璧なマッピング誘導に従い、傷一つ負わずに私の背中を追いかけてくる。
しかし、その広大な荒野の中央に差し掛かった時、私の元斥候としてのレーダーが、前方に不自然な『人の気配』を捉えた。
「――おいおい、本当に来やがったぜ。噂の『飛び級美少女』サマがよぉ」
赤黒い岩陰から姿を現したのは、総勢12名にも及ぶ、重武装の冒険者集団。
彼らの胸元に輝くのは、全員がCランク、あるいはBランクのギルドプレート。中央に立つのは、身の丈を超える巨大なバトルアクスを担いだ、顔に無数の傷を持つ男――Bランクパーティ『鉄血の咆哮』のリーダー、バルドだった。
バルドは、私の華奢な身体と、隣にいるノアの可憐な姿を、下卑た笑みを浮かべながら見下ろしてきた。
「ギルド長に色目を使ってCランクへ飛び級し、昨日はレオンの野郎を不意打ちで脅したらしいな。だが、あのレオンは前衛としてのツラだけの軟弱者だ。俺たち『鉄血の咆哮』は、実戦の泥をすすって上がってきた本物の前衛集団だ。……おい、お嬢ちゃん。新人の『洗礼』ってやつを、この迷宮のルールで教えてやるよ」
バルドの合図とともに、12人の冒険者たちが、武器を引き抜きながら私とノアを完全に包囲した。
彼らの配置は完璧だった。前衛が肉壁となり、後衛の弓手と魔法使いがいつでも私を射殺できるよう、退路を完全に塞いでいる。
「洗礼、ですか。……本当に、この街の男たちは、学習能力というものがないのかしらね」
私は漆黒のフードの奥から、翡翠色の瞳を冷酷に細めた。
男だった頃のライトとしての意識が「あーあ、こいつら完全に地雷踏んじゃったよ。昨日レオンがどうなったか、ちゃんと聞いておけば命が助かったのにな」と、心底呆れたようにため息を吐いている。
「お姉様……。このクズども、私が焼き尽くしてよろしいですか?」
ノアの深紅の瞳が、本来の魔族としての残虐な飢餓感でぎらりと輝いた。彼女の周囲の空気が、ピキピキと闇の魔力で凍りつき始める。
「いいえ、ノア。主人の前で、女の子がそんな物騒なことをするものではありませんわ。……この有象無象(雑魚)どもには、私が直接、『本当の絶望』を教えてあげる」
私は優雅に腰の『ミゼリコルディア』の柄に手をかけた。
レベル27。AGI:480。ノアとのシンクロによって、私の体内には、聖女の純白の魔力と、魔王の血脈たる漆黒の魔力が、完璧なマーブル模様を描いて渦巻いていた。
「ほざけ、小娘が! やれっ!」
バルドの怒声とともに、後衛の魔法使い3人が、一斉に炎属性の極大魔法『爆炎槍』の詠唱を完了し、私に向けて放ってきた。
紅蓮の炎が渦を巻き、荒野の泥を焼きながら、私とノアの身体を一瞬で包み込もうとする。
「――遅いわね」
ドォォォォォォン!!!
激しい爆発音が響き、私たちがいた場所が炎と土煙に包まれた。バルドたちは「やったか!」と下卑た歓声を上げようとした。
しかし、彼らが視認した私の姿は、すでにそこに存在しない【残像】に過ぎなかった。
「な、……消え、っ!?」
「どこを見ているのかしら?」
魔法使いの一人の真後ろから、鈴を転がすような美声が響いた。
彼らが振り返るよりも早く、私の十指から、昨日よりもさらに練度の上がった目に見えない魔力糸――『操糸の聖痕』が、蜘蛛の巣のように空間全体へと張り巡らされた。
ただの糸ではない。現在の私の糸には、ノアとの結合によって得た『闇属性』の魔力と、聖女の『聖属性』の魔力が同時に織り込まれている。それは光のように眩く、しかし闇のように音もなく空間を切り裂く、絶対不可侵の『処刑の檻』だった。
「新スキルを試すには、あなたたちはちょうどいい薪ね。――神聖・暗黒複合魔導『聖魔の縛鎖』」
私が指先をスルスルと優雅に、まるでピアノの鍵盤を叩くように動かした瞬間。
シュルルルルルルッ!!!
「ぎ、ぎゃあぁぁぁぁぁーーーッ!?」
空間に張り巡らされた見えない糸が一斉に収縮し、後衛の魔法使いと弓手、合わせて6人の手首と足首を、一瞬にして完璧に切断――する一歩手前、骨を締め上げる位置で完全に緊縛した。
糸から放たれる聖と闇の相反する魔力の衝撃が、彼らの体内の魔力回路を内側からボロボロに破壊し、彼らは武器を落としてその場に激しくのたうち回った。
「な、なんだこの魔法は……っ!? バカな、アサシンのスキルじゃねえ!」
リーダーのバルドが、顔を真っ白にしてバトルアクスを振り回した。しかし、彼の自慢の斧が空気を聞き裂くよりも早く、私の身体は、AGI480の神速を以て、彼の懐へと滑り込んでいた。
漆黒のローブの裾がフワリと広がり、私の白い太ももがレオンの視界に一瞬だけ映る。それが、彼がこの世で目にする最後の「美しい光景」だった。
ドスッ。
「が、はっ……!?」
私の手にした『ミゼリコルディア』の刃の側面が、バルドの顎の下、気道を完璧に潰す位置へと正確に叩き込まれた。刃に込められたINT1950の超魔力が、彼の脳震盪を誘発し、巨体が糸の切れた人形のように地面へと崩れ落ちる。
わずか数秒。
Bランクを含む12人の重武装集団が、私一人の指先とステップによって、傷一つ負うことなく完璧に『全滅』させられていた。
「ふぅ……。やっぱり、ノアの魔力が混ざったおかげで、糸の強度が3倍以上になっているわね。素晴らしいわ」
私は、自分の細い指先に戻ってきた糸を愛おしげに見つめながら、クスクスと可憐に笑った。
かつてDランク斥候として、これらのランクの冒険者に「おい、ライト、罠を解除してこい」と泥奴隷のように扱われていた記憶が、今の私の全能感によって、最高に甘美な愉悦へと書き換えられていく。
「さすがアイリスお姉様です! 虫ケラどもの動きが、ゴミのようでしたわ!」
ノアが嬉しそうに駆け寄ってきて、私の腰にぎゅっと抱きついてきた。彼女の頭の見えない角を優しく撫でてあげながら、私は床に這いつくばるバルドのギルドプレートを、自身の白いブーツの底で静かに踏みつけた。
パキリ、と硬質な音が響き、Bランクのプレートが真っ二つに割れる。
「さぁ、ノア。こんな有象無象(雑魚)の相手はこれくらいにして、さらに下の階層へ行きましょう? 私たちの『本当の力』を、この迷宮の底に、もっと刻みつけてあげなきゃいけないもの」
「はい、お姉様♪」
私は再び漆黒のフードを深く被り直し、這いつくばる冒険者たちを一瞥もすることなく、さらなる奈落の深部へと、優雅に歩みを進めた。
世界がどれだけ私を拒もうとも、ギルドを影から従え、魔族のヒロインを腕に抱いた『暗殺聖女』アイリスの覇道を止めることなど、誰にもできないのだから。




