六話目
ギルド長室へと続く静かな階段を上りながら、私は自身の脳内に展開されたステータス画面を、誰にも気づかれないように視線だけで再度確認していた。
アラクネ・クイーンを完全なソロ(単独)で討伐したことによる、レベル22から27への急上昇。
基礎ステータスの暴力的な跳ね上がりもさることながら、すでに私の指先に馴染んでいた『操糸の聖痕』のスキルが、肉体の再構成に伴ってさらに恐ろしいレベルへと進化しているのを肌で感じていた。
(これまではただの頑強な魔力糸だった。だけど今のレベルなら、糸に『神聖魔導』の属性を直接乗せて、目に見えない光の刃として空間を構築できる……)
思考のスペックが上がるたびに、元斥候としての戦術眼が、より凶悪な暗殺の手法を自動的に編み出していく。その冷徹な計算の心地よさに、私はフードの奥で、小さく、満足げな笑みを漏らした。
「どうかしたかい、アイリス嬢ちゃん」
前を歩いていたベオウルフが、階段の途中でふと足を止め、私を振り返った。
「いいえ、何でもありませんわ、ベオウルフ様。少し、これからの予定を考えていただけです」
「ははっ、相変わらず底が知れねえお嬢ちゃんだ。あんたのその気配、さっき迷宮で見た時よりも、さらに一回り冷たく、そして鋭くなってやがる。……化け物め、あの短時間の戦闘で、また自分の力を完全に手懐けやがったな?」
ベオウルフは呆れたように、しかしどこか畏敬の念を込めて笑うと、再び歩き出した。
彼に付き従う私の心の中では、やはり複雑な感情が渦巻いている。ベオウルフという強大な男に一目置かれていることに、男としてのプライドが満たされると同時に、この華奢な女の肉体が、強いオスからの視線にゾクゾクとした歓喜を覚えてしまうのだ。
(……この身体の性質にも、早く慣れなきゃね)
私は自分の胸の膨らみをローブの上から静かに押さえつけ、心を冷徹な「暗殺者」へと引き戻した。
コンコン、とベオウルフが重厚なマホガニーの扉を叩く。
「入れ」というギルド長ハンスの低い声が響き、私たちはギルドの最高権力が鎮座する『ギルド長室』へと足を踏み入れた。
部屋の中は、無数の古文書や魔導書、そして迷宮の精密な地図で埋め尽くされていた。デスクの向こう側に腰掛けたハンスは、先ほどカウンターから回収してきた【女王の魔石】と【極上糸】を机の上に並べ、未だに信じられないといった様子で私を睨みつけていた。
「さて、アイリス。そしてベオウルフ。規約上の建前はともかくとして、ここで私に本当のことを話してもらおう。……アイリス、お前は一体何者だ? 新規登録のFランクなどという身分が偽りであることは、この戦利品が何よりも証明している」
ハンスの鋭い視線が私を射抜く。
私は焦ることなく、優雅な動作で頭のフードをゆっくりと後ろへ滑り落とした。
サラリ、と夜空の月光を溶かしたような美しい銀髪が肩に零れ落ち、吸い込まれそうな翡翠色の瞳が露わになる。そのあまりにも現実離れした美貌に、百戦錬磨のギルド長であるハンスすらも、一瞬だけ息を呑んで言葉を失った。
「私はアイリス。クラスは『アサシン』。それ以上でも、それ以下でもありません、ギルド長」
私はあえてライトの正体は明かさず、冷淡な笑みを浮かべた。
ガルガたちには精神的な恐怖を与えるためにライトの影を見せたが、ギルドの上層部にまでわざわざ「性転換して生き返った」などという狂った真実を明かす必要はない。それはかえって面倒な研究対象にされるリスクを生むだけだ。
「……ふん、正体を隠したいというわけか。冒険者には訳ありが付き物だ、そこは深く追及すまい。だがな、アイリス。お前がやったことは、この街のパワーバランスを揺るがす大事件だ。FランクのサポーターがソロでBランク変異種を討伐したなどという事実が公になれば、ギルドの統制に関わる」
ハンスは深く椅子にもたれかかり、組み替えた指の隙間から私を見た。
「そこで提案だ。アイリス、お前の実力を認め、特例中の特例として、本日付でお前を【Cランク】へと『飛び級』で昇格させる。これなら、アラクネ・クイーンの討伐も『Cランクの隠れた天才が、ベオウルフのバックアップのもとで成し遂げた』と、周囲にギリギリ言い訳が立つ」
「Cランクへの飛び級……ですか」
私は顎に細い指を当てて考えた。
Fランクのままだと、今後の高難度依頼を受けるのに毎回ベオウルフの名前を借りなければならず、動きづらい。Cランクまで一気に上がれるのであれば、あいつら『烈火の牙』と同じ土俵に立てる。復讐を執行するには、これ以上ない好条件だ。
「ありがたいお話です。お受けいたしますわ、ギルド長」
「物分かりが良くて助かる。……だが、ただでこれほどの特例を認めるわけにはいかん。交換条件だ、アイリス。お前には、Cランクとしての『最初の義務』を果たしてもらう」
ハンスの目が、ギルド長としての冷徹な輝きを帯びた。彼は机の引き出しから、一枚の『漆黒の依頼書』を取り出し、私の前へと滑らせた。
「近頃、不穏な噂がある。迷宮の深層遠征を行う中堅パーティのなかで、仲間の『不審死』や『行方不明』を不自然に繰り返しながら、なぜか莫大な報酬や魔石を持ち帰っている不届き者がいるのだ。ギルドとしては、彼らが『仲間殺し(ペナルティ・ピープル)』、あるいは魔物の仕業に見せかけた不正を行っていると睨んでいる」
その言葉を聞いた瞬間、私の翡翠色の瞳が、ゾクッと冷たく細められた。
仲間の不審死。不自然な大戦果。
そんなもの、調べるまでもない。つい数日前、私自身がその被害者になったばかりなのだから。
「ギルド長。……その調査対象のパーティの名前を、伺っても?」
「ああ。Cランクパーティ――『烈火の牙』だ。彼らの次の深層遠征に、お前もCランクの『監視役』として潜入、あるいは同行せよ。もし彼らが黒であれば……その場で『処刑』しても構わん。お前のそのアサシンとしての腕を見込んでの依頼だ」
ハンスの言葉に、私の隣にいたベオウルフがニヤリと下卑た笑みを浮かべた。
そして私自身も――黒いフードの奥で、今度こそ抑えきれないほどの、最高に甘美な愉悦に満ちた笑みを、その美しい唇に咲かせていた。
(あはは……! なんて最高の手札かしら。ギルドの公式な『処刑人』として、あいつらの前に堂々と現れることができるなんてね)
「喜んで、その依頼……お引き受けいたしますわ、ギルド長」
私は白く細い手で、机の上の漆黒の依頼書を静かに指先でなぞった。
『暗殺聖女』の復讐劇は、ギルドの最高権力を巻き込み、あいつらを一歩も逃がさない完璧な絞首台へと変貌しつつあった。




