四話目
「ステータス、オープン……」
小さく呟いた声は、迷宮の冷たい空気に溶けていくような、鈴を転がすような美声だ。私の意思とは裏腹に、展開された半透明の画面を見つめる。
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名前: アイリス(ライト)
性別: 女
クラス: 迷宮の聖女(ユニーク・神位)
レベル: 22 (UP!)
【ステータス】
• HP:2400 / 2400 (急上昇)
• MP:9999 / 9999 (限界突破・変動なし)
• STR(筋力):45 (UP!)
• VIT(耐久):50 (UP!)
• AGI(敏捷):320 (UP!)
• INT(知力):1450 (UP!)
• MND(精神):1500 (UP!)
【固有・新規スキル】
• 『隠密魔導・極』:魔力およびステータスの偽装・完全隠蔽。
• 『操糸の聖痕』:聖属性の魔力糸を自在に生成・操作する。
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「……やっぱり、バグってるわね」
画面を見つめながら、私は呆れたような吐息を漏らした。
特にAGI(敏捷)の伸びが異常だ。300を超えた数値。これは、かつて私がDランク斥候として生きていた頃、雲の上の存在だったBランクやAランクの前衛職すら凌駕しかねない規格外の領域だ。
筋力(STR)や耐久(VIT)といった純粋な物理能力こそ控えめだが、それを補って余りある圧倒的な「速度」と、一撃必殺を可能にするINT(知力)の暴力。
そして新しく発現した『操糸の聖痕』。
(聖女の魔力を糸状に紡ぎ出す……。本来なら、結界を張ったり、仲間を繋いで補助したりするためのスキルなんでしょうね)
私は自分の白く細い指先をスルスルと動かしてみた。
すると、爪の先から目に見えないほど細く、しかしダイヤモンドよりも強固な純白の魔力糸が伸び、周囲の石壁を刻んだ。
(だけど、私にとっては最高の『暗殺糸』よ)
心の中に、奇妙な二面性が渦巻く。
かつて無能と蔑まれ、泥臭い現実を生きていた男「ライト」としての冷静な戦術眼。
そして、この至高の肉体と万能の魔力を手に入れ、世界を視下ろすような全能感に濡れる女「聖女」としての残酷な愉悦。
その二つが、脳の構造が変わってしまったせいか、不思議なマーブル模様を描いて溶け合っている。
「……ま、悪くないわ。このチート能力、全部あいつらへの復讐に使わせてもらうから」
クスクスと可憐に笑う。フードの隙間から覗く自分の銀髪を細い指で弄りながら、私は身体に馴染んできた超スピードを爆発させ、一気にターゲットのいる第22層――『蜘蛛の揺り籠』へと向かった。
【黒鉄の奈落】第22層。
この階層は、他のエリアとは明らかに異質な空気が漂っている。通路の壁や天井の至る所に、粘着質で太い白糸が血管のように張り巡らされ、足元を踏みしめるたびに、ねっとりとした不快な感触が伝わってくる。
普通の冒険者であれば、目に見えないほど細く鋭い『鋼糸』の罠に神経をすり減らす場所だ。
だが、固有スキル『迷宮の寵愛』を持つ私にとって、ここは何の障害にもならなかった。すべての糸の罠が、鮮やかな「紅い光の線」として脳内に完全可視化されているからだ。
カサカサ、と不気味な足音が前方から近づいてくる。
現れたのは、第22層の通常種である『ブレード・アラクネ』が3匹。人間の胴体ほどもある巨大な腹部と、大鎌のような鋭い歩脚を持つ魔物だ。
私は避けることすらしない。
『隠密魔導』で自身の気配を世界から完全に消去したまま、正面から滑るように間合いを詰める。
「まずは、お掃除ね」
蜘蛛たちが私に気づくよりも速く、腰のベルトからミスリル製の短剣『ミゼリコルディア』を抜き放った。
刃の表面に、聖女の魔力を極限まで薄く、そして超高密度にコーティングする。白く明滅する刃は、もはやこの世の物質を容易く両断するレーザーメスだ。
シュパッ、と風を切る音さえ置き去りにする、流麗な三連撃。
「―――?」
蜘蛛たちは、自分が斬られたことすら認識していなかった。
すれ違いざまに放たれた私の刃は、ブレード・アラクネ3匹の頑強な外殻を、まるで熟しきった果実を割るかのように容易く切り裂いていた。聖属性の魔力が切り口から内臓へと侵入し、細胞を内側から一瞬で消滅させる。
ギチ、という短い断末魔すら途中で掻き消え、3匹の巨体はまとめて光の粒子へと崩壊した。
「ふぅ……。本当に、第25層をクリアした後だと、この階層の魔物は止まって見えるわね」
私は落ちた魔石に見向きもせず、そのまま最深部の大空洞へと足を踏み入れた。
そこは、直径50メートルはある巨大なドーム状の空間。
天井から床まで、何層もの巨大な蜘蛛の巣で埋め尽くされている。その中心に傲然と君臨する影があった。
変異種『アラクネ・クイーン』。
体長は優に6メートルを超え、上半身は妖艶な人間の女性のような形をしており、下半身は禍々しい紫色の巨大な蜘蛛。ギルドのBランクパーティが総出で挑んでも、全滅の憂き目に遭うとされる、この階層の絶対的な支配者であるアラクネの変異種だ。
「キシャァァァァァン!!!」
空間に足を踏み入れた私の微かな気配を察知したのか、クイーンが鋭い悲鳴を上げた。
それと同時に、天井から無数の鋼糸が、豪雨のように私を目がけて降り注ぐ。一本一本が鉄をも容易く切断する必殺の網だ。
「遅い。そんな大振りの攻撃、当たるわけがないでしょ?」
私はクスリと、最高に人を舐め腐った笑みを浮かべた。
男だった頃の自分が「おいおい、そんなお嬢様みたいな口調になっていいのか?」と突っ込んでいるが、身体の躍動が勝手にその台詞を紡がせる。
AGI:320の暴力。
降り注ぐ鋼糸の雨の中を、私はステップを踏むように、軽やかに、優雅にすり抜けていく。残像すら残るその動きは、アラクネ・クイーンの複眼を完全に狂わせていた。
「キチ、ギチィ!?」
獲物を捉えきれず、焦燥に駆られたクイーンが、今度はその巨大な歩脚を鞭のように振るい、空間全体を薙ぎ払ってきた。
直撃すれば、華奢な私の身体など一たまりもない――はずの一撃。
しかし、私は跳んだ。
クイーンの歩脚のわずかな傾きから攻撃軌道を完璧に見切り、その刃のような足の『側面』に、自らのブーツの底を正確に乗せたのだ。
「そこ、通りまーす♪」
「ギ、ギャァ!?」
敵の攻撃の勢いをそのまま利用し、私はアラクネ・クイーンの巨大な脚を滑走路のように駆け上がった。
一瞬にして、クイーンの「人間の女性」の形をした頭部の真ん前へと肉薄する。
クイーンの顔が、恐怖に歪んだのが分かった。
魔物の分際で、目の前にいる銀髪の美少女が「自分より遥かに格上の化け物」であることを、本能で理解したのだろう。
「これで、おしまい」
私は空中で、逆手に持った『ミゼリコルディア』を構えた。
刃に込めるのは、聖女の最大出力。
「神聖魔導――『極光聖痕』」
短剣の刃が、太陽をそのまま凝縮したかのような、圧倒的な純白の光を放つ。
空間全体の闇が、一瞬で消し飛ばされた。アラクネ・クイーンは、その眩すぎる聖なる光に目を焼かれ、悲鳴を上げることすら忘れて硬直する。
ドスッ。
私はクイーンの眉間の中心、魔力の核が存在する位置へと、深く、正確に短剣を突き刺した。
ドォォォォォォン!!!
突き刺さった刃から、純白の光の奔流がクイーンの巨体の中へと流れ込む。
内側から膨れ上がる圧倒的な聖属性魔力。クイーンの巨大な身体は、爆発する光の風船のように、一切の肉片を残すことなく、内側から完全に純化され、消滅していった。




