第五話
【緊急】仄暗ネルの失踪について、僕が知っていることのすべて
「……あー、マイク入ってるかな。入ってるね。……初めましての人は初めまして、そうじゃない人はこんばんは。リスナーのケンジです。普段はネルの配信でモデレーター(管理協力)みたいなこととか、チャットでプログラミングの知識をちょっと書いたりしてた一般人です」
(画面に映っているのは、実写の映像ではない。黒一色の背景に、音声の波形(ボイスロイドのような無機質なインジケーター)が白く揺れているだけの、極めて簡素な動画だ)
「まず、結論から言います。仄暗ネルは、今も行方不明のままです。 警察の捜索も入りましたが、あの配信から4日経った今も、彼の足取りは一切掴めていません。……世間じゃ『悪質な失踪ドッキリ』だとか『チャンネル登録者を増やすための炎上商法』だとか言われてますけど……断言します。あれは絶対にドッキリなんかじゃない」
「だって、僕たち『あの夜、チャット欄にいた44人』の現実も、あの日を境に、取り返しのつかない形で壊れ始めてるから」
(音声が一瞬、小さくジジ……と歪む。ケンジは低く、押し殺したような声で話を続けた)
「あの夜、ネルが『/shutdown』のコマンドを打ち込んで、配信が強制終了した直後、僕の部屋のブレーカーも落ちました。スマホの画面に浮き出ていた黒い手形は確かに消えたし、次の日の朝、ネルからLINEで『みんな無事でよかった、本当にありがとう』ってメッセージが届いた時、僕は心の底からホッとしたんです。……でも、それがすべての間違いだった」
「一昨日、僕はある違和感に気づいて、ネルから送られてきたそのLINEの『ヘッダーデータ(パケットの通信ログ)』を、自分のPCで詳しく解析してみたんです。そしたら、送信元のIPアドレスが、あり得ない数値を示していました」
「127.0.0.1……つまり、『ローカルホスト(自分自身の端末)』から送信されたことになっていた。僕のスマホに届いたネルからのメッセージは、外部のネットから来たんじゃない。僕のスマホの内部で、まるであらかじめ組み込まれていたプログラムが自動起動したみたいに、勝手に生成された文章だったんです」
「おかしいと思って、あの夜に一緒にハッキングに参加した『タカシ』や『ゆきうさぎ』に連絡を取ろうとしました。でも、誰の携帯も繋がらない。Discordのメッセージを送っても、既読すらつかない。……いや、違う。正確には、メッセージを送信した1秒後に、全員から全く同じ文面の返信が『同時に』返ってくるんです」
『こっちの世界は平和だよ。ネルの次の配信、楽しみだね』
「全員、一言一句同じ。改行の位置まで全く同じ。まるで、ログの自動応答が、僕を安心させるために必死で嘘をついているみたいな……そんな、悍ましい違和感」
「僕は耐えられなくなって、昨日、同じ都内に住んでいるはずのタカシの家を直接訪ねてみることにしました。以前、オフ会を企画した時に教えてもらった住所へ向かうために、電車に乗ったんです。……でも、僕は目的地にたどり着けませんでした」
「新宿駅で乗り換えようとした時、ふと気づいたんです。駅のホームのアナウンスが、さっきから『現在、電波の信号がありません』という音声ガイダンスを、大音量で繰り返し流し続けていることに。周りの乗客を見ても、誰もその異常なアナウンスを気にしていない。みんな、顔をスマホに向けたまま、人形みたいにブツブツと何かを呟きながら歩いていました」
「恐怖を感じて、駅から飛び出しました。外の街並みを見た瞬間、僕は自分の正気を疑いました。……ビルも、道路も、遠くに見える空も、全部、『解像度の低い、ざらざらしたドット絵』に見えたんです。近づいて触ろうとすると、指の感覚はあるのに、目の前の景色の境界線が、カクカクと不自然に波打っている」
「街を行き交う人々の『顔』を盗み見ました。……目も、鼻も、口も、ありませんでした。全員、顔の中心が、テレビの砂嵐みたいな黒いデジタルノイズで、ドロドロに塗りつぶされていた」
(ガリ、ガリガリッ……と、動画の音声に、あのゲーム内で鳴り響いていた『液晶を内側から引き裂く音』が混ざり始める。ケンジの呼吸が、明らかに荒くなっていく)
「これを聴いているみんな。僕の、この動画の音声……ちゃんと生身の人間の声に聞こえてるか? 僕の身体も、もう半分以上、あのローポリゴンのデータに変えられ始めてる。キーボードを叩く自分の指が、四角いブロックみたいに見えるんだ」
「あの夜、ネルはゲームをシャットダウンしたんじゃない。ゲームのシステムの一部にされて、隔離されたんだ。そして、僕たち『44人のリスナー』は、ネルをゲームに接続するための『中継局』にされた」
「僕たちが『現実に戻った』と錯覚していたこの数日間は、ゲームのウイルスが、僕たちの脳と、僕たちの住む街のデータを完全にスキャンして上書きするための『ローディング時間』だったんだよ」
(画面の黒い背景が、突然、激しく明滅し始める。白い文字で、1行のシステムログが割り込んできた)
【WARNING:外部アクセスが検出されました】
「クソッ、もう見つかったか……! 時間がない、最後にこれだけは伝えておく! この動画の概要欄に、僕が作った『強制切断プログラム』のリンクを貼っておいた! これをダウンロードして、自分のPCやスマホに実行してくれ!」
「もうすぐ、世界中で一斉に『NO_SIGNAL.exe』の自動ダウンロードが始まる。これはゲームの『正式リリース』なんかじゃない。現実世界そのものを、あの化け物の住むデジタル迷宮へと完全に入れ替えるための、世界規模のパンデミックだ!」
「もし君の画面に、仄暗ネルの新しい生配信の通知が届いたら……絶対にクリックするな。それはネルじゃない。ネルの姿をした、次の生贄を釣るためのーー」
――チーン
静まり返った音声を切り裂くように、鮮明なスパチャの通知音が鳴り響いた。
(ザザザザザザザザザザザザザザザザザザザッ!!!!)
激しい砂嵐の爆音が、ケンジの声を完全に掻き消す。白い波形インジケーターが最大出力で真っ赤に染まり、やがて、完全に平坦な1本の『横線(無音)』へと変わった。画面の中央、黒い虚無の中に、赤黒い文字がゆっくりと浮かび上がる。
『――つ ぎ は 、 コ レ ヲ 観 テ イ ル あ な た の 番 で す』
(動画は、ここで強制終了した)




