七話目
真っ白な大理石の空間に、無機質な電子音が響き渡る。
システムによる強制的なシャッフル。一樹たちの強固な「準備」と「役割分担」は、開始一秒で無慈悲に瓦解させられた。
一樹の周囲を囲むのは、全く見知らぬ三人のプレイヤーたちだ。彼らが構成する【チームB】の面々を、一樹は【精神耐性】のスキルで恐怖を抑え込みながら、冷徹に観察した。
一人目は、フードを深く被り、両手をポケットに突っ込んだ小柄な男。識別名は『キョウ』。そのポケットの膨らみから、小型の銃器か暗器を隠し持っているのが分かる。
二人目は、派手なドレスを身にまとった三十代前後の妖艶な女性。識別名は『セリカ』。彼女は恐怖を感じている風でもなく、ただ退屈そうに自分のネイルを眺めている。その余裕こそが、彼女がこれまでに多くの死線を越えてきた「強者」である証拠だった。
三人目は、大柄で丸刈りの男。識別名は『ゴウダ』。粗末な作業着を着ており、むき出しの太い腕には数々のタトゥーが刻まれている。
「チッ、ハズレを引いたか」
ゴウダが一樹を睨みつけ、床に唾を吐き捨てた。
「おい、兄ちゃん。お前ランクEだな? 足引っ張ったらその場で叩き潰すからな」
「やめなさいよ、ゴウダ。色白の可愛いお兄さんじゃない。少しは優しくしてあげたら?」
セリカがくすくすと笑うが、その目は一切笑っていない。爬虫類のような冷たい視線が一樹を射抜く。
一樹は彼らの言葉を受け流しながら、遠くのチームへと視線を走らせた。
【チームA】では、レイがミサキの前に立つようにして周囲のプレイヤーを威嚇している。ミサキは新調した防刃ベストを震える手で掴みながら、必死に【危険察知】のアンテナを張っているようだった。
【チームC】のタカシは、ギリギリ購入できた『高周波振動タクティカルバット』を肩に担ぎ、周囲の見知らぬ男たちをギロリと睨みつけていた。
(みんな、無事でいてくれ……。このゲームのルールの『本質』を見抜かなきゃ全員殺される)
一樹はスマートフォンを開き、先ほど購入したばかりの新規スキル【解析の眼(初級)】を起動した。画面越しに中央の巨大な「天秤」のオブジェクトを見つめると、その表面に隠されたデータの流れが、緑色のコードとなって浮き上がってきた。
『ファースト投票まで、残り5分』
画面のアナウンスと共に、中央の黄金の天秤がガタガタと音を立てて動き出した。
天秤の三つの皿には、それぞれ「A」「B」「C」の文字がホログラムで浮かび上がっている。現在、一樹たちのいる「B」の皿は、他の二つに比べてわずかに下に沈んでいた。
「……なるほどね」
チームBのキョウが、フードの奥から掠れた声を出した。
「この天秤、チーム全員の『総生存ポイント(SP)』の合計値が重さになってるんだ。ポイントが一番低いチームの皿が浮き上がって、そのチームから脱落者が出る」
「じゃあ、あたしたちBチームは今、一番ポイントを持ってるってこと?」
セリカが小首をかしげる。
「ああ。カズキって兄ちゃんはEランクだから大して持ってないだろうが、俺とセリカ、それにゴウダの保有ポイントを合わせれば、他のチームを圧倒してるはずだ。このまま何もしなければ、最初の脱落者はAかCから出る」
キョウの言葉に、一樹の心臓が激しく脈打った。
Aにはレイとミサキがいる。Cにはタカシがいる。このままBチームが「何もしない」ということは、一樹の大切な仲間たちの誰かが、最初の10分で消去されることを意味していた。
「……いや、このゲームには『裏切り度』という項目もある」
一樹はスマートフォンを操作しながら、あえて冷静に声を上げた。
「ルールをよく見てくれ。10分ごとの投票で『裏切り度』を加算することができる。もし他のチームが結託して僕たちBチームに『裏切り投票』を集中させたら、ポイントの重さなんて簡単に逆転する」
「あぁ? どういうことだ、兄ちゃん」
ゴウダが太い眉をひそめる。
「このゲームの真の目的は、ポイントの少ないチームを叩くことじゃない。運営は『他のチームと交渉して、特定のチームを嵌め落とせ』と言っているんだ。例えば、AチームとCチームが手を組んで、一番ポイントを持っている僕たちBチームをターゲットにしたら、僕たちは一発で最下位に落ちる」
一樹の【解析の眼】は、天秤のシステムが「投票数によって質量が劇的に変化する」という乗算バグ(仕様)を抱えていることを見抜いていた。ポイントの多さは、むしろ周囲からの嫉妬と警戒を買い、集中投票を浴びるリスクを高める「罠」だったのだ。
「なるほど、面白い分析ね」
セリカが妖しく目を細めた。
「じゃあ、お兄さん。あたしたちが生き残るために、今すぐ他のチームの誰かと『裏交渉』をしてきなさいよ。幸い、チーム間の移動や会話は制限されていないみたいだし?」
「……分かった。僕が交渉に行ってくる」
一樹はチームBの三人の視線を背中に浴びながら、大理石の床を歩き出した。目指すのは、仲間たちがいるAチーム、そしてCチームだ。しかし、周囲の他のプレイヤーたちもまた、生き残るために狂ったように声を掛け合い、密談を始めていた。
「タカシ!」
一樹はまず、一人で孤立している【チームC】のタカシの元へと駆け寄った。
「カズキ! クソッ、なんだよこのクソルールは! 俺のチームの奴ら、さっきから俺のバットばっかり見て値踏みしてきやがる!」
タカシはバットのグリップを握り締め、苛立ちを隠せない様子だった。
「タカシ、落ち着いて聞いてくれ。僕のチーム(B)は今、ポイントの合計でトップだ。だけど、これが一番危険なんだ。次の投票で、他のチームがBに投票するように仕向ける。タカシのチームの奴らにも、Bに投票するように言ってくれ」
「は? 何言ってんだよカズキ! お前のチームを落としたら、お前が死ぬかもしれないんだぞ!?」
「死なない。僕には【精神耐性】と【解析の眼】がある。この天秤の『バグ』を利用して、A・B・Cの三つの皿の重さを完全に『均等』にする方法を考えてる。三つのチームが完全に同点になれば、システムは脱落者を選べなくなるはずだ。だから今は、僕を信じてBに投票してくれ!」
一樹の眼差しには、前回のクラッシュを成功させた時と同じ、絶対的な確信があった。タカシはその強い光に圧倒され、ゴクリと唾を呑んだ。
「……分かったよ、カズキ。お前がそこまで言うなら、俺は俺のチームのクソ野郎どもを言いくるめてやる。お前を信じるぜ」
「ありがとう、タカシ」
一樹は次に、【チームA】のレイとミサキの元へと急いだ。
レイはすでに、チームAの他のメンバー二人を完全にそのカリスマ性と恐怖(ナイフの脅威)で支配下に置いていた。ミサキはレーダーの画面を見つめながら、一樹の接近をいち早く察知していた。
「カズキくん!」
「レイさん、ミサキ。時間が無いから要点だけ言う。この天秤は投票数で重さが変わる。僕のチームBを一時的に最下位に落とすために、Aチームの票をすべてBに集めてくれ」
「正気なの、カズキ?」
レイが冷徹な声で問いかける。
「あなたが死んだら、このチームの『脳』を失うことになるのよ」
「死にません。これは三チームの『完全均衡』を狙うための布石です。レイさん、あなたの持っているパケット解析ツールで、僕がこれからスマートフォンに送る『ある数値』を、投票の瞬間にシステムへ同期させてほしい」
一樹は【解析の眼】でキャッチした、天秤の質量計算ロジックの脆弱性データを、レイの端末へと転送した。
レイはそのデータを一瞥すると、ふっと美しい唇を歪めて笑った。
「……面白いわ。投票数の『端数』を利用して、システムの計算式を無限ループ(フリーズ)させる気ね。いいわ、あなたの命、私がベットしてあげる」
「カズキさん、気をつけて……!」
ミサキの悲鳴のような声に見送られながら、一樹は自陣である【チームB】へと戻った。
残り時間は、あと1分を切っていた。
「お帰り、お兄さん。良い交渉はできたのかしら?」
セリカが一樹を迎え入れた。
「ああ。AチームもCチームも、僕たちのポイントの多さに怯えていた。最初の投票は、お互いを牽制し合って『A』と『C』に分散するはずだ。だから僕たちBチームは、安全のために『A』にすべての票を集中させよう」
一樹は嘘のプロトコルをチームメイトに提示した。
「ふん、なら決まりだな」
ゴウダが端末を操作し、Aチームへの投票を確定させる。
キョウも、セリカも、一樹の言葉に従って画面をタップした。
『ファースト投票、締め切り。──集計を開始します──』
ゴゴゴゴゴ……!
大理石の空間に、天秤が激しく揺れる音が響き渡る。
一樹の目論見通り、AチームとCチームからの「裏切り票」が、圧倒的な質量となってBチームの皿へと降り注いだ。Bの皿が、一気に最下位へと急降下していく。
「おい……おい! どういうことだ、兄ちゃん! 俺たちの皿が沈んでいくぞ!」
ゴウダが驚愕し、一樹の胸ぐらをつかみ上げた。
「ハハハ! バカめ、騙されたんだよ、ゴウダ!」
フードの男、キョウが突然狂ったように笑い出した。彼の手には、いつの間にか小さな電子デバイスが握られていた。
「俺は最初から、Aチームの奴らと繋がってたんだよ! このBチームのポイント保有者のデータを売り飛ばして、俺だけが次のステージへ進む約束を取り付けてたんだ!」
キョウの、最悪の裏切り。
このデスゲームにおいて、本当の恐怖はシステムではなく、隣にいる人間の裏切りだった。
Bチームの皿が、完全に底へと叩きつけられる。
『判定確定:最下位は【チームB】。──脱落者の選出を行います──』
「クソ野郎がぁぁぁ!」
ゴウダがキョウに向けて殴りかかるが、キョウは素早く身をかわした。セリカもまた、冷酷な笑みを浮かべたまま、一樹とゴウダを見捨てて一歩後ろへ下がった。
しかし、一樹はスマートフォンの画面を凝視していた。
レイの元へ送ったデータ。そして、キョウの裏切りによって、皮肉にも「計算式の端数」が、一樹の予測した通りの完璧な絶対値へと収束していた。
「レイさん……今だ!!」
一樹が叫んだ瞬間、遠く離れたレイが、画面を力強くタップした。
ピピピピピピピピピピピ!!!
空間全体に、鼓膜を裂くような高音のエラー警告音が鳴り響いた。
黄金の天秤のオブジェクトが、激しい火花を散らしながら、左右に不自然にガタガタと高速振動を始めた。
『ERROR: DIVIDE BY ZERO(ゼロ除算エラー)』
『SYSTEM: CALCULATION OVERFLOW』
「な、なんだ!? 何が起きてやがる!」
ゴウダが一樹を放り出し、頭を抱えてうずくまる。
一樹の【解析の眼】が捉えていたのは、投票数とチームSPの比率が「完全に一致」した瞬間にのみ発生する、システムの計算式のバグだった。キョウが完璧にBチームを裏切り、レイがその数値をハッキングで補正したことで、システムは「Bチームの価値を0(ゼロ)で割る」という、数学的な禁忌を犯してしまったのだ。
天秤の皿が、A・B・Cすべて同じ高さでピタリと停止した。
まばゆい光のノイズが空間全体を包み込んでいく。
『警告:第一フェーズの判定が不可能です。エラーログを出力中……。プレイヤーの安全を考慮し、本ステージの判定を【次回へ持ち越し】します』
「やった……!」
一樹は床に膝をつき、激しい安堵の息を漏らした。
またしても、システムの裏をかき、誰も死なずにこの場を切り抜けたのだ。
しかし、光の渦に飲み込まれる直前、一樹は見た。
裏切りが失敗に終わり、狂気の形相で一樹を睨みつけるキョウの顔を。そして、冷酷な目で一樹の背中を見つめるセリカの姿を。
システムの穴を突く戦術は、確かに仲間を救った。
だがそれは同時に、同じチームの「裏切り者たち」の激しい怨嗟を買い、次なる地獄への火種を撒くことでもあった。
光が収束し、世界が再び反転する──。




