三話目
世界は何事もなかったかのように朝の光に包まれていく。その事実に、神代一樹は激しい吐き気を覚えた。
路地裏のアスファルトに残された、見知らぬ男の衣服と二本のナイフ。それだけが、数分前までここに一人の人間が存在し、そしてシステムという不条理な暴力によって「消去」されたことを示す唯一の証拠だった。
一樹は震える手でスマートフォンをポケットにねじ込み、這うようにしてその場から離れた。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ!」
呼吸の仕方を忘れたかのように、喉がひび割れた音を立てる。左腕の切り傷から流れた血が、上着の袖を赤黒く染めていた。しかし、肉体の痛みなど、脳を支配する圧倒的な恐怖に比べれば些細なものでしかなかった。
歩き慣れたはずの大学周辺の住宅街が、今はまるで巨大な処刑場のように思える。すれ違う通勤途中の会社員や、自転車に乗った主婦たちの顔を見るたび、一樹の心臓は跳ね上がった。
(あの人もプレイヤーなのか? あの男みたいに、急にナイフを取り出して襲いかかってくるんじゃないか……?)
猜疑心が、視界をセピア色に染めていく。誰もが敵に見える。誰もが自分を殺しにくる暗殺者に見える。
一樹は周囲の視線を避けるように、フードを深く被り、足早に歩き続けた。行く宛てなどなかった。数時間前まで彼が暮らしていたアパートは、今も遠くで煙を上げて消火活動が続けられているはずだ。全財産を失い、帰る家もなく、左腕を怪我した大学生。それが今の彼のすべてだった。
ポケットの中で、スマートフォンが規則的な振動を返してくる。まるで、一樹の心臓の鼓動と同期しているかのように。
恐る恐る画面を開くと、そこには昨日までは存在しなかったはずの、洗練され尽くした『サバイブ・リンク』のインターフェースが広がっていた。
【プレイヤー名:カズキ】
【ランク:E】
【生存ポイント:1100 SP】
【次のクエスト開始まで:22時間42分】
画面の最下部には、まるで通販サイトのように「ショップ」というタブが存在していた。一樹がそこをタップすると、様々な項目のリストがずらりと並んだ。
『簡易医療キット:50 SP』
『防刃ベスト:300 SP』
『特殊スタンガン:500 SP』
『身体能力強化(初級):1000 SP』
「……本当に、ゲームみたいじゃないか」
一樹は自嘲気味に呟いた。しかし、目の前で起きた人間の消滅は、これが現実の命を賭けたデスゲームであることを冷酷に証明している。
一樹は迷わず『簡易医療キット』を購入した。
購入を確定した瞬間、スマートフォンの画面が淡く発光し、一樹の目の前の空間に「ノイズ」が走った。先ほど男が消え去った時と同じ、あの不気味なデジタルエフェクトだ。
空間が歪み、一瞬の後に、一樹の手の中に小さな白いプラスチック製の箱が出現した。
「嘘だろ……物質を転送したのか?」
現代の科学技術を遥かに超越した現象を前に、一樹はただ立ち尽くすしかなかった。箱の中には、特殊な止血剤、滅菌ガーゼ、そして飲むだけで傷の治癒を劇的に早めるという、怪しげなカプセル剤が入っていた。
一樹は近くの公衆トイレに駆け込み、個室に鍵をかけてから怪我の処置を行った。止血剤を傷口に塗ると、焼けるような痛みの後に、瞬時に出血が止まった。カプセルを水なしで飲み干すと、驚くほど急速に全身の疲労が和らいでいくのを感じた。
「このアプリは、本物だ。抗うことも、逃げることもできない……」
個室の鏡に映る自分の顔は、ひどく青白く、まるで死人のようだった。だが、目の奥には、まだ消えていない生への執着があった。
家を焼かれ、日常を奪われた。それでも、自分は生きたい。あの男のように、世界のバグとして消去されることだけは、絶対に御免だった。
それからの時間は、一樹にとって人生で最も長い拷問のようだった。
彼は残されたわずかな現金(運良くポケットに入っていた小銭入れの数千円)を使って、雑居ビルの中にある場違いに騒がしいネットカフェに身を潜めた。狭い個室のパソコンで『サバイブ・リンク』について検索を試みたが、驚くほど何の情報もヒットしなかった。
「サバイブ・リンク バグ」
「サバイブ・リンク 火災」
「アプリ 行方不明」
どんなワードで検索しても、表示されるのは一般的なゲームの広告や、無関係なニュースばかりだった。運営側がインターネット上の情報を完全に検閲し、削除しているのは明らかだった。
世界中で一千万人以上がインストールしているはずのアプリ。それなのに、ネットの海には静寂だけが広がっている。この不気味な沈黙こそが、アプリの持つ強大な支配力を物語っていた。
夕方を過ぎ、夜が訪れ、そして再び深夜が近づく。
スマートフォンのカウントダウンは、無慈悲にゼロへと向かって進んでいく。
『次のクエスト開始まで:00:10:00』
一樹はネットカフェをチェックアウトし、夜の街へと出た。
最初のクエストの教訓から、制限時間が始まった瞬間に周囲に一般人がいるのは危険だと判断したからだ。彼は街灯の少ない、深夜の商業地域の裏通りを選んで歩いた。昼間の賑わいが嘘のように静まり返ったシャッター街。そこが一樹の選んだ「戦場」だった。
『00:05:00』
一樹は深呼吸をし、ショップ画面を開いた。残されたポイントは1050 SP。彼はこれから始まるであろう戦いに備え、300 SPを支払って『防刃ベスト』を購入した。
再び空間が歪み、薄型ながら極めて強固なアラミド繊維製のベストが現れる。一樹はそれを上着の下に素早く着用した。体に吸い付くようなフィット感があり、心なしか安心感が生まれた。
さらに、残りのポイントで護身用の『特殊タクティカルペン(強化アルミ製で打突に耐えるもの)』を150 SPで購入し、右のポケットに忍ばせた。これで残高は600 SP。
「準備はした。あとは……何が来るかだ」
『00:00:03』
『00:00:02』
『00:00:01』
『00:00:00』
ピコン。
静寂を切り裂く、あの電子音が脳内に直接響くような錯覚を覚えた。
『セカンド・クエスト【最初のマッチング】を開始します』
『これより、対象プレイヤーを「特設エリア」へと強制転送します。同期中……』
「なっ……転送!?」
一樹が驚愕の声を上げた瞬間、彼の視界が激しく歪んだ。
足元のアスファルトが、壁のコンクリートが、夜空の月が、すべてが数千、数万の「光の粒子」へと分解されていく。強烈な眩暈が一樹を襲い、彼は平衡感覚を失ってその場に倒れ込んだ。
感覚が戻った時、最初に鼻を突いたのは、カビ臭い埃の匂いと、錆びた鉄の臭いだった。
一樹は慌てて飛び起きた。そこは、先ほどまでいた屋外の裏通りではなかった。四方をコンクリートの壁に囲まれた、広大な地下空間のようだった。天井には一定間隔で剥き出しの蛍光灯が設置されているが、いくつかの灯りはチカチカと不気味に明滅している。
まるで、打ち捨てられた地下駐車場か、巨大なシェルターの跡地だった。
「ここは……どこだ?」
一樹が周囲を見回したその時、少し離れた暗がりから、複数の足音が聞こえてきた。
一つではない。二人、三人、いや、それ以上だ。
「おい、なんだよこれ……! 俺はさっきまで自分の部屋にいたはずだぞ!」
「キャッ! 誰かいるの!?」
「静かにしろ。……敵かもしれない」
暗闇から姿を現したのは、一樹と同じように戸惑いと恐怖を顔に張り付かせた、様々な年齢、性別の人間たちだった。
転送された空間に集まったのは、一樹を含めて全部で五人だった。
誰もが右手にスマートフォンを握りしめ、互いに警戒し合いながら、一定の距離を保って円を描くように立ち尽くしている。
一樹は素早く四人の容姿を観察した。
一人は、高級そうなスーツを着た四十代半ばの、いかにもエリート会社員といった風貌の男。過呼吸気味に胸を押さえ、眼鏡の奥の目を血走らせている。
一人は、派手な金髪にピアスをいくつもつけた、二十歳前後の小柄な青年。虚勢を張るように周囲を睨みつけているが、足が小刻みに震えていた。
一人は、怯えた表情で身を縮めている、大人しそうな女子高校生。制服のスカートを涙ながらに握りしめている。
そして最後の一人は──他の面々とは明らかに雰囲気が異なる、冷静な眼差しを持った二十代後半の女性だった。動きやすいライダースジャケットに身を包み、鋭い視線で空間の構造を分析している。
緊迫した沈黙を破ったのは、スーツの男だった。
「君たち、これは何のドッキリだ!? 私は明日、重要な会議があるんだ! こんな悪質な悪戯に付き合っている暇はない! 誰が責任者だ、出てこい!」
「おい、オッサン、うるせえよ」
金髪の青年が忌々しそうに吐き捨てた。
「ドッキリなわけねえだろ。お前もあの『サバイブ・リンク』ってアプリ、入れたんだろ? 俺はさっき、目の前でダチが光になって消えるのを見たんだよ……。クソッ、訳が分かんねえ!」
「消えた……? 人間が消えるわけがないだろう! 集団催眠か何かだ!」
「現実を見なさいよ、おじさん」
ライダースジャケットの女性が、冷ややかな声で会話に割って入った。
「私たちは空間ごとここに『転送』されたの。科学的には不可能だけど、事実よ。そして、私たちのスマートフォンが、次の指示を待っている」
彼女の言葉に促されるように、全員のスマートフォンが一斉に震えた。
ピコン。
『プレイヤーの集結を確認しました。これより、エリア内マッチングを確定します』
『セカンド・クエスト:【カウントダウンの迷宮】』
『ルール:これより30分間、この地下エリアに凶暴な「クリーチャー(処分用プログラム)」が放たれます。プレイヤーの皆様は、エリア内に隠された【脱出の鍵】を3つ集め、中央のゲートへ到達してください』
画面が切り替わり、簡単な地下マップが表示される。現在地から少し離れた場所に、赤い巨大な「×」印が三つ、そして中央に緑色の「GOAL」の文字が表示されていた。
『ただし、現在の生存ポイント(SP)の総計によって、以下の追加条件が適用されます』
『カズキ(Eランク):ハンデなし』
『タカシ(Fランク):ハンデなし』
『ミサキ(Fランク):ハンデなし』
『シンジ(Fランク):移動速度10%低下』
『レイ(Dランク):ターゲット固定(クリーチャーに最も優先して狙われます)』
「な……ッ!?」
ライダースジャケットの女性──レイの表情が、初めて激しく歪んだ。彼女のステータスを見ると、すでに「Dランク」に達している。一樹よりも多くの修羅場を潜り抜けてきたのだろう。しかし、それゆえにシステムは彼女に最悪のペナルティを課したのだ。
「私が……ターゲット固定? ふざけないでよ!」
その時、地下空間の奥から、金属を引っ掻くような不快な音が響いてきた。
ギギギ、ギギギギギギギギ!
それは、人間のものとは思えない、おぞましい足音だった。闇の向こうから、巨大な「影」がゆっくりと這い出してくる。それは、人間の四肢を異様に引き伸ばし、顔のパーツがすべて塗りつぶされたような、バグった3Dモデルのような怪物だった。その手先は、鋭い鎌のように変形している。
「嘘……いや、嫌ああああああ!」
女子高校生のミサキが悲鳴を上げた。
怪物の頭部(と思われる可視光の塊)が、カチカチと音を立てて回転し、まっすぐにレイを捉えた。追加ルールの通り、怪物はレイを最優先の排除対象として認識したのだ。
「グルルルルル……!」
怪物が猛然と突進してくる。その速度は、人間の全力疾走を遥かに凌駕していた。
「散りなさい!」
レイが叫ぶと同時に、五人は四方へと散り散りに走り出した。
一樹はコンクリートの支柱の陰に身を潜め、激しく乱れる息を整えた。
怪物の咆哮と、激しい足音が地下空間に響き渡る。怪物は宣言通り、レイの後を執拗に追いかけていた。レイは驚異的な身体能力で、迫り来る鎌を紙一重でかわし、柱の合間を縫うようにして走っている。しかし、それも長くは持たないだろう。
(どうする? レイが囮になっている間に、俺たちが「鍵」を集めればクリアできる。だけど、彼女を見捨てたら、彼女が死んだ後に怪物の矛先が俺たちに向くのは確実だ……!)
一樹はスマートフォンでマップを確認した。一番近い「鍵」のマークは、ここから約三十メートル離れた資材置き場の奥にある。
彼が走り出そうとした時、すぐ近くの影から金髪の青年──タカシが飛び出してきた。
「おい、カズキって言ったな! お前、ランクEだろ! 何か武器とかねえのかよ!」
「武器はない! だけど、このペンならある!」
一樹はポケットからタクティカルペンを取り出して見せた。タカシは「そんなもんであの化け物と戦えるかよ!」と悪態をついたが、その顔は恐怖で泣き出しそうだった。
「タカシ、落ち着け! このゲームは全員でクリアできるルールだ! 誰かを犠牲にする必要はない、鍵を集めるんだ!」
「分かったよ! 俺はあっちの鍵に行く! お前はそっちを頼む!」
タカシはそう言うと、反対方向の通路へと走り去った。一樹もまた、目の前の資材置き場へと足を向けた。
資材置き場には、古いドラム缶や木箱が乱雑に積まれていた。その中央、不自然に青く発光する、立方体のデータ結晶のようなものが浮遊していた。それが『脱出の鍵』だった。
「これか……!」
一樹が手を伸ばし、結晶に触れた瞬間、スマートフォンが音を立てた。
『脱出の鍵(1/3)を獲得しました。残り2つ』
「よし、一つ目!」
その時、背後から鋭い悲鳴が聞こえた。レイの声ではない。女子高校生のミサキの声だ。
一樹が慌てて資材置き場から顔を出すと、通路の先でミサキが腰を抜かしてへたり込んでいた。そして、彼女の前に立ち塞がっていたのは……スーツの男、シンジだった。
シンジの手には、いつの間にか鉄パイプが握られていた。彼の目は完全に狂気に染まっており、ハンデによって移動速度が落ちた焦りからか、正気を失っていた。
「どけ! どいてくれ! そこに鍵があるんだろ! 私が先に脱出するんだ! 足を引っ張るガキはここに置いていく!」
「おじさん、やめて……助けて……!」
シンジはミサキを突き飛ばし、彼女の背後にあった二つ目の『鍵』を強引に奪い取った。
『脱出の鍵(2/3)を獲得しました。残り1つ』
「ハハハ! 取ったぞ! あとは最後の一個だ!」
シンジは狂喜乱舞しながら、ハンデのある足でもつれるようにして中央のゲートへと走り出した。
「あのオッサン、何考えてんだ!」
一樹はミサキの元へ駆け寄り、彼女の腕を引いて立たせた。
「大丈夫か!? 立てるか!?」
「う、うん……ありがとう……」
ミサキは涙を拭いながら、一樹の後に続いた。
しかし、事態は最悪の方向へと動き出していた。中央ゲートの付近で、レイを執拗に追っていた怪物が、大声を上げて走ってきたシンジの存在を察知したのだ。
レイは疲弊し、壁に背を預けて荒い息を吐いていた。怪物はターゲットを一時的に変更し、突進してくるシンジへとその凶刃を向けた。
「グルアアアアアア!」
「ひっ、来い、来るな! この化け物め!」
シンジは怯えながらも、手にした鉄パイプをがむしゃらに振り回した。しかし、怪物の鎌はそのパイプを容易く弾き飛ばし、シンジの胸元を容赦なく切り裂いた。
「がはっ……!?」
シンジの身体が宙を舞い、コンクリートの床に激しく叩きつけられる。彼の衣服が血に染まり、手からこぼれ落ちた二つ目の鍵の結晶が、床を転がった。
「シンジさん!」
一樹が叫ぶが、怪物は容赦をしない。倒れたシンジの上に覆いかぶさり、止めの一撃を振り下ろそうとした。
その瞬間、スマートフォンの画面が激しく明滅し、シンジの身体にあの「ノイズ」が走り始めた。
『警告:プレイヤー:シンジの生命維持機能が著しく低下。システムによる【バグ消去】を開始します』
「いやだ、いやだ……私は、まだ、死ぬわけには……」
シンジの身体が、モザイク状に崩壊していく。彼は最期まで自分の眼鏡を掴もうと手を伸ばしたが、その手もまた、虚空のノイズへと消え去っていった。衣服と、彼が持っていた鍵だけを残して。
「そんな……また、目の前で……」
ミサキが恐怖のあまり絶叫し、頭を抱えてうずくまった。
「絶望している暇はないわ! カズキ、鍵を拾いなさい!」
遠くから、レイの鋭い声が響いた。彼女は息を切らしながらも、シンジが落とした二つ目の鍵を目がけて走り出していた。
怪物はシンジを「消去」したことで、再びターゲットをレイへと戻し、その身体を反転させていた。
「タカシ! 最後の一個はどうなった!?」
一樹は周囲を見回しながら叫んだ。
すると、地下空間の反対側の角から、タカシが息を弾ませて走ってくるのが見えた。その手には、青く光る三つ目の結晶が握られていた。
「取った! 取ったぞ、クソッタレ! これで三つ揃ったろ!?」
「よし、中央のゲートへ走れ!」
一樹はミサキの手を引き、床に転がっていた二つ目の鍵を拾い上げた。これで、一樹が一つ、タカシが一つ、そして今拾ったもので三つ。全ての鍵が揃った。
中央のゲートは、光り輝く巨大なスマートフォンの画面を模したような、異様な意匠の電子扉だった。鍵を持ったプレイヤーが近づくことで、扉のロックが解除される仕組みだ。
しかし、怪物は彼らの脱出を許さない。
レイを執拗に追い詰めながらも、その巨大な身体をスライドさせ、ゲートの前に立ち塞がろうとしていた。
「邪魔よ!」
レイは懐から、ショップで購入したと思われる『閃光弾』を取り出し、怪物の足元へ投げつけた。
ドンッ!
凄まじい爆音と共に、地下空間が真っ白な光に包まれる。怪物は視界を奪われ、おぞましい悲鳴を上げてその場でのたうち回った。
「今よ、走りなさい!」
レイの合図と同時に、一樹、ミサキ、タカシ、そしてレイの四人は、中央ゲートへと全力で飛び込んだ。
一樹が手にした二つの鍵と、タカシの鍵がゲートに吸い込まれるようにして同期していく。
『脱出の鍵、すべてを感知しました。ゲートを開放します』
電子扉が左右に開き、その向こう側に、元の夜の街へと繋がる「光の渦」が現れた。
「うおおお!」
タカシが最初に飛び込み、続いてミサキが一樹に背中を押されるようにして渦の中へと消えていった。
一樹もまた、レイと共に飛び込もうとしたその時、背後から凄まじい風圧が迫るのを感じた。
閃光弾の効果が切れ、狂暴化した怪物の鎌が、最後尾を走るレイの背中に向けて振り下ろされていたのだ。
「レイ!」
一樹は身体を反転させ、右ポケットのタクティカルペンを逆手に握り、怪物の鎌の側面に全力で叩きつけた。
ガツン! と激しい衝撃が腕を襲う。防刃ベストを着ていなければ、その衝撃だけで肋骨が折れていたかもしれない。しかし、一樹の一撃によって、怪物の刃はわずかに軌道を逸れ、レイの髪をかすめるに留まった。
「……チッ、余計な真似を!」
レイは毒づきながらも、一樹の腕を掴み、力任せに光の渦の中へと引きずり込んだ。
視界が再び、数百万の光の粒子へと分解される。
怪物の怒号が、遠ざかっていく──。
ドサリ、と冷たいアスファルトの上に二人の身体が転がった。
一樹が目を開けると、そこは先ほどまでいた、深夜のシャッター街の裏通りだった。空を見上げると、うっすらと東の空が紫がかり、二度目の夜明けが近づいているのが分かった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
隣にはレイが横たわり、少し離れた場所ではタカシとミサキが、地面に座り込んで激しく震えていた。
全員、生きている。衣服は汚れ、精神は限界を迎えていたが、確かに五人のうち四人が生還を果たしたのだ。
ピコン。
スマートフォンの通知音が、静かな朝の空気に響く。
『セカンド・クエスト、クリア。プレイヤーの生還を条件に基づき確定しました』
『報酬:1500 SPがマイページに付与されます。ランク変動なし』
『これより、サード・クエストへの移行期間に入ります。次のマッチングまで、24時間』
画面を閉じ、一樹は深くため息をついた。
生き残った。しかし、これで終わりではない。明日になれば、また次の地獄が始まる。そして、今回は五人中一人が死んだ。次は、自分がその「一人」になるかもしれない。
「おい……これ、どうすんだよ……」
タカシが頭を抱えながら、掠れた声で呟いた。
「俺たち、これから毎日こんなことしなきゃいけないのか? 誰がこんなこと……」
ミサキは何も言わず、ただ膝に顔を埋めて泣き続けていた。
一樹は立ち上がり、レイを見つめた。彼女もまた、静かに立ち上がり、上着の埃を払っていた。その瞳には、一樹に対するかすかな「評価」の色が浮かんでいた。
「助かったわ、カズキ。さっきの判断、悪くなかった」
「……必死だっただけだ。それより、これからどうする? 俺たちは──」
「勘違いしないで」
レイは一樹の言葉を遮り、冷酷な眼差しを向けた。
「今回は、全員生存が可能なルールだったから協力しただけ。でも、アプリのルールを忘れないことね。──『最後の1人になるまで、ゲームは終わらない』。次は、私があなたを殺す側になるかもしれないのよ」
レイはそう言い残すと、振り返ることもなく、朝靄の消えゆく街の奥へと歩き去っていった。
残された一樹、タカシ、ミサキの三人の間に、重苦しい沈黙が降り積もる。
アプリによって結ばれた、偽りの絆。
それは、次のゲームで簡単に崩壊する、あまりにも脆いものでしかなかった。
神代一樹のサバイバルは、まだ始まったばかりだった。




