(デスゲーム)『ラスト・インストール:死への同期』 一話目
スマートフォンが震えた。
深夜二時。自室の薄暗い闇の中で、液晶画面の放つ冷たい白光が、大学二年生の神代一樹の疲弊した顔を照らし出していた。
「……また、これか」
一樹はベッドに寝転んだまま、鬱陶しそうにため息をついた。
画面に表示されていたのは、ここ数日、SNSのタイムラインや動画サイトの広告枠を文字通り埋め尽くしていた、正体不明のスマートフォン向けアプリケーションの広告だった。
タイトルは『サバイブ・リンク(Survive Link)』。
黒を基調とした背景に、鮮血を思わせる禍々しい赤色の文字。事前登録者数一千万人突破、などという景気のいい言葉が並んでいるが、開発元の会社名はどこをどう探しても見当たらない。ゲームのジャンルすら明記されておらず、ただ一言、
『あなたの現実を、本物のスリルと同期する』
という、手垢のついたキャッチコピーだけが踊っていた。
「最近の流行りか何か知らないけど、ゴリ押しが過ぎるんだよな……」
一樹は広告を閉じようと、画面の隅にある小さな『×』印に指を伸ばした。
その時、不意に強烈な睡魔が襲った。昼間の講義と深夜までのアルバイトで、身体は限界を迎えていたらしい。指先がわずかにブレた。
カチ、と軽いタップ音が静まり返った部屋に響く。
「あ、クソ……」
押し間違えた。画面は広告の閉鎖ではなく、アプリストアのダウンロードページへと遷移してしまった。
すぐに指を戻してブラウザを閉じようとした一樹だったが、次の瞬間、奇妙な現象に動きを止められた。
画面中央のインジケーターが、異常な速度で回転を始めたのだ。
『ダウンロード中:10%……45%……80%……100%』
「は? 早すぎだろ、ギガ数どうなってんだ」
数秒にも満たない時間で、インストール完了の通知が画面上部から滑り降りてきた。通常、どれほど通信環境が良くても、この規模を謳うアプリが瞬時に導入されるわけがない。
スマートフォンが突如として熱を帯び始める。バッテリー部分が異常に熱くなり、ケース越しに手のひらへ不快な熱が伝わってきた。
「おいおい、バグか? ウイルスだったら最悪だぞ」
焦った一樹は電源ボタンを長押しして強制終了を試みた。しかし、画面は暗転しない。それどころか、スマートフォンの制御を完全に奪われたかのように、自動的に見慣れないアイコンがホーム画面の中央に配置され、ひとりでに起動した。
液晶から、すべての光が消えた。
真っ黒な画面。壊れたのかと思った直後、画面の奥から、ポツリ、ポツリと、赤黒い文字が浮かび上がってきた。
『──Survive Link へようこそ、神代 一樹 様──』
一樹の背筋に、冷たいものが走った。
確かにこのスマートフォンには個人情報を登録している。だが、アプリを起動しただけで、一切の規約同意もアカウント連携も経ずに、自分の本名を名指しで呼んでくるゲームなど、聞いたことがない。
「……アカウント情報を抜かれたか」
冷や汗が額を伝う。
画面は一樹の戸惑いを無視して、機械的に次のテキストを紡ぎ出していく。
『本アプリは、選ばれたプレイヤーの皆様に、究極のサバイバルを提供するための現実同期型システムです。以下の初期設定を完了させてください』
画面に現れたのは、あまりにも簡素な二つの選択肢だった。
【ゲームを開始する】
【プレイヤーの権利を放棄する】
「放棄だ、放棄。こんな不気味なもの、即デリートだ」
一樹は迷わず『プレイヤーの権利を放棄する』のボタンをタップした。規約違反だろうが何だろうが、これ以上この不気味なプログラムに付き合うつもりはなかった。
しかし、画面は切り替わらない。
ブブッ、と短いバイブレーション。
『警告:権利の放棄には、相応のペナルティが科されます。それでも放棄しますか?』
「ペナルティ? 勝手にインストールしておいて、脅迫のつもりかよ」
悪質な架空請求の類だろう。一樹は鼻で笑い、画面の『はい』を乱暴に叩いた。どうせ画面をロックして、明日ショップに持って行けば済む話だ。そう自分に言い聞かせた。
画面が一度、激しく明滅した。
そして、冷徹な一文が表示される。
『承諾されました。ペナルティ:【初期資産の喪失】を実行します。同期中……完了』
スマートフォンの熱が、嘘のように引いていった。画面は自動的に通常のホーム画面へと戻り、先ほどまで強制起動していた『サバイブ・リンク』のアイコンは、跡形もなく消え去っていた。
「……なんだ、驚かせやがって。ただの悪質なジョークソフトか」
一樹は大きく息を吐き出し、スマートフォンを枕元に放り投げた。心臓の鼓動がまだ少し速かったが、実害がないと分かれば急速に眠気が戻ってきた。電子マネーの残高や銀行口座のアプリを念のために確認しようかとも思ったが、明日でいい、と目を閉じた。
だが、その安眠は、わずか十分後に破られることになる。
ジリリリリリリリ!!!
けたたましいベルの音が部屋に響き渡った。スマートフォンの着信音ではない。部屋の壁に設置されている、火災報知器の非常ベルだ。
「な、なんだ!? 火事か!?」
一樹は跳ね起き、急いでズボンを穿いて部屋のドアを開けた。
廊下に飛び出した瞬間、強烈な煙の臭いが鼻腔を刺した。視界の先、アパートの階段室から、もうもうと黒い煙が立ち上っているのが見える。
「冗談だろ……本当に火事かよ!」
一樹の住むアパートは築三十年の木造二階建てだ。一度火が回れば、ひとたまりもない。
彼は慌てて部屋に戻り、財布とスマートフォンだけをポケットに突っ込んで、這うようにして外へ脱出した。階段を駆け下りる途中、一階の角部屋から激しい炎が吹き出しているのが見えた。住人の悲鳴と、遠くから聞こえる消防車のサイレンが、深夜の住宅街を騒然とさせていく。
アパートの外へ逃げ出し、冷たい夜気にさらされながら、一樹は燃え盛る我が家を見上げていた。
消防隊による消火活動が始まったが、木造の建物はまたたく間に炎に包まれ、一樹の部屋があった二階部分も、崩れ落ちるようにして焼け落ちていった。
夜が明ける頃には、一樹が持っていた「日常」のすべてが、灰になっていた。
衣服も、大学の教科書も、思い出の品も、何一つ残っていない。文字通り、身一つ。
「これから、どうすればいいんだ……」
焼け跡の前に立ち尽くす一樹のポケットの中で、スマートフォンが再び、静かに震えた。
画面を見ると、見覚えのない通知が表示されている。
『通知:ペナルティ【初期資産の喪失(居住地および全財産の焼失)】の執行が完了しました』
一樹の血の気が、一気に引いた。
燃えるアパートの熱気が嘘のように、全身が凍りつくような感覚に襲われる。
「まさか……あのアプリの仕業、なのか……?」
ただの偶然だと思いたかった。しかし、タイミングが良すぎる。いや、悪すぎる。
画面をスクロールすると、消去したはずの『サバイブ・リンク』のアイコンが、再びホーム画面の特等席に鎮座していた。しかも今度は、アイコンの周囲に「血の滴り」を模したエフェクトが動いている。
吸い寄せられるように、一樹は指を動かした。今度は拒絶する勇気などなかった。
アプリが起動する。
昨日と同じ黒い画面。しかし、そこに表示されたメッセージは、より具体的で、より残酷なものへと変わっていた。
『ゲームへのご参加、感謝いたします。神代 一樹 様。本ゲームは、拒否権のない現実同期型デスゲームです。ルールは極めてシンプルです』
『1. 提示されるクエストを制限時間内にクリアすること』
『2. クエストの失敗、または参加拒否には、相応のペナルティ(肉体的、精神的、または社会的死)が科されます』
『3. 最後の1人になるまで、ゲームはアンインストールできません』
画面が切り替わり、一樹の顔写真が表示された。いつの間に撮影されたのか、今現在の、アパートの焼け跡の前で絶望している彼の姿そのものだった。その写真の下に、大きくステータスが表示されている。
【プレイヤー名:カズキ】
【ランク:F】
【生存ポイント:100 SP】
【現在のペナルティ回数:1】
【次のクエスト開始まで:00:05:00】
「五分後……?」
一樹がその数字を凝視した瞬間、カウントダウンが始まった。
『00:04:59』
『00:04:58』
時間が刻まれていく。一樹は周囲を見回した。焼け跡の周りには野次馬や警察官、消防隊員がいるが、誰も一樹の異常な様子には気づいていない。世界はいつも通りに動いているように見える。だが、自分のスマートフォンの中だけは、確実に死の歯車が回り始めていた。
「おい、冗談だろ……誰がこんなこと……!」
誰にぶつけることもできない怒りと恐怖が、一樹の胸を締め付ける。
五分という時間は、絶望するには十分だが、逃げ出すにはあまりにも短すぎた。
『00:01:00』
一樹は無意識のうちに、焼け跡から離れ、人気の少ない路地裏へと歩を進めていた。もし、次の「クエスト」とやらが、周囲を巻き込むようなものだったら。これ以上、他人が巻き添えになるのを見たくはなかった。
『00:00:10』
『00:00:09』
『00:00:08』
心臓が破裂しそうなほど脈打つ。一樹はスマートフォンを強く握りしめた。画面の数字が、ついにゼロを示す。
ピコン。
軽快で、それゆえに酷く不気味な電子音が路地裏に響いた。
『ファースト・クエスト【始まりの血戦】を開始します』
『目的:半径100メートル以内に存在する、他の「サバイブ・リンク」プレイヤーを1名、無力化(死亡または戦闘不能)せよ』
『制限時間:30分』
『失敗ペナルティ:心停止』
「な……ッ!?」
一樹の目が限界まで見開かれた。他のプレイヤーを、殺せというのか。
『マップ機能を開放します。ターゲットの位置を確認してください』
画面が自動的にGPSマップへと切り替わる。そこには、一樹を示す青いドットと……そこからわずか五十メートルほど離れた場所に、ゆっくりとこちらへ近づいてくる、不気味に明滅する赤いドットが映し出されていた。
ザッ、と砂利を踏む音が、路地裏の奥から聞こえた。
一樹が顔を上げると、そこには、自分と同じようにスマートフォンを血走った目で見つめる、一人の男が立っていた。男の手には、どこで手に入れたのか、不自然にギラリと光るサバイバルナイフが握られていた。
「……見つけた」
男が狂気に満ちた笑みを浮かべ、一樹に向けて走り出す。
神代一樹の、命を賭けた20日間のデスゲームが、今、最悪の形で幕を開けた。




