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AIで書いた小説  作者: 斉藤一


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『緋色の共鳴(リゾナンス)』

 深夜2時の帝都大学医学部研究棟は、まるで巨大な墓標のように静まり返っていた。

 神崎徹は、高性能電子顕微鏡のモニターに映し出された塩基配列を凝視していた。ディスプレイの放つ青白い光が、彼の深く刻まれた眉間の皺を際立たせる。


「……あり得ない。こんな幾何学的な構造が、自然界のウイルスに存在するはずがない」


 神崎が呟いたその時、研究室の重い防火扉が激しく叩かれた。

 立っていたのは、息を切らせた警視庁の刑事、美濃部玲だった。彼女のトレンチコートには、夜雨の雫が点々と滲んでいる。


「神崎教授、今すぐ一緒に来てください。あなたの力が必要な、異常な事件が起きました」


「美濃部くん、私は見ての通り、極めて繊細なサンプルの解析中だ。警察の夜回りにつき合う暇はない」


「被害者は、あなたの元教え子……新谷(しんたに)和彦です」


 神崎の指がピタリと止まった。新谷。半年前、神崎の研究室から突然姿を消し、大手製薬会社「プロメテウス・ファーマ」に転職した優秀な遺伝子工学者だった。

 神崎が案内されたのは、都心から少し外れた高級マンションの一室だった。

 室内は荒らされた形跡もなく、静謐そのものだった。しかし、リビングのソファに腰掛けた新谷の遺体を見た瞬間、神崎は言葉を失った。

 新谷の皮膚は、不自然なほど鮮やかな「緋色」に染まっていた。

 まるで、全身の毛細血管から赤い染料が均一に溢れ出したかのような、異様な美しささえ感じさせる死相。


「検視官の初期判断では心不全ですが、納得がいきません」と美濃部は言った。


「体温が異常なんです。死亡推定時刻から3時間は経っているのに、内臓の温度が全く下がっていない。それどころか、細胞が……」


「凍りついている(・・・・・・・・)」


 神崎はラテックス手袋をはめた手で、新谷の首筋に触れた。硬直ではない。皮膚のすぐ下で、微細な結晶が組織を固定しているかのような、奇妙な手触り。


「これは『生体凍結を伴う急性多臓器不全』だ。だが、物理的に冷却された形跡はない。美濃部くん、彼の部屋からスマートフォンの他に、何か記録媒体は押収したか?」


「いえ、パソコンのハードディスクは物理的に破壊されていました。ただ、彼の胃の内容物から、奇妙なカプセルの残骸が見つかっています」


 神崎の脳裏に、先ほど大学の研究室で見ていた、あの人工的な塩基配列がフラッシュバックした。


「新谷は殺された。それも、人類がまだ手にしてはならない『科学の禁忌』によってだ」


 翌日、神崎は新谷の胃から採取された成分の分析データを、大学のラボで弾き出した。

 結果は驚くべきものだった。胃のなかに残っていたのは、特殊な脂質ナノ粒子(LNP)でコーティングされた「メッセンジャーRNA(mRNA)」だった。

 通常のLNPはワクチンなどに使われ、体内で有益なタンパク質を作らせる。しかし、この配列は違った。体内の水分を瞬時に「氷核(ひょうかく)」へと変貌させ、細胞の水分を分子レベルで結晶化させる、恐るべき人工タンパク質をコードしていたのだ。


「標的の体温を奪うことなく、細胞の内側から凍らせる遺伝子兵器……。こんな芸当ができる組織は、国内には一つしかない」


 神崎は、新谷の転職先である「プロメテウス・ファーマ」の本社ビルを見上げた。

 ガラス張りの超高層ビルは、未来の医療を象徴する象牙の塔のようにそびえ立っている。その最上階、CEO応接室で神崎を待っていたのは、かつての親友、漆原誠二だった。


「久しぶりだな、神崎。大学を飛び出して以来か」


 漆原は極上の仕立てのスーツをまとい、優雅にコーヒーを すすった。


「漆原、単刀直入に言う。新谷を殺したのはお前たちの仕業か」


 神崎の言葉に、漆原は表情一つ変えなかった。ただ、冷たい瞳の奥で微かな光が揺れた。


「彼は優秀な研究者だったが、少し正義感が強すぎた。我が社が開発している『フェニックス計画』の価値を理解できなかったのさ」


「フェニックス計画……?」


「不治の病に侵された人間を、未来の医療が確立されるまで安全に『生体凍結』する技術だ。新谷はその過程で生まれた副産物――つまり、即死性の凍結遺伝子を外部に持ち出そうとした。これは国家安全保障にも関わる最高機密だぞ、神崎」


 漆原は立ち上がり、ガラス窓の外に広がる東京の街並みを指差した。


「神崎、お前の娘さんが亡くなった時、もしこの技術があればどうだった? 彼女を冷凍保存し、治療法が見つかる今日まで生かすことができたかもしれないんだぞ」


 神崎の拳が震えた。娘の死は、彼の人生最大の傷だ。漆原はその痛みを正確に突いてきた。


「科学は人を救うためにある。兵器として横流しするためじゃない!」


「綺麗事では世界は変わらんよ」漆原は冷酷に言い放った。


「これ以上嗅ぎ回るなら、君の立場も保証できない」


 プロメテウス・ファーマを後にした神崎に、美濃部から緊急の連絡が入った。


「教授、大変です! 新谷の遺体が、警察の安置所から強奪されました。さらに、上層部からこの事件の捜査を打ち切るよう圧力がかかっています」


「やはりな。警察の内部にもプロメテウスの息がかかっている者がいる」


 神崎は愛車を走らせながら、美濃部に指示を出した。


「新谷が死ぬ直前、私のアドレスに送信しようとしてエラーになった暗号化データがある。大学のサーバーの隔離領域に残っていた。これを解読するには、私のラボにある量子暗号解析機を使うしかない。大学で合流しよう」


 しかし、神崎が大学の駐車場に車を滑り込ませた瞬間、異変に気付いた。

 研究棟の明かりがすべて消えている。バックミラーを見ると、不審な黒いワンボックスカーが背後にピタリとつけていた。


「くそっ、もう追手が……!」


 車から降りた神崎は、暗闇の研究棟へと駆け込んだ。背後から静かな、しかし確実な足音が近づいてくる。

 神崎は自身のラボに滑り込み、内側から鍵をかけた。暗闇のなか、ディスプレイを起動し、新谷のデータを読み込ませる。解析のプログラミングが走り、パーセンテージが上昇していく。


 10%……30%……50%……。


 その時、ラボの窓ガラスが激しく割れた。突入してきたのは、防護服に身を包み、特殊なインジェクター(注射器)を手にした男たちだった。


「神崎教授、大人しくデータを渡してもらおう」


「断る!」


 神崎は近くにあった液体窒素のボンベのバルブを開放した。白い冷気が凄まじい勢いで室内に噴出し、男たちの視界を奪う。

 悲鳴が上がるなか、神崎は解析が完了したUSBメモリを掴み、非常階段へと走った。

 待機していた美濃部の覆面パトカーに飛び乗り、二人は夜の首都高速へと逃走した。


「教授、データの中身は!?」


 美濃部がハンドルを握りながら叫ぶ。

 神崎は車内でノートPCを開き、解読されたファイルを開いた。そこにあったのは、プロメテウス・ファーマが2日後に控えた「国際医療サミット」で、あるテロ計画を実行しようとしている証拠だった。


「彼らは、サミットの会場に集まる各国の要人に、ナノ粒子化した『凍結RNA』をエアコン経由で散布する気だ。世界にその恐怖を見せつけ、自社が持つ『解凍・治療ワクチン』の価値を爆発的に高め、世界の医療利権を完全に掌握するつもりだ……!」


 さらに、データの末尾には、新谷が残した血を吐くようなメッセージが残されていた。


『神崎先生、やつらは悪魔です。そして、このウイルスの「鍵」は、先生が10年前に発表した論文の理論がベースになっています。私たちが始めた過ちは、私たちが終わらせなければならない――』


 神崎は絶望に打ちひしがれた。自分の純粋な学術研究が、大量虐殺の兵器へと悪用されていたのだ。


「国際医療サミット」の当日。会場である東京臨海部の国際会議場は、厳重な警備に包まれていた。

 美濃部は警察の身分証を使い、神崎を密かに地下の空調管理室へと引き込んだ。


「散布装置はすでに空調のメインパイプに組み込まれているはずだ」


 神崎は工具を手に、巨大なダクトの点検口を開けた。内部には、新谷の遺体から検出されたものと同じ、緋色の液体が満たされた高圧シリンダーが設置されていた。タイマーの残りはあと15分。


「これを物理的に破壊すれば、このフロア中にウイルスが漏れ出す。そうなれば、私たちが最初に犠牲になる」


 神崎の額から汗が流れる。


「何か、科学的な解決策はないんですか!?」


 美濃部が周囲を警戒しながら促す。


「このウイルスの遺伝子構造には、ある弱点がある。特定の周波数の『超音波』を受けると、LNP(脂質ナノ粒子)の膜が共鳴を起こして破壊され、中のmRNAが常温の空気中で急速に失活するんだ。私が開発した、あの論文の理論通りならな」


 神崎はポケットから、大学から持ち出した携帯型の超音波発振器を取り出した。これをシリンダーに密着させ、正確な共鳴周波数を入力しなければならない。


「周波数は……新谷が残したデータの塩基配列から計算する。44.1キロヘルツをベースにした、特定の分子振動数……」


 神崎がノートPCで計算を実行したその時、背後から乾いた銃声が響いた。

 PCの画面が火花を散らして砕け散る。


「そこまでだ、神崎」


 空調室の入り口に立っていたのは、数人の部下を従えた漆原誠二だった。その手には消音器付きの拳銃が握られている。


「漆原……! なぜここが分かった」


「私の会社を甘く見ないことだ。すべての監視カメラは我が社のシステムと同期している」


 漆原は冷酷に微笑んだ。


「計算機を失って、どうする? もう共鳴周波数は導き出せないな」


 美濃部が銃を抜こうとしたが、漆原の部下が放った弾丸が彼女の肩をかすめ、彼女は床に倒れ込んだ。


「さあ、神崎。時計を見ろ。あと3分で、世界は新世紀を迎える。プロメテウスの火が、愚かな人類を淘汰し、新たな秩序を作るのだ」


 神崎は破壊されたPCを見つめ、それから自身の頭を指差した。


「漆原。お前は私を買い被り、そして同時に見くびっている」


「何だと?」


「新谷のデータにあった配列は、すべて私の脳内に記憶されている。遺伝子の塩基配列など、私にとってはただの楽譜に過ぎない」


 神崎は超音波発振器のダイヤルに手をかけた。彼の指先は微塵も震えていなかった。


「あのウイルスは、私が生み出した理論の子供だ。親がその声を忘れると思うか?」


 神崎は目を閉じ、脳内で数十万の塩基配列を高速で演算した。

 アデニン、グアニン、シトシン、ウラシル。それらが描き出す立体構造。結合エネルギー。共鳴を誘発する固有振動数。


「――43,212ヘルツ」


 神崎がダイヤルを合わせ、起動ボタンを押した。

 発振器から、人間の耳には聞こえない激しい不可視の振動が放たれる。

 シリンダー内の緋色の液体が、にわかに激しく泡立ち始めた。


「な、何をしている! 止めろ、神崎!」


 漆原が叫び、引き金を引いた。

 銃弾が神崎の左胸を撃ち抜く。しかし、神崎は倒れなかった。シリンダーに文字通り体当たりし、発振器を固定し続けた。


「無駄だ、漆原……。共鳴(リゾナンス)は始まった。もう止められない」


 パキパキと小気味いい音が響き、シリンダー内の脂質ナノ粒子が次々と崩壊していく。緋色の液体は、ただの濁った、無害な水へと変わっていった。サミット会場へと続く空調ダクトには、無害化されたミストだけが吸い込まれていく。


「バカな……私の、我が社の最高傑作が……!」


 漆原が愕然と膝をついたその時、空調室の扉が激しく蹴破られた。美濃部が事前に要請していた、警視庁の特殊部隊(SAT)が雪崩込んできたのだ。


「全員、動くな! 銃を捨てろ!」


 漆原とその部下たちは、一瞬にして制圧された。


 事件から1ヶ月後。

 プロメテウス・ファーマの陰謀は白日の下に晒され、漆原をはじめとする幹部らは国家転覆未遂および殺人罪で起訴された。新谷和彦の名誉も回復され、彼の遺骨は静かに故郷の墓に眠っている。

 帝都大学医学部付属病院の特病棟。

 神崎は窓の外の秋晴れの空を眺めていた。左胸の傷は深く、一時は生死の境を彷徨ったが、現代医療の粋を集めた治療により、奇跡的に一命を取り留めていた。

 病室のドアが開き、ギプスを外した美濃部玲が入ってきた。その手には、色鮮やかな花束がある。


「神崎教授、体調はいかがですか?」


「悪くないよ、美濃部くん。ただ、退院してもすぐに講義に戻されるのが憂鬱なだけだ」


 神崎は苦笑した。

 美濃部はベッドの脇に座り、真剣な面持ちで語りかけた。


「今回の事件で、私は科学の恐ろしさを知りました。一歩間違えれば、世界中の人々が気付かぬうちに命を奪われていた。科学は、やはり諸刃の剣なのですね」


 神崎は静かに首を振った。


「それは違うよ、美濃部くん。科学そのものに、善も悪もない。それはただの『自然を紐解く言語』だ。刃にするか、盾にするかを決めるのは、常にそれを使う人間の心だ」


 彼は自身の胸に手を当てた。そこには、娘を救えなかった後悔と、新谷を守れなかった痛みが今も残っている。しかし、同時に、科学によって漆原の野望を打ち砕き、多くの命を救えたという事実もある。


「新谷が最後に遺したデータの中に、未完成の遺伝子治療のスケッチがあった。プロメテウスが兵器に変える前の、本来の『フェニックス計画』――凍結ではなく、細胞の老化と病変を防ぐための純粋な医療技術だ。私は、彼の遺志を継ごうと思っている」


「教授なら、きっと完成させられますね」


 美濃部は微笑み、窓を開けた。心地よい秋風が室内に流れ込み、神崎のデスクの上に置かれた、新しい遺伝子配列のノートを優しくめくっていく。

 科学がもたらした緋色の悪夢は去った。

 しかし、神崎徹の、人類の未来を救うための真のサイエンスは、ここからまた始まるのだ。


 神崎が退院してから、さらに3ヶ月の月日が流れた。

 季節は完全に冬へと移り変わり、帝都大学のキャンパスには冷たい北風が吹き抜けている。神崎の左胸の傷は、時折冷え込む夜に疼くものの、研究への復帰を妨げるほどではなかった。


 彼は宣言通り、新谷が遺した「フェニックス計画」の本来のスケッチ――細胞の超低温保存と、それを無傷で蘇生させるための遺伝子治療技術の復帰に取り組んでいた。それは、かつて彼が愛娘を救えなかった絶望を、未来の希望へと変えるための戦いでもあった。


「教授、少しお耳に入れたい話があります」


 ラボにやってきた美濃部玲は、以前よりも少し大人びた表情をしていた。肩の傷も癒え、現在はプロメテウス・ファーマ事件の残党を追う特別捜査班に所属している。


「美濃部くんか。漆原の裁判に何か進展でもあったか?」


 神崎は顕微鏡から目を離さずに尋ねた。


「いえ、漆原は黙秘を続けています。弁護団は『精神衰弱による責任能力の有無』を主張し始めており、公判は長期化する見通しです。……問題はそこではなく、プロメテウス・ファーマの『海外拠点のデータ』です」


 神崎の手が止まった。顕微鏡のレンズの向こうで、培養中のみずみずしい細胞が揺れている。


「海外拠点……。確か、スイスのアルプス山麓にある中央研究所だったな」


「はい。国際刑事警察機構(ICPO)がその研究所を家宅捜索したのですが、驚くべきことに、サーバーの基幹データが『突入の10分前』にすべて外部へ転送されていました。しかも、その転送先の一つが、ここ……日本国内のIPアドレスなんです」


 神崎は椅子を回転させ、美濃部と正面から向き合った。


「漆原は拘置所のなかだ。外部とそれほどの通信を行えるはずがない。プロメテウスのトップは漆原一人ではなかった、ということか」


「私たちは、もう一人の『プロメテウス(火をもたらす者)』が存在すると見ています」


 美濃部は一枚のプリントアウトを神崎のデスクに置いた。そこには、新谷が残したあの「緋色のウイルス」の塩基配列に酷似しているが、決定的に異なる「新たなコード」が並んでいた。


「これは、昨夜、我が国の防衛省のネットワークに仕掛けられた不審なアクセスログから抽出されたものです。新谷の遺したコードをベースに、さらに『進化』している」


 神崎はその配列を目で追った。彼の天才的な脳が、瞬時にその立体構造を編み上げていく。

 背筋に、氷水を流し込まれたような戦慄が走った。


「これは……『緋色の共鳴』を無効化した、私の超音波(43,212ヘルツ)を、あらかじめ予測して組み替えられた配列だ。このウイルスは、あの周波数では壊れない。それどころか――」


 神崎の顔から血の気が引いていく。


「特定の音波を浴びることで、むしろ『増殖と毒性の放出が加速する』ように設計されている。これは私に対する、明確な挑戦状だ」


 その日の深夜、神崎のスマートフォンに、登録のない番号から1通の動画ファイルが届いた。

 神崎が再生すると、画面に映し出されたのは、薄暗いコンクリート壁の部屋だった。

 そこに置かれているのは、最新型の生体維持カプセル。ガラス越しに見えるのは、見覚えのある顔だった。


「……新谷……!?」


 死んだはずの新谷和彦が、人工呼吸器をつけられた状態で、カプセルのなかで眠っていた。彼の皮膚は、あの事件の時のような緋色ではなく、青白い静脈が浮き出るほどの不自然な白濁色をしていた。

 画面が切り替わり、今度は音声だけが流れた。ボイスチェンジャーで歪められた、金属的な声。


『神崎教授。あなたがサミット会場で破壊したものは、プロメテウスの計画のほんの一部に過ぎません。新谷和彦は死んでいない。彼はあの時、自ら開発した初期型の凍結プロトコルによって「仮死状態」となった。我々が彼の身柄を警察から回収したのは、彼の脳内にある残りのデータを引き出すためだ』


 神崎は画面を凝視した。


「何が目的だ」


『目的はシンプルです。あなたが新谷のスケッチを元に開発している「完璧な蘇生遺伝子(フェニックス・コード)」の完成データを引き渡すこと。新谷の細胞は、現在、不完全な凍結によって崩壊しつつある。彼を本当に救えるのは、生みの親であるあなたの理論だけだ』


 声は冷酷に続けた。


『タイムリミットは48時間。それまでにデータを指定のサーバーにアップロードしなければ、新谷の生体維持装置を停止する。それと同時に、あなたの超音波理論を逆手に取った「新型ウイルス・レゾナンスII」を、都心の地下鉄網に散布する。あなたが世界を救うか、かつての愛弟子を救うか、あるいはその両方を失うか……選択の時間を楽しみにしています』


 動画はそこで途切れた。

 神崎は深く息を吐き、頭を抱えた。

 科学者としての理性が告げている。テロリストにデータを渡せば、彼らは真の「不死の軍隊」や「完璧な生物兵器」を手に入れることになる。それは絶対に許されない。

 しかし、かつて娘を救えなかった自分が、いま再び、目の前で生きている(・・・・)かもしれない教え子を見殺しにできるのか。


「教授、これは罠です」


 いつの間にか研究室に入っていた美濃部が、神崎の肩に手を置いた。彼女もまた、警察の傍受システムを通じてこの動画を確認していたのだ。


「分かっている。新谷が本当に生きている保証もない。だが、美濃部くん……あのカプセルのバイタルデータ、画面の隅に映っていた数値を見たか?」


「ええ、心拍数や脳波の微弱な動きが確認できましたが……」


「あれは、私が10年前に娘の最期に見た、細胞が完全に停止する直前の『死への移行期』の波形と酷似している。新谷は、生きている。そして、本当にあと48時間で、彼の細胞は二度と再生できないレベルまで破壊される」


 神崎の目に、かつてない鋭い光が宿った。


「私は科学を汚す者を許さない。新谷も、この世界も、私の『サイエンス』で同時に救ってみせる」


 神崎は、48時間という狂気的なタイムリミットのなかで、ラボに籠城した。

 美濃部は警視庁のサイバー犯罪対策課と連携し、動画の送信元IPの割り出しと、地下鉄網の警戒に全力を挙げた。しかし、敵のハッキング技術は極めて高度で、プロキシ(経由サーバー)を世界中に無数に踏んでおり、発信源を特定できない。


「教授、本当にデータを渡すつもりですか?」


 美濃部が心配そうに尋ねる。神崎はノートPCに向かい、凄まじい速度で遺伝子コードを打ち込み続けていた。


「フェニックス・コードの完成版だ。これを使えば、敵の持つ『レゾナンスII』の凍結作用を中和し、細胞を蘇生させることができる」


 神崎はそう言って、1つのファイルをUSBメモリに保存した。


「ですが、それを敵に渡せば――」


「美濃部くん、私は『完成版』だと言ったが、それが『安定的(・・・)』に動作するとは言っていない」


 神崎は冷徹な笑みを浮かべた。


「このコードには、ある『時限爆弾(トロイの木馬)』が仕込んである。特定のタンパク質――例えば、プロメテウスが好んで使うLNPの特異的な脂質と結合した瞬間から、24時間かけて、配列そのものが自己崩壊(アポトーシス)を起こすように設計してある。彼らがこれを使って新谷を蘇生させ、データを我が物にした気になった瞬間、その技術は彼らの手の中で砂のように消え去る」


「科学のペテン、ですか」


 美濃部は目を見張った。


「いや、正しい科学の運用だよ。悪用しようとする者に、科学はその果実を与えない」


 約束の48時間まで、あと3時間。

 神崎は指定された闇サイトのサーバーへ、偽装したフェニックス・コードをアップロードした。

 数分後、再びあの非通知の番号からメッセージが届いた。


『データの受信を確認した。解析チームが本物だと認めている。約束通り、新谷和彦の「現在地」を教えよう。東京湾に浮かぶ、廃極地研究所の跡地だ。新型ウイルスの起動装置もそこにある。……ただし、あと1時間で、そこの自動換気システムが作動し、ウイルスが東京全域へ向けて放出されるようセットした。間に合うかな?』


「臨海部の廃研究所……! 美濃部くん、突入だ!」


 神崎と美濃部は、夜の闇を切り裂くようにパトカーを走らせた。


 東京湾の埋立地にひっそりと佇む、かつての極地資源研究所。

 防護服に身を包んだ神崎と、銃を構えた美濃部は、錆びついた扉を蹴破って内部へと侵入した。


 内部は、最新のバイオラボへと違法に改造されていた。

 部屋の中央には、動画で見た通りの生体維持カプセルがあり、その中で新谷が眠っている。そしてその傍らには、大型のミスト散布装置が、不気味な駆動音を立ててカウントダウンを表示していた。残りは15分。


「待っていたよ、神崎教授」


 暗闇から現れた人影を見て、神崎は息を呑んだ。

 そこにいたのは、漆原誠二に生き写しの男だった。しかし、年齢は漆原よりも遥かに若く見える。20代後半といったところか。


「漆原……いや、お前は誰だ」


「私は漆原誠一(せいいち)。誠二の弟であり、彼が残したクローン(・・・・)の最高傑作さ」


 青年は歪んだ笑みを浮かべた。


「兄は凡人だった。医療利権などという目先の金に囚われ、科学の本質を見失った。だが私は違う。私はこの『レゾナンスII』と、あなたがくれた『フェニックス・コード』を用いて、人類を次のステージへ導く。病も老いも克服した、冷徹なる新人類の時代だ」


「クローンだと……? 遺伝子を弄び、自らをも兵器の部品にするか」


 神崎の激しい怒りが、声となって震える。


「さあ、神崎教授。あなたがアップロードしたデータに、奇妙な『自己崩壊コード』が含まれていることは、我が社のAIがすでに検知しているよ」


 誠一は手元のリモコンを掲げた。


「その罠を解除する『真のキー』をここで入力しろ。さもなければ、今すぐこの散布装置を起動し、さらに新谷のカプセルに高濃度の塩化カリウムを注入する」


 美濃部が銃口を誠一に向ける。


「動かないで! スイッチを捨てなさい!」


「撃てるかい? 私の心拍モーターが停止すれば、散布装置は即座に強制開放される仕組みだ」


 状況は最悪だった。超音波での無力化は通用しない。データを本物に変えれば世界が危機に瀕し、拒めば新谷と東京が死ぬ。

 神崎は一歩、散布装置へと近づいた。


「誠一。お前のAIは優秀だが、致命的な盲点がある」


「何だと?」


「お前たちが使っている『レゾナンスII』のベースコード。新谷がそれを書き換えた時、彼は私へのメッセージとして、ある『隠しコマンド(イントロン)』を仕込んでいたんだ。それは、AIのバグチェックをすり抜ける、ただの無意味な塩基の羅列(ジャンクDNA)に見えるように配置されていた」


 神崎は散布装置のコントロールパネルに手を伸ばした。


「新谷は、私を信じていた。自分が悪魔に魂を売ったとしても、私が必ずそれを見破ると」


 神崎はパネルのキーボードに、文字ではなく「塩基配列の頭文字」を高速で打ち込み始めた。

 A、G、C、T、T、A、C、G……。


「な、何をしている!? 止めろ!」


 誠一が叫び、美濃部が彼の前に立ちはだかって牽制する。


「新谷が仕込んだコマンドは、特定の配列が外部から入力された時、ウイルスのLNP(脂質ナノ粒子)を『自鳴(じめい)』させる。超音波による外部からの共鳴ではない。ウイルス自身が持つ分子の熱運動によって、自ら熱を帯び、自壊するコードだ!」


 最後のエンターキーが押された。

 散布装置の中で、緋色に輝いていた液体が、一瞬にして凄まじい熱を発し、ボンベの表面が結露から一転して沸騰を始めた。

 内部の遺伝子は、その熱によって完全に熱変性し、ただの無害なアミノ酸のスープへと変わり果てた。

 カウントダウンがゼロを示した瞬間、装置から噴き出したのは、ただの暖かい水蒸気(ミスト)だった。


「バカな……! そんなコード、どこに隠されていたんだ!」


 誠一が愕然とした隙を見逃さず、美濃部が突進し、彼の腕をひねり上げて床に組み伏せた。リモコンが手から転がり落ちる。


「確保! 終わったわ、教授!」


 神崎はすぐさま新谷のカプセルへと駆け寄った。


「新谷……今、助ける」


 神崎は、本物の「フェニックス・コード」をカプセルの注入ポートにセットし、起動させた。崩壊しかけていた新谷の細胞へ、正しい生命の数式が流れ込んでいく。

 カプセルの中で、新谷の睫毛が微かに震え、モニターの心拍波形が、力強い規則正しいリズムを刻み始めた。


 明くる年の春。

 帝都大学のキャンパスは、満開の桜のピンク色に染まっていた。

 大学病院の庭園にあるベンチに、神崎徹と、車椅子に乗った新谷和彦の姿があった。

 新谷の顔色はすっかり良くなり、まだリハビリは必要なものの、言葉を交わすのには十分なほどに回復していた。


「神崎先生……。僕は、取り返しのつかない罪を犯しました。プロメテウスに技術を渡し、兵器開発の手助けをしてしまった」


 新谷は落とされた桜の花びらを見つめ、悔恨の念を口にした。

 神崎は彼の肩に優しく手を置いた。


「新谷。君が恐怖に負け、一度は道を誤ったのは事実だ。だが、君は最後に私へ命懸けの楽譜(コード)を遺した。それがあったから、私は世界を、そして君を救うことができたんだ」


 そこへ、トレンチコートを脱ぎ捨て、軽やかな春物のジャケットを着た美濃部玲が歩いてきた。


「先生、新谷さん。良いニュースです。漆原誠一の身柄と、海外のプロメテウス・ファーマの資産は完全に凍結されました。彼らが隠し持っていたすべての違法データは、国連の管理下で厳重に破棄されることが決定しました」


「それは良かった」


 神崎は微笑んだ。


「でも、先生」


 美濃部は神崎の顔を覗き込んだ。


「先生が完成させた、あの本当の『フェニックス・コード』。あれがあれば、不治の病の医療は劇的に進歩しますよね。あれは、どうするんですか?」


 神崎はポケットから、小さなデータチップを取り出し、それを新谷の手に握らせた。


「これは、私と新谷の共同研究として、世界中の研究機関に無償で『オープンソース』として公開する。独占するから兵器になり、利権になる。すべての科学者が共有し、監視し合うことで、科学は初めて『人類の盾』になるんだ」


 新谷はチップを握り締め、目に涙を浮かべて頷いた。


「先生、また一から、研究をやらせてください。今度は、人を救うためだけの科学を」


「ああ。まずはその足のリハビリからだな。私のラボは、いつでも君の席を空けてある」


 三人の上に、うららかな春の光が降り注ぐ。

 かつて世界を恐怖に陥れた「緋色の共鳴(リゾナンス)」は消え去り、いまここに、人類の未来を紡ぐ新たな生命の交響曲(シンフォニー)が、静かに、しかし力強く鳴り響き始めていた。

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