第三話
「みんな、頼む! まだ無事なやつはいるか!?」
ネルは迫り来る【タカシ@配信中毒】や【ゆきうさぎ】たちのローポリゴンの肉体から必死に距離を取りながら、歪んだモニターの画面に向けて叫んだ。
彼らの動きはゲーム独特の不自然なカクつきを見せているが、その剥がれた爪やノイズの混じる呻き声は、生々しい現実としてネルの五感を削り取っていく。画面の向こう、まだ辛うじて怪異の完全な実体化を免れているリスナーたちが、狂ったようにキーボードを叩いた。
マヨネーズ侍:いる! まだ俺のPCは画面の端がバグってるだけで動く! ネル、どうすればいい!?
ひよりん:私も! でも部屋の電気がさっきからチカチカしてて時間がない!
ケンジ:配信のソースコード見てる。これ、ただのゲームじゃない。裏でP2Pの通信網を使って、視聴者全員のPCをサーバーにして巨大な暗号を演算させてるぞ!
「ケンジ! プログラミングが分かるのか!?」
ケンジ:多少な! このゲーム、配信画面の『チャット欄』が、俺たちのシステムとゲームの内部データを繋ぐ唯一の『門』になってる。ここから逆流させれば、ゲームの進行フラグを強制的に書き換えられるかもしれない!
『オ マ ヱ ニ ハ サ セ ナ イ』
廊下の奥から、あの『顔のない黒い男』の歪んだ声が響く。同時に、ゲーム内の空間が激しく明滅し、チャット欄に強烈なデジタルノイズが走り始めた。文字化けがマヨネーズ侍たちの発言を塗りつぶそうとする。
ケンジ:クソ、プロトコルが遮断される! 誰か、チャットのログがノイズで消される前に、ゲームのルートディレクトリにある『config.ini』を上書きする構文を打ち込んでくれ! 俺がコードをここに貼る、誰でもいいからコピペしてチャットに流せ!!!
画面に、英数字と記号が複雑に絡み合った、一連のプログラムコードが投下された。しかし、怪異の拒絶反応か、チャット欄のスクロール速度が異常なまでに加速し、一般のリスナーでは目視することすら困難な状態になる。
「させるかよ……ッ!」
ネルは迫り来る元リスナーの化け物の一撃を間一髪で引きつけ、床を転がってゲーミングチェアの影に隠れた。
「みんな! コードを打つんだ! 44人の贄が必要だったなら、今度は俺たちの意志でこの画面をハッキングして塗り替えてやる!!」
マヨネーズ侍:【アクセス承認:/sys/config/overwrite_override】
ひよりん:【アクセス承認:/sys/config/overwrite_override】
チャット欄に、ケンジの提示したコードが次々と、執念のように打ち込まれ始めた。一人、また一人と、ノイズの嵐を掻い潜ってリスナーたちがコマンドを送信していく。ゲーム内の空間が、まるでバグに耐えかねたように激しく震え始めた。壁のテクスチャがベキベキと剥がれ落ち、その向こう側にある『緑色の基盤』や『虚無の暗黒』が露呈していく。
「あ……ああ……」
ネルの目の前で、彼を肉塊に変えようと手を伸ばしていた【タカシ@配信中毒】のグラフィックが、激しく明滅を始めた。彼の頭上に表示されていた緑色の名前が、赤色から青色の『正常なデータ』へと書き換わっていく。
『ネル……俺、何をして……』
タカシのポリゴンモデルからノイズが消え、静かに粒子となって霧散していく。それは消滅ではない。ゲームの支配から解放され、元の現実世界の自室へと、意識が引き戻されていくサインだった。
[デバッグ進行度:12 / 44]……[25 / 44]……[40 / 44]……。
ケンジ:いける! あと少しで怪異のプロセスコントロールを奪えるぞ! 全員打て!!
しかし、ゲームの開発者ーーあるいはこの呪いの生みの親である『何か』が、最後の悪あがきを始めた。割れたモニターの奥から、無数の黒い触手のようなコード(配線)が飛び出し、チャットを打ち続けているマヨネーズ侍たちのアイコンを、物理的に画面の奥へと引きずり込もうと締め付ける。
『ス べ テ ヲ ヲ ワ ラ セ ル』
「終わらせるのは、俺たちだ!!」
ネルは意を決して、デスクの上に残されていた本物のキーボードへ飛びついた。泥にまみれた『手』が彼の足首を掴み、骨が軋むほどの力で締め付ける。激痛が走るが、ネルは構わず、自身の管理者アカウントでチャット欄に最後のコマンドを打ち込んだ。
【/shutdown --force --target:NO_SIGNAL.exe】
世界が、反転した。[44 / 44:SYSTEM RESET]閃光。耳を聾するほどの爆音とともに、ゲーム内の薄暗い廊下も、剥がれかけた壁紙も、顔のない黒い男も、すべてが白いデジタルノイズの彼方へと吹き飛んだ。
「がはっ……!」
ネルが激しく咳き込みながら目を開けると、そこはーー自分の、いつもの部屋だった。エアコンからは設定通りの生ぬるい風が吹き、部屋の電気は消えているものの、窓の外からは微かに街の喧騒や車の走る音が聞こえてくる。
世界は、消えていなかった。液晶画面を見る。27インチのモニターは、割れていない。ただの真っ黒な画面に、配信ソフトの『配信は終了しました』という静かな文字だけがぽつんと表示されていた。
「戻った……のか?」
スマートフォンを手に取る。LINEやDiscordを開くと、そこには先ほどまで地獄を共にしたリスナーたちの、生存報告のメッセージが溢れかえっていた。
『ネル、生きてるか!?』
『部屋の電気戻った! 手形も消えたよ!』
『ケンジ、お前マジで英雄だわ……』
ネルは深く、深く息を吐き出し、椅子の背もたれに体を預けた。全身がガタガタと震えている。あれは夢でも、集団幻覚でもない。現に、彼の足首には、あの時『手』に強く掴まれた、どす黒い手形の跡が、今もはっきりとリアルに残っていた。
「……終わったんだ」
彼がそう呟き、PCの電源を落とそうとマウスに手を伸ばした、その時。
ーーチーン
静まり返った部屋に、あり得ない音が響いた。電源の落ちているはずのスピーカーから、あの、スパチャの通知音。真っ黒な画面に、一瞬だけ、1行のテキストがポップアップした。
『配信お疲れ様でした。テストプレイ(アルファ版)へのご協力、ありがとうございました。次回の大型アップデート(正式リリース)をお楽しみに』
画面は今度こそ、完全に沈黙した。




