第五話
syslog[SYSTEM NOTIFICATION]---------------------------------------------------
・隠蔽メモリ領域のサルベージを開始します。
・対象クラス: [Dirk_Ashel] ──> 内部深度ログ: [Previous_Life_Memory]
・復元ステータス: 100%(完全デコード完了)
世界を縛るステータス・システムを完全にリファクタリングし、神聖国を、そして過労死寸前だった神デウスをも救ったディルク。彼がなぜ、世界の裏側に剥き出しになったプログラムコードを理解し、神のシステムさえもハッキングする『概念編集』の力を、目覚めたその瞬間から完璧に使いこなせたのか。その答えは、彼が『グラノス聖統世界』にディルク・アシェルとして生を受けるよりも遥か昔――冷たい電子の光に満ちた、もう一つの世界(地球)の記憶に隠されていた。
前世での彼の名前は、ディルクではなく「阿栖暮 蓮」という。日本の、とある中堅システム開発会社に勤務する、しがないシニア・インフラエンジニアであり、同時に社内随一の「トラブルシューター(デバッガー)」だった。当時の彼のステータスを、もしグラノスの基準で記述するなら、間違いなくこうなるだろう。
【個体名】阿栖暮 蓮 (Ren_Asukure)
【役職】デスマーチ・プロジェクト・社畜リーダー
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・HP : 3 / 10 (慢性的な睡眠不足)
・MP : 0 / 12 (クリエイティブ精神の枯渇)
・固有スキル: 『徹夜耐性 Lv5』『仕様変更即応LvMAX』
・固有デバフ: 【3日連続徹夜】【エナジードリンク過剰摂取】【帰宅願望(不発)】
彼が扱っていたのは、剣や魔法ではなく、キーボードとディスプレイ。戦っていたのは魔獣ではなく、前任者が残していった仕様書のない「スパゲティコード(複雑怪奇なプログラム)」と、日々降ってくる顧客からの無理難題(仕様変更)だった。
「蓮さん! サーバーがまたフリーズしました! メモリリークが止まりません!」
「蓮さん! 顧客が『やっぱりこの機能の数値を1万倍にして』って無茶言ってます!」
深夜3時、オフィスに鳴り響くアラートと、同僚たちの悲鳴。そんな地獄のようなデスマーチの戦場で、彼は生き残るために、あらゆる泥臭い「バグ技」を身につけていった。
『綺麗に直す時間なんてない。なら、システムがエラーを吐く前に、こっちから別のゴミデータを叩き込んで処理を誤認させろ(インジェクション)』
『無限ループでサーバーが落ちそうなら、シングルスレッドに絞ってワザとハングアップさせて安全に強制終了しろ』
彼にとって、システムとは「崇めるべき完璧な神」などではなかった。「常にどこかが壊れていて、ハッキングと応急処置(バグ技)で騙し騙し動かす、欠陥だらけの玩具」。それこそが、彼が20年間培ってきたシステムの真実だった。
そして、その日は突然やってきた。連続勤務が40時間を超えた、ある金曜日の明け方。彼は、バグだらけのメインサーバーの前に座り、最後のパッチを適用するエンターキーを押した。カチリ、と静かな音が室内に響く。
「……よし。これで、バグは全部……抑え込んだ……」
それが、彼の最後の言葉だった。極度の過労による心不全。脳のシャットダウン。ディスプレイの光に照らされながら、彼はキーボードに突っ伏したまま、静かにその人生の全プロセスを終了させた。死の直前、彼の薄れゆく意識のログに、奇妙なシステム音声が鳴り響いていた。
『――アカウント:阿栖暮 蓮の全生存プロセスを正常に終了しました』
『エラー: 当該魂データ(Soul_Data)のバグ修正経験値が、許容量を超過しています』
『例外処理として、記憶とデバッグスキルを保持したまま、別の稼働中サーバー(異世界)へのデータのインポート(転生)を実行します……』
そして、彼は『ディルク・アシェル』として目覚めた。生まれた世界では、人々が「ステータス画面」を神の絶対なる法として崇め奉っていた。しかし、転生したディルクが初めて自分のステータスを見た時、彼は恐怖や絶望ではなく、深い「頭痛」を覚えたという。
「……なんだこの世界。システム注釈に『TODO: ゼロ除算バグの修正がまだ終わっていない』なんて残したまま運用してやがるのか。開発者はどこのどいつだ」
周囲の人間が、筋力(STR)や敏捷(AGI)の数値が低いというだけで彼を「無能」と蔑んでいる間も、ディルクの頭の中はプログラマーとしての冷徹な分析で満ちていた。
『生活魔法の威力計算式にリミッターがない。これ、バッファオーバーフローを突けば戦略魔法に変えられるぞ』
『魔獣のデータ、STRとAGIしかないじゃん。オブジェクトの手抜き実装だな。メモリ容量をケチってるのか?』
彼が『奈落の割れ目』でソルファ・ウルフに襲われ、HPが1になった瞬間、固有権能【概念編集】が覚醒したのも、偶然ではなかった。死の恐怖がトリガーとなり、魂の奥底に眠っていた前世の「デスマーチを生き抜いたトラブルシューターの記憶」のプロテクトが、完全にアンロックされたのだ。
「神だかシステムだか知らないが、俺の前でこんなバグだらけのスパゲティコードを走らせるな。……デバッグしてやる」
彼を突き動かしていたのは、聖騎士団への復讐心だけではない。前世でクソみたいな仕様と闘い続け、過労死していったエンジニアとしての、「美しくないシステム(世界)は絶対に許さない」という、狂気にも似た職業病(プロ意識)だったのだ。
「――なるほどね。君のその恐ろしいバグ技の知識、地球っていう世界の『デスマーチ』とかいう過酷な環境で培われたものだったんだね」
すべてのリファクタリングが終わり、新しい世界のコンソールの前で、元・神のデウスがしみじみと呟いた。ディルクから前世の話(日本の社畜事情)を聞いたデウスは、同じ「エンジニア」として、涙を流して同情していた。
「君がこの世界の神のシステムを『クソ仕様』って一蹴した理由がよく分かった。地球の開発環境、ブラックすぎるよ……」
「まあな。お前もワンオペでよく200年間もこの世界を維持してたよ。お互い、ろくな死に方をしないところだったな」
ディルクは苦笑し、隣で自分の服の裾をぎゅっと握っているエルの頭を優しく撫でた。エルは、ディルクの前世の話を完全に理解してはいなかったが、彼がどれほど過酷な運命を乗り越えて自分を救ってくれたのかを知り、愛おしそうに目を細めている。
「ディルク。新しい世界のコードは、とても美しくクリーンです。もう、バグで誰かが泣くことも、過労で消去されることもありません」
「ああ。これからはお前たちと一緒にこの新しい世界をじっくり『保守運用(のんびり生活)』していくだけさ」
ディルクは、今や誰も数値を気にしなくなった、美しく青いグラノスの空を見上げた。前世ではデスクの前に縛り付けられ、キーボードを叩くだけで終わった彼の人生。
だが今、彼は最高の相棒であるエルと、かつての敵だったエンジニアのデウスと共に、自らがリファクタリングした世界の大地を、自分の足で一歩ずつ歩み始めていた。今度の人生は、絶対にデスマーチにはさせない。元・過労死エンジニアの、世界で一番自由なデバッグライフが、ここから本当に始まるのだった。




