第四話
syslog[SYSTEM NOTIFICATION]---------------------------------------------------
・新プロジェクト: 『グラノス世界・大規模リファクタリング計画』を開始します。
・共同開発者: ディルク・アシェル、エル
・監修(元・神): デウス
・警告: サーバーの最深部、ソースコードの最下層(レガシー領域)を開放中……
聖天宮のマスタールーム。かつて神と呼ばれた青年・デウスは、ディルクから手渡された最高級の回復ポーション(デウス曰く『強壮エナジードリンク』)を飲み干し、青白い顔で光のキーボードを叩いていた。その隣では、エルが膨大な世界のログファイル(ジャーナルダンプ)を驚異的な速度で仕分けしている。
「おい、神様。この『神聖騎士団の特権クラス』のコード、何だこれは。平民のアカウントからSTRを強制吸い上げする処理の排他制御がガタガタじゃないか」
ディルクが画面を指差すと、デウスは頭を抱えた。
「いや、それは僕が書いたコードじゃないんだよ! 500年前に当時の教皇が『世界書換』の最高位権限を使って勝手にねじ込んだパッチ(魔改造)さ! 消すと他の依存関係(神聖魔法の基盤)が全崩壊するから、怖くて触れなかったんだよ!」
「仕様書も残ってないレガシーコードか、最悪だな。エル、この教皇のゴミパッチを丸ごと非推奨に指定して一斉消去の対象に叩き込め」
「了解です、ディルク。教皇および聖騎士クラスの権限トークンを無効化(Revoke)しました。彼らは次の瞬間から、ただの『STR 10』の平民に戻ります」
エルの瞳が冷ややかに青く明滅する。世界を数値で支配していた聖騎士団は、戦うまでもなく、彼らが拠って立つシステムそのものを消去されることで、静かにその栄華を終えようとしていた。
リファクタリングは順調だった。世界の余計な負荷が削ぎ落とされるたび、サーバーの応答速度が向上し、世界のあちこちで発生していた空間の歪みが綺麗に塞がれていく。だが、システムのクリーンアップ率が『84%』に達したその時、マスタールーム全体に、これまでにない真っ赤な緊急アラートが鳴り響いた。
syslog[CRITICAL BUG DETECTED]-------------------------------------------------
・エラー: 不要データ一括削除中に、重大な競合が発生。
・対象: レガシー領域 ──> アドレス [0x00000000](原初のメモリ)
・ステータス: 長期休止状態のオブジェクトが、強制解放を拒絶。
・警告: 当該オブジェクトの自己防衛シーケンスが起動しました。
「な、何だ!? 警告音のピッチが早すぎる……!」
デウスが血相を変えてコンソールを覗き込んだ。その画面には、文字化けすらしていない、どす黒い反転した文字列が浮かび上がっていた。
「嘘だろ……。システムが、千年前の『最初のバグ』を掘り起こしちゃったんだ……!」
「最初のバグ?」
ディルクが鋭い視線を向ける。
「この世界を構築した初期(ベータ版)の頃、世界の負のデータ(破棄されたエラーログ)が一箇所に集積して、意思を持ってしまったバグの塊さ。当時の僕は消去できなくて、最下層のメモリに無理やり閉じ込めて、上から幾重ものプロテクト(封印)をかけて隠蔽していたんだ。いわば――『魔王オブジェクト』だ!」
ズズズ、と聖天宮の床、いや、空間そのものが底から歪み始めた。光の幾何学模様だった電子の摩天楼が、ドロドロとした黒いタールのような『破損データ』に侵食されていく。その黒いノイズの深淵から、巨大な禍々しい影が姿を現した。
エルの『ソース・デバッガー』が、その化け物の構造定義を無理やり剥き出しにする。だが、その画面を見たディルクの目が細められた。
【オブジェクト名】魔王・アンラマンユ (Demon_King_Proto_01)
【システム認証】世界最古の構造欠陥 / 概念バグ (Concept_Glitch)
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[基本ステータス]
・Level : ERROR (計算不能) ・Current_HP : -1 / -1
・Current_MP : INF / INF (無限) ・Current_SP : 0 / 0
[物理・魔導演算パラメータ]
・STR: INF(無限大) ・VIT: INF(無限大)
・AGI: INF(無限大) ・DEX: INF(無限大)
・INT: INF(無限大) ・MND: INF(無限大)
[固有パッシブ・コード]
・『無限ループ(Infinite_Loop)』:
- 効果: このオブジェクトに対するすべての物理・魔法攻撃のダメージ計算は、無限ループ処理に突入し、最終的な出力値が『INF』へと書き換えられ、攻撃者自身へと「反射」される。
- システム注釈: // 消去不能。このオブジェクトを消去しようとすると、世界サーバー自体がフリーズ(ハングアップ)します。
「すべての数値が無限大(INF)……。おまけに、攻撃すればこっちが無限ループでフリーズするってわけか」
ディルクは錆びた剣を握り直した。
「無駄だよディルク! こいつはシステムそのものの『バグ』なんだ! 数値が設定されている大天使や守護騎士とは違う! 触れたらこっちのデータまで汚染されて消滅する!」
デウスが悲鳴を上げる。黒い巨躯を持つ魔王オブジェクトが、その三つの眼を開いた。
「――我ハ、世界ノ排泄物。神が隠シ、無に帰ソウトシタ怨嗟ノコードなり。リファクタリング? クリーンアップ? 傲慢なる開発者共め、すべてを『初期化』してやる」
魔王がその巨大な腕を振り上げた。その一振りに込められたSTRは『INF』。かすりでもすれば、ディルクのHP 15など、一瞬で塵だ。
「ディルク、来ます!」
エルがディルクの前に躍り出る。『例外承認』を展開し、魔王の攻撃の物理演算に干渉しようとするが――。
【エラー:対象のオブジェクト変数が『INF』のため、乗算・除算による演算干渉が無効化されました】
「くっ……! 数値が大きすぎて、グリッチが通らない!?」
エルの顔に初めて焦りの色が浮かぶ。迫り来る、無限大の質量を持った破壊の腕。デウスは頭を抱えて蹲り、エルはディルクを守るように両腕を広げた。だが、ディルクだけは、不敵に笑っていた。エンジニアとしての、そしてハッカーとしての本能が、魔王のステータスの『致命的な脆弱性』を見抜いていた。
「エル、慌てるな。アプローチを変えるぞ。魔王のパラメータが『無限大(INF)』なら、それをそのまま利用して自滅させる」
「自滅……? でも、攻撃はすべて無限ループで反射されます!」
「攻撃じゃないさ。エル、魔王の『メモリ使用量(Allocation)』の監視ポートを開け。そして、奴が『無限ループ(Infinite_Loop)』のパッチを起動した瞬間に、俺の『概念編集』で、奴の処理能力(スレッド数)を『1』に制限しろ」
「え……? 処理能力を、最低値に……?」
「いいからやれ! 概念編集――実行!」
魔王の無限大の拳が、ディルクの眼前に迫る。その瞬間、魔王のパッシブスキル『無限ループ』が、ディルクの存在を検知して自動で起動した。ディルクの放った「STR 5」の微弱な殺意(攻撃)を検知し、それを無限に増幅して反射しようとする計算ルーチンが、魔王の内部で走り出す。
text[SYSTEM_GLITCH_INJECTION]
Target: Demon_King_Proto_01 (Thread_Count)
Value: 1 (CPU_Throttling_Enable)
直後、魔王オブジェクトの動きが、ピタリと止まった。
「……ガ? ギ、ギギギ……我、の……処理が……」
魔王の三つの眼が、激しいデジタルノイズで明滅し始める。『無限ループ』とは、文字通り同じ計算を終わらせずに繰り返す処理だ。通常なら神のサーバーの強大な並列処理能力で強引に回し続けていたが、ディルクによって割り当てられたCPUを『1』に制限された。
たった一つの貧弱な処理能力で、無限に続く計算を実行させられた結果、どうなるか。
「ガガガガガガガガガガガガ!!!」
魔王の巨躯から、ドロドロとした黒いタールではなく、処理が追いつかなくなったことによる『熱暴走』が火花のように吹き出した。
syslog[SYSTEM WARNING]--------------------------------------------------------
・オブジェクト [Demon_King_Proto_01] 内で、深刻なリソース枯渇を検知。
・CPU使用率: 100% (シングルスレッド飽和状態)
・メモリ使用量(RAM): ──> 99.9% ──> 100% ──> 超過(OOM)
・原因: Out of Memory (メモリリークによるシステムクラッシュ)
「無限大のパラメータなんて持ってるから、計算の負荷も無限大なんだよ」
ディルクは冷徹に言い放ち、一歩、歩を進めた。
「どれだけ強いプログラムでも、処理能力を絞られて無限ループを回されれば、必ず『メモリパンク(クラッシュ)』を引き起こす。これが、前世から決まってるエンジニアの常識だ」
「ア、ガ……我ハ……世界ノ……エラー……」
魔王オブジェクトは、ディルクに剣で斬られることもなく、自身の『無限』の重さに耐えきれなくなり、画面がフリーズしたように完全に硬直。次の瞬間、パンッというシステム効果音と共に、メモリ空間から強制終了され、跡形もなく消滅した。
syslog[SYSTEM NOTIFICATION]---------------------------------------------------
・レガシーオブジェクト [Demon_King_Proto_01] の強制終了に成功。
・メモリ領域 0x00000000 の解放が完了しました。
・世界のシステム安定度: 100% (完全リファクタリング達成)
静寂が戻った聖天宮。魔王の消滅とともに、空間を覆っていた黒いノイズは完全に消え去り、そこにはバグ一つない、澄み切った美しい青空のような、新時代のソースコードの光が満ち溢れていた。
デウスは呆然と立ち上がり、それからディルクとエルを見て、へなへなと腰を抜かした。
「……信じられない。僕が200年間、どうしても消せなかった世界最古のバグを……たった数行の速度制限でハングアップさせて消し去るなんて……。君たち、本当に人間かい?」
「さあな。だけど、これで邪魔なゴミデータ(魔王も聖騎士団も)は全部片付いた」
ディルクは、新しく生まれ変わった世界の『マスター・コンソール』の前に立った。画面に映し出されているのは、世界中の人々のステータス画面。そこにはもう、人を縛る『STR』や『VIT』といった冷酷な数値の枠組み(テンプレート)は存在していなかった。
「エル、最後の仕上げだ。世界の仕様変更を発行する」
「はい、ディルク。新しい世界の定義ファイルを読み込みます」エルの指先がコンソールに触れ、新しい世界の仕様書が書き込まれていく。
【新・グラノス世界・仕様変更通知】
1. すべての個体における「ステータス数値による行動制限」を撤廃。
2. 努力、意志、選択のログを最優先の演算パラメータ(メインルーチン)に設定。
3. すべての生命オブジェクトに、自身の運命を自由に記述する権限を付与。
「パッチ、適用」
ディルクがエンターキーを強く叩いた。その瞬間、聖天宮から眩い光の波動が放たれ、雲を突き抜け、世界中のすべての人々へと降り注いだ。下界では、数値を奪われ絶望していた平民たちが、自分の身体に「数値以上の力」が宿るのを感じて目を見開いていた。
ステータスの天井に縛られず、走れば走るほど速くなり、学べば学ぶほど賢くなる、当たり前で、しかし最高に自由な『本物の世界』が、今ここに再構成されたのだ。
「終わりましたね、ディルク」
エルが、その透き通るような瞳に満面の笑みを浮かべて言った。
「ああ。これからは、デバッグの毎日じゃない。この綺麗な世界で、お前と、新しい人生のログを刻んでいくんだ」
ディルクはエルの手を強く握りしめた。ステータスに縛られた無能の青年と、消去されるはずだったバグの少女。二人のエラーオブジェクトが創り出した新しい世界は、もう二度と、誰の運命も数字で縛ることはない。




