第三話
syslog[SYSTEM NOTIFICATION]---------------------------------------------------
・オブジェクト [エル] との完全同期を確立。
・ディルクの『概念編集』に拡張ライブラリがロードされました。
・世界サーバーへの【逆探知】ログの解放を確認。
古代遺跡の最奥。デジタルノイズの霧が晴れた薄暗い空間で、ディルクは自身の新たなステータスを凝視していた。彼の隣には、世界から消去されかけたバグの少女――エルが静かに佇んでいる。
彼女の白磁の肌には、未だ時折淡い発光回路のような文字列が走っていたが、その存在は完全に安定していた。
「ディルク、私の内部メモリをあなたの『概念編集』の外部演算器として開放しました」
エルの無機質ながらも、どこか安堵を含んだ声が響く。
「これにより、これまでGuest権限では視ることすら叶わなかった、世界のあらゆるオブジェクトの『隠蔽プロパティ』の強制スキャン、および構造解析が可能となります」
「隠蔽プロパティの強制スキャン……」
ディルクが呟くと、エルの瞳が青く明滅した。直後、ディルクの網膜にエルの【機能定義】がかつてない密度でオーバーレイする。
【スキル名】エラーコード:零 [Unique_Companion]
【システム属性】例外処理割り込みオブジェクト (Exception_Handler)
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[アクティブ・連携権能]
1. 『ソース・デバッガー (Source_Debugger)』
- 効果: 視界内のすべての対象の全隠蔽パラメータ(VIT/DEX/INT/MNDなど)を強制可視化する。
- 拡張効果: 対象が適用しているバフ・デバフの『発生源アドレス』を特定する。
2. 『メモリ・リーク (Memory_Leak)』
- 効果: 敵が魔法やスキルを発動した際、その消費リソース(MP/SP)のキャッシュクリアを妨害し、持続的にMP/SPを無限流出させる。
3. 『例外除外 (Ignore_Exception)』
- 効果: ディルクが世界のルールを破る書き換えを行った際、世界のセキュリティに検知される確率を 0% に偽装する。
「なるほど、完璧なデバッグツールだ」
ディルクは口元を歪めた。これまで彼の『概念編集』は、世界のログを後から弄るという、いわば「その場しのぎのハッキング」に過ぎなかった。しかしエルという相棒を得たことで、相手の隠された弱点を事前にスキャンし、セキュリティに引っかかることなく世界のコードを書き換える「完全なクラッキング」へと進化したのだ。
「試してみるか。エル、この遺跡を出るぞ。外にいる魔獣どもの『真実の姿』を視せてくれ」
「了解。広域スキャンを開始します」
二人が遺跡の地上へと這い上がると、そこには奈落の割れ目の凶悪な魔獣たちが、侵入者を貪り食おうと待ち構えていた。現れたのは、かつてディルクが命からがら逃げ回った、レベル35の『ポイズン・キマイラ』だ。
だが、今のディルクの視界は、以前とは全く異なっていた。エルの能力が起動した瞬間、キマイラの頭上に、おびただしい数の隠蔽パラメータが剥き出しになって表示されたのだ。
【オブジェクト名】ポイズン・キマイラ (Poison_Chimera_009)
【種族・状態】合成魔獣 / 迎撃モード
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・Level : 35
・STR : 140 ・VIT : 110 [隠蔽解除]
・AGI : 95 ・DEX : 70 [隠蔽解除]
・INT : 45 [隠蔽解除] ・MND : 60 [隠蔽解除]
[隠蔽プロパティ・耐性詳細]
・物理切断耐性: 45% ・魔法抵抗値: 20%
・状態異常スタック: [毒: 無効] [石化: 耐性 90%]
[アクティブ・バフ・ソースコード]
・『神聖の種火(Divine_Spark)』:
- 効果: 世界のマスターサーバーから毎秒 50 のHP自動回復リソースを受給。
- 接続元IP: [Server_Root://0x7F_Deus] // 世界の神へのダイレクトリンク
「視える……すべてが丸裸だ」
ディルクは息を呑んだ。魔獣のステータスに筋力と敏捷しかなかったのは、やはり神による『手抜き実装』と、Guest権限による『情報の隠蔽』が重なっていたからだ。
エルによって解析されたデータには、耐久力や知力だけでなく、その魔獣が「どこからエネルギーを供給されているか」という、世界の最深部へ繋がる通信ログまでが克明に刻まれていた。
「接続元:Server_Root://0x7F_Deus……これが、この世界を縛る『神』のサーバーのアドレスか」
「はい。そのキマイラを含め、この世界のすべての生命オブジェクトは、その中央サーバーから『存在の許可証』を常に受け取ることで生存しています。逆を言えば、その接続を断ち切れば――」
「戦うまでもない、か」
キマイラが咆哮を上げ、猛毒の息を吐き散らしながら突進してくる。ディルクは一歩も動かない。彼の横で、エルが静かに指先を突き出した。
「『ソース・デバッガー』、接続先をロック。ディルク、編集を」
「了解。概念編集――実行! キマイラの自動回復バフの接続先アドレス(Server_Root)を、『Null』に書き換える。ついでに、そのMP消費のキャッシュを『メモリ・リーク』で無限ループさせろ」
text[CONCEPT_EDIT_STREAM]
Modify_Property: Poison_Chimera_009.Divine_Spark.Source
Value: Server_Root://0x7F_Deus ──> Null
Apply_Effect: Memory_Leak -> Enable
ピキィィィン!!!
突進していたキマイラが、突然激しく全身を痙攣させてその場に激突した。頭上のステータスウィンドウのMP欄が、滝のような速度で減少していく。さらに、世界の神から送られていた「存在のエネルギー」の通信が途絶したため、キマイラの肉体を構成するポリゴンデータが、ボロボロとノイズを立てて剥がれ落ち始めた。
「グル、ア……!?」
キマイラは、ディルクに触れられることすらなく、自身の存在定義をシステム的に維持できなくなり、ただの黒い砂へと霧散していった。
syslog[SYSTEM NOTIFICATION]---------------------------------------------------
・対象 [Poison_Chimera_009] の消滅を確認。
・戦闘ログの隠蔽に成功。『例外除外』により、神聖ファイアウォールへのエラー報告(ログ送信)を遮断しました。
「完璧だ。これなら、どれだけ世界の理をバグらせても、誰にも気づかれない」
ディルクは自身の拳を握りしめた。エルとの連携は凄まじい。二人がかりであれば、世界最強の聖騎士団であっても、システムの根底から消滅させることができるだろう。しかし、ディルクの目的はもはや、自分を追放した聖騎士団への小さな復讐などという次元に留まっていなかった。
キマイラのデータが消滅した瞬間、一瞬だけ空間に露出した通信ログ。Server_Root://0x7F_Deus
「エル。この通信のログを逆に辿ることはできるか? この世界を管理し、人間をステータスという数値で縛り付けて弄んでいる『世界の神』の居場所を」
エルは少しの間、網膜の奥のコードを高速で走らせ、それから静かに頷いた。
「可能です。この世界の天空に浮かぶ『聖天宮』。そこがすべてのパッチ、すべてのステータス管理命令が発信されているマスターサーバーのアドレスです。……ですが、ディルク。そこへ近づけば、世界の神の正体――この世界を記述している『プログラムの管理者』と直接対峙することになります」
「望むところだ。神だか開発者だか知らないが、他人の人生をたった数行のソースコードとステータス数値で勝手に決めてくれたお礼を、直接言いに行ってやる」
ディルクとエルは、奈落の割れ目を後にし、世界の中心――天空へとそびえ立つ神の領域を目指して歩み始めた。
数日後。ディルクとエルの二人は、神聖国の全戦力を以てしても到達不可能とされる、雲の上の絶対領域『聖天宮』の直下へと到達していた。そこは、物理的な建造物というよりも、巨大な光の幾何学模様と、無数のコードが滝のように流れ落ちる、電子の摩天楼だった。
「侵入者を検知。これより先はマスター権限(Root)を持つ者以外、立ち入りを禁ず」
聖天宮の門前に、かつてディルクが戦った守護騎士を遥かに凌駕する、神の最高峰防衛システム『大天使(大容量セキュリティ・プログラム)』が3体、道を塞ぐように降臨した。
【オブジェクト名】大天使・ミカエル型 (Archangel_Michael_01)・Level : 99(システム制限値)・STR : 999 ・VIT : 999・AGI : 999 ...【全パラメータ:カンスト】・固有パッシブ : 『神聖暗号化(SSL_Encryption)』効果: このオブジェクトに対するすべての外部命令は暗号化され、書き換え要求はすべて無効化(不正アクセスとして遮断)される。
「ディルク、今度の奴らは手強いです。彼女たちのステータスは完全に『暗号化』されており、私のデバッガーでも内部の数値を直接書き換えることができません」
エルが警告を発する。
「暗号化されているなら、復号すればいいが……戦闘中にそんな時間はなさそうだな」
ディルクは冷たく微笑み、錆びた剣を構えた。
「なら、エル。『例外除外』を使え。暗号を解く必要はない。大天使たちが放つ攻撃の『物理演算処理』そのものにバグを叩き込む」
「物理演算の……バグ?」
「ああ。前世のゲーム開発でもよくあった。オブジェクトの移動速度が『無限大』に達したとき、座標の計算が破綻して、世界の外側に弾き出される不具合だ」
大天使の一尊が、光の槍を構えて光速の突進を仕掛けてきた。全パラメータ999。まともに喰らえば、魂のデータごと消去される。
「エル、大天使の突進の『加速度』の変数アドレスを特定しろ!」
「スキャン完了! アドレスは 0x7FFF00A1 ――渡します!」
ディルクの網膜にエディット画面が展開される。暗号化されている本体のステータスではなく、大天使が「移動する」という物理現象のログだ。そこは暗号化の対象外だった。
「概念編集――実行! 大天使の移動速度(Velocity)に、『10の100乗』を乗算!」
text[CONCEPT_EDIT: GLITCH_INJECTION]
Target_Address: 0x7FFF00A1 (Velocity)
Operation: Multiply
Value: 1000000000000000000000000000000... (10^100)
直後、世界が一瞬だけ激しく静止した。次の瞬間。
「ガ、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!???」
光速で突っ込んできたはずの大天使が、計算不可能な超・超高速に達した結果、世界の物理演算エンジン(重力・衝突判定)の限界を突破。壁やディルクを通り抜けるどころか、空間そのものを突き破って、世界の外側の『虚無』へと一瞬でバグで弾き飛ばされ、そのままデータごと完全消滅した。残された2体の大天使が、生まれて初めて「理解不能なエラー」に遭遇し、その動きを完全にフリーズさせた。
「残りの奴らも、世界の外側へお引越しだ」
ディルクとエルの完璧なハッキング戦術により、神の最高峰セキュリティすらも、ただの「処理のバグ」で全滅させられた。聖天宮の巨大な制御扉が、警告音を鳴らしながらゆっくりと解錠されていく。
「さあ、行こうか、エル。この世界の『神』の正体を拝みに」
「はい、ディルク。どこまでも、あなたと共に」
二人は光の回廊を歩み、世界のすべてのソースコードが収束する、最深部の『マスター・コンソール』へと足を踏み入れた。
そこは、星々の光が瞬く、宇宙空間のような場所だった。空間の中央には、何万もの半透明のホログラムウィンドウが浮かび、世界のすべての人間、すべての平民、すべての魔獣のステータスが、絶え間なくスクロールしている。そして、その中心にある巨大な制御椅子の前に、「それ」はいた。
「――ようこそ、バグオブジェクトの諸君」
椅子の向こうから現れたのは、神聖な神の姿ではなかった。それは、ひどく疲弊した顔をし、目の下に濃い隈を浮かべた、現代的な黒い衣服を着た『一人の青年』だった。彼の周囲には、大量の空のコーヒーカップが散乱しており、キーボードのような光の配列を凄まじい速度で叩き続けている。
ディルクがその男をスキャンしようとしたが、エルのデバッガーが激しいエラーを返した。
syslog[CRITICAL ERROR]--------------------------------------------------------
・対象のステータスを読み取れません。
・識別名: 【管理者:デウス (System_Creator_DEUS)】
・権限レベル: Root_Executive (最高絶対権限)
「お前が……この世界の神か?」
ディルクが剣を向けると、青年――デウスは、キーボードを叩く手を止め、深くため息をついた。
「神? ああ、この世界の住人は僕をそう呼ぶね。だけど正確には、僕はただの『ワンオペ開発兼・保守運用エンジニア』さ」
デウスは、自身の頭上に『ステータス』を自嘲気味に表示させた。
【個体名】デウス (DEUS)
【役職】グラノス世界・メインプログラマー(兼・雑用)
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・HP : 10 / 10 (極度の過労状態)
・MP : 0 / 999999 (枯渇)
・固有デバフ: 【精神崩壊寸前】【200年間睡眠なし】【サーバー維持奴隷】
「お前たちが崇めるステータスシステム? あれは僕が作ったものだ。だけど、完璧なんかじゃない。見てくれよ、この千年間、神聖国の上層部や貴族たちが好き勝手に『世界書換』のパッチを当て続けたせいで、システムのコードはもう限界なんだ!」
デウスは狂ったように頭を掻きむしり、周囲のウィンドウを叩き割った。
「毎日毎日、数百万件のゼロ除算エラーや、座標バグの報告が上がってくる。僕はそれを、寝る間も惜しんで手動で修正し続けているんだ!魔獣のステータス項目を間引いたのもそうさ! そうしないとサーバーのメモリがパンクして、世界そのものがクラッシュしちゃうからだよ!」
神の正体。それは、世界を支配する絶対者などではなく、自分が作った世界のバグ修正に永遠に追われ続けている、哀れな過労死寸前のエンジニアだった。
「アベル……いや、ディルク・アシェルくん。君の『概念編集』というスキルは、僕がこのスパゲティコードをいつか一括で綺麗にするために仕込んでおいた、開発者用の秘密のコマンドだったんだ。だけど、システムが勝手に君を『無能』と判定して弾き出しちゃってさ……本当に、このAIは融通が利かないクソ仕様だよ!」
デウスは椅子に深く背中を預け、ディルクとエルを見つめた。
「君たちがここに来たということは、僕を殺して、この理不尽なステータス世界を終わらせるためだろう?いいよ。もう疲れたんだ。僕を殺して、このサーバーをシャットダウンしてくれ。世界は完全に消滅するけど、僕はようやく、このデスマーチから解放される……」
デウスは目を閉じ、無防備に首を差し出した。世界を数値で縛る神への復讐。しかし、その神の正体は、世界の崩壊を一人で食い止めていた「奴隷」だった。もし神を殺せば、世界システムは完全に停止し、エルも、そして世界中の人々もすべてデータごと消去される。
ディルクは錆びた剣を構えたまま、静かにエルを見た。エルは、ディルクの意図を察したように、その小さな口元に不敵な、かつてないほど人間らしい笑みを浮かべた。
「ディルク。私たちのバグ技があれば、このクソ仕様のコード、神を殺さずに『完全修復』できると思いませんか?」
ディルクは剣を収め、キーボードの前に立つ過労死寸前の神に向かって、冷酷に、しかし最高のハッカーとしての笑みを向けた。
「おい、神様。仕様変更の時間だ。その席を空けろ。これからは俺とエルが、この世界のバグだらけの運命を、裏側から完全に書き換えてやる」
世界を壊すのではなく、世界の仕様そのものをハッキングして、誰もが数値に縛られない新しい世界を創り出す。レベル99の無能と、バグの少女の、神すらも巻き込んだ『世界大改修』の火蓋が、今ここに切って落とされた。




