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第二話 第三室


 特別学級の教室は、講堂から二棟離れた校舎の二階にあった。

 二十五名が列を作って移動している。

 廊下の窓から、練兵場が見えた。

 乾いた土の上を、上級生が隊列を組んで走っている。

 反対側の窓には、校舎の屋根と春の空が見えていた。

 天城が外を見る。

「せっかく良い天気なのになぁ」

 近くを歩いていた皇が、怪訝そうに天城を見た。

 何が「せっかく」なのか分からないという顔だった。

「午後から崩れんねん」

 天城が言った。

「晴天の予報だが」

 皇が窓の外へ目を向ける。

「列を乱すな」

 前方の上級生に注意され、二人は口を閉じた。

 教室には、五列に机と椅子が並んでいた。

 黒板の右側には、座席表が貼られている。

 学生たちは入口で自分の名前を探した。

 天城は座席表へ目を通し、そのまま自分の席へ向かった。近くに皇の名を見つけたのか、前の机を指す。

「そこ、皇やろ」

 皇は名札を確認した。

「そうだ」

「近いな」

「だから何だ」

「いや、別に」

 天城は自分の席へ鞄を置いた。

 琳斗も座席表へ近づこうとしたが、肩の布包みが後ろの机へ当たった。

 鈍い音がする。

「すみません」

 誰へともなく謝り、包みを身体の前へ回す。

 今度は通路の半分を塞いだ。

 後ろにいた九条が止まる。

「通れるか」

「少し待ってください」

 琳斗は布包みを持ち上げ、机の側へ寄せた。

「すみません。どうぞ」

 九条は横を通り、自分の席へ向かった。

 手を貸すこともなければ、責めることもない。

 琳斗もようやく座席表を見た。

 神代琳斗。

 三列目、窓側から二番目。

 全員が着席するまでには、しばらく時間がかかった。

 鞄の置き場所を確かめる者。

 名札の漢字を読み直す者。

 隣の席へ短く名乗る者。

 椅子を引いた時に後ろの机へ当て、謝る者。

 教室の中では、あちらこちらから小さな会話が聞こえていた。

 やがて、先ほどの教官が教室へ入ってきた。

 誰かが「起立」と声を上げる。

 周囲がそれに続いた。

 椅子の音が重なる。

「座れ」

 教官は教壇の中央へ立った。

「真田宗一郎だ」

 黒板へ自分の名を書く。

「本学級の総合教官を務める」

 字は細く、癖がなかった。

「この教室には二十五名いる」

 真田は教室を見渡した。

「選ばれた理由は同じではない。知っていることも、できることも違う。軍人の子もいれば、軍属の子もいる。軍と無関係な家庭から来た者もいる」

 真田の視線が、教室を端から端まで動く。

「ここでは、知っている者が偉いわけではない。知らない者が劣っているわけでもない」

 わずかに間を置く。

「ただし、知らないことを、知らないままにする者は評価しない」

 琳斗は正門前で父に言われたことを思い出した。

 分からないことは、そのままにしないように。

 言葉は似ているが、父の声とはずいぶん違って聞こえた。

「本日は生活区画へ入る。軍事教育はまだ行わない」

 教室のどこかで、わずかに息を吐く音がした。

「まず、時間どおりに起きろ。指示された場所へ行け。支給された物を失うな。他人の睡眠を妨げるな。食事を残すな」

 簡単なことばかりだった。

 家にいれば、改めて言われることでもない。

「生活できない者に、部隊は任せられない」

 教室が静まる。

「これから寮の部屋割りを発表する。自分の部屋番号と同室者を記録しろ。室長も同時に指定する」

 紙を取り出す音が重なった。

 琳斗も筆記具を探す。

 鞄のどこへ入れたのか分からない。

 母が分けた袋を一つずつ開け、三つ目からようやく鉛筆を見つけた。

 真田は女子室から順に部屋割りを読み上げていく。

 知らない名前が続き、琳斗は聞き落とさないよう紙へ書き留めた。

「男子第一室。天城迅。皇一真。宮原征治。遠山正臣。室長、皇一真」

 天城が前の席の皇を見る。

「ほんまに同じ部屋や」

「静かにしろ」

 皇は前を向いたまま答えた。

 続いて第二室が読み上げられる。

 琳斗は自分の名が呼ばれるのを待ちながら、紙の空いた場所へ部屋番号だけを書いた。

「男子第三室。白瀬怜。神代琳斗。相良文彦。久保田英治。室長、久保田英治」

 琳斗は四つの名を書き取った。

 白瀬。

 相良。

 久保田。

 まだ、どの名前も顔とは一致しない。

 真田は第四室以降も読み上げていったが、琳斗は自分の部屋の四人をもう一度確認した。

 真田は名簿を閉じた。

「室長は生活上の連絡と確認を行う。ほかの室員が従属するという意味ではない。自分のことは自分で行え」

「はい」

 複数の返事が重なった。

「私物は指定された収納範囲へ収めろ。通路、窓際、暖房器具周辺には置くな。収まらない私物は、後日返送させる」

 琳斗は机の横から膨らんでいる布包みを見た。

 収まるだろうか。

「移動準備」

 号令に合わせ、学生たちが立ち上がった。

 寮は教室棟の北側にあった。

 三階建ての長い建物で、男子寮と女子区画が渡り廊下によって分けられている。

 玄関前には、いくつもの木箱が積まれていた。

 制服。

 寝具。

 装具。

 洗面具。

 教科書。

 箱の側面に、太い文字が記されている。

 運搬を担当する兵が、帳面を確認しながら箱を運んでいた。

「第三室分、二箱足りません」

「被服庫へ照会しろ。番号は」

「三一七と三二一です」

「三二一は第二室へ入っている。先に戻せ」

 琳斗は列を進みながら、箱の番号を目で追った。

 同じ大きさに見える箱でも、行き先と中身が違うらしい。

「神代」

 すぐ後ろから声をかけられた。

 振り向くと、名札に久保田英治と書かれた少年が立っていた。

 中肉中背で、短く切った髪も制服の襟元も整っている。目立つ顔立ちではないが、相手を正面から見る目には落ち着きがあった。

「列、進んでるよ」

「あ、すみません」

 琳斗は前を向き直り、開いた間を詰めた。

 久保田もそれ以上は何も言わない。

 男子寮の二階へ上がった。

 廊下には等間隔に扉が並び、その横に部屋番号と氏名札が掛けられている。

 第三室。

 白瀬怜。

 神代琳斗。

 相良文彦。

 久保田英治。

「同じ部屋だな」

 久保田が言った。

「よろしくお願いします」

「よろしく」

 琳斗が頭を下げると、久保田も軽く頭を下げた。

 後ろから、細身の少年が氏名札を覗き込んだ。

 柔らかな色の髪が耳の辺りで跳ね、淡い色の目が札の文字を追っている。

「ここ、第三室?」

「そうみたいです」

「白瀬怜。よろしく」

「神代琳斗です」

「久保田英治」

「よろしく。もう一人は中かな」

 白瀬は扉の取っ手へ手をかける。

 開ける前に、取っ手を一度押した。

「これ、少し緩いね」

「本当だ」

 久保田も触れてみる。

「あとで寮の人に言えばいいんじゃないか」

「これくらいなら、締めれば直りそうだけど」

「道具を借りられるか聞いてみよう」

「借りられなかったら?」

「その時考えればいいだろ」

「久保田、意外と適当だね」

「勝手に外すよりはましだ」

 白瀬が笑う。

「中へ入りませんか」

 琳斗が言った。

「そうだな」

 久保田が扉を開けた。

     ◇

 室内には、四つの寝台が並んでいた。

 窓側に二つ。

 廊下側に二つ。

 それぞれの寝台の脇に、小さな棚と収納箱が置かれている。

 壁には制服を掛けるための釘が打たれ、窓の下には四人で使う机が一つあった。

 すでに一人の少年が室内にいる。

 寝台の前へ鞄を置き、収納箱の中を確かめていた。

 黒髪は短く、細身だが姿勢は崩れていない。目元は静かで、三人が入ってきても慌てる様子はなかった。

 少年が顔を上げる。

「相良文彦」

「神代琳斗です。よろしくお願いします」

「白瀬怜」

「久保田英治。俺が室長に指定された」

「分かった」

 相良は短く答えた。

 久保田が扉の内側に貼られた紙を見る。

「寝台も決まってる」

 紙には、氏名と番号が書かれていた。

 久保田が右手前。

 相良が右奥。

 琳斗が左手前。

 白瀬が左奥。

 琳斗は自分の寝台へ荷物を運ぼうとした。

 革の鞄を一つ置く。

 もう一つを隣へ置く。

 大きな布包みをその横へ下ろす。

 寝台と寝台の間の通路が、ほとんど塞がった。

 白瀬が横を通ろうとして止まる。

「通れないね」

「すみません」

 琳斗は布包みを持ち上げようとしたが、その上に置いた鞄が傾いた。

 久保田が鞄を押さえる。

「まず、全部下ろせ」

「はい」

 琳斗は荷物を床へ置き直した。

 久保田が室内の通路を見る。

「箱が来る前に、神代の荷物を片づけよう」

「箱?」

「支給品だろ」

 琳斗は玄関前に積まれていた木箱を思い出した。

「手伝ってもらっていいですか」

「ああ。まず包みを開けよう」

 久保田が布包みの結び目を指した。

「開けられるか」

「はい」

 琳斗は床へ膝をつき、紐をほどいた。

 母が何度も結び直したのか、結び目は固かった。

 白瀬が隣へしゃがむ。

「こっちを引けば解けるんじゃない?」

「これは輪になっています」

「じゃあ、その下」

「そこを引くと、もっと締まります」

「貸して」

 白瀬が紐へ手を伸ばす。

「勝手に引くなよ」

 久保田が言った。

「見てるだけ」

「手が触ってる」

「触らないと見えないよ」

 相良が二人の間から紐を見た。

「こっちだ」

 結び目の裏側から、短い紐の端を引き出す。

 結び目が緩んだ。

「あ」

 琳斗が紐を解く。

「ありがとうございます」

「見えただけだ」

 相良は元の位置へ戻った。

 布包みを開くと、中から衣類や小箱が次々と現れた。

 肌着。

 靴下。

 手拭い。

 裁縫道具。

 便箋。

 封筒。

 薬。

 菓子箱。

「多いね」

 白瀬が言った。

「母が用意しました」

「全部?」

「ほとんどは」

 相良が菓子箱を一つ持ち上げる。

「二つある」

「皆さんと分けるように言われました」

「今日食べるのか」

 久保田が尋ねる。

「分かりません」

「なら、棚へ入れておけ」

「はい」

 琳斗は菓子箱を棚の奥へ置いた。

 久保田が衣類を寝台の上へ分けていく。

「肌着は下。靴下は一つにまとめろ。薬はすぐ出せる場所がいい」

「分かりました」

 白瀬が裁縫道具の箱を開けようとする。

「白瀬」

 久保田が呼ぶ。

「何?」

「神代の物だ」

「見るだけ」

「聞いてから開けろ」

 白瀬は琳斗を見る。

「開けてもいい?」

「どうぞ」

 白瀬は蓋を開けた。

 糸、針、鋏、指ぬきが整然と収められている。

「全部入ってる」

「裁縫道具ですから」

「針の太さも違う」

「使い分けるんだろ」

 相良が言った。

「相良、使えるの?」

「釦くらいなら」

「僕もできる」

「なら閉めろ。今は裁縫の時間じゃない」

 久保田が言った。

 白瀬は蓋を閉じた。

 相良が布包みの底から、折り畳まれたゴム製の袋を取り出した。

「これは何だ」

「中に湯を入れて、寝床を温める袋です」

 白瀬が袋と琳斗を見比べる。

「それまで持ってきたの?」

「母が入れました」

 相良の口元が、わずかに緩んだ。

 琳斗も少し肩の力が抜けた。

「使うのか」

 久保田が尋ねる。

「まだ分かりません」

「春に持ってくる必要があるかは別です」

 相良が湯袋を受け取り、棚の端へ立てた。

「ここなら邪魔にならない」

 白瀬が棚を横から見る。

「本当だ。倒れもしないね」

「倒れないし、ほかの物も置けるだろ」

「では、そこに置いておきましょう」

 琳斗が言うと、相良は短くうなずいた。

 衣類を寝台下の収納箱へ収める。

 便箋と封筒は棚の引き出し。

 薬は手前。

 空になった布包みは折り畳み、寝台の下へ入れた。

 革の鞄は立てて置こうとしたが、片方が倒れた。

 相良が二つを横にする。

「これなら倒れない」

「なるほど」

 琳斗も位置を整えた。

 通路が空く。

 四人が室内を見回した。

 廊下から足音が近づいてくる。

「各員、室内待機!」

 上級生の号令が響いた。

「支給品受領の準備をせよ!」

 四人が扉を見る。

「準備って、何をすればいいんだろう」

 白瀬が言った。

「箱を置く場所を空けるんじゃないか」

 久保田が答える。

「どれくらい来る?」

「知らない」

 相良が入口付近を見る。

「ここを空ければ、少なくとも入る」

「じゃあ、寄せよう」

 四人で荷物を寝台側へ移した。

 先ほどまで通路を塞いでいた布包みは、もう半分ほどの大きさにまとまっている。

「第三室、応答!」

 廊下から声が飛んだ。

 久保田が扉を開ける。

「第三室、四名おります!」

「支給品を運ぶ。入口を空けろ」

「はい」

 廊下の向こうから、二人の上級生が大きな木箱を運んでくる。

 久保田が通路に残っていた布包みを持ち上げた。

 相良が寝台脇の荷物を寄せ、白瀬が扉を大きく開く。

 琳斗も久保田から布包みの端を受け取り、壁際へ移した。

 入口が空く。

 箱の側面には、第三室と記されていた。

 少し前まで、知らない名前でしかなかった三人が、同じ箱を受け取るために並んでいる。

 琳斗も、その横へ立った。

 四人とも、次に何をすればよいのかはまだ分からない。

 それでも、最初に部屋へ入った時よりは、少しだけ同じ方向を見ていた。



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