〜レイの過去編〜 日常
これにて過去編の第一章が終わります
二柱の神によってこの世界に落とされてから早二年。
彼女は五歳となっていた。
そして名前の無かった彼女には現在の育ての親であるレイラによりレイという名前が名づけられた。
その時の経緯としてはこうだ。
『え、貴女、名前無いの?』
『うーん、じゃあどうしようかしら? えっ、私がつけてもいいの?』
『じゃあ私のレイラって名前から一部をとって“レイ”! これが良いわね!』
という感じにトントン拍子で彼女の名前が決まった。
それと一人称は“俺”ではなく“私”に調教された。矯正ではなく調教である。俺と言いそうになるたびにレイラの笑顔が一瞬で無くなるのだ。怖いというものではない。
彼女はすっかり俺ではなく自らのことを“私”と言うようになった。
そして今では毎日というわけではないがレイラから魔法の手ほどきを時々受けていたりする。
とある日の朝、そんな彼女は今庭先にて洗濯物を干していた。
今日は雲があまり無い、日が良く当たる洗濯日和である。
昨日まで雨が降っていたからか辺りにはほんのりと雨の匂いが立ち込み、辺りの葉っぱからは水が滴っている。
「ふんふんふふーん」
語尾に音符マークが付きそうな鼻歌を歌いながらローブに毛布、ベッドのシーツ、タオルなどを被らないようにして干していく。
「レイラー! 洗濯物干し終わったよー!」
レイは家に向かってそう叫ぶ。
しかし返事はなかなか返ってこない。
レイは呆れたような溜息を吐きながら家に入り、彼女の寝室へと向かう。
寝室はレイラの家の二階にありレイの寝室はその隣にある。
レイは階段を上りレイラの寝室へと向かおうとする。
いや、寝室にたどり着くことなくお目当ての“もの”が見つかった。
寝室の前の廊下に横たわっている物体。
勿論レミアのことであるが、彼女はピクリともせず廊下にうつ伏せって倒れている。
「う、うぅ〜、あ、頭痛いです……」
こんな時にも丁寧な言葉を崩さないとは流石であるが、格好が格好である。
普段はその優しげな風貌と白いローブも相まってさながら聖母のような雰囲気を出しているが、それが今は花柄のパジャマを着てグッタリと廊下に倒れている。
普段の姿はその様からは見る影もなかった。
レイはその姿を見て思わず涙がこぼれそうになった。
勿論流すはずもなく、ただただ呆れ返った目で見つめるだけであるが。
思わず彼女ごと廊下を掃除したくなる。
レイラはその体勢のまま、のそのそっと微妙な距離を移動している。
おそらくベッドの上から移動するまでずっとこうだったのだろう。
普段しっかりしている彼女がなぜこんな状態になっているのか?
理由は単純、ただの二日酔いである。
彼女は普段はおっとりとして物腰が丁寧だが、お酒をたいそう好んでいる。
一番好きなのは甘い果実酒だそうだ。
だが彼女は酒に弱かった。それはそれはとても弱かった。
しかもたちの悪いことに彼女は酒癖が悪かった。
酔って蕩けた顔をして、普段よりも伸びた口調をしながらレイに抱きついてくるのだ。
レイも最初は普段はあれだけ世話になっているのだからと思い、好きにさせていた。
それに彼女とのスキンシップが嫌いでは無いレイもその状況を許容していた。
だがそれの度が過ぎてしまった。
あまりにくっついてくる、果てはトイレにまでもくっついてくるレイラに彼女は辟易してしまったのだ。
それでこの冷たい反応である。
レイはその小さい体で呻くレイラを担ぎ上げ、一回まで運び無理やり椅子に座らせる。
その時思いの外強く椅子に尻を打ったのか彼女の呻き声が少し大きくなった気がする。
「う〜〜、レイが反抗期になりました〜」
「そんなことを言う暇があったら早く元に戻して欲しいんだけど。はい、水」
魔道具などもあるこの世界は見た目的には地球の現代技術に劣っているようにも見えるが、意外にも生活面ではそれほどの苦労をかけさせられることはなかった。
その一例として彼女が今汲んできた水も水の出てくる魔道具から汲んできたものである。
レイラはそれを手にとってゴクゴクと飲み干した。
「ぷはーっ! なんだか頭痛も少し引いた気がします」
「それなら良かった。朝ごはんは昨日の残りでいい?」
「えー、レイの手料理が食べたいです」
「それ、本気で言ってる?」
真面目な目をしてレイラに問い返すレイ。
それを見てレイラはマジでやられると思ったのか顔を青くしながら「遠慮します……」と呟いた。
レイの料理の腕はかなりやばい。
下手というよりもやばい。
焼く、煮る、というだけのことはできるのだがそれも時々怪しくなるくらいに料理に関する適性がない。
何故彼女の料理が下手か、それはただ彼女の適性という以外にも理由がある。
まずは彼女の中にある一億もの記録、その元となった英傑たちの魂。それらに料理のことが全くなかったことが挙げられる。
彼らが生きた時代は近世以前。
その頃は各地で領土紛争が起こっており世界各地で血が流れていた。
そのような世界で大成するような人物とは誰か。
それは軍事、或いは権謀術数に長けた者である。
勿論過去には料理の腕が良かった人物もいた。しかし今は先ほど述べたような者たちがレイをこの世界に呼び寄せた二柱の神が一億の魂を選定するにあたってそのような人物を除外されたのだ。
料理の腕で世界の滅びの危機を救えるか? そのため彼女には料理に関する知識がほとんど無かった。
そしてもう一つ、それは地球との植生の違い。
これの要因が大きかった。
似たようなものでも味が違ったり、見た目が禍々しくとも一皮むけば甘い香りの漂う果実であったり。
以上の理由のために、レイの料理の腕は壊滅的なものとなっていた。
今日のようなレイラが潰れた日の次の日などはいつもレイは生野菜をぽりぽりと食べていた。
「今日はセイとアーシャが来るんだから、シャキッとしないとシャキッと」
「ああ……そういえば今日がその日でしたっけ……」
セイとアーシャは世俗から離れたレイラの数少ない友人である。
以前にも何度か彼等と会ったことがあるので彼等のことはレイも知っている。
その時、噂をすればというように家のドアがノックされた。
「あ、はーい! 今出ます!」
レイはノックに対し、そう大声で返事する。
「ほら、もう来たんだから二日酔い治して」
「あーー、億劫です〜」
と言いつつもレイラはスッと右手人差し指を頭に向ける。
その指先がほのかに光り、その光が運ばれるようにしてスゥと彼女の頭の中に入っていく。
「あーー! スッキリしました」
今使ったのは酔い覚ましの魔法である。
潰れていた先程までとは打って変わって、すっかり二日酔いの覚めた表情でレイラは椅子から立ち上がりルンルンとその場で回り踊る。
レイはそれを見届けてから特に鍵のかかっていなかったドアの前で待っていた客を中に招き入れる。
「失礼するぞーー!」
「こら、アーシャ。女の子がはしたないですよ」
「ああ?! 別にいいじゃねえか!」
開けられると同時に入ってきたのは男女の二人組。
身長の大小はまだまだ小さいレイには判別できないが彼等もレイラと同じくかなりの美形だった。
男勝りな口調をしているのはアーシャ。
赤い髪の毛をショートカットにしておりややきつい印象を受けるサバサバとした美人である。
そんなアーシャをゆったりとした口調で窘めたのはセイ。
細面のキリッとした印象が与えられるイケメンであり長い艶やかな黒髪をポニーテールにしてまとめている。
何より彼等が目立つであろう特徴、それは黒い袴に白い装束を纏った格好だ。
これは異世界人が作り出した『和装』と呼ばれるジャンルの衣服であり、それを彼等は好んで着ているのだ。
因みに彼等は恋人同士である。
レイラとも数十年来の付き合いだという。
そして二人の額には短いツノが二本突き出ていた。
レイラとは違う皮膚が突っ張ったようなツノ、それはレイラが魔族であるのに対し、彼等は“鬼人族”という種族だからだ。
少数民族である彼等はエルフや魔族と同じく長命種の一種として知られている。
「お久しぶりですね、二人とも」
「おーう! レイラもレイも久しぶりだなあ!」
「おや、またレイの身長が伸びましたね」
セイはレイの頭の位置をジロジロと見つめながらそう言う。
その言葉に「そうかしら?」と言いながらレイラはレイの身長を測るようにして頭に手を置く。
「うーん? うん、そうかもしれないですね」
「ずっとそばにいると其の者の変化を読み取りづらいということを聞いたことがあります。部外者だからこそ分かりやすい変化なのかもしれないな」
「そうですね。それでも、我が娘の成長は嬉しいものです」
そうやってニコニコの笑顔でレイの頭をそのまま撫でまくるレイラ。
レイも「は、恥ずかしいから……」と言いつつも頬が緩んでいる。
お互いに甘々な二人である。
それをニヤニヤしながら眺めるセイとアーシャだが二人の普段のイチャイチャぶりを知っている二人からすれば彼等にだけは言われたくないというやつだろう。
「それで、今日は何か用があって来たのですか?」
「うんにゃ、ただ旅がひと段落したからこっちに来ただけだ。何日かお邪魔させてもらうぜい」
アーシャの言葉にそうですか、といつも通りの笑顔で答えるレイラ。
心なしかいつもよりも機嫌が良さそうである。
もちろんレイとしても世界を旅して回っている二人の話はとても興味深いものであるので大歓迎だ。
「私達が滞在する間はレイにも修行をつけてあげましょう」
「ありがとう! セイ!」
「あ、俺も俺も!」
「ありがとう! アーシャ!」
レイは二人に礼を言う。
一人称が若干男女逆転してるような気がしないでもない二人であるがレイもそこらへんは慣れている。
それに二人の雰囲気的にもその一人称が一番あっているような気もした。
「あら、ありがとうございます。人数が多いとそれだけ教えられる幅が広がりますから」
レイラもニッコリと二人の申し出を快諾していた。
「お二人とも、朝ごはんは済ませましたか? ちょうど今から作るところなのです」
「お、ちょうど俺たちも腹ペコだったんだよ!」
「では、お願いできますか?」
二人はまだ朝食をとってなかったらしくレイラの提案を嬉しそうに受け入れていた。
「では今から作りますので少し待っていてください。レイ、手伝いをお願いできますか?」
「勿論だよ!」
そう言ってレイは彼女の後ろをついていく。
レイは料理はできないが野菜を切るなどの作業に関しては人並み以上にできる。
セイとアーシャを混ぜた食卓はいつも以上に賑やかなものとなった。
朝食が終わり、レイとレイラの二人は皿を洗っていた。因みにレイは水面代までの身長が足りないためそれを補うための台の上に乗っている。
そんなレイは皿を洗う手を止めてふと頭の中であることを考え込んでしまった。
(いま、とっても楽しいなあ)
「どうかしたのですか? レイ」
「あ、ううん。なんでもないよ!」
レイラが顔を覗き込むようにしてレイの顔を見る。
レイは慌てるようにして一旦止めてしまった皿を洗う手を再稼働させる。
レイラもそんなレイの行動に特に不信を抱かなかったのかレイの隣で同じように皿を洗っている。
レイもこのような日常が続くとは思っていない。
彼女には神様により託された“願い”があるのだ。
世界の危機、それを“個人”で対抗できるように“今”のレイは作られた。
だが今のレイではそのような事態に立ち向かえるほどの力は無かった。だがレイラ達の元で順調にその力を伸ばしている。
そんなレイがそのままずっと日常を謳歌できる筈もないし、する筈もない。
だが、今だけでも、このような日常が続いてくれればいいのに、そう願うレイなのであった。
(それに……私は一人じゃないからね)
レイは後ろから聞こえてくる話し声と、隣にいる女性のことを思いながら今という時間を楽しむために精一杯生きることを改めて心に誓う。
レイラはそんな一瞬雰囲気の変わったレイをチラリと見てふわりとした笑みを浮かべるのだった。
☆★☆
同日の夜。
レイは自分の寝室のベッドに潜って既にぐっすりと深い眠りに入っている。
そしてその他の大人三人組はテーブルを囲みながらお酒を酌み交わしていた。
アーシャは酒を水のように飲み、セイは自分のペースに合わせて、そしてレイラは潰れないように酒を舐めるようにして飲んでいた。
「それでよぉ」
アーシャは鬼人族特有の青白い肌を酔いで朱に染めながらレイラに話しかける。
「なんです〜?」
話しかけられたレイラはまだ潰れていないものの既に酔ってはいるのか間延びした口調になっている。
「レイだよ、レイ。あいつに継がせんのか? “ウィストリア”の姓をよ」
レイラはその言葉に酒の入っているグラスをカタリと机に置く。
そしていつも浮かべる笑みをそのままに、口の中で酒を転がすように味わいながら口を開く。
「ええ、そのつもりです」
「お前が子供を拾ったって言って驚いたが、そんなにレイの才能はすげえのか?」
「まあ、そうでしょう。それに彼女、転生者らしいですから」
「そうなのですか?」
セイはその事を初めて聞いたらしく驚いたように目を見開いている。
アーシャも同じような顔だ。
「まあけど、そんなことは些細なことです」
「ま、そうだわな。レイが力に飲み込まれない事を祈るよ。俺の可愛い妹分なんだからな」
「それに、“ウィストリア”のことを知ってるのも、貴方達を含めなかったら、長命種の長老連中くらいしか今はもう知らないんじゃないかしら?」
言外にレイラは“ウィストリア”を継がせても何の問題もないのではないか? と言う。
“ウィストリア”の名を持つ者、それは世界にとってある特別な意味を持つ。
遥か昔より綿々と受け継がれてきたそれは既に世間からは忘れ去られようとしていた。
「意味があるなしに関係なく、貴女の名を継ぐことになるのならあの娘はきっと喜ぶでしょうね。あの娘はたいそう貴女に懐いてますから」
セイはにこやかにそうレイラに言う。
レイラはそれに少し照れたような面持ちを見せる。
「確信してますよ、あの娘はいずれ私を超える」
レイラははっきりとした口調でそう言う。
酔いで頬を赤く染めながらその顔はとても嬉しそうな笑みをしていた。
「いずれ全てを話す時が来るでしょうね。それに世界は激動の時代を迎えている」
「なんか異世界人がいろいろ騒いでるって言うよなぁ」
不穏になる世界情勢にその場の雰囲気が少しだけ重くなる。
「さあ、酒の席なのですから、重い話はこれで終わりです。ところで、お二人は何処まで進んでいるのですか?」
「ええ、それはもう。普段はキツイ口調ですが、夜になるとそれはもう可愛くて」
「ちょ、おい! いきなり話を変えてそりゃねえだろ!」
慌てながら顔を酔いとは別の原因で顔を赤くするアーシャ。
二人はそんなアーシャを見て笑い声をあげる。
彼女はそんな二人を見てからかわれた事に気づきふてくされた顔になった。
その後も話題は転々としていきそうして夜を過ぎていったのだった。
次の日の朝、揃って潰れた三人にレイはお仕置きの意味を込めて彼女お手製の料理を振る舞い彼らを悶絶させたのは、また別の話。
本編の第二章までしばらくのお時間をいただきます。
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