〜レイの過去編〜 レイラ
「……ん? ここは……」
落ちた際に意識を失ってしまったらしく、耳に届く風の音と鼻に香る草花の匂いによって目をさます。
「そういえば、俺は……うん?」
現状把握をしようとした時に彼はとある違和感を感じる。
それは声の高さと視線の低さ。
上半身を起こしているだけであるため視線が低いのは当たり前であるが、そうではない。
「この手、ちっさいな」
彼は冷静に分析する。
現代日本の常識があれど、それは飽くまで記録である記憶に過ぎない。
「神の体って言っても、大人の体って言ってなかったしな。子供の体というのもやむなしだな」
高い声でそう断じる。
彼はしかし困ったと呟きながら頭を掻く。
「ん? あれ髪の毛、長くね?」
頭を掻く時に思わず絡んだその長い髪の毛。
立っている時であれば背中の下ほどまで垂れていたであろうその髪。
彼はその長い髪をさらりと手に持って見つめてみる。
まるで透き通るかのような銀色の髪の毛に思わず彼は自分で自分の髪の毛に見惚れた。
「さて、と。現実逃避はここまでにして……」
彼は徐にむんずと、股間を掴んだ。
あるべきはずの感触がない。
それで彼、いや“彼女”は悟った。
「なんで女になってるんだよぉーーー!!?」
名も無き彼女はそう森の中で叫んだ。
「ブルルルルゥ………」
後ろからがさりという音が聞こえる。
未だにショックから抜けきっていない“彼女”はなんの警戒もすることなくパッと後ろを振り向いた。
そして硬直する。
そこにいたのは上背だけでも子供である彼女の数倍はありそうな巨大な猪。下顎から生えた発達した牙がその相貌の凶暴性を何倍にも跳ね上げている。
彼女はパチクリと目を瞬きさせた。
彼女は動物の表情を読むことはできない。しかし不思議と今の彼女にはそれが理解できた。
その猪は青筋を立てんばかりにイライラしていた。
もしかしたら今までぐっすり気持ちよく眠っていたのかもしれない。そこに意味不明な大声を聞かされればそうなってしまうのもしょうがない。
完全なる自業自得である。
レイはバッとその場から離れるべく足をフルスロットルさせた。
「ブモォオオオオオオオオオオ!!!」
「ごめんなさいごめんなさい! 大きい声出してごめんなさいぃ〜!」
必死な形相をしながらまだ幼く短い足をフル回転させる彼女。
その後ろを当然のことながら怒りの咆哮を上げつつ巨猪が追ってくる。
神の体だけあってこの体は相当ハイスペックらしく、猪の怒りの猛進に追いつかれることなく走り抜けていた。
「うわ、この体超すごい。てかそんな場合じゃねえぇー!!」
彼女は場違いにもその体の超人っぷりに感心してしまう。
しかしその間も猪は待ってくれるわけがない。体にあたる木々をぶち倒しながら彼女を追いすがる。
「いぃやあぁぁぁー!!」
そんな逃走劇はまだ朝方だった太陽が天に昇るまで続けられることになったのだった。
☆★☆
「ゼー、ハー、ゼー、ハー」
なんとか猪を諦めさせることができたがその代償は大きい。その脚力も体力もすでに人間離れしている彼女ではあるがそれでも無尽蔵なわけがない。
長時間走り続けた彼女は息を切らし、足をピクリとも動かせない状態でいた。
こんな状態ではせっかく猪から逃げ切れても他の生物が現れて襲われでもしたら一貫の終わりである。
なんとか近くの茂みに隠れこむことができたがそれもいつまで持つかわからない。
ーーーグウゥゥウ
彼女の腹の虫がなる。
こんだけ走り回ったのだ。それに見る限りこの体もまだまだ小さい。これで成長が止まるということがないのであれば彼女は絶賛食べざかりな年頃なのである。
しかし周りには草、草、木、草ばかり。
食べられそうなものは何もない。
もしかしたら逃げ回っていた道中に食べれそうな木の実などがあったかもしれないが、それを確認する暇もなければ、もしあったとしてもこの右も左も分からない森の中でそこにたどり着けるとは思えない。
「……お腹減った」
いくらか体力が回復した中で発した第一声がその一言。
体力が回復したからこそ、その空腹具合が目立って仕方がなかった。今も彼女のお腹はクゥクゥと音を鳴らしている。
「……どうしよう?」
彼女は記憶を探る。
もしかしたら数ある記憶の中に何かサバイバルで役立つような知識があるかもしれない。
しかし彼女は探る中でふとあることに思い至った。
(あちらとこちらの世界の常識は同じなのだろうか?)
ここにくる前に二柱の神様は言っていた。
ここはいわゆる魔法のある世界である、と。
その時点で文化や慣習などが全く違っても不思議ではない。
むしろ同じと思う方が変なのである。
周りの一見全て同じように見える木々ももしかしたら地球にはなく、この世界で進化した特有の種である可能性が高い。
彼女は中に存在する記憶はあくまで心得程度に留めておくのが最善だと判断した。
言葉が通じるということは不幸中の幸いであろう。
「まずは水が必要かな」
何はともあれ最優先すべきは水の確保。
食べ物がなくてもそれなりには生きられるが、水がなければ早々に死んでしまうというのは有名な話だ。
そしてそれは世界が変わっても同じ。
「……………何も聞こえない」
じっと目を閉じて耳をすますが水の流れる音はさっぱりと入ってこない。
「まあ、じっとするのもあれだし、移動するか」
日が沈み夜になる。
「な、何にも見つからない、だと……」
喉がカラカラに乾き腹は空き過ぎてもはや空腹感は感じなくなっている。
だが一日中動き続けたために蓄積され続けた疲労は彼女の精神までを蝕んだ。
彼女はパタリと倒れる。
「ま、まだだ! きっと明日には何か見つかる筈」
彼女はそう自分を叱咤して立ち上がる。
すでに日が沈み特に夜目が効くわけではない彼女は重い足を引きずるようにして安全な場所を探して移動する。
「お、この木の中のスペース、いいな」
しばらく歩き続けて見つけたのは巨大な木の根元にできたうろのようなスペース。
彼女は今日という日に起きた一番の幸運に感謝しながらその中に入る。
「ここならぐっすり寝れそうだ」
そう一人呟きながら彼女はパタリと横に倒れる。
疲れた体にその休息は何よりも望むべきものだったのだろう。
彼女は程なくして小さい寝息を立てて深い眠りにつくのだった。
その次の日
その日も何も手に入らず拠点とした木のうろで眠った。
さらにその次の日も何も見つからず。
その次の日も、その次の日も…………………
それから数日。
歩けど探せど、木の実どころか水の一滴も見つからない状況に彼女は焦っていた。
「ど、どこかに水は………!」
今のところなんとか朝露を蒸発する前に舐めたりして凌いで入るがそれも暖簾に腕押しだろう。
雑草をかじりなるべく体力を消費しないように努めても、動かなければ見つかるものも見つからない。
そのため彼女に止まるという選択肢は与えられていない。
日を追うごとに彼女の体力は精神と同じようにガリガリと削られていく。
彼女の腕はここに来た当初よりもやせ細り頬は若干窪んでこけていた。
足がフラフラとする。
神の体だとはいえ万能ではない。
だが、この常人よりも頑丈な体のおかげでこんな幼い体でもこれだけ長く生きていけるのだろう。
しかしそれも限界だった。
足が重く、視界が霞む。
空腹感は痛みへと変わり、それがさらに体の体力を奪っていく。
彼女はふらりと揺れて、地面に倒れた。
何故こんなことになったのか、せめて人のいる所に落としてくれれば良かったじゃないか。
そう言いたいが言っても栓なきこと。
彼女の中にあったのは頼まれながらも何もできずに潰える無力感。
力を与えられながらもそれを全く振るわずに消えていく無情感。
彼女の頬に一筋の涙が流れる。
それがどのような感情からくる涙か、彼女には判別できなかった。
彼女が意識を失う寸前に思ったこと。それは……
(まだ外に出てくる水分が残ってたんだな)だった。
☆★☆
「おや、これはこれは」
彼女は森を訪ねる際にとても奇妙なものを見かけた。
それは一人の少女。歳にして三歳頃だろうか。
見た感じから空腹により倒れたと推測される。それほどにやせ細っていた。
しかし頬がこけていながらもその顔立ちは非常に整っておりその銀髪の輝きは微塵も褪せていない。
その純白の衣服もかなり良い素材でできていることが読み取れる。
世俗から離れた彼女としては今しがた見つけた行き倒れの少女からは厄介ごとの香りしかしなかった。
「……よいしょっと」
しかし彼女はそんなことを気にも止めずに少女をその背に背負う。
「うわっ、軽いですね」
そして背負った際にその少女のあまりの軽さに驚きの声を上げてしまう。
「旅は道連れ、とも言いますからね〜」
誰にいうでもなくぽつりと呟く彼女口元はとても柔らかく微笑んでいた。
「さ、行きましょうか」
そうして彼女は元来た道を、一人の少女を背負って戻っていくのだった。
☆★☆
あったかい何かに包み込まれているような感触。
そして鼻に届くなんともいえないおいしそうな香りに彼女の意識は覚醒した。
「ん、あれ、ここは……」
意識はまだ朦朧としてるがその記憶ははっきりとしていた。
彼女は空腹により倒れたはずだ。
しかし今起きてみればふかふかのベッドに包まれるようにして入っていた。
彼女はキョロキョロと周りを見渡す。
簡素な家具以外何もない。いや、窓にいくつかの花がいけられている花瓶が置いてある。
そして気づく、起きる際に感じた美味しそうな食べ物の香り。
ベッドから降りてフラフラとその匂いにつられるように部屋へと出ていく。
「あら、起きたんですか?」
キッチンは部屋に出て左手にあったらしく出て来た彼女をすぐにこの家の家主らしき女性が声をかけて来た。
彼女は声のする方へと顔を向ける。
そして、同時に息を飲んだ。
流れるようなウェーブのかかった金髪は背中の中程まで伸び、その優しそうな金の瞳からはどことない頼もしさが感じられる。
頭の側頭部から伸びる二本の巻がかかった角は彼女が少女の知る人間ではないことを示していた。
しかし今の彼女にとってそのようなことは些細な問題だった。
今の幼い彼女からしたら彼女は見上げるほどに高く、そしてなによりも綺麗だった。
「……きれい」
そして思ったことが思わず口から出てしまう。
その言葉にその女性はキョトンととした顔をした後にクスリと笑った。
そしてクゥーとお腹が鳴る。
場を考えずに鳴るお腹に彼女は顔を赤くして情けないと感じながら顔をうつ向けた。
そしてその様子を見て彼女はさらにくすくすと笑う。
「さ、今まで何も食べてなかったのでしょう。存分に腕を振るいました。食べながらでいいですからお話を聞かせていただきませんか?」
極限まで減ったお腹に、急に固形物を入れると胃が受け付けなくなるというのはよく聞く話。
彼女はゆっくりゆっくりとスープをスプーンで掬いながら飲み進めていく。
素朴ながらも素材の味がふんだんに絞られたそのスープは彼女のお腹と、そして心も癒した。
この家の主である彼女も少女の対面の席でそれを見つめながら微笑んでいた。
そしてフゥとスープを一皿飲み終わりひと段落する。
そして彼女は対面に座る女性に頭を下げた。
「わざわざ拾ってくれただけでなく、こうして食事までご馳走になって大変有難うございます」
その様子を見て目の前の女性はニコニコしながら「気にしないで」と言った。
「ところで、貴女はどこから来たのですか?」
「え、えっとそれは……」
彼女はそこで口ごもる。
彼女が異世界から来た存在だということを正直に話せばいいものなのか迷ったからだ。
こうして世話になった身としては正直に話をしたい。
しかしそのような普通は信じられないような話をして「信じてください」と言っても信じる人の方が少ない。
未だこの世界のことを何も知らない彼女はまるで奇跡のように起きたこの出会いを無駄にしたくなかった。
「言いにくいのですか?」
「…………」
沈黙しか返せないことに彼女の心の中には情けない気持ちと罪悪感が積もっていく。
「うーーん、その様子だと、どこかの貴族? それとも王族? それとも、『転生者』?」
「………っ!」
「あ、これが当たりみたいですね」
その女性の反応で彼女にカマをかけられたのだと彼女は悟る。
彼女は今後の展開が予想できなくなり思わず目に涙を溜めてしまう。
そんな少女を見て彼女は困ったような笑みを浮かべながら肘を机につき、手で顎を支える姿勢になる。
「あらあら、泣かなくても大丈夫ですよ。誰も、捨てたりなんてしませんから、だから
ーーー安心してください」
その一言を境に思わず彼女は涙をこぼした。
彼女はずっと不安だったのだ。
自分という存在を把握できないまま何故か二柱の神様と対談することになり世界が滅亡の危機に瀕していると聞かされる。
かと思えばこの身は魂の集合体であり自己という自己はあまり確立していない。
神様からこの『神の体』と『無限の魔力』を貰ったかと思えばそれを有効活用する手段すら理解することもなくこの世界へと落とされる。
だがそのことを恨もうと思っても彼女に神を恨むことはできない。
例え人格の基盤が現代人とはいえその他の魂全てと言ってもいいほどの数が神を真摯に信仰している。
そのため彼女にとって神という存在は己よりも上位に常に位置している。
そしてそんな彼らが自分という存在に嘗て統治していた世界を頼む、と託されたのだ。
やりようのない想いはただ彼女の心に溜まるだけだった。
そしてこの世界に来てからずっと安心する暇もなく気を張り詰めていた。
この世界に来てからずっと外の世界でのサバイバル。ナイフも無ければ水も無い。
一回寝て目覚めたらこの世からおさらばということも十分にありえたのだ
しかしここに来てやっと心から安心して過ごせる場所に来れたのだ、と彼女は確信した。
そう思うと涙が止められなかった。
「あらあら、どうしたのですか? そんなに涙を流して。あなたは可愛いんですから、笑っていた方がいいですよ。ほら、ニコッ!」
彼女はこちらの事情を理解していないのだろう。
だが、その心配そうな表情と、こちらの気持ちを楽にさせようとするその態度は何より彼女にとってもありがたかった。
その少女はこの世界に来て一番の笑みを見せた。
「そうそう、貴女はその顔が一番似合っています。そういえば、まだ自己紹介してませんでしたね」
そして彼女は少女に柔らかい笑みを浮かべながら名乗る。
「私の名前はレイラ。レイラ・ウィストリアと言います。いつまでになるか分かりませんけど、これからよろしくお願いしますね」
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