ソウマ、十三歳
雲がまばらに点在する空の下。一人の女性の近くで汗を流しながら剣を素振りし続ける少年がいた。見た目にはまだ幼さが残りつつもシュッとした非常に整った顔立ちをしている。
「はっ! ふっ! はっ!」
リズムよく規則正しい掛け声と風切り音を鳴らしながら剣を素振りし続けるソウマ。
そしてその側ではレイがジッと見守っていた。
ソウマはつい先日十三歳になった。
身長は既に女性の中でも比較的背の高いレイに並ぶまでに大きくなり、その相貌もやや幼さが残りつつあるがすっかり精悍なものに変わっている。
この三年間で彼は今まで以上に成長した。
剣術に魔法の二つをこなしてきたソウマの実力はそこらの冒険者では既に昇り詰めれないほどの高みにまで上がっている。
「よしっ! それまで。今日の修行はこれにて終わりだ!」
「ありがとうございました!」
ソウマは滝のような汗を流しながらレイに礼をする。
時刻は正午。既に昼飯時である。
庭先から移動して玄関に入ろうとしたその時、ガチャリとドアを開けフレアが出てくる。
フレアは精霊であるため成長はしないのだが、この数年でソウマに合わせるかのように体を成長させている。もともと美少女であったフレアは成長してさらにその美しさに磨きがかかっていた。
「おつかれ。今日の修行も随分身に入ってたわね」
「勿論だよ。明日からはもう独り立ちしなきゃいけないからね」
実際、今日のソウマはいつもよりも動きの一つ一つに力が入っていたような気がする。独り立ちということへの緊張からか、それとも新たな世界へ飛び立つ興奮からか。
それよりもレイはニヤニヤしながらフレアに言う。
「わざわざ外にまで出てきて出迎えか?」
レイのからかうような声にフレアは少しむすっとした表情に変えた後に顔を逸らす。
「何か、わるい?」
「いやいや、何も。入ろうか。すぐに昼の支度をする」
三人は揃って中へと入っていった。
☆★☆
『ご馳走さま』
三人の声が揃う。始めと終わりの挨拶は三人で揃ってするのが習慣となっている。
それぞれが皿を中央にまとめてレイがそれを洗面台へと運ぶ。手を動かしながらレイたちは他愛ない雑談をして過ごす。
「それで、午後は明日のための準備をするんでしょ?」
明日のための準備とは旅へ出るための準備。
「ああ、フレアもついていくんだよな?」
レイの問いかけにフレアは「当たり前でしょ。契約してるんだから」と返す。
フレアは当初からソウマの旅についていくと決めていた。実を言えば彼らの契約は離れていても機能する。なのでこの旅についていくというのは契約云々ではなく彼女の意思ということである。
今の発言が彼女の照れ隠しということは明らかだ。
彼らが今話しているのは明日の予定である。明日何か特別な予定があるのかと言えばそうではない。これには彼の年齢が関係している。
ソウマは先日十三歳になった。この歳から冒険者ギルドでの本登録が可能となるのだ。
ソウマにとって冒険者ギルドというのは(前世も含め)長年の憧れでありこの時を待ち遠しく思っていたのである。
つまり、ソウマ達は冒険者ギルドに登録し、明日この屋敷から旅立っていくのだ。
「持っていく荷物はもう用意したか?」
皿を洗い終わったレイが椅子に腰掛けながらソウマに問いかける。
「うん。レイに貰った鞄にしまってあるよ」
「ならいい」
レイは旅立つ際にソウマにある魔道具をプレゼントした。それは『空間』の魔法が込められているポーチである。これは見た目は小さいが中には多くのものを入れられるという優れものである。さらに彼女の作る鞄はそれに加えて『時』の魔法が込められているため入れてあるものの時間が進むこともない。
もしこれを売ろうとすれば一財産になることは確実だ。
「来い、ソウマ」
「ん、何、レイ?」
食後のひと段落が過ぎた後、俄かにレイが椅子から立ち上がりソウマにそう告げて歩き出す。
「私もついていく?」
「いや、フレアは来ないでくれ」
「そ、わかったわ。何やるか知らないけど、明日に残るようなことはしないでよ」
「そこはちゃんと分かってるさ」
レイの返事にフレアは素直にそう頷きその場を後にする。レイは改めて玄関に向かって歩き出す。ソウマは怪訝な顔をしながらもその後ろについていった。
外を出て歩く二人。
歩くこと数分。
レイから何か説明があるものかと思ったら何も無い。流石に不審に思ったソウマがレイに声をかける。
「ねえ」
「何だ?」
歩みを止めないままレイは声を返す。ソウマは返事がなかったらどうしようと思ってたところなので少しホッとしながら続ける。
「何処に行くの?」
「もうすぐだ。行けば分かる」
答えになっていない答え。しかしレイはそれ以上口を開こうとしない。ソウマは黙々とレイの後ろを追い続ける。
そして、その宣言通りレイが言ったであろう目的地に着いたのはそれからすぐであった。
しかしソウマは不思議そうな顔をして目をパチクリさせる。
ソウマの目の前には広場が広がっていた。しかしここにこのような広場はなかったはずなのである。
ソウマは毎朝、ウォーミングアップとして森中を走り回っている。ここも昨日通ったばかりであるがこのような場所は存在しなかった。
「どうしてこんなところに広場が……」
「作ろうと思えばすぐにでも作れる。木を切り倒して根っこを引っ張り上げればいいだけだからな」
簡単に言うけど無理だろ、とソウマは思う。
確かに木を切り倒すだけならソウマにもできる。しかし目の前の光景はそれでは説明がつかないのだ。
木を切り倒して根っこを引き抜き、荒れた地面を整地させたのなら分かる。
しかし目の前に広がっているのは最初からその光景だったかのように辺りに草が生えているのだ。たった一晩で完成させることのできる光景では決して無い。
「さ、ここまで来たらやる事は分かるな?」
「いや、分かりません」
冗談だ。実は薄っすらソウマも気づいている。
「今からやるのは、私との模擬戦だ」
「……無理です」
「……何だ、今の間は?」
「いやだって、唐突すぎるでしょ!?」
事前に何の連絡もなし。実質抜き打ちのようなものである。
ソウマも強くなったが未だレイに辿り着いたとは口が裂けても言えないということがわかっていた。
「だって今言ったからな」
「いや、そう言うことじゃなくて!」
マイペースなレイにソウマは慣れつつあるが未だに分からない時がある。
「もちろん、ハンデはつけてやる」
「……どんな?」
「私に一当てでもできたら、お前の勝ちだ」
「………」
「それに加えて私は身体強化しか使わない制限もつけてやる」
「……本当に?」
かなりのハンデである。レイ以外の相手ならばその条件を聞いた瞬間舐めているのかと怒るだろうが、あのレイである。
フレアと初めて会った際に結界の外を出てしまった時のこと、レイに助けられた時のあの膨大な魔力は今でも忘れられない。
あの時よりさらに数倍にまで多くなったソウマの現時点での魔力量をもってしてもあの時のレイな魔法を再現できるとは思えない。
それを軽々と放つレイである。
しかし今回はその魔法を使わないというハンデがつく。それならいけるかも、ソウマはそう思い、なら受けてもいいかな、と考える。
それでも勝つ事は難しいだろうが不可能から可能な範囲まで落とすことができたのは大きい。
「それなら大丈夫かな」
「よし、ならさっさと位置につけ」
「分かった……ここで良い?」
ソウマが移動したのはレイから三十歩ほど離れたところである。
「あ、そういえば武器どうしよう……」
「これを使え」
レイが徐に右手側に手を伸ばす。するとまるで宙に飲み込まれたかのように彼女の腕が消える。
その異様とも言える光景はソウマもそこそこ見慣れているので今更反応しない。その光景を初めて見たときはソウマの喉から変な声が出てレイは爆笑したものである。
レイが宙から取り出したのはソウマの愛用している剣である。成長に合わせて一昨年ほどにマンスの店で新しい剣を購入したのだ。
レイはそれをソウマに投げ渡す。
くるくると回転しながら迫ってくるそれをソウマは危なげなく受け取る。
「ありがと」
「礼はいい。……この石を投げて地面に落ちたら開始だ」
「その前にいい?」
「なんだ?」
「なんでこの模擬戦をしようと思ったの?」
「ただの餞別のつもりだ。あまり本格的な模擬戦はしてやれなかったからな。私からの最後の指導だと思え」
「…….分かったよ」
その言葉を最後にソウマは剣を正眼に構える。基礎的な構えではあるが基本であるが故にソウマの性には一番合っていた。
レイが上空に小石を投げる。
小石が到達点にまで達し、対空した後、落ちてくる。ソウマはレイを目の前にして横目でそれを捉えながら手に汗を握る。
ーーー小石が地面に落ちる。
その瞬間ソウマは小手調べとばかりに下級の魔法球を数個レイへと放つ。
しかしソウマの目の前には既にレイの足が迫っていた。
「舐めれたものだ」
「ガッッ!!」
ソウマが蹴り飛ばされズザザッ、と地面を転がる。
今の動きをソウマは捉えることができなかった。
「(想像以上に、早すぎるっ!)」
「身体強化だけだとて、私はそんなに甘くはないぞ。言っただろう。本格的にやる、と。死ぬ気でこい」
「ふんっ!」
ソウマは体のバネだけで跳ね起きレイに向かって手をかざす。
「『火炎球』!」
特大の火の玉をレイに飛ばす。が、レイは軽々とそれを避ける。
勿論ソウマはそれを見越していた。
「『火炎球』『火炎球』『火炎球』『火炎球』『火炎球』」
燃えやすい草木があるにも関わらず辺り一面に特大の火の玉を飛ばす。レイではなくその周囲を埋めるように着弾させ爆発させる。
「おー、考えるなぁ」
「一当てで勝ちなんだよね? ならこれで終いだよっ!」
レイの周囲は火の海となる。ソウマはこれを狙っていた。本当ならこんな環境破壊まがいのことをするのは気がひけるが相手はレイだ。初手のあれは我ながらどうかしてたと思うがそれでどうにかなる相手ではないことはソウマは十分知っている。
ソウマは炎の槍を数本レイに向けて放つ。
真っ直ぐではない、それぞれ違う軌道を取りながらレイへと向かう。
「むっ、フンッ!」
レイは右足を後ろに下げて、思いっきり空を蹴る。
「ハアッ?!」
思わず素っ頓狂な声がソウマから上がる。
幾ら何でも、ただの蹴り一振りでレイの前方の火の海、そして炎の槍を打ち消されるとは思はない。
しかもただの風圧である。
「気を抜くな」
「ぐえっ!」
レイの膝蹴りがソウマの顎に入る。
ソウマは二度目の後退をしてしまう。
「イったい!!」
「やるようにはなったと思うが、少々単調にすぎるな」
「ぐっ! まだまだこれからだよ!」
ソウマは顔を険しくさせそう啖呵を切る。
「『合わせ鏡』」
ソウマは人蹴りでレイから距離を取り八枚の鏡を左右に展開する。
鏡の一つ一つにソウマの姿が映し出される。
鏡はあらゆるモノの姿を映し出す。まるでその向こうにはもう一つの現実があるかのように。
鏡からもう一人のソウマが出てくる。
一枚につきソウマが一人。合計で九人のソウマがその場に揃う。
この魔法の優れているところは術者の行動をそのまま模倣すること。そして分身の一人ずつが術者と同じスペックを持っていること。
『行くよ! 合体魔法!』
『合体魔法』とは複数人で行われる混合魔法のこと。同じ属性の同じ魔法が使われればその威力は桁違いに跳ね上がる。
本来は長年連れ添った息の合う熟練しかできないこの魔法。その技術をこの魔法と併用して使えばその難易度は無きに等しくなる。
『太陽炎!』
下級の火魔法『ファイヤーボール』。その超級魔法まで昇華された超魔法の『太陽炎』。
周りの木々を焦がし、炭に変えつつレイへと着弾する。
「ハァ、ハァ……」
彼の才能はとどまるところを知らず、この数年間で彼は魔法士の一つの頂点である『超級魔法』を会得するまでに至っていた。
「素直に感心する。その歳で『魔導師』にまで上り詰めることは生半可なことじゃない。だが今の状況でそれはいかん」
「分かってる、よっ!」
レイの声が聞こえてきたのはソウマの前方ではなく後ろ。声の位置からして背後を取られている。
しかしソウマもその程度は予測している。今の魔法は確かにソウマの扱える魔法の中で最も等級が高く、なおかつ『鏡』によって威力を跳ね上げさせた彼の最強魔法である。しかしこの魔法は放ってからのスピードが遅かった。それをカバーするほどの範囲を誇るものではあるがそれが通用するとはソウマも思っていない。
ソウマが後方に振り切った剣をレイは造作もなく避ける。
「たぁっ!!」
そのまま間合いを詰めレイに切りつける。ソウマの動き一つ一つが的確に急所を狙っており時折虚実を交えながらレイに迫る。
しかしレイも余裕をもってそれらを交わす。
そしてレイは一瞬、そっとソウマの剣の柄に手を添える。
ソウマの剣の流れが乱れ、ソウマは思わずバランスを崩す。
その隙を見逃すほどレイは甘くない。
そして迫るレイの拳を今のソウマは避ける術を持たない。
とてつもなく重い拳がソウマの腹に叩き込まれ大きく吹き飛ばされる。
模擬戦が始まって未だ数分。
ソウマは既に疲労困憊となっていた。
「いつつ……強すぎるでしょ」
ソウマは思わず体の痛みに呻きを喉から溢れさせる。レイに敵うとは思っていない。それでもやはり、その差を痛感させられるような今の流れに心が折れかけていた。
「僕も強くなったはずなんだけどなぁ……」
ザッザッという足音が地面から伝わってソウマの耳に届く。
足音が止んだ。
今のレイの気配ならばソウマにも感じ取れる。足を止めたということはソウマに僅かながらの時間を与えてくれたのだろう。
ソウマは傍に落ちている愛用の剣を拾う。
そして剣を杖にしながら立ち上がる。足が震えているが動きに支障が出るほどではない。動いていれば気にならなくなるだろう、と思いながらレイに向かって構える。
「ふむ、まだ立てるか」
レイの声がソウマの耳朶を打つ。
「まあ、あれだけの啖呵を切ったんだ。それぐらい、やってもらわないとなっ!」
レイの姿が霞む。
途端、ソウマは背筋に悪寒が走りとっさに剣を前に構える。
ソウマが剣を前に構えた瞬間、レイの足が彼の剣を捉えた。
ガンッ! という音と共に腕に痺れが走り、吹き飛ばされる。
受け止めれたからか今度は倒れることなく体勢を崩すことはなかった。
まぐれであろうがレイの攻撃を一手、凌いだのだ。
ソウマは昂ぶる胸を押さえながら魔法を発動させる。
「『太陽炎』!」
地面を融解させながら突き進んでいく。先ほどよりサイズが小さくなった分、速度は上がる。
迫る炎をレイは上方へと跳躍することで躱す。
「ほう、まだそれだけの魔力が残っていたか!」
「空中じゃ、避けれないでしょ! 数撃ちゃ当たれ! 乱れ打ち!」
数多な属性の魔法をソウマは一点ではなく広範囲にわたって散らばるように放つ。
その攻撃に、レイは拳を構えることで答える。
「その程度は、脅威にすらならんと言っているっ!」
レイが拳を振り切った瞬間まるで何かを叩くような轟音が辺りに響く。ソウマは思わずそのあたりに鳴り響く轟音に目を瞑ってしまう。
ソウマは恐る恐る目を開ける。
目の前にはレイが変わらず健在、魔法は跡形もなく消え去っていた。
「ま、まさか今のって、拳圧っ?!」
思わず声を上げるソウマ。
先ほどのように火のような気体だけではない。ソウマが放った魔法の中には水属性や土属性の質量を持つ魔法もあったのだ。
それが只の拳の一振りで一蹴される。
ソウマは今ので確信する。例え魔法士の一つの到達点である『魔導師』に至った今の彼でもレイの足元にも及ばないということを。
「その通りだ。で如何様にする? ソウマ君。降参か?」
ソウマはキッとレイのことを睨み剣を構える。
内心はもうほとんど心が折れかけていた。ここまでの差を見せつけられ、更にはレイの手の内をほとんど明かせなかったのだ。
しかしその時レイの表情に僅かながらの変化が起こる。普段は表情豊かなレイであるがこの模擬戦が始まってから驚くほどに表情の変化が無かったのだ。
しかし頭でどう攻めるか思考を巡らしているソウマは気づかない。
レイは今、確かに微笑んだ。
「では、次はこちらから行くぞ」
「来い! 次こそは当ててやる!」
レイが腰を落とし、構えて、消える。
そして次の瞬間、ソウマの視界は暗転した。
ソウマが意識を落とす寸前に頭の中で浮かんだこと。
それは全くレイに対して歯が立たなかったこと。そしてもう一つ、素晴らしい師に師事出来たことへの誇らしさだった。
☆★☆
「……さすがに耐えきれんかったか」
今の一撃で倒れ伏したソウマを見てレイがそう呟く。
しかしその顔には失望などの感情は欠片も浮かんでいない。むしろその逆、とても温かい目で彼を見つめていた。
「よいしょっと」
倒れたソウマを担ぎ、自宅へと向かう。
レイは肩にかかる重みを実感しながら彼の成長を感じ取る。
「大きくなったな、本当に……」
万感の思いが込められたその一言は彼を育ててきた今までの歩みを想起させる。
この十数年間はここ近年でレイの中で最も充実した時間だったのは間違いなかった。
今回の模擬戦。ぶっちゃけてしまえば元々する予定のないものであった。
しかし今日がこの屋敷に滞在する最後の日になるであろうことを思ったら、レイはつい今のソウマがどれだけ出来るのかを知りたくなってしまったのだ。
結果はソウマの惨敗。
しかしレイは満足している。ソウマはここまで強くなったのだ。嬉しくないはずもない。
「フレアに怒られるかもな。ま、それはそれでいいか」
レイはソウマの体を労わりながらゆっくりとした足取りで自宅へと向かっていた。
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