蠱毒の猛威
「あははは! たっのしいぃーーー!」
フレアは爆走(という名の飛行)を続ける。ソウマは徐々に遠ざかって行く結界を遠い目をして眺めながら徐々に冷静さを取り戻す。
「ねぇ。フレアちゃん」
「何よ。ってか、ちゃんはやめて。何なら呼び捨てでいいわ」
「じゃあフレア。何で外に出たの? 魔物しかいないよ?」
「だから出たんじゃない」
「いや、何で? 精霊と魔物って基本相互不干渉なんじゃなかったっけ?」
「ふうん。よく知ってるじゃない」
「子供のくせに」とその後に続く言葉にソウマは、お前に言われたくない、と心の中で呟く。絶対言わないが。
今彼女から離れてしまったらソウマは一分も生きられない。
「精霊や魔物だって貴方達ヒトと同じよ。精霊を見たら襲ってくる魔物もいれば魔物を見たら退治しようとする精霊だっている。基本が相互不干渉なだけ」
それを聞いてソウマは「それもそうだな」と納得する。
「え、じゃあフレアは魔物を見たらすぐに襲っちゃうタイプ?」
「別にそうでもないわよ。今日は貴方が私の実力を疑ってるっていうから特別に私の力を見せてあげるだけ」
フレアは結界が見えなくなった程のところで速度を緩めソウマを地面に落とし、歩き始める。
「それにここ、秘境でしょ? どこの秘境かわからないけど、中々に魔力の濃いところね。ていうかこんなところに人が住んでるとは思わなかったわ」
「僕だけが住んでるんじゃないよ。僕は師匠の家に住んでいるんだ」
「奇妙な師匠ね」
「そこには同意する」
和やかな会話が進む。このような芸当をこの場所で可能なのはフレアがここにいるから。普段通りに返せているように見えるがソウマの内心はガクブルだった。
足元をよく見れば彼の足が震えていることがわかる。
「ね、ねえ。帰らない? 本当にお願いだから…」
「何よ? 意気地がないわね。もう外に出たんだからいいじゃない。それにわざわざ連れ出したんだからあんたの身ぐらいは守ったげるわよ」
それを聞いてソウマは安心する。いや、心の底からは安心しきれない。ソウマは夢を見る少年だ。冒険者になり英雄と呼ばれたい。その出自を除けば彼は何処にでもいる男の子だ。
しかし彼はしっかり分を弁えている。彼の思い出すのは数年前。レイに魔法の等級の説明を受けるため“外”に連れ出された時、初めて魔物を見た。
その時は魔力を扱うことはできてもその腕はまだ未熟だった。しかしこの島の魔物を前にした時、彼は恐怖した、死を覚悟した。
生物としての圧倒的上位者。レイが簡単にあしらったとかは関係ない。その時のことは彼の心にトラウマとして染み付いていた。
「……もう知らないからね」
ソウマは何処か投げやりにそう言う。
彼は既にヤケになっていた。レイがこの状況を把握していないとは思えないがずいぶん結界から離れた。
それに万が一もある。決して安心しきれない。
「お! あれなんかいいじゃない!」
フレアが何か獲物を見つけたようだ。フレアの見つめる方向にソウマも目を向けるが何も見えない。
「ねえ、何処にいるの?」
「ん? ああ、あんたじゃ分からないわ。じゃ、ちょっとこっちに来させるようにしますかね」
フレアは自らの周囲に自分の背丈ほどの大きさを持つ巨大な炎の槍を三つ展開させ、放つ。
「いきなりぃ!」
「ほら、こっち来たわよ!」
「グロアァァァァァァァ!!!」
地鳴りのなるような足音を響かせ彼らの前に姿を現したのは巨大な熊の魔物である。
何故か目の前の熊の魔物は血管を浮き上がらせんばかりに怒り狂っていた。
「なんか凄い怒ってるんだけど!」
「んー、直撃でもしたかしらね? けど、丁度いいわ! こいつ、ここら辺でもかなりの上位の魔物みたいだしね! 私の力を見せるにふさわしい相手よ!」
目の前の熊とフレア、両者ともソウマよりも圧倒的格上である。しかし彼女の言う通りこの両者を比べたらフレアに分がある。
しかし彼女はひとつ間違いをしていた。
ソウマは慌ててそれを指摘しようとする。
「ふ、フレア!その魔物はーー「私の炎を喰らいなさい!!」」
ソウマの声はあえなくフレアの魔法の放つ爆音によってかき消されることになる。
「ん、何か言った?」
しかし全く届いてなかったわけではないようで魔法を放つ手を止めずにこちらに顔だけを向けてきた。
「その魔物はこの島で上位の魔物じゃない!」
フレアはどう言うことだとばかりに片眉をあげる。目の前の魔物は彼女がこれまで見て来た中でも明らかにトップクラスに位置する力を持っている。
「どういうこと?」
「前に師匠に魔法を教えてもらった時、実際に魔物に使って教えてもらったんだ! その時の魔物も今の魔物と同じくらいの力を持っていた」
それは勿論蜘蛛の魔物のことである。
彼は以前、ふと気になってあることをレイに聞いたのだ。
『あの時の蜘蛛の魔物はこの島でどのくらい強いの』と。
その時、レイはこう言った。『あれはこの島でも最下位の魔物だ』と。
彼は信じることができなかった。それだけその時の恐怖は拭いがたいものであり彼の心に恐怖として残っていたのだ。
ソウマはそのことをフレアに説明する。
しかしこの島の常識は他の場所にとっては非常識なことである。
「は? そんなこと有り得るはずないじゃない。こんな強いのよ。それが最下位だなんて……」
案の定、フレアは信じられないと言う顔をする。
本当ならそんなわけないと一蹴したいのだろうがソウマのあまりの必死さに首を傾げ、放ち続けていた魔法の手を一瞬止めてしまう。
その時に、“それ”が現れた。
フレアの体がその巨体により生まれた影に覆われる。彼女が認識できたのは大きな影が自分に覆いかぶさったことと新たな魔力反応が後ろに出現したこと。
今まで戦っていた魔物。今や手負いになったそいつは新たに現れた“乱入者”によって齧り付かれていた。
「グギャアァァァァァァァ!! ァァァ……」
「……は?」
フレアは何か起こったかも分からず間の抜けたような声を上げながら振り返る。
しかしその声もソウマの元には届かない。魔物の断末魔で消されたからだ。しかし今はその死ぬ間際の断末魔も彼の耳を右から左に通り過ぎるだけ。
ソウマはその光景を数秒、理解できなかった。そして理解した後、心で「ああ、これが」と納得する。
ーーこれが蠱毒か。
熊の姿をした魔物を喰らったのは鰐の魔物。しかしその体高もまるで壁のように高い。フレアからは全貌を把握できず首元がまるで壁のようにしか見えていないだろう。
もしかしたら今まで戦っていた敵よりも遥か格上の敵が現れたことに愕然としているのかもしれない。
フレアからは見えない。
しかしそこから少し離れたところにいるソウマからその異常とも言える光景を見ることができた。
その魔物は今までフレアが戦っていた魔物よりも遥か格上である。
しかしそれと戦うことはない。
その魔物に本来あったであろう四本足、しかしその足は今、前足の二本しか存在していない。
その鰐には体の後ろ半分が存在していなかった。
走っている時に血を流し切ってしまったのだろうか。地もほとんど吹き出すこともなくおどろおどろしい傷口を外気にさらしている。
勢いよくフレアと戦っていた魔物を喰らったのはただ獲物を捕食するのではなく、どうにかして生にしがみつこうとした結果かもしれない。
そしてこの惨状もまた生存競争によって生まれた結果ならば。
その先を考える間も無く未だ呆けているフレアの手を掴みソウマは走り出す。
「な、何よ…どうなっているのよ……」
「これがこの島だよ! 早く逃げよう! ここは危なすぎる!」
「な、何で……?」
ソウマはまだその状況を把握しきれないフレアにやきもきしながら叫ぶように言った。
「あの魔物が戦いから逃げて来たのなら、あれよりも強い奴が近くにいるんだよ!」
「……!」
最早言葉にならないフレア。その瞳には主に戸惑い、そして怯えと恐怖が混じっているように感じられた。フレアもようやく足を動かしだし走り出す。
その時バキバキという音がその耳に届く。
そのでかい体躯で森をかき分けるようにその場に姿を現したのは石のような肌の色をした巨人。その片手には巨大な棍棒が握られている。
その巨大な一つ目はまっすぐ事切れた鰐を見つめている。まだこちらには気づいていないらしい。
ソウマは荒い息を沈めるように息を潜めながら近くの木の陰に隠れる。フレアはブツブツと何かを呟いている。あまりの自体に錯乱しているようだ。
「う、嘘。何であんなレベルがこんなところにいるのよ。しかも手負いで、あんなの私でも勝てないわよ。しかもその後に出て来た巨人は何? どうなってるのよ」
「それが、この島だよ。あんなレベルでも一切気をぬくことはできない」
「そ、そんなの……信じられるわけ」
唐突に途切れたフレアの声。ソウマは訝しげに彼女の方を見やる。
しかし、フレアの瞳がとらえるのはソウマではなく、その後ろ。
ソウマは恐る恐る後ろを振り返り、そして見上げた。
ヒトの背よりも大きな一つ目がこちらをじーっと覗いていた。
二人はどちらからともなく手を掴みがむしゃらに走り出した。
その二人を追うように背後で地鳴りとともに雄叫びが辺りに轟く。
「もう嫌もう嫌もう嫌!」
「そんなことより、飛ぶことはできないの?! このままじゃ逃げきれない!」
「その手があったわ!」
フレアはソウマの手を掴み飛び上がる。
フレアは全速力で飛行する。
「あの巨人の手の届かない上空とかには飛べないの?!」
「無理よ! 空を見て!」
ソウマはそう言われて空を見上げる。
「うげっ!」
そこには体長がソウマの数倍はある怪鳥が飛んでいた。こちらに気づいている様子はないがもし空へと飛んでしまえば発見され、たちまち食われてしまうだろう。
その時フレアの背筋に悪寒が走った。
後ろで発生する濃密な魔力が収束する気配。精霊でないソウマも一瞬でわかるほどの魔力。
ソウマは後ろの追いかけてくる一つ目の巨人を見やる。巨人の一つ目に集約されていく光。それが今にも放たれんとしている。
「ギリギリか!」
「そのまま飛び続けて!」とソウマが叫び、フレアが「分かった!」と飛ぶ速度を最大限に維持しつつ返事を返す。
ガクンガクンと空中で揺さぶられながらソウマも魔法の放つ準備をする。
「『鏡よ鏡、其方は万物を反射する』」
彼が持つ特殊属性『鏡』、この数年で彼はいくつかの魔法を習得していた。
「『鏡の反射』!」
詠唱が完了すると同時に巨人の一つ目から膨大な魔力と熱のこもったビームが発射される。
ソウマが使った魔法は鏡属性の魔法の中でも基礎のもの。鏡が司る権能のうちの一つ『反射』の魔法。
その名の通りあらゆる攻撃を跳ね返す魔法である。しかしなんでも跳ね返せると言うわけではない。威力によって跳ね返すために消費する魔力の量が変わってくる。今の光線を跳ね返すための魔力量はソウマにはない。しかし軌道を逸らすだけなら今のソウマにも可能となる。
「よしっ!」
あらぬ方向へ飛んだ光線が着弾。爆音と共に身が焦げるような熱風が辺りに襲いかかる。
ソウマは身を捩ってその熱から逃れようとするが、フレアに手を掴まれながら空中に身がある時点でそれも叶わない。
巨人と火の大精霊たるフレアはこの熱風に眉ひとつ動かしていない。
「やるじゃない!」
「役立たずは嫌なんでね!」
「そうね! ところでこれってどこへ行けばいいのかしら?!」
「はっ?」
フレアから飛び出してきた思わぬ言葉にソウマは気の抜けた声が出た。てっきりソウマは外に出た時と同じように結界の方へ向かっていると思っていた。
「け、結界の方に! さっきの結界のところに戻って!」
「そっちでいいのね? って、危ないぃぃぃっ!」
フレア達のすぐ横に勢いよく巨人の棍棒が振り下ろされる。地面が割れ、隆起する。もし仮に地面に足をつけて走っていたら今ので転んでしまいお陀仏になっていただろう。
ソウマは目の前に棍棒が通り過ぎて前髪がいくつか持っていかれる。
「あっあわっ、あわわっ!!」
「何変な声出してるのよっ!」
「怖いものは怖いんだよっ!!」
涙が風に持っていかれる。ソウマはもう泣いていた。号泣である。
フレアの飛行によって身体はぐわんぐわんと揺さぶられ、後ろには一つ目の巨人。連続でビームを放ってこないのはありがたいが棍棒を振るいながら追ってきているのでブンブンと風を切る音が耳に届く。
ソウマの心はもう限界だった。
「もうっ! 助けてよっ! レイーーーっ!!!」
突如フレア達の背後で爆発が起こる。
舞う土ぼこりでソウマ達は思わず目を瞑る。
しかしその声は耳に届いていた。
「全く、呼ぶのが遅いぞ。馬鹿者め」
★☆★
そこら一帯、先ほどまで森だったのが見る影もなく地面がむき出しとなっている。
その中心には地面に降り立ったレイと未だ呆然としているソウマとフレアがいた。
「レ、レイ〜〜〜っ!」
「そう泣くな。よくやったなソウマ君」
泣きながら抱きついてくるソウマ。
普段ならこんなことはしないのだが今回余りにもあんまりな目にあったからか年相応の甘え具合を見せていた。
「あ、あなたは……」
「どうも、この子の師匠をしているレイという」
フレアは反射的に「わ、私はフレアです」と名乗り返す。ソウマとは打って変わっての態度である。
「グスッ……いつ気づいたの?」
「最初からだ。精霊の気配を感じたから、君に引き合せようとしたんだが、まさか結界を破られるとは思わなくてな。だが丁度いい機会だからずっと観察していたのだ」
レイとしても結界が破られるとは思っていなかった。レイの張る結界は外からの攻撃にはめっぽう強いが中からの攻撃には比較的脆い。
それでもフレア程度のレベルであればいけると踏んでいたのだが彼女の力が思っていたよりも高く、結果破られてしまった。
ひとえに彼女の慢心により起こった結果である。
「なんですぐに助けてくれなかったのさ……」
「興味があった。今の時点で君が外でどういう対処を取るのかがな」
むすっと膨れてソウマは黙り込んだ。
「それにしても、驚いた。思った以上に強くてびっくりした。破られるとは思っていなかったからな」
「それは…どうも……」
フレアとしては心中複雑である。
今まで下に見ていた少年の師匠が自分よりも遥か格上というあり得ない力を持つ魔物を一蹴したのである。
そこに来てのこの言葉。彼女が素直に喜べる筈もなかった。
「さ、とりあえずフレアとやらもうちに来い。歓迎してやるぞ」
そう言って有無を言わせずその場から三人はレイの屋敷へと転移した。
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