第一話 運命に導かれし楽曲 Ⅰ
ゴールデンウィーク直前の金曜日。俺は久しぶりにプレストを訪れていた。
「いやあ、演奏を聞きに来いと呼びつけられたのはいいんですが、まさかその後すっかり音沙汰が無くなるとは思いませんでしたねえ」
「……すいません」
入店早々、マスターはちくちくと嫌味を言ってきた。勧誘活動に必死だったので、のんびりお茶をする時間も無かったのだということを察して欲しい。
俺は先日の校長室での一幕を説明した。廃部を免れたことや、次の目標がコンクール地区大会の突破であることを伝えると、マスターはカップを磨く手を止めて俺の目を見つめる。
「結果的に活動が続けられるなら良かったですけどね。もし『ダメでした』と報告されたら、危うくあなたを出入り禁止にするところでしたよ」
「なんでそこまでするんですか」
今日も今日とて客は俺一人だ。昼休みに学校を抜けてきたのだが、ランチ営業中とは思えない静けさである。貴重な客をそう簡単に出禁にしていいのだろうか。
立夏が近づき、日中は汗ばむ陽気である。俺はストローでアイスコーヒーを吸いながら、マスターの背後の壁に貼られたメニューを眺める。たいして食欲は無いが、少しでも売上に貢献しようと思いホットサンドを注文した。
「ところで、一年生は今回の件を知って入部してくれたんですか?」
食パンの耳をカットしながら、マスターが嫌なところをつついてくる。
「……いえ、新体制となった日に、いろいろ説明しました」
日向が亡くなってからの半年と、部の存続が懸っていたこの一ヶ月。その間にあったことや、俺の素性に至るまでの全てを、一年生だけでなく二年生にも開示した。幸運にも一年生は全員中学時代からの吹奏楽経験者であり、部活紹介や講堂でのコンサートを聞いて入部を決意してくれたようだ。俺の説明に戸惑いを見せたものの、受け入れてくれたのは非常に助かった。
「それ、場合によっては告知義務違反で退部されてもおかしくなかったのでは?」
「……あの、マスターって吹奏楽部のファンって言ってませんでしたっけ」
「そうですね」
「じゃあ陰湿な質問責めはやめてくださいよ!」
「そんなつもりはないですよ、ははは」
口と一緒に手も動かしている器用なマスターに、いつもの空笑いで流される。ハムとチーズの焼ける良い匂いがしてきた。
「実際、申し訳無いとは思いましたけど……。入部の都度、それぞれの生徒に説明するのは非効率ですし、説明して入部を取りやめられるのも怖かったので。勧誘期間中なら、簡単に他の部活へ鞍替えできますからね」
もっともらしく言ったが、結局いつかは説明するのだから、退部されるかどうかは賭けであった。
「お待たせしました」
目の前に、丸く白いプレートに乗ったホットサンドが現れる。
「いただきます」
早速かぶりつくと、焼けた小麦の香りが心地良く鼻を抜けた。後から追いかけてくるチーズのまろかやな風味が食欲をそそるし、厚めに切られたハムの塩気も絶妙だ。
「めちゃくちゃ美味しいです」
「それは良かった」
ほんのわずかな時間で調理器具を片付けたマスターは、再びカップを磨き始めた。この手際の良さや、店内の落ち着いた雰囲気。そして提供される品の味。どれも全く問題無いのに閑古鳥が鳴いているのは、立地と宣伝が問題なのだろう。
「三年生達の様子はどうなんですか?」
「相変わらず音楽しか興味無いっていう感じですけど、人並みの理性と常識の範疇で行動してくれていますよ。二年生のリーダーが間に入ってくれるおかげで、ぎこちないながらではありますけどなんとかやれてます」
「二年生……もしかして汐田先生の?」
「ええ。最初は一番厄介かと思いましたが、助かりますよ」
部の存続の決め手となったのは、美月が二年生を説得してくれたことである。彼女にとって萌波との一件は相当刺激になったらしく、時にはコミュニケーション能力の低い先輩達に発破をかけることすらあるので、人間の変わりようというのは侮れない。練習中に萌波とベタベタするのはやめてもらいたいが。
「ところで、入学式の日の演奏、どうでした?」
今さらではあるが質問すると、マスターの手元がピタリと止まる。
「そうですねえ……。なんだかとっても懐かしかったです」
その柔らかな微笑みから、嘘偽りなどは全く感じられない。
「ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しいです」
マスターがかつてのサウンドを知っているからこそ、懐かしいという形容詞は最高の褒め言葉に聞こえた。
「今後はどうされるつもりですか?」
「まずはコンクールの楽曲を決めないといけませんね……。昨年の定期演奏会が中止になってから、部員達はまともにステージに立ってないですから、なるべく舞台も経験させたいです」
「そうですか。もしコンサートなどが決まったら、また教えてください」
「ええ、もちろん」
あっという間にプレートの上は綺麗になった。そろそろお暇しようと、ポケットから財布を取り出す。
「あとは、あの方だけですね」
何気ないマスターの言葉に、小銭入れを探る俺の指が止まる。
「あの方?」
「狭川先生です」
「ああ……」
たしかに絵理子に関しては、いまだに冷戦状態というか、一向に雪解けの気配が無い。むしろ吹奏楽部の存続が決まってからというもの、会話すらしていない。時折、彼女は講堂に現れて練習の様子を窺っているのだが、ぼうっと眺めているだけなので不気味だ。俺よりもよっぽど不審者に見えるので正直言って扱いに困る。ヒステリックに敵対していた時の方が生き生きしていたように思うくらいだ。今の絵理子は、刃がついていない日本刀というか、弾切れの拳銃といった感じである。
「殺傷能力があるよりはいいんじゃないですか」
俺の喩えに対して、マスターは苦笑しながら指摘した。
「まあ、歩く銃刀法違反みたいな女ですからね」
「彼女がどうしてそうなってしまったのか、ご存知無いんですか?」
「知っていたら苦労しませんよ……」
少なくとも、俺が全国大会前に退部したことは恨まれているだろうが、どうもそれだけではないように思うのだ。
「ここにも、しばらく来ていないんですか?」
「ええ」
俺が出入りし始めたからだとしたら、なんだか申し訳無い。
「三年生の担任なら忙しいでしょうし、今はそっとしておいた方がいいかもしれませんね」
お代をレジに入れながら、マスターは寂しそうに言った。
「その代わり、あなたはたまには来て下さいね。ははは」
お釣りを渡す手に力が込められているので、笑顔の裏にも圧を感じてしまう。
「わ、わかりました。あはは……」
愛想笑いを返し、俺は店を後にする。
まずは、一刻も早く自由曲を決めなければならない。




