第十四話 審判 Ⅳ
妙に迫力がある渋川の声は、俺の高校時代と変わっていない。
「秋村君。一つ聞いてもいいか?」
「はい」
事態は好転したが、渋川が百パーセントこちらの味方だと決まった訳では無い。ここからはどう転んでもおかしくない状況である。
「もしコンクールに出るとしたら、編成を選ぶところから始まるんだよな?」
「……大か小か、という話なら、そうなりますね」
いまいち渋川が何を考えているのかわからないので、俺もなんとなく探り合うような言い方になってしまう。
「小編成だと、全国大会までは無いんだろう?」
「はい。支部大会――この県だと東海大会が最終です」
「大編成の上限は何人なんだ?」
「たしか、五十五名だったと思いますが」
「じゃあ、人数が多ければ有利ということかな」
雲行きが怪しくなってきたので、俺は即座に否定する。
「違います! 大編成の部は、人数の下限を設けてありません。 実際、これまで少人数でも全国大会へ出場した団体はあるんです」
「ほう。それじゃあ、秋村君としては何人以上いれば勝負になると思っているんだ?」
いきなり、あまりにも難解な質問が飛んできた。
「個々の実力、パート編成のバランス、そして選曲……。いろんな要素があるので一概には言えませんが……。それでも四十名以上いれば、サウンドの厚みはある程度確保できると思います」
曖昧な答えになってしまったが、致し方無い。この質問に正解なんて無いのだから。
「美月さん」
「……え!? はい!」
いまだに部屋に入ったところで突っ立っている美月は、まさか呼ばれるとは思っていなかったのかオーバーリアクションで答える。
「さっきの話は本当かな?」
「……あっ。本当です! 残りの二年生は私が説得しました!」
どの件かと逡巡した美月だが、すぐに思い至ると興奮気味に答えた。
「つまり、吹奏楽部全体の人数はこれで――」
「四十一人……」
俺の口から自然と解答が零れる。
「秋村君、そして狭川先生。君らの恩師――芳川先生にも、全盛期に同じ質問をしたことがあってね」
俺はつい絵理子と目を見合わせた。
「何ぶん私は音楽に関して素人だからね。どのくらいの人数がいれば全国大会に行けそうかな、と。芳川先生の答えは、さっきの秋村君とほとんど同じだったよ。『正解はありませんが、少なくとも四十人以上いればそれなりの音圧になるとは思います』ってね」
恩師がそんなことを言っていたとは、俺も絵理子も初耳だった。
「今回の条件を出す時に、その言葉を思い出したんだ。二十人獲得できれば、四十名には満たないが近い人数になるだろう?」
「そんな数合わせみたいなことをしても無意味です!」
大人しく聞いていた汐田が激昂する。
「一ヶ月前の彼らなら、そもそも数合わせすらできなかったじゃないか」
冷静な渋川の返答に、汐田は二の句を継げない。
「一人も部員が入らないだろうと、ここにいる誰もが思っていたんだ。でも、結果は違った。もし無理矢理廃部にすれば、三年生の部員は不登校か退学になってもおかしくない。それは学校としても非常にまずい」
隣にいる玲香は「その手があったか」みたいな顔をしている。大事な話の最中なので控えて欲しい。
「……生徒会長は、それでいいんですか?」
じわじわと退路を断たれていく汐田は、輝子に助けを求めた。この場に彼女が呼ばれたのは、部活を統括する生徒会の立場として、行く末を見届けることだったのだと思われる。輝子は一度俺に目を向けると、少しだけ息を吐いた。その目は、「仕方無いわね」と言っているようにしか見えない。
「吹奏楽部が問題集団であったことは事実ですが、秋村さんが面倒を見るようになってからトラブルは起こしていません。それに廃部となれば、せっかく新入生が提出してくれた入部届を破棄しなければなりません。部活動への参加を勧める生徒会長の立場としては、あまり執りたくない処置ですね」
淡々と答えた輝子の言葉で、汐田はついに追い詰められた。
もともと輝子も吹奏楽部を疎ましく思っていたはずだ。それにも関わらず、お昼の放送で執拗に部活への入部を斡旋していた生徒会長としての意見を優先させたのである。俺の心中で、生徒会へ上納品を献上することが確定した。
「……あの、パパ?」
恐る恐る声を出したのは美月である。
「お前は黙っていなさ――」
「今まで申し訳ありませんでした!」
張り上げられた謝罪の言葉は、室内に反響するほど大きかった。
「これからは真剣に取り組みます! だから許してください!」
小学生のような美月の反省の弁だけでは、この親子の間にどのような確執があるのか想像することは難しい。だが、こめかみを抑えながら小さくため息を吐いた汐田は「みっともないからやめなさい」と、静かに娘を窘めた。そして今度は俺へ視線を向け、物凄く大きなため息を吐く。敢えてやっているのかと疑うくらいわざとらしい。
そんな汐田を見ていると、なんだかトドメを刺したくなってきた。
「木梨楓花と日向の姉妹については、あなたも知っていますか」
不意にその名を告げると、汐田の目が大きく見開かれる。
「彼女達の願い――それは、この学校に『エメラルド』の音が戻ってくることです。あの部活紹介の演奏に少しでもその片鱗を感じていただけたなら、このまま活動を続けさせてください。必ず俺が復活させてみせます」
常にネガティブで後ろ向きな俺が、何故こんなにも強気な宣言ができたのか。状況をずっと見つめていた日向の存在がそうさせたのかもしれないし、吹奏楽部を肯定してくれた渋川や輝子の言葉から勇気をもらった可能性もある。だが最も大きいのは、俺自身がもっとこのバンドと一緒にいたいと思っていることだろう。
「……その二人の名前を出されては、仕方ありませんね」
少しだけ口調が柔らかくなった汐田は、観念したようにそう呟いた。
「わかりました。吹奏楽部の存続を認めましょう」
渋々といった感じではあるが、ついに汐田から念願の言葉が聞けた。
「やったあああ!!」
背後から駆け寄った美月が、玲香に抱きつく。普段は感情の起伏が少ない玲香も、今ばかりは美月を受け入れて笑っていた。そんな二人に対して、輝子は「私のお陰ね」みたいな目をしながら微笑む。絵理子はまだ硬い表情ではあるが、普段のヒステリックな刺々しさは隠れていた。日向は号泣している。楓花もかなり涙もろい奴だったが、やはり姉妹は似るらしい。
「秋村君、よかったね」
親戚の叔父さんのような気兼ねない雰囲気で渋川が声を掛けてくれた。
「ありがとうございます」
「あの部活紹介を聞いたときから、私の中では廃部という選択肢は無かったんだがね。ははは」
それなら先に言ってくれと思ったが、突っ込むのも無粋なので愛想笑いを返す。
「よし、じゃあ次のミッションだ」
「はい……ん?」
意味不明な単語が聞こえた。
「なんだ? そんな鳩がBB弾を食らったような顔をして」
「……」
「これでめでたしめでたし、となるとでも?」
渋川の言葉に、室内は再び緊張感に包まれる。
「……今度はなんですか?」
味方だと思っていた渋川から突然怪しいオーラが滲み出ている。
「そんなに警戒するな。目標があるからこそ努力できるというものだろう?」
それはたしかにそうかもしれないが、内容による。
「会長、ゴールデンウィーク明けの生徒総会の後で、各部活動への予算配分が決まるんだったな?」
「はい、その通りです」
「吹奏楽部が部活として存続するということは、いくら充てられるんだ?」
いきなり始まった金の話に、俺は置いてけぼりである。
「たしか昨年度は二十万円でしたね。ただ、前年度の大会実績等を元に決まるので、おそらく今年度はもっと少ないでしょうが」
そんなことまで覚えている輝子はさすがといったところだが、昨年のコンクールは地区大会で敗退しているしアンサンブルコンテストに至っては出場すらしていないので、大減俸となるかもしれない。存続が決まり安堵したのも束の間、いきなり世知辛い話である。
「秋村君。私は今やこの学校の経営責任者だ」
「そうですね」
「無駄な支出をするほど、余裕がある訳じゃないんだよ」
「そうですか」
「来週の総会で割り当てられた予算は使ってくれても構わないが、もし今年のコンクールも地区大会で終わるようなことがあれば、返金してもらう」
「……それは理解できます。もちろん従います」
弱小の部活にお金を回すくらいなら、別のところに使った方が良いに決まっている。とはいえ、そもそも今年の配分はたいした額じゃないだろうから、万が一返金する事態になってもさほど問題ではない。
そんなことを考えている俺から余裕を感じたのか、珍しく渋川は冷めた目をこちらへ向ける。
「今年に限った話ではないに決まっているだろう。もし成果が出なければ、向こう五年間は吹奏楽部への予算をゼロにするから、そのつもりでな」
「は!?」
「生徒会長、今の言葉を覚えておくように」
「もちろん!」
「なんで嬉しそうなんだよてめえ!」
「汐田先生、今回はこれで手打ちということで」
「……わかりました」
勝手に話が進んでいく。
「ちょっと待ってくださいよ! 他の部活だって低迷しているところはあるでしょう!?」
「やれやれ。皆まで言わせるな、秋村君。私は期待しているから言っているんだ。失望させないでくれよ」
正論過ぎて俺は何も言い返せない。
「もうこんな時間か。それでは解散としよう」
時刻は間もなく六時になろうとしている。渋川の声で、一同は部屋から出ていった。
釈然としない部分もあるが、今日で活動が終わるという最悪の事態を避けられたのは事実だ。
「コンクール……。少しでも上へ行きましょう」
廊下を歩く玲香は、早くも闘志を燃やしている。
玲香と美月は楽器を取りに行ったが、俺はそのまま講堂へ向かう。
扉を開けると、どんよりとした暗い空気が漂っていた。
「秋村さん!」
「どうだった!?」
優一と淑乃の声が重なった。縋るような視線を受けながら、俺は指揮台に立つ。
時計の針は、ちょうど六時を指した。
「……チューニングするか」
俺が呟くと一同はシンクロしたように固まり、静寂が生まれる。
「改めて、よろしく頼む」
さらに数秒間の沈黙。そして。
俺の言葉の意味を理解した部員達が、俺のもとへ殺到した。
「なんだなんだ!?」
「わかりづら過ぎるでしょうが!」
「こっちがどれだけ緊張していたと思っているんですか!」
「なんで今さらシャイになってんのよ」
「ちょっとむかついたので、いつも使ってる菜箸折りますね」
「おいやめろバカ!」
まるで収拾がつかない事態となってしまった。
「……あの、いったいこれはなんの騒ぎですか?」
合流した玲香と美月も呆然としている。
「見てないで助けてくれ!」
「どうせはっきり言わないで、無駄に格好つけたんでしょう。いい気味です」
「お前やっぱり容赦ねえな!」
ふと入口に目を遣ると、素敵なサウンドが流れ出すとは思えないこの変人達の集会の様子を、爆笑しながら日向が見ていた。
――新たな拠点と新たな部員を手にした吹奏楽部は、次のステージへと向かっていく。その始まりがこんな混沌の状況であることが、良くも悪くもこのバンドらしさなのかもしれない。




