第一話 運命に導かれし楽曲 Ⅱ
放課後の音楽室準備室で考え事をしていると、事前に連絡してあった数名の三年生が続々と現れ始めた。役員である玲香と優一、そして淑乃。それから、木管楽器と金管楽器のそれぞれのセクションリーダーである璃奈と芽衣。最後に、パーカッションのパートリーダーの紅葉である。誰一人としてノックもせず入室するのだが、それに関してはもう諦めた。
「なんでそんな苦悶の表情なんですか」
玲香が相変わらず冷たい声で問い掛ける。
「聞くまでもないだろ。ずっとこのメンツで話し合っているんだから」
俺の目の前には、何冊ものスコアが広がっている。部の存続が決まってからというもの、毎日のように自由曲の選考会を行っているのだが、難航しているのだ。
「でも、そろそろ決めないと本当にまずいんじゃ……」
弱々しく璃奈が発言するが、その通りである。
「この三日間、まともに絞ることすらできてないじゃん」
「淑乃が簡単な曲は嫌だって言うからだろ……」
水を差す淑乃と、即座に反応する優一。
「ねえ、そうやって無駄な喧嘩ばっかりしているから、時間だけが過ぎていくんじゃないの?」
「つまり、妥協しろってこと?」
おそらく三年生の中で最もまともな紅葉が軌道修正してくれたと思ったら、今度は芽衣が不穏な空気を醸し出す。
「あー、わかったわかった。とりあえずお前ら一回黙れ」
すぐに実力行使をしようとする三年生達のことだ。穏便な話し合いで解決すると思っていたのが間違いだった。
「まず、今度のコンクールは新入部員も含めて全員で大編成に出る。それに関して異論は無いな?」
力ずくで議題の整理を始めた俺の問いに、一同は不満そうにしつつも大人しく頷いた。
「じゃあ、次。課題曲は二番にする。これに関しては?」
全四曲ある課題曲の中で、部活紹介の楽曲と合わせて練習を始めたのは二番と四番だ。いずれもマーチである。二番は癖のないオーソドックスな曲で、演奏時間は三分を切る。四番はよりメロディックで派手だが、やたらトリオ(中間部)が長い。俺としては、二番を無難にこなす方が良いように思える。
「私は四番がいいけど……」
淑乃が呟いたが、賛同する者はいない。事ここに及んで、たった四曲から選ぶ課題曲に関して、単なる好みを言っている場合ではないことを皆わかっているのだろう。淑乃本人もその点は理解しているので、それ以上は何も言わなかった。
「よし、二番で決定な。次に全員が出演する場合の編成だ」
俺は新入生を追加して更新された部員名簿を取り出す。
「……奇跡的に、おおよそどの曲でも融通が利く」
嬉しい悲鳴とでも言えば良いのだろうか。そもそも三年生だけでも部活紹介でかつての課題曲が演奏できたこと自体、稀有なことだと思うのだが、後輩達のパートのバランスも全く問題が無かった。
つまり、俺が言った通りある程度の曲はできてしまう。だから会議が踊っているのだ。
「それでも、後輩達が今から練習をし始めることを考えると、あまりにも難易度が高い曲は無理だ。そういう曲をやる学校は、人数の暴力で聞かせるようなところも多いしな」
大編成の上限いっぱいに出演しても部員が余るような高校なら、むしろ競争が生まれるので良いのだろう。だが翡翠館は真逆だ。「できませんでした」では困るのだ。
「かと言って、むやみにグレードを下げるのはどうなの?」
芽衣が冷ややかに指摘する。さすが、部活紹介の楽曲に『深層の祭り』を提案するだけのことはある。ちなみにこの曲は、吹奏楽コンクールの課題曲史上、難易度の高さとしては間違いなく五本の指に入るほどの難曲である。不良ギャルの見た目からは到底想像もつかないが、マゾヒストなのか?
「殺されたいの?」
「何も言ってねえだろ!」
こんなの会議じゃなくて軍議だ。それも戦国時代の。
「……とにかく、このままじゃ埒が明かない」
俺は昨日夜更けまで考えあぐねて絞り出した結論を告げることにする。
「一番無難に仕上げられるとしたら、やっぱり『喜歌劇もの』だろう」
「まあ、そうでしょうね」
「賛成です」
あっさりと肯定したのは玲香と優一である。最も立場の高い二人がそう言うのだからこれで決定にしてもらいたいが、そう上手くはいかないのだろう。
「嫌。中学生じゃないんだから」
案の定、淑乃が顔を背けながら言い放った。
だが、さすがに俺も我慢の限界である。
「お前、いい加減にしないと軍法会議に掛けるぞ」
「は? どういうこと?」
「生徒指揮者を降りてもらう」
「……えっ」
あまりの厳罰に、他の部員達も唖然としている。
俺が提案した「喜歌劇もの」は、その名の通りオペラやミュージカルなどで使用される音楽のハイライトをコンサート用に編曲したものである。緩急のメリハリがはっきりしているし、メロディーもわかりやすい。コンサート用の楽曲ということは演奏時間が適度であるため不自然なカットをする必要も無いし、何より元になるストーリーがあるので全体的にイメージしやすい。
「実際、高校の部でもさんざん全国大会で演奏されているだろ」
最も有名なのは、やはり『トゥーランドット』だろうか。たしかにグレードの低い楽曲もそれなりに存在するため、淑乃が言うように中学校の自由曲が「喜歌劇もの」だらけになる場合もある。だが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
「どちらにせよ、レパートリーとして練習しておくに越したことはないんだ。だから、まずは『喜歌劇もの』から一曲選ぶことにする。これは決定だ」
コンクールまでの間に行われる最も大きなイベントは、六月に開催予定の合同演奏会である。コンクール地区大会に出場する近隣の中学校と高校が参加し、吹奏楽曲とポップスをそれぞれ披露する演奏会だ。かなり昔からの恒例行事らしく、もちろん学生時代の俺も毎年参加していた。コンクールの前月に開かれるというのは、どう考えても前哨戦なのでなんとも嫌らしい限りである。自由曲を演奏しても良いのだが、そんなバカ正直に他校へ情報開示するのはあまりに無策だ。たいていどの学校も本命以外の楽曲を持ち込むので、我が校としても少なくとも二曲は自由曲候補として取り組みたいところである。
「じゃあ、その『本命』は?」
先ほどの俺の言葉が堪えたのか、少し落ち込んだ様子の淑乃が発言すると、重たい沈黙が室内を支配した。
俺としても、高校卒業以後に発表された吹奏楽曲に関しては無知であった。十年分なのでなかなかの量だ。一ヶ月近くにわたり膨大な数の曲を聞いたのだが、卒業前から存在していた楽曲も含めると選択肢は無限にあり、より頭が痛くなったのだ。かつての恩師である芳川先生がどのように選曲していたのか、当時聞いてみれば良かったと後悔したところで今さらどうしようも無い。




