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エメラルド・サウンズは黎明に輝く  作者: 文月 薫
第二章 極星 ―― spiritoso
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第二話   忌まわしき過去 Ⅰ

 リードの『春の猟犬』は九分程度の曲である。しかし、俺の予想通り楽曲が最後まで演奏されることはなかった。

 俺が脱力するように指揮棒を下ろしたので、楽譜に齧りついていた奏者達はしばらく勝手に演奏を続けていた。なまじリズム感が人並み以上にあるせいで、指揮がなくても演奏できてしまうのだ。両手放しで自転車を漕ぐようなものか。

 俺の異変を最初に察したのは、パーカッションパートである。そして段々と様子がおかしいことに気づき始めた他の奏者も演奏をストップした。綺麗にフェードアウトしていったのは見事だが、そんな一芸が活かされることなど今後ありはしないだろう。

「……どうしたんですか?」

 不信感を隠そうともせず、玲香が暗い声で質問してくる。

「最初に言ったよな。頭を使えって。それを無視されたから指揮を止めた」

「どういうことですか? そもそも頭を使わないと演奏できないんだから、当たり前のことですよね」

「そういう意味じゃねえんだよ」

 やはり言葉では伝わらなかったようだ。

「この曲は誰のために演奏するんだ?」

 俺が質問すると、皆は困り顔で俯く。困っているのはこちらなのだが。

「……それは」

「新入生、です」

 口ごもった玲香の代わりに、優一が気まずそうに答えた。

「最初からそんなこと考えていなかったか? それとも、練習だからそこまで考えなくてもいいと思ったのか? まあ、いずれにせよ聞く側のことなんて一ミリも考慮してないよな。こんな『猟犬の葬式』みたいな演奏なんだから!」

 昨日の「迫り来る死!」もひどかったが、案の定こいつらの演奏は暗いとしか言いようが無かった。真っ暗闇の中で指揮棒を振っている感覚だったのだ。

「俺も面倒を見ると言ったからには見放すつもりは無いよ。ただ、お前らはなんのために音楽をやっているんだ? こんな演奏を全校の前で披露したら、本当にそれが最後になっちまうぞ」

 俺が哀愁たっぷりに訴えたが、誰も応答しない。「そんなの指揮者の仕事でしょう」と言い出す奴がいないかヒヤヒヤしたが、さすがにそこまで極まった思想を持つ者はいないようで、ほんの少しだけ安堵する。だが、やはりこのまま無為に練習を続けても不毛だ。

「昨日も言いましたよね。私達は、日向の言葉に従って音楽を続けているんです。なのに、周りのみんなはそれを邪魔するんですよ。もう、どうしたらいいかわかりません……」

 玲香が絞り出すように言った。部長の言葉は、皆の総意でもあるのだろう。

「秋村さん、去年のコンクールの演奏って聞きました?」

 不意に優一が発言した。

「あ、ああ。あれね……」

 なんとなくコメントに困ってしどろもどろな返答をすると、優一は思い詰めたような顔をする。

「やっぱり、そういう反応ですよね……」

 きっと、彼ら自身もあの演奏をろくでもない黒歴史だと思っているのだろう。

「僕らはあの演奏に納得がいかなかったんです。だからそれまで以上に練習をするようになりました。そんな僕達を取り纏めて、関係各所とも便宜を図ってくれたのが日向だったんですが……」

「――その日向がいなくなってしまった」

 優一の言葉を俺が引き継ぐと、何人かの部員が啜り泣き始めた。いよいよ本格的に葬式みたいだ。

「それでも、音楽を続けているのは君らの意思だ。日向にやらされている、と思いながら練習している者がいるなら、今すぐ出て行ってくれて構わない。日向はそんなこと望んでない」

「だから、あんたに日向の何がわかるのよ!」

 敢えてきつい言い方をすると、今度は淑乃が立ち上がって叫ぶ。

「一般論だ」

 冷静に返答した俺に対して、彼女は二の句が継げない。

「あくまで君らが本当に音楽をしたいと言うなら、日向に縛られ続けるのは終わりにしろ」

 そもそも日向自身は縛るつもりなど毛頭無いのだ。

「もういいです」

 静寂を破ったのは、玲香の震えた声だった。

「秋村さんみたいな、全国大会まで行けた輝かしい人に、私達のような底辺の気持ちがわかる訳無いんです」

 ……突っ込みどころが多過ぎて整理に時間がかかる。

「私達の面倒なんて、秋村さんには役不足なんでしょう! もし同情で引き受けてくれたなら、もう結構です!」

 勝手に盛り上がり始めた玲香を援護するように、他の部員も敵意剥き出しの視線を俺に向けている。どれだけ卑屈なんだ。

「……ちょっと待ってろ」

 俺は徐に指揮台を下り、困惑する部員達を尻目に第一音楽室へ向かった。あいつらを目覚めさせるには、俺の辿った末路を聞かせてやる他あるまい。

 壁にかかったコンクール写真の中から、全国大会出場時の額縁を外す。何か言いたげな日向に目もくれず、写真を小脇に抱えた俺は再び指揮台に上って一同を見渡した。

「お前らがどこまで把握しているか知らんが」

 譜面台の上に額縁を立て、俺はそのまま話し続ける。

「俺は全国大会に出ていない」

 ――耳鳴りがしそうなほどの痛い沈黙。

「……え、どういうこと?」

「でも、生徒指揮者だったんじゃないの?」

「たしかに……?」

 我に返ったように疑問を口にする部員達を見るに、どうやら「歴代最低の部員」に関する話はあまり内容が伝わっていないようである。日向は事情を知っていたが、楓花の妹だからかもしれない。

「俺はこの写真に写ってないんだよ。そりゃそうだ。出演していないんだから」

 確固たる物的証拠の前では部員達も事実として受け入れるしかないのだが、頭の上にはクエスチョンマークが浮かんでいる。

「興味は無いと思うが、どうしてそうなったか聞いてくれないか。いずれにせよ、もし今後指揮者としてお前達と付き合っていくのであれば、隠している方が失礼だしな」

 皆からの返事が無い。先ほど約束したばかりだというのに、薄情な奴らだ。

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