第一話 悪魔に翻弄される死神 Ⅲ
定刻の五分前には、全員揃っているようだった。
俺は昨日絵理子から渡された部員名簿を指揮台の上に広げた。申し訳程度に引かれた罫線が作る表の中に、パートと氏名が狭苦しく押し込められている。なんの飾り気も無いその部員名簿は、犯罪組織の幹部を纏めた捜査資料みたいな禍々しいオーラを放っている。高校の内側に限った話で言えばその表現も的外れではないだろう。犯罪組織というか革命勢力というか、とにかく物騒なのは確かだ。情熱の傾け方を間違えているだけだとしても、そんな連中にアンサンブルなどできるはずがない。
「おはよう」
指揮台の上に丸椅子を載せて腰掛けた俺が挨拶すると、日本語かどうかも怪しいぼそぼそとした声が返ってくる。
「……部長にはさっき言ったが、改めて今日からよろしく頼む」
「お願いします」
一同を代表して、目の前に座る玲香が返事をした。
「このミーティングが終わったら、部活紹介の出番について交渉してくる。もう時間が無いから、とにかく早く楽曲を決めて練習するつもりだ。みんなも、それでいいな」
俺の問い掛けに、部員達は曖昧に頷いた。
その態度に我慢ならなくなった俺は、目の前の木製の指揮台を叩いて立ち上がる。
「俺はこの状況をなんとかしたいって、昨日も言ったよな。その気持ちに偽りは無いよ。もし君らもそう思って俺を頼るのであれば、まず一つ約束して欲しい」
急に大きな音を出したせいか、皆は目を丸くしながら俺を見つめた。
「今後、俺は君らにたくさん指示を出すだろう。当たり前だ、指揮者なんだから。もちろん合奏以外でも様々な提案をするつもりだ。だから、理解をした時は返事をしてくれ。軍隊みたいに大声じゃなくてもいい。不服なら意見を言ってくれてもいい。それが君らの俺に対する意思表示なんだ」
一息で捲し立ててから、俺は再び椅子に座る。
「俺は指揮者であったにも関わらず、最終的に部を去った。それは奏者との信頼関係が築けなかったからだ。俺は君達を操り人形にしようなんて一ミリも考えてない。君らの意思も尊重したいということは、最初に伝えておくよ」
言いたいことを話し終えた俺は、軽く息を吐く。
「さて、じゃあ楽曲を決めていこうか」
そう議事を進めたは良いものの、どうやって候補を挙げていけば効率的なのか考えるのを忘れていた。やはり俺も議長とかそういうのは経験が無いので、偉そうなことを言ったそばから頼りない。
「……あの。一応みんなが挙げてくれた曲はここに纏めてみました」
見かねた玲香が、譜面台の上にあるクリアファイルをこちらへ手渡してきた。
「……ありがとう」
交際経験の無い三十代男女のお見合いのような気まずい雰囲気が漂う。ちらりと音楽準備室の扉を見ると、日向が白い目でこちらを見ていた。保護者みたいだ。
俺はわざとらしく咳払いをして、ファイルから一枚のルーズリーフを取り出す。そこにはずらりと楽曲名が羅列されていた。さすが、音楽にしか興味の無い部員達である。
――それは良いのだが。
「これ、ちゃんと真剣に考えたのか?」
「何よ。文句あるの?」
俺の言い方が失礼なのは百も承知だ。それに対し淑乃が噛みついてくることもわかる。とはいえ、このリストをなんの躊躇いも無く部長が渡してきたからこそ、正気を疑ってしまう。
そこに書かれていたのは、夏のコンクールでよく耳にする自由曲ばかりだった。それも、とんでもなくグレード(難易度)の高い大編成用の楽曲である。グレードはともかく、そもそも今の奏者の数で演奏しおおせる曲ではない。
「だって、これ……。『フェスティバル・ヴァリエーション』とか『宇宙の音楽』とか……」
「いいじゃん! かっこいいし!」
ちょうどこの楽曲を提出したのは淑乃だったみたいだ。
「ちなみに『ディオニソスの祭り』って、これ書いたの誰だ?」
「あ、自分です。中学の時にコンクールでやったので」
アルトサックスをストラップで吊っている、副部長の江坂優一が答えた。選曲理由を聞いて頭痛がしてくる。
「じゃあ『深層の祭り』を出したのは? こんな曲までよく知ってたな」
「あたしだけど」
ホルンを抱える若狭芽衣が飄々と答えた。制服のリボンをゆるゆるにつけておりギャルみたいな見た目のわりに、まるで対極の選曲である。
いちいち確認していくのが面倒になった俺は、そのままリストに目を走らせる。
「――まともな曲が一曲も無い!」
全ての曲を確認し終える前に、ついに俺は発狂した。
「は? まともな曲しかないでしょうが。作曲者を愚弄する気?」
淑乃がバカにしたような口調で反応する。
「この編成と、演奏する場所を考えろよ! 新入生を勧誘するのが目的だろ? 誰だよ『中国の不思議な役人』とか出してる奴。こんなの新入生が聞いたらドン引きだろ!」
敢えて俺が皆の前で口にした楽曲達は、もちろんどれも素晴らしい曲ではある。プロとか名の知れたアマチュアのように、頻繁に定期演奏会を行うようなバンドが演奏するならなんの問題も無い。だが、たかだか二十人かそこらの高校生が、恩情で与えられる部活紹介の時間に演奏する曲としては重過ぎる。
「お前ら中学校の時とか、給食の時間に放送委員がBGMをかけていなかったか? いただきますの瞬間にデスメタルがかかったら、食欲失せるだろ」
言うまでも無いが、デスメタルを否定している訳じゃない。TPOという奴だ。
俺のこれ以上ないほどわかりやすい説明にも、部員達は腑に落ちていない様子である。日向の方を見たら、両手を左右に広げて「は?」というポーズをしていた。四面楚歌とはこのことか。
「……じゃあ、現実的に演奏できそうな曲はどれなんだ? こんなヘビーな楽曲、一週間で仕上がる訳ねえだろ」
皆は近くの者同士でひそひそと話し始める。信じられないことに「それもそうだね」みたいな会話が聞こえたので目の前が真っ暗になった。本当に自分達がやりたい楽曲を挙げただけだと自白するようなものだ。
「あの、出演時間は何分くらいもらえるんでしょうか?」
玲香が今さらながらな質問をしてきた。
「そもそも予定に無いことだからな……。確保できても十分ってところじゃないか。俺も頑張って交渉してみるが」
「それなら、あんまり長い曲はできないか」
淑乃が残念そうに呟いたが、そんなことが問題なのではない。
「『春の猟犬』はどうでしょう? リストにもあったと思いますが」
玲香に言われてルーズリーフにもう一度視線を落とすと、たしかに記載があった。「吹奏楽の父」と呼ばれるアルフレッド・リードが作曲した偉大な名曲達の中の一つである。その名の通り、春の野を駆ける猟犬が明瞭にイメージされる、明るくてリズム感の良い楽曲だ。
「去年の文化祭でやったよね。まだ覚えてるし、吹けるよ」
「……入学式には似つかわしい曲じゃない?」
「じゃあ決定で」
「ちょっと待った!」
俺は急に共鳴し始めて好き勝手なことを言っている部員達を制した。
「……あくまで候補ということで、一回合奏してみよう。幸いその曲なら、この編成でもなんとかなるかもしれない」
そうは言ったものの、俺の中には確信めいた予感があった。
「みんな楽譜はあるよね? 秋村さん、今からでもいいですよ」
俺の事などお構い無しに淑乃が声を上げる。
「わかった。スコアを探してくるから、その間にチューニングしていてくれ」
俺はそう言い残し、音楽準備室を通過して第一音楽室へ向かう。
「演奏時間的にも、ちょうどいいんじゃない?」
一部始終を眺めていた日向が口を挟む。
「そう簡単に事が進めばいいんだがな」
「どういう意味?」
「お前も演奏を聞けばわかるよ」
「ふうん? あ、さっきのデスメタルがどうのって、あれ結局なんだったの?」
「うるさいな!」
作曲者順にソートされている棚の中から、目当てのスコアを探し出すことは容易であった。俺はさっさと指揮台に戻り、丸椅子を床に下ろす。
指揮台の右側に置かれたハーモニーディレクターと、後ろの棚の上のアンプの電源を入れ、B♭の音を鳴らす。すると、こちらが何も言わないでも、皆は一斉にチューニングを始めた。朝だというのに音程は完璧で、綺麗に倍音が聞こえてくる。
指揮棒を持った右手を挙げると、音が鳴りやんだ。
「インテンポでも大丈夫か?」
「問題ありません」
玲香が即答した。久しぶりに合奏するというのに、テンポを落とす必要は無いらしい。
「秋村さんこそ、そんないきなり指揮が振れるんですか?」
「俺の心配はいい。それより、お前らはとにかく頭を使って演奏しろ」
「……はあ」
魂が抜けた返事だ。
正直、俺も通しで最後まで指揮する自信は無い。これまで演奏をした経験が無い楽曲だからだ。
だが俺の予想では、きっとこの演奏は最後まで保たない。
メトロノームを楽譜の指示のテンポに合わせ、数回鳴らす。
「予備は二拍」
俺がそう言って指揮棒を構えると、一同も悠長に楽器を口元へ運ぶ。俺の右手が二回空を切った後、演奏が始まった。




