そして、赤いサヨナラを 「6」
誰も彼もに見捨てられた高級ホテルの厨房。
パーカーのフードを外し、腕まくりして、フェイは凝り固まっていた石鹸を水で無理矢理に叩き起こして入念に手を洗う。
まずは冷凍庫の中を漁り、比較的まともな状態で残っていた豚肉を引っ張り出す。次に、散乱している野菜の中からなるべく綺麗なものを拾い集めて丁寧に水洗いしていく。これだけあればまぁ作れるだろう、みたいな鼻息をひとつ。
改めてキッチンを物色し直し、フェイは棚から親しみ深い中華鍋や適当な調理器具とを集めてキッチンに広げていった。
あらかた準備を終えると、フェイは早速調理に取り掛かる。
水洗いを終えて光沢を放つ野菜が、フェイの包丁さばきによってあっという間に細切れに刻まれていく。
それは、少女がままごとをするような冗長なリズムではない。
敢えて例えるなら、まるで機関銃のような正確かつ超高速の小気味が良過ぎるリズム。
アニメでしか聞いたようなことのないような音を調理場に響かせ、フェイはプロ顔負けの手際の良さを披露する。
材料を切り終え、中華鍋に油を敷いて火を――というところで、フェイは懐からマッチを取り出す。
コンロが既に故障しているのは知っていたので、フェイは自らの感覚を発動させてコンロの上に炎の身体の猫を作り出した。
「ちょっと手伝ってネ」
ぼうぼうと燃え盛る猫は大きな欠伸を返事に、フェイの正面でくるりと丸くなる。
居眠りを始めた猫の火力は強火らしく、上に油を敷いた中華鍋を乗せるとすぐさま油が踊り跳ねる。
刻んだ野菜と細切れにした肉とをサッと中華鍋に放り込み、適当な調味料とを加えて一気に炒めていった。
『すげー……ホンモノの料理人みたいじゃん』
「うわ、キモい、喋るな」
『……ゼヒモナシ』
フェイに蹴飛ばされてキッチンハンガーに引っ掛かったままのパンドラがぼそりとぼやく。
調理を続けながらフェイは、怪訝な視線をパンドラと、それからキッチンの隅で小さく蹲っているアリサへと順々に送る。
「……」
「……」
「…………オイ、お前」
フェイの声の宛先はアリサなのだが、体育座りしたアリサは完成した彫刻かのように微動だにしない。
頭をすっぽりと身体の内側に押し込んで、聞く耳を持っているのかすら怪しい風体。
「…………」
「ナマエ」
「……」
「私、フェイ」
「…………知ってる」
少し前に、ザンから聞いた異邦人の少女。
本名をフェイ・イェン・レイと彼女は名乗った。
名前の響きや、少々たどたどしい調子の彼女の言葉遣いから何となくは察していたが、彼女は中国の生まれらしい。まさか異世界で異文化コミュニケーションをするとは思っていなかった。
……いや?
そもそもここは異世界なんだから、ここで出会う人全てが異文化コミュニケーションにあたるのではないだろうか。
どうでもいい思考を巡らせるアリサを一旦放置して、フェイは意識を中華鍋に戻す。
退廃と静寂と、死ばかりが蔓延する市街地の中、キッチンに響くその香ばしい音たちはあまりにも奇異な不協和音だった。
「フゥン……」
「……」
「オマエ、私と同じか?」
異邦人として、という意味ならね。
蹲ったままのアリサの姿を横目で確認して、返事がないのをイエスと見たフェイはそのまま不器用な言葉を放り投げるようにして話をする。
「何しに、ココ来た?」
誰かさんの、忘れ物を届けに。
フェイの問いに対し、アリサは声にならない独白でのみ返す。
つまりは、だんまり。
まるで壁に向かって話し続けているような心地になってきて、ただでさえ短気なフェイの頭に苛立ちが圧し掛かっていく。
何か文句のひとつでも言ってやろうかとも思ったが、鍋の中の料理がいい塩梅に仕上がったのでフェイは炎の猫をやんわりと払ってかき消すと、予め用意しておいた食器に盛り付けていく。
フェイ特製の青椒肉絲『チンジャオロース』。
使い物になる肉や野菜をあるだけ詰め込んだ簡易的なものだが。
「ん、好吃(美味しい)」
急ごしらえにしては悪くない味。
後片付けを済ませ、フェイは流しにあったタワシをひとつ掴むとアリサに向けて投擲する。
たかがタワシ、されどタワシ。
そのまま投げつけられても十二分に痛いが、アリサのように身体能力の枷が外れている異邦人が放つのだからなおのこと。痛くないわけがない。
「っぁだ…………?」
よろよろと持ち上がるアリサの鼻先に、小皿に盛り付けられた青椒肉絲が突きつけられている。
大粒の涙が覇気が完全に失せた目尻に引っ掛かっている所為で、アリサの正面で仁王立ちするフェイの姿がぐにゃりと歪んで映っている。
「……フン」
「…………いや、何……?」
「……食え」
「…………」
胡麻油の香ばしい香りは否応なしにアリサのお腹を刺激し、せっかく鳴き止んだ腹の虫が二度三度と強烈なアピールをおっぱじめる。
別に、頼んでもないのに。
独白とは裏腹に、しかし顔は渋々で、アリサは小皿と箸とを受け取る。
「…………ほぼ肉しか入ってない、青椒肉絲?」
「うるさい、さっさと食え」
「……」
思えば、電車の中で軽く食事をした程度だったから空腹なのは事実。
久々に手に取った箸で肉を摘まみ上げ、一口頬張る。
しっかりと火の通った豚肉に油と野菜の旨味とか絡み合って、舌触りも悪くない。
本格的な中華料理を、本場の人間が作ったとあって冗談抜きに非常に美味だった。
が、美味いと感想をこぼさず、かと言えば頬を綻ばせるでもなく、アリサは機械的に皿の上の肉を食べていく。
「……美味シイ?」
「……美味いよ」
ご馳走になっている以上、聞かれたのなら答えねばなるまい。
短くて素っ気ない、けれど一切の嘘偽りのないアリサの感想を聞いてフェイは小さく微笑んだ。
「ヒヒ、そっかそっか」
「……」
少し、無言。
食べ終えた食器を床に置いて、アリサは隣に座るフェイに視線を送る。
改めて、小さいという印象を受ける。
肩に触れるかどうかのラインで揃えられた亜麻色の髪に、濃紺色のパーカーと突っ掛けサンダル。
パーカーはよく見ると彼女の身の丈よりずっと大きくて、袖や裾の辺りがぶかぶかとしている。
ヤンチャ小僧みたいな短パンから伸びる足は白く細く、晩冬を迎える小枝のように、華奢を通り過ぎてむしろ脆いような印象。
瞳の色はアリサと同じ――黒色。
ともすれば、まだランドセルを背負っているような年頃のように思える。
そんな少女が、どうしてこんな場所で、あんな異能を以てして、《赤ずきん》の命を狙うのだろうか。
「……少し、いい?」
「なんだ?」
「……どうして、あの人を……狙ってるの?」
「……」
聞くべきか否か、軽く逡巡したがアリサは知りたかった。
知ったから彼女の行動を肯定するわけでもないが、否定しようとも思っていない。
それを知ったからとて、何かをしようとも思っていない。
知りたかった。
相手がアリサのよく知る《赤ずきん》だからこそ。
彼女がフェイに、何をしたのか、知りたかった。
「あのバケモノは、私の仇。私、助けてくれた人を、殺した」
「…………そう、なんだ」
悪夢から生まれたバケモノを狩り続け、一時とはいえ街の英雄と化した《赤ずきん》。
そんな彼女が、街の住人を殺して徘徊している。そんな奇行に、何故走ったのか。
アリサの表情がわずかに歪む。
思い当たる節が、ひとつだけ在る。
「お前、バケモノの知り合いか」
「……あぁ、いや……」
料理を作っていた時と打って変わって、いくらか殺気の宿った表情でフェイがアリサを睨む。
一瞬誤魔化そうかとも思って、でもすぐに止めて、アリサは正直に彼女と自分との間柄を話すことにした。
「あの人は……アタシの、恩人なんだ。アンタみたいにここに来て、最初に助けてくれた人」
「……フン」
顎でしゃくって見せる、なんて子供とは思えないような所作で先を促される。
アリサは《赤ずきん》との馴れ初めや経緯をフェイに素直に語った。
出会い、旅路、異能力の師事、意外に料理が出来たり、軽口も嫌いではないこと――唐突な失踪については、一番最後に。
「私は、忘れ物を届けにって旅してただけ。ホントに、ソレだけ」
「……だからか」
「だから?」
「お前、あの時邪魔した。アレ、私を助けるんじゃない。バケモノを助けるためだった」
「…………」
あの時、バケモノはフェイの猛攻にカウンターを構えていたのは事実だった。
アリサの行動は、フェイを助けるためのものだと理屈をつけていたつもりだったが、実際にはそんなことほとんど考えていなくて、無意識に身体が動いた結果に過ぎなかった。
あの時、あの時点で。
アリサの無意識は、あのバケモノに、《赤ずきん》の面影を見ていたのかもしれない。
「……かも、ね。ごめん」
「……」
今更謝ったところで何になるかは分からないが、アリサは謝罪の意を伝える。
しおらしいアリサの態度を見て、フェイの胸中はむしろ蟠る一方。
「お前……街から出ていけ」
『おお? 何だい何だい何様だいこのガキンチョ』
「……パンドラは、黙って」
「お前の恩人、もういない。ここにいるの、バケモノだけ。私の仇だけ」
「…………気遣って、くれてる?」
「玩笑(冗談)!」
苦し紛れにこぼれ出たアリサの皮肉に、フェイは怒り心頭で立ち上がると、幼さの残る黒い瞳でアリサをキッと睨む。
その中に、ほんのわずかな羨望の色が在ることに、アリサは気付かない。
「バケモノ、私が殺す。殺すって、決めた。だから、私が絶対に、やる。お前、目障りだ」
「……」
子供の口から出てきてはいけないようなキーワードを砲撃のようにアリサへと浴びせると、フェイは肩を怒らせ厨房の裏口から出て行ってしまった。
青椒肉絲の残り香もじわじわと薄れていって、やがて廃ホテルの厨房らしく、元の静寂を取り戻していく。
『言われっぱなしだねぇアリサ』
「……凄いよ。アレが、若さってヤツ」
『うーわ……何それ。そういうのは斜陽の台詞だろうに』
キッチンハンガーに引っ掛かりっぱなしの相棒を回収して、アリサはそんな風にくたびれた会話を広げていく。
「事実だよ。目標がある、ってのは羨ましい」
『在るじゃないか。アリサにだって』
「……え?」
ことこと、とパンドラが小さく身動ぎする。
頼みもしないのにその口が開いて、辺り一面にアリサの荷物がばら撒かれてしまった。とうとう壊れたか、と肩をすくめたアリサが最初に拾い上げたのは――金色の懐中時計だった。
「……」
あの日の時刻を刻んだまま凍りつき、しかし秒針だけは前後に震え続けている。
それは、悪夢から生まれたバケモノがいるという何よりの証左。
アリサは、頭を振った。
『行かないの?』
「……洗い物、してからね」




