そして、赤いサヨナラを 「7」
アタシの旅の目的って、何だろう。
耳が痛くて千切れそうにな夜に落ちた中央市街を歩きながらアリサは自問する。
答えは、とっくの昔から在る。至ってシンプル。
彼女――《赤ずきん》の忘れ物を届けるため。
あの日、あの時決めた、たった一つの目標。
それだけを柱にして今日まで旅を続けてきた。物見遊山の旅行とはワケが違う。
さして長くもない人生で、初めての旅。
不慣れなこと、イヤなことも圧倒的に多かったが、それでも指で摘まみ上げて数えられる程度には良いこともあってくれた。
出会いが人を強くする。
そんなヒロイックな言葉はあんまりにクサくて、現実味が無くて、正直眉唾物だと思っていたけれど、それが所以で変わった人間もここにいる。
瓦礫で出来上がった脆い坂道を上り、かつてはガソリンスタンドだったであろうコンクリートの屋根に立つ。
中央市街は広い。
南北に広がるかつての大都市は、多少なりと旅慣れたアリサとはいえ未開の地に他ならない。
「……」
怖気が立つような静寂にそっと耳を澄ませる。
勝手に料理を振る舞って、忽然と姿を消したフェイの気配を探る。
《赤ずきん》を仇と追い求める彼女さえ捉えられれば、それは即ち《赤ずきん》の居場所を突き止めるのと同義。
何でもいい。
彼女への足掛かりを見つけなくてはならない。
アリサの身体を横切る風の音、枝葉が寂しさに揺れる音、微かな地鳴り、息を吐く、吸う、一定のリズムを謳う呼吸の音。
アリサの全感覚が研ぎ澄まされていって、余計な雑音がゆっくりと取り払われていく。
「あっち……か」
方角にして北東、距離は走って十分ほどか。
独り言ちてから、アリサは夜闇の中に飛び込むようにして瓦礫から跳ぶ。時間的な余裕は余りないと思う。
「あの人は、夢を見たんだと思う」
それはパンドラに語りかけるではなく、かと言えば独白とも少し違う。
自分に対し、自分で言い聞かせているような口調。
「……人を、助けるっていう夢を」
市街に現れたバケモノを狩り続けるうちに《赤ずきん》は英雄になった。正直、彼女にはあまり似合わないような称号だと今も思っている。
それが起因したのかどうか、流石に詳細まではアリサの勝手な憶測にしかならないが、けれど、彼女は間違いなく夢を見たはず。
人を助けるという、悪い夢を。
しかしそれは、夢起病が歪めて見せた夢。
街中に悪夢から生まれたバケモノが跋扈している。
力のある彼女が延々とバケモノを狩り続けても、根本的な解決には程遠い。
では、根本的な解決とは何か?
それは実にシンプル。
夢を見る人間が、居なくなればいい。
異形のバケモノが、流行り病を患った人間の夢から來るのであれば、夢を見る人そのものを潰してしまえばいい。
大昔の疫病根絶にも似たその思想は、ある種間違っていないけれど、でも決して正しいとは言い切れない思想。
彼女は、きっとでそれを実行している。
ただ――、
「…………」
少し――数値に例えるなら一ミリとか、それぐらい微小の躊躇いがある。
彼女は、街の人間を皆殺しにしてはいない。
少なくとも、アリサが出会ったザンとフェイの二人はまだ生きているし、つい先ほど生きている人間はほとんどいないという彼の言を聞いたばかり。それは、今も大鉈のバケモノから逃げ果せている住人が僅かにいるという証。
ガラスの破れたショーウィンドウを飾る、砂埃に塗れたウェディングドレスを尻目にアリサは路地を駆け抜ける。
メインストリートからは完全に離れたらしく、視界に映るのは廃城を守る城壁のように佇む、雑多な住宅街の成れの果てばかり。
人の気はほぼ感じられない、閑散とした空間。
違和感もあったが、考えるよりも先に足を駆けさせる。
ドン、とくぐもった音が耳朶を打つ。
それは一度では止まらず、二度、三度と連続して響いてブーツの爪先にまで震動が伝わってくる。
誰が、とは言うまでもなく。
フェイが《赤ずきん》を相手に戦っている音だ。
響き続ける震動を頼りに狭い路地に身体を横にして滑り込ませ、まるで猫のように垣根を飛び越えていく。
人一人くぐり抜けるので精一杯だった路地が、突如として開ける。
「……工場?」
『どっちかって言うと……倉庫じゃない?』
緩やかに湾曲する巨大な屋根。
白ペンキでナンバリングされた鶯色のシャッターや周囲を囲む鉄柵には錆が蔓延っていて、開きっぱなしのゲートを含め、ここ最近使われたという形跡は微塵もない。外に積まれたコンテナの類も、まるで墓標のように寂しく立ち並んでいる。
踏み入って、数秒と経たずに轟音と叫び声のようなものが聞こえてアリサは駆けだす。
強引にぶち破られたシャッターの向こうに赤い炎を見つけてアリサが飛び込むと、そこは正しく鉄火場の最中だった。
「ふゥウウん!! やァッ!」
がらんどうと広がる倉庫の中で、燃え盛る獣を従えたフェイが大鉈のバケモノ相手に猛進する。
鋭敏な回し蹴りを幾度となく放ち、蹴りが外れれば火炎を纏った燕がミサイルのようにしてバケモノへと追撃していく。
大鉈のバケモノは鉈を盾のように、或いは軽快なステップとを使い分けてフェイの猛攻を易々と往なしていく。
攻勢に出るフェイの一撃は正しく怒濤と言うべき勢いで、一見するとバケモノが圧倒されているようにも見える。
だが、アリサの目にそうは映らない。
アリサですら辟易するようなフェイの速過ぎる攻撃を、大鉈のバケモノはむしろ平然と処理しているように見えていた。
息を切らすフェイとは対照的に、まるで熟練の戦士のような間合いを図って立ち振る舞っている。
バケモノの戦い方のそれとは明らかに違う。
一瞬の隙が生じるのを、それこそ虎視眈々と狙っているかのような印象だ。
赤い燕は大鉈にかき消され徐々に数を失い、決定打に届かず焦るフェイは取り出したマッチを地べたで擦り付けて小さな猟犬を二頭生み出し、嗾けると同時に低姿勢のまま駆け出す。
燃え盛る牙を剥き出しに標的へと突っ込んでいく猟犬を見、バケモノはその大鉈を力強く振り上げたかと思えば地面に叩きつけた。歪な色の刃がコンクリートの地面を叩き壊し、瓦礫とが散り散りになって砂煙を巻き起こす。猟犬とフェイの動きが同時に止まった。
「……あの燃えてる犬、フェイと視覚が同じなんだ」
フェイが狙えば、獣もそれを狙う。
フェイが立ち止まれば、獣も立ち止まる。
攻勢に出ている時の彼女の神速のコンビネーションは、同じ標的を狙うという一体感が生み出すものであり、その標的を見失った今フェイは獣共々踏み込めずにいる。
野生の獣であれば、視覚ではなく嗅覚をも用いて攻め続けることが出来たかもしれない。
が、あの燃え盛る獣は本来の意味での獣ではなく、あくまでフェイの感覚が生み出した象徴での獣でしかない。
攻めあぐねるフェイと猟犬。
苛立つフェイが煙の中に飛び込もうとした瞬間、立ち往生する猟犬の横っ腹に大鉈の刃が閃く。
「な……ッ!」
砂煙ばかりに意識を向けていた所為で反応が遅れ、紅色の猟犬は一瞬のうちに熱風とかき消される。
次いでフェイへと迫る追撃を流麗なバックステップで回避しつつ、指の間に挟んだマッチを灯すと、足元に赤い体躯のネズミが駆けずり回る。
大鉈のバケモノが踏み潰すと、それは小さな爆発を伴って炸裂した。一種のまきびしのような、迎撃手段。
ある程度の時間と距離とを稼いですぐさま点火。フェイの両サイドから再び猟犬が放たれる。
マッチを使うだけで、その小さな火種から獣が放てる。
リカバリーの速さはアリサが対面していたら間違いなく舌を巻くような速度だった。
猟犬は牙を剥き、身体を捩った場所にフェイが浴びせ蹴り、当たれば追撃に、外れても猟犬の牙がもう一度飛び掛かる。息を吐く間もないような連続攻撃が舞闘のように繰り広げられる。ただの人間なら初撃で既に死んでいる。
だが、相手はバケモノであって、そして《赤ずきん》。
神速の連撃と言えど、それはあまりにも単調なものだった。
猟犬が跳ぶとバケモノは回避する、回避した隙をフェイが狙い撃つ。それが外れれば猟犬が同時に、あるいは緩急をつけて、崩れたところにフェイが肉薄。
彼女は、自分がトドメを――自分自身の手で仇を打つという腹積もりに、無意識に支配されて動いている。
「……惨い」
不意に、バケモノは飛び掛かった猟犬の攻撃に対し後方に跳ぶ。
跳んだ先はこの倉庫の角にあたる場所で、壁際には鈍色のコンテナが一つ転がっている。
追い込んだ、と好機と見たフェイはその身体を一気に加速させる。
誘い込まれた、と舌打ちをこぼしながらアリサが駆け出す。
二頭の猟犬とで迫るフェイを前に、バケモノは緩慢な所作でコンテナへと腕を伸ばす。ガリ、と大鉈の切っ先がコンテナに喰いこむ。
竜の息吹のように火の粉を散らす咆哮を上げながら猟犬が飛び掛かる。
合わせて跳躍しようと屈んだその時、フェイの目の前でコンテナがぐらりと傾いた。
「ッ……あ!?」
鉈の切っ先で突き刺したコンテナを、バケモノは力任せに引き寄せ横倒しにする。
まるで、手元にあった文庫本で虫でも潰すかのように無造作に。
身の丈を優に超えるコンテナが踏み込みかけのフェイへと向かって倒れ込んでくる。
低姿勢も相まってその威圧感は凄まじく、怯んだ足が満足に動かせなくなるのも無理はなかった。
嗾けた猟犬はもはや手遅れ。
頭の中で無理矢理な電気信号が駆け巡って、咄嗟に後退を選択するも、もつれた足が絡んで情けなく尻餅をつく。
果敢に飛び込んでいった猟犬はコンテナに潰され、たった一人残された少女を歪なシルエットが覆う。
見上げた先に――逃れようのない死が在った。
「ァ……」
両腕のお鉈を大きく振り上げ落下するバケモノの姿がフェイの瞳を奪う。
へたれた足には力が入らず、咄嗟にマッチを灯しても炎が物理的な盾にならないことは彼女自身が熟知している事実。ほとんど声にならなかった悲鳴は風に消え、少女の命は正に風前の灯火だった。
刹那、小さな頭の中を様々な感情が走り回る。
仇を打てないことに対する、自分への怒り。やるせなさ。
迫り来る死の恐怖。
あの大鉈で斬られたら、痛いのか? 熱いのか?
小刻みに震える自分の身体が、あまりにも憎らしく、あまりにも情けなく。
巡りに巡った激情は、やがては大粒の涙となってフェイの頬を滑って落ちていく。
漆黒の一閃が、どうしようもない速度でフェイへと押し寄せる。
フェイの世界が、一瞬のうちに光を失った。
「…………ひとつ、頼みたい……ことがあるんだけど」
「……え」
金属と金属とが激しくぶつかり合うような轟音が響き、続けて聞こえてきたのはアリサの呻き声。
恐る恐ると、本能が咄嗟に蓋をした瞼を抉じ開けると、フェイの正面に、ハチェットで大鉈を受け止めるアリサの後ろ姿が飛び込んできた。
ギッ、と顔を強張らせたかと思うとアリサの瞳に薄ら蒼い光が帯び、それを見たバケモノが鉈を弾いて反対方向に翻る。
脅威を撥ね退け、アリサは携えていたパンドラをフェイの鼻先へと突きつける。
「アタシの鞄を、預かっててほしい。持っててもいいんだけど、コイツ煩いからさ」
『当たり前じゃん! また盾にされたら訴えるぞ!』
「……何処に?」
『……労基?』
「な、なんで……お前」
成すがままにパンドラを受け取るフェイの表情は驚きと戸惑いと、涙とで溢れている。
そんな泣き顔を尻目に、アリサはそっと振り返って歩き出した。
「……ほら、さっきの……青椒肉絲のお礼で」
「違う……違う! そうじゃなくて、あのバケモノは、だって、お前の……」
『だからだよ』
「だ、だから……?」
大鉈のバケモノは、倉庫の中央で静かに佇んでいる。
そこに殺気や威圧はない。
まるで、待ち人を望むかのような寂寞さえ漂わせている。
平坦に、質素に、アリサはいつものような調子でゆっくりと一歩一歩を踏んでいく。
「…………」
もしかして――なんて、小さく開きかけた唇を閉じる。
言いたいことは、山ほどある。
聞きたいコトも、山ほどある。
でも、今この瞬間においては、どんなに綺麗に飾っても言葉という媒体は無意味で、無価値だった。
だから――息を吸い込む。
アリサは、地面を蹴った。




