そして、赤いサヨナラを 「3」
そこが指定席だと、ずっと前から決められていたかのように。
赤い外套の旅人――《赤ずきん》は、アリサの右隣の席にゆっくりと腰掛ける。
ふわ、と漂ってくる古臭い匂いが懐かしくて、可笑しくて――けれどアリサは、それが表情に出ないよう努める。
彼女は小さな声で適当な酒を注文すると、ザンは実に慣れた所作でグラスに琥珀色の液体を注いでいく。ことことと酒が注がれる音は、外の惨状とは桁外れにムーディな響きだった。
それを、彼女はゆっくりと口つける。
アリサが一緒に旅をしている間、彼女は一度たりともお酒を飲まなかったから、奇妙な新鮮味があった。
「俺は、地下室の方に酒を取りに行ってくるかね」
二人の再会を邪魔したくないという彼なりの気遣いだろう。
そそくさと店の奥へと姿を消し、カウンター席に残ったのはアリサとパンドラと、《赤ずきん》だけとなった。
「…………」
アリサは、柄にもなく緊張していた。
唐突に彼女と別れて、長いような短いような旅を経て、そして今日、また唐突に再会を果たして。
少しばかり、自分の気持ちが昂っていているのに気づいていた。
そんな昂ぶりが邪魔をしているのだろうか。
これまでの旅の経験、再会したら話そうと思っていた事柄、頭の中で溢れそうになるほどの言葉の羅列が、喉の奥で突っかかってしまってなかなか出てこない。まるで、別れ話の最中のカップルのような、ぎこちない雰囲気だけが二人の間に渦を巻いていて、ただただグラスを傾ける音だけが久遠とばかりに響き続けるばかり。
「久しぶりだね」
「……うん」
意を決して――なんてタイミングですら《赤ずきん》に先を越される。
琥珀色に染まるグラスの中を、彼女は万華鏡でも覗くかのようにぼんやりと見つめている。
「一年……くらいか。すっかり見違えたよ。大きくなったし、それに……強くもなった」
「……そんな、そんなこと……ないよ。全然」
ぽつ、ぽつ、と短い、ごく短い言葉のやり取り。
傍から見れば、それはあまりにも拙い言葉の転がしあい。
他愛ない言葉を紡いでいるだけなのに、サイダーの入ったグラスを掴むアリサの手は、終始僅かに震え続けていた。
「……アリサ、どうして、旅をしようと思ったんだい?」
「え……? どうして……って、そりゃ……」
アリサの旅のキッカケはただひとつ。
腰のホルダーからハチェットを取り外し、カウンターの上にと置く。
赤く短い柄で、先端の刃だけが異様に肥大化したハチェット。
これは、アリサの持ち物ではない。
彼女の――《赤ずきん》の忘れ物だ。
「これを、さ。アンタに届けるためにって、旅を始めた。大事な仕事道具でしょ? 一年も手持無沙汰で、よく……無事だったね」
「……」
グラスを覗き込んでいた《赤ずきん》の視線が、ハチェットへと落ちる。
傍らにグラスをそっと置いて、彼女は自分のハチェットを懐かしそうに手に取った。
「少なくない、血ノ臭いがするね……」
「あ……え、っと……ごめん。少しの間、使わせてもらってたから」
「いや、構わないさ。それはむしろ、コイツがお前さんを守ったっテいう何よりの証じゃないか。誇っていい」
「……え?」
しかし、《赤ずきん》はハチェットを手に取りこそすれ、受け取りはしなかった。
逆に突き返されてしまって、アリサは思わず間の抜けた声をこぼしてしまう。
「あげるよ。今の私には、相応しくないものさ」
「相応しくないって……いや、だってこれはアンタの」
言いかけた言葉を、彼女の手がアリサの頭に触れて遮る。
大きいようで小さい、けれど力強く温かい掌。
咄嗟の気恥ずかしさが勝って、アリサは思わずその掌を優しく退けてしまう。
「う……な、何だよ……急に」
「本当に、大きくなった……ね。強くも、ナった」
「……ちょっと、さっきも同じ事言った。ボケるには早いって」
「ふふ……」
そっと微笑する彼女のか細い声を聞いた途端、アリサの胸の内に糸くずのような小さな違和感が蟠っていく。
徐に、《赤ずきん》が席を立った。
「じゃあ、そろソろ仕事に……戻ろうかな」
「仕事って……?」
懐から数枚の硬貨をカウンターに放って、《赤ずきん》はアリサの問いかけには答えぬまま踵を返し、店のドアに手を触れる。
「……なぁ、アリサ」
「何……?」
ドアノブに手を置いたまま、振り返らないままで、《赤ずきん》はアリサに語りかける。
見慣れた背中が、今この瞬間だけ酷く小さく、フロアランプで伸びる影だけがやたらに大きく浮かび上がっているように見えた。
「私の言った、約束を……覚えているかい?」
「約……束……」
約束、と強調されて言われたことを思い出そうとして――ひとつ、思い当たる。
それはアリサが異能――七ツ目ノ感覚の特訓の際に言われた言葉。
関わると決めたのなら、最後まで付き合うこと。
途中で投げ出さないこと。
バケモノ退治を兼ねた修行の中で言われたその言葉は、功を焦って自滅した自分の姿と共に、強く印象に残っている。
「関わるなら最後までっていう……アレ? 覚えてる、けど……?」
「そうか、ならいい」
アリサの返答に、何処か満足げに頷くと彼女の姿はドアの向こうの闇の中へ吸い込まれるように消えてしまった。
酒場に残ったのはむず痒いような寂寞と、沈黙と、だんまりな旅行鞄とアリサだけ。
思わず、アリサは《赤ずきん》が押し開いていったドアを穴が開かんばかりに見つめていた。……いや、ただただ無感情に見ていた。
「…………」
「久しぶりの再会にしては、二人ともなんか他所他所しかったな」
呆然としていたアリサの意識を引っ張り起こしたのはザンの声だった。
小脇にはワインボトルのようなものをいくつか抱えていて、彼はそれをカウンターの上に整然と並べていく。
「悪い、予想より地下の酒が少なくて早く戻っちまって……顔出すのもって思ってな。盗み聞くつもりは」
「……いいよ。聞かれて困るようなハナシはしてない」
「……それは?」
カウンターに置きっぱなしのハチェットをザンは示す。
赤い柄の、刃だけが異常に大きなハチェット。決して、酒場のカウンターを彩るような代物ではない。
アリサは気だるげに視線を動かして、緩慢にそれに手を伸ばす。
持ち主は違うのに、柄を握りしめると自分でも薄気味悪いぐらいに手に馴染んでしまった代物。
「アタシは、コレを……コレを届けるためにって、旅をしてた。けど……」
「……」
『なぁ、アリサ……これからどうするの?』
「…………」
今のアリサの胸の内を満たしているのは、九分九厘の無。
それから、一厘ばかりの違和感――もっと言うと、嫌な予感。
たしかにザンの言う通り、アリサが交わした言葉の数々は、久しく再会した人間同士の会話内容とは思えない、一定の空白を挟んだやり取りだった。
元々アリサが口下手なのも手伝っているのかもしれない。
でも、それだけで少し説明のつかない部分があった。
それを認識した瞬間、アリサの胸中に黒い不快感が走り回って、現実を見るべきか否かと問い質されているような気分になった。
「…………パンドラ」
『ん……? あいよ』
呼ばれて、パンドラはその口を開く。
徐に取り出したのは、金色の懐中時計。
自分が死んだ時刻を刻んだままで凍りつき、唯一動く秒針はアリサが狩るべき異形の存在を示す。
秒針は――震えている。
「……」
それを、どんな風に思いながら眺めていたのかはアリサにもよくわからない。
もしかしたら何も考えていないのかもしれないし、何も考えたくなかったのかもしれない。
ただただ事実を確認しただけで、他に意味はなかったのかもしれない。
何を言うでもなく、アリサは金色の懐中時計をパンドラの中に仕舞いこむ。
「はぁ…………?」
細い溜息を捨てて、残っていたサイダーを飲み干そうとしたときだった。
ふと、ザンと視線が合った。
ともすれば荒くれのような外見の男なのに、今浮かべている表情は妙に慎重で、何かを憚っているような印象だった。
「……何?」
「……なぁ、アリサとあの人は……どういう関係なんだ?」
『お? お? プライバシーの侵害?』
「……どう、いう……」
アリサにとっては、命の恩人で師匠。もっと個人的に言うなら、大切な人。
だが、実際の関係性で言うとどうなのだろうか。
師弟というほど密接でもないし、長く連れ添ってもらってはいたが相棒ではない。
友人か知人か。
結局は他人か。
そういう十把一絡げなキーワードで収まってくれる簡単な関係なのだろうか。もっと、粗末な間柄なのだろうか。
正直、ここまで来たアリサですら不明瞭な繋がりだ。
「……ぶっちゃけ、わかんない。大事な人だとは、思ってたはずなんだけど…………ここに来て、わかんなくなっちゃった……かな」
「そう……か」
曖昧なアリサの返答を聞いて、彼の表情はますます怪訝なものになる。
指先で顎髭を擦る様は、何か言いたい言葉を口の中で転がして、持て余しているように見えた。
「何?」
「さっきの……街を救ってくれた英雄だって話……覚えてるか?」
「……それが?」
彼女――《赤ずきん》が街で溢れたバケモノを退治して英雄になったという話。
「あの話には、続きがある。アリサ、お前ここに来るまでに大きな鉈を持ったバケモノと……あと、女の子を、見なかったか?」
「……あぁ、そういえば」
中央市街に辿り着いた矢先で見た、マッチの炎を獣へと変える少女と、二振りの大鉈を持つバケモノ。
ふと、彼女が去り際に言った仕事という言葉にピンと来た。
もしかして、《赤ずきん》はあのバケモノを退治しに出向いたのではないだろうか。
あの人の根幹は変わっていないんだ、と安堵するアリサを他所に、ザンは険しい表情を浮かべたまま腕を組んだ。
「大鉈のバケモノはな……あの人なんだよ、アリサ」




