そして、赤いサヨナラを 「2」
敢えて、獣人や少女が向かった方とは逆の方向へと進路を取る。
どちらかといえば、バケモノを狩るべき側に立つアリサだが、既に他の同業者が奮闘しているのであれば、その仕事を奪ってまでアリサが出しゃばる必要はない。少なくとも、そう判断して歩いている。
「……」
圧し折れた街路樹のアーチをくぐり、人の名残すら失せた路地をアリサは進んでいく。
彷徨う瞳に映るのは、破壊の限りが尽くされた市街地の惨状。
ショーウィンドウを飾るマネキンは綺麗な服と一緒くたに潰れている。
窓ガラスの散らばる路地は、朝日を浴びて悲哀に満ちた輝きを放っている。
そんな――無体な有様に、アリサは独り言すら出てこない。
『……なんか、変じゃない? こんだけ酷い有様だってのに、人の死体が全然見当たらないよ……?』
言われて、気づく。
時折、路地の上に血だまりこそ見つかるのだが、街には死骸の類が見当たらない。
歩いて、歩いて、街を歩き続けても――アリサや、先のパーカーの少女以外の人間の姿が見当たらない。それは強烈な違和感に他ならない。
『……アリサ?』
しかし、アリサはパンドラの指摘も何処吹く風といった体で、ふらふらと緩やかな足並みを続けるばかり。
その表情は硬く、唇も結んだままで仏頂面のままなのだが――心だけ、何処か遠いところに投げ捨ててしまったかのような、虚ろが宿っているように見える。
『ちょっと、しっかりしてよアリサ。アリサは、その忘れ物を届けるためにってここに来たんだろう?』
「……あぁ」
『だったらもっとシャキっとしなきゃ。出っ張るトコもないんだし、せめて背筋ぐらいピンと伸ばしとけって』
「……」
普段なら膝で蹴って黙らせるところだが、今のアリサにはそんなパンドラの悪口は耳に入りすらしない。
件のバケモノと少女との乱戦の中、一瞬だけ――ほんの一瞬だけ、アリサとバケモノの視線が交差した。
それが何を意味するのかは、わからない。
ただ、その一瞬ばかりに生じた奇妙な出来事が、何故かアリサの胸中に理解不明の渦を生み出して、文字通り思考をかき乱している。
普段なら、気にも留めないような出来事。
少なからず、今のアリサの精神は揺れている。
だから――アリサは敢えて、彼女たちとは逆方向に舵を取り、ほんの一時だけ思考をズラすようにしていた。
「…………」
誰もいない街を、アリサとパンドラだけが彷徨う。
風も吹かず、まるで時が流れることを放棄したかのような、押し潰されそうなほどの静寂。
アリサの足音だけが、唯一無二の音と化す。
そうして、ずっと、ずっと、ずっと歩き続けて――小さな公園を見つけて、何となしに踏み入って、ベンチに腰掛ける。
「……街が、死んでるみたいだ」
『はは、アリサにしては詩的だね。……っても、オイラもどーかん』
街が死んでいるのなら、生きている人間がいる道理はないかもしれない。
結局、この公園に辿り着くまでの間先の少女とバケモノ以外の人間を一人たりとて確認できないままだった。
例えば店があれば――ホテルのような宿泊施設、酒場でも、なんでもいい。
生きている人間がいて、機能している店でも見つかればまだ話は違うのだろうが、それすら一向に見つからないままこうして茫然とせざるをえない状況。
例の少女にコンタクトを――と、今更になって思い付いてもみたが、ここまで距離を離してしまうと引き返すのすら億劫だった。
パンドラを枕に、アリサはベンチの上で寝転がる。多少文句は言われるが、反論する気すらわかないまま目を瞑る。
『果報は寝て待て、なんて言うケドさ。こんな街で果報が落ちてくるとは思えないなー』
「……」
『……どうしちゃったのさアリサ。なんか、さっきからヘンじゃない?』
「……別に」
正直、アリサ自身にもよくわかっていない感情のせいで、どう言い表したものか見当もつかないのが現実。
わざわざそんな抽象的な感覚を、喋る鞄如きに語りかけて解決するなら苦労はしない。
硬い枕の上で寝返りを打つ。
ちょっとした休憩のつもりだったのだが、こうして目を閉じてしまうと、ささやかな疲労や倦怠感ですら眠りの世界へと手招いてくる。
気が付けば、アリサは小さな寝息を立てていた。
※
小さな音が耳朶に伝って、アリサの意識が眠りの世界から引っぺがされる。
崩れたビルの隙間に輝くオレンジ色の西日に照らされ、アリサは目を覚ます。
しっかり暮れ時まで無防備に眠りこけてしまっていたのは失態だったが、過ぎてしまえば些末なこと。
ベンチから立ち上がり、今し方耳にした小さな物音の行方を探る。
何かが、一定の間隔で動くような音。つまりは、足音。
視線を弾いた先に、ネオンが明滅する小さな看板が映る。
尤も、ネオンは輝きこそすれ文字は変形してしまっていて読めないし、時々火花を散らしながら、もう先が長く無いことを雄弁にアピールしている始末。ネオンの看板の下には、焦げ茶色のシックなドアが見えた。パッと見た印象で言えばバー、もしくはよからぬお店。
出処の是非はともかく、その音は唯一の道標に他ならない。
パンドラを引っ掴み、押し入るようにドアを開く。
「……いらっしゃい」
アリサを出迎える、声が聞こえた。
微かに香水が香る店内は、アリサの予想通り酒場だった。
入って右手側、革張りのソファと丸テーブルの数々が虚空を乗せて静かに佇んでいる。少し奥にはピアノとステージとがあり、かつてはここで瀟洒なショーが行われていたのだと予想できる。
反対側にはL字型のカウンターがあり、その向こう側に隙間だらけの酒棚と、スキンヘッドの男が立っている。言わずもがな、アリサを出迎えた声の主。アリサたち以外の利用客の姿も見当たらない。
物珍しさに二度三度と店を見回してから、アリサは真っすぐ男の正面の席へと座る。
「こりゃまた珍しい。別の女の客か」
「……別?」
カウンター越しに見上げると、張りつめたサスペンダー姿も相まって威圧感が凄い。
しかし、厳つい見た目の割にその声は渋くて穏やか。
一見の客に対する接し方も何処となくフランクで、少なからず緊張感が薄らぐ。こういうギャップに、アリサは少し弱い。
「この街は、ご覧の有様だからな。客、なんて存在そのものがまず珍しいんだが……さて、まずはご注文を聞こうか?」
「……アタシが飲めるモノなら、何でも」
「ふーむ……」
酒棚やシェイカーには目もくれず、男はちょいとしゃがみ込んだかと思うと細長い瓶を取り出した。ライムグリーンの瓶に張り付けられたラベルにはサイダーとある。
大粒のロックアイスを転がせたグラスに注ぎ込むと、透明なグラスの中で白い泡がしゅわしゅわと爽やかに弾ける。コレがお酒だったら、もうちょっとハードボイルドに見えたかもしれない。
「ギリギリ未成年とお見受けしたが、どうだい?」
「……当たり」
軽く笑って、アリサはグラスに注がれたサイダーを一口つける。何だか、懐かしい刺激と甘みだ。
「で、お嬢さんは」
「……アリサ」
「俺はザン。んで、アリサはどうしてこんな街に?」
『おいおい、二人だけで盛り上がるのやめてくれない? オイラをハブらないでちょーだいよ』
そんな声が足元から聞こえてきて、ザンと名乗ったマスターはぎょっとした顔を浮かべる。当然だ、アリサ以外の人間はここにはいないのだから。
渋々、アリサはわざとらしい溜息を吐いてから左隣の席にパンドラを乗せた。
「お、おお……? まさか、鞄が喋って……イマジナリーか? 話を聞きこそすれ、見るのは初めてだな……」
「イマジナリー?」
『イマジナリー?』
アリサと当人が揃ってそんな声を出す。
「お前さんみたいな、喋る無機物のコトだよ。詳しくは知らないが、誰かさんの空想が生み出したアイテムって言われててな。良くも悪くも珍しい一品さ」
「……パンドラ、そんな不思議アイテムだったの?」
『オイラもビックリ』
希少な存在と聞いたのにもかかわらず、素っ気ない問答を交わし、それ以上の興味が無いと言わんばかりの二人――いや、一人と一つの姿を見て、やれやれとザンは肩をすくめる。
不思議な客人に興味を示し、ザンは少しカウンターに身を乗り出してアリサとパンドラとを交互に見やる。むしろ、ザンの方が興味津々だった。
「ハナシを戻そうか。アリサたちは、何しにこんな街に? 観光なら、タイミングが悪過ぎだ」
「人を、探しに。別の村で、ここに赤い頭巾の婆さんが居るって聞いたんだけど」
「赤い頭巾……」
いち早い反応にアリサの柳眉が揺れる。
今まで似たように聞いてまわってきて、初めて目の当たりにしたマトモな反応に、手ごたえを覚える。
注意深く、アリサはザンの表情を観察する。
彼の表情は、硬い。
「心当たり……なんてモンじゃない。この街に生きている人間なら誰でも知ってるさ。なんせ、この街を救った英雄だからな」
「英……雄?」
街を救った、英雄。
赤い外套の後ろ姿は、確かにバケモノじみた強さを誇っていたが、そういうヒロイックなワードはあまり似つかわしくないような気がして、面食らったアリサの方が破顔してしまう。
「……待った。街を、救った?」
「尤もな反応だな。さて……少しだけ、この街で何が起こったかを話してもいいか?」
黙って頷いたアリサを見て、ザンはカウンターにもたれ掛かるようにしながら語り出す。
「今世界中で蔓延してる、夢からバケモノが出る病は知ってるな? 夢ってのは、つまりは人の数だけ在るものであって、ここ中央市街みたいなデカい都市なら人の数も多く、夢の数も多くなる。当然、バケモノが出てくることも多かった。腕っぷしのイイ連中でどうにか追い払うぐらいは出来てたんだが……それも限界が来てな」
「……」
溶けたロックアイスが、カラン、とグラスの中で揺れる。
「二……や、三か月ぐらい前か。突然街に、バケモノが溢れ出した。日に日に少なくなっていく住人、行くアテの無いホームレスが、心身ともに極限まで追い込まれて、一斉に悪夢に苛まれた……いわば、一種のパンデミックさ。人を殺す、食う、建物を手当たり次第に破壊し尽くす。酷いもんだった。……そんな時さ。街に、赤い外套姿の旅人が現れたんだ」
ふらりと現れたその旅人は、正しく狩人だった。
夜の訪れとともに姿を現し、街に跋扈するバケモノを次々に屠っていく。
夜闇に響いていた人々の悲鳴もいくらか減って、少しずつ街に静寂という名の平穏が戻っていく。
旅人を英雄と讃える者もいれば、恐ろしい殺人鬼だと畏怖する者もいた。正味、バケモノを狩る上ではどちらであれ変わりはない。少なくとも、旅人のお陰で街は平和を取り戻しつつあったのだから。
「昼間は街を彷徨って、夜になればバケモノ狩りをする。旅人は、まるで事務仕事みたいに、そんな極端なルーティンをこなしてた」
「その旅人は、今どこに?」
緊張か焦燥か、アリサの手の平には汗が滲んでいた。
やっと、会える。
アリサの旅が、終わりを迎えようとしている。
ザンは、硬い表情のまま返す。
「ぶっちゃけると……何処にいるかまではわからない。でも、毎週決まった時間に、この店に来るんだ。ちょうど、アリサが座ってる隣の席に着いて、適当な酒を頼んで、目一杯時間をかけて飲む。ずっと、黙って……な」
「決まった日って……?」
アリサが身を乗り出すのを見計らうかのように、店のドアがガチャと控えめに主張する。
「……おや、懐かしイ……匂いだね」
忘れもしない、その声。
ハッと振り返ったその先で、見慣れた赤い外套姿の老婆が立っていた。
「アリサは運が良い。今日が、その日なのさ」




